第三章:草むしり・前編-17
「成る程。そんな事態になっていたのですね」
──ここは執務室。
ハンナを見送った後、父上とカーラット、そして私の三人で事の経緯をカーラットに説明し終えた所であった。
「それにしてもまさか逃げられるとはな……。やはり手練れのエルフだった、というわけか」
「私の油断が招いた失態です。大口を叩いて挙句この結果……。面目次第も御座いません」
父上とカーラットには私が監視を忍ばせたことは黙り、ハンナをただ逃してしまった、と伝えてある。
まあ逃した事に変わりはないのだが、余計な詮索や心配を掛けられたくなかったのが大きい。
父上は勿論、カーラットもなんだかんだで心配性な面があるからな。
「よいよい。逃げてしまったものは致し方無い。お前も情に
「ありがとうございます」
私が頭を下げると、父上は鷹揚に手で払い、下げなくとも良い、と伝えてくれる。
「それでは潜入していたエルフの件はひとまず落ち着いた、と判断して問題は無いという事ですか?」
「いや。完全に安心し切るのは止めておいた方が良い。今後この屋敷に接触して来る者全員を警戒し、屋敷内の使用人にも定期的に人族かどうかチェックする必要がある」
エルフと自白したハンナが居なくなったからといって、他のエルフが再びこの屋敷にスパイを送り込んで来ないとも限らない。
加えて今回逃げ出したハンナとは別のエルフが、ウチの使用人と入れ替わったりする可能性だって考えられる。
近寄る人間全てを警戒するに越した事はないだろう。
「では暫くの間は使用人の新規雇用は中止し、雇用中の使用人に関しては定期的な質疑応答をもって判断するとしよう」
「仮に怪しいと判断した場合は私に連絡を下さい。最終確認は私が直々に執り行ないます」
「良いのか? 明日から学院があるだろうに……」
「実家の不測の事態に駆け付けるのは当然です。それにそんな頻出するわけではないでしょうしね」
調べた結果使用人がエルフだらけだった、などと笑えない冗談だ。ここは手を抜かず、しっかりこなさねばならない。
「分かった。それでいくとしよう。……しかし、あのハンナが……」
そう呟いた父上は腕を組んで少し俯くと溜め息を吐く。
「……ハンナはな。カーネリアが選んだ人材だったのだ」
「母上が?」
「ああ。まだ私とカーネリアが結婚して間もない頃。放浪、と言えばいいのか? 兎に角、アヤツは行き場もなくこの街を荷物を抱えてフラついていたらしくてな。カーネリアが丁度街中に出掛けていた際に、ふと目に止まったと聞いた」
「何かハンナに惹かれるものでもあったのですか?」
「はっはっ。いや、そんな大袈裟なものではない。なんでもフラついていたのを見て「大丈夫なのかしら」と心配していや矢先に目の前で倒れたそうでな。流石に放って置けないと、街医者に連れて行ったのだ」
「成る程。それでハンナは母上に恩が出来、母上は行く宛の無いハンナを我が家に招いた、と」
「勿論、使用人としての資質を測るテストは行った。ただハンナは器用な奴でな。基本的な家事は勿論、自衛の為の護身術に多少の覚えもあったし、何より読み書きや計算が達者だった。メイドとしての資質は十分だったのだよ」
ふむ。確かに一見すれば良い人材の掘り出し物を見付けたように見えなくも無い。
家事や護身術、読み書き計算が満遍なく出来る人材など引く手数多だろうからな。一度見付ければ欲しくなるのは当然だ。
ただ実際にはそうやって我が家に取り入り、逐一情報をエルフ達に流していた……。
なんとも度し難い出会いだ。
「……なあクラウンよ」
「はい?」
「アヤツは……。ハンナは本当に──」
「それ以上はなりません」
父上が〝何か〟を口にする前に、私は遮るように声を張り上げる。
「父上。〝もしかしたら〟も〝かもしれない〟も無いのです。もう過ぎた事、終わった事なのですよ。今考えるべきは過ぎた事ではなく、これからの事、ですよ」
「……」
息子が父親に言うような台詞ではないかもしれないが、これは言わなければならない。
分別はしっかり付けなければ、いつか足元を掬われる。
しかし、気持ちは分かる。
父上にとっても、ハンナという存在は決して小さくはなかったのだろう。
なんせ付き合いだけでいえば二十年近くなるわけで、最早無意識下で家族となんら遜色ない関係を築いていただろうからな。
そう簡単に〝エルフでした〟と割り切るのは難しいのは理解出来る。私だって完全には……やはり難しい。
だが、それでもだ。
「父上」
「いや、すまない。私が追い付いていなかったな。少し、頭を冷さねば……」
「はい。それに母上にも事の経緯を話さねばなりません。きっと母上は、誰より悲しまれるでしょう」
「……真実を告げるのか?」
「下手な嘘は身を滅ぼす──と言ってしまうと少し大袈裟ですが、後々それが軋轢に繋がるかもしれませんからね。真実は告げるべきです」
「そうか……。ははっ、はて、どう説明したものかな……」
そう口にしながら額に手を当て悩み込むように俯く父上に、カーラットが静かに寄り添い肩に手を置く。
「私もご一緒致します故、どうか気を強くお持ち下さい」
「カーラット……」
「私は旦那様の部下ですから」
そう父上に微笑み掛けるカーラット。
だがしかし、こんな良い空気の中で大変申し訳ないのだが──
「そうは言うがなカーラット。まだお前の話も終わってないのを忘れていないか?」
そんな私の言葉に振り返ったカーラットの表情は一瞬だけ不満を浮かべたが、完全に振り返る頃にはいつもの冷静沈着なポーカーフェイスに戻り、何の感情も抱いてません、とでも言いたげに装おう。
「私の話、ですか」
「ああそうだ。お前がモンドベルク公と通じている件だ」
確かに今回エルフだったのはハンナであり、潜入していたエルフの件はひとまず終着した。
だがもう一つ判明したモンドベルク公との内通もまた、エルフ程では無いにしろ問題は問題である。
「そうですね。お話しせねばならないでしょう。ですが今夜はもうかなり遅くなってしまいました。翌日に持ち越す、というのは──」
「エルフの一件で問題は多少霞んで見えるが、重要な案件だ。早く済ませるに越した事はない」
「……」
沈黙で返したカーラットは父上に目線を送り、どのようにするかを無言のまま訊ねると、父上は鷹揚に頷いて話すよう促す。
「ではご説明致します。予め一つお断りさせて頂きますが坊ちゃん。坊ちゃんにとって余り気持ちの良い話ではない事はご容赦下さい」
「ああ、構わない」
「それでは……」
そう口火を切り、カーラットは続ける。
「結論から申し上げれば、私はモンドベルク公から坊ちゃんの監視を仰せつかっておりました」
「クラウンの監視、だと?」
私よりも先に父上がそう反応し、眉を
それを受けたカーラットは頷いてから続きを口にする。
「はい。モンドベルク公は坊ちゃんが五歳の頃、スーベルク邸にて潜入した際の活躍を知り、私にその様な内密な命令を下しました」
「なんだそれは。具体的にどういった理由だ?」
「詳しくは私も存じません。ただ万が一の場合の保険の役割でもある、とは聞かされました」
私の活躍……。
恐らくこの活躍とはスーベルクの屋敷での事ではなく、その後のキグナスと対峙した時の事を言っているのだろう。
一介の兵士より遥かに強いキグナスに当時五歳の子供があそこまで食い下がったのだ。警戒するには十分過ぎる理由だろう。
「それで監視を? 少し過剰ではないか?」
「私もそう進言したのですが、命令として出されてしまったので致し方無く……。その後は大きな変化等が無いか、また仮にどう対処するのかを、逐一報告致していました」
ほう。つまりは少なくとも私にカーラットが関わった事やカーラットが聞き及んだ事は全てモンドベルク公に筒抜けだったというわけか。
少々度し難い。
「プライベートも何もあったものではないな。まあ、とは言っても学院に居る間は流石のカーラットも報告しようが無いだろうがな」
いや、それは違う。学院ではティールが本来私に対する監視役だった。
今は脅は──もとい懐柔しているから学院での私の動向はまともに伝わっていないだろうから良いが、それが無ければ本格的に全方位で警戒されていた事になる。
学院内ではティールを、屋敷内ではカーラットを監視として派遣するこの徹底ぶり……。モンドベルク公は、私の中に何を見ているのだ?
それとも……察しているのか? 私が「強欲の魔王」であるという事を……。
「しかし我が子を父親である私に断りもなく監視を置くとは……。いくら尊敬するお方といえど度が過ぎているっ!」
「その点に関しましてはモンドベルク公も憂いておいででした。私からもお詫び申し上げます……」
「お前に詫びられてもな……。まあよい。後日正式に抗議しよう。クラウンもそれで良いな?」
まあ、その抗議が通って私への監視が無くなるのは良いが、私としては──
「父上。モンドベルク公と面会は出来ますでしょうか?」
「何? お前がか?」
「はい」
考えてみれば私とモンドベルク公、散々話題には出すものの会った事は一度もない。この機会に一度モンドベルク公と対話し、なんとかして彼の権力を利用出来ないだろうか?
勿論、相手は海千山千の貴族社会のトップを戴く文句無しの大貴族だ。一筋縄ではいかないだろうが、味方に付けられればこれ以上の利益は無い。
「モンドベルク公はお前を警戒しているのだぞ? そうそう簡単に面会を許すとは思えんのだが……」
「ご心配無く。私に良いアイデアが御座います」
「……少し嫌な予感がするが、聞いておこう。して、アイデアとは?」
「ああいえ。カーラットが聞いているので今はまだ……。面会が叶った際にまたお話ししますよ」
秘策、という程ではないが、やはり知られているのといないのとでは違ってくるからな。慎重になるに越した事はない。
「いえ、私も流石にバレてしまった以上監視を続けたりは──」
「そうか? では仮にその言葉を私が信じたとしたら、お前はどうする?」
「どうするも何も、宣言通り止めにしますが……」
「ほう。私がお前の立場なら、そのまま監視を続けてしまうがな? 「もうやらない」と信じているという事はバレていないのと同じだろう? なら止めずに続ける」
「……つまり坊ちゃんは、私が信用ならない、と」
「寧ろそう易々と再び信用して貰えるとでも思っていたのか?監視対象である私が?少し虫が良過ぎるな」
「……」
モンドベルク公は敵ではない。
だが敵ではないというだけで完全に味方とは言えない立場の人間だ。そんな相手に私の情報を渡していたなど正直に言えば許し難い。
「カーラット。少し有耶無耶になりかけたが私はお前だからこの程度で許しているんだ。「信用ならない」という評価を下すだけでな。だがお前はこの上更に求めるというのか? 前のような信用が欲しいと口にするのか? それともお前は──」
「もうよいっ!」
私が畳み掛けている中、父上がそれを遮るように声を荒げて私を
「お前の言い分は理解した。モンドベルク公に関しては私が責任を持って対応する。勿論カーラット抜きでな。それで構わないか?」
「……はい。私はそれで構いません」
「次にカーラット」
「はい」
「お前は暫く謹慎だ。モンドベルク公からの命令だったとはいえ、愛する息子の情報を流していた事は看過出来ん。存分に反省するのだな」
「……寛大なお心遣い、感謝致します」
「うむ。今日はもう遅い。今回の件に関してはこれにて一区切りとする。二人共、もう寝なさい。私も寝る」
「はい。では失礼します」
私は踵を返し、そのまま執務室を退出すると、扉に背を預けながら深呼吸をするように嘆息を漏らす。
「はあ……。エルフ一人でこの労力か……。先が思いやられるな」
学院に戻れば、今度は学院や貴族達に潜入しているエルフ共を一掃しなくてはならない。
それも大雑把にではなく、一つ一つ庭の雑草を摘み取るように丁寧に、地道に、満遍なく。
一人でも残っていたら駄目なのだ。その一人を侮って油断すれば足元を掬われる。だから手など抜けない重労働になるだろう。
「まあ、ムスカのお陰でかなり楽にはなるがな。さて──」
預けていた扉から身体を起こし、自室へと歩き出す。
「エルフ語でも勉強するか……」
そうして少しだけ長かった夜が、ゆっくりと明日を迎えるのだった。
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『ふむ。暴かれてしまった、か……』
「はい。申し訳御座いません」
『いや、構わない。それに
「そうですね。私もこんなに早くバレてしまうとは思いもよりませんでした」
『うむ。しかし、彼奴がワシに会いたい、か』
「ご不満でしたら私の方から断りを──」
『いや、会うとしよう。ワシも一度くらいは話に聞くだけでなく実際に会って色々と判断したいしの』
「左様で御座いますか……」
『なんじゃ? 不安でもあるのか?』
「……坊ちゃんは色々と……色んな意味で刺激の強いお方です。今の体調で貴方様に会われるのは……」
『ほっほっほ。心配するでない。最近は調子も良いからな。たまには活発に身体を動かさなくてはかえって床に伏せってしまうわい』
「左様、ですか……」
『……カーラット』
「はい」
『今回の一件で、お前はジェイドやその息子の信用を失った。それに関しては本当に申し訳ないと思っておる』
「何を仰いますかっ! この件に関しては私も納得した上で実行したのです。貴方様が謝罪なさる事は……」
『いや、そこはしっかりせねばならん。お前の〝元〟主としてな』
「……暫くは、こうしてお話出来なくなります」
『そうだな。通話終了後は即、この石版は割ってしまいなさい。これ以上彼等の信用を落としてはならん。良いな?』
「……はい」
『では、な』
「またお会い出来る日を、いつか……」
その夜。キャッツ家の屋敷に、何かが割れる音が響いた。
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