第三章:草むしり・前編-18

 


「……駄目だ。全然頭に入らん」


 深夜。虫の輪唱が心地良い真夜中に、私は一人自室で分厚い本を片手に机の上に広げたノートに羽ペンを放りながらそうボヤいた。


「エルフ語も中々どうして難易度が高いな……。まあ、多分それだけではないのだろうが……」


 思いの外ハンナがエルフだった現実が精神的にキているらしい。そんなに彼女に想い入れがあったとは……。自分の事とはいえ、少し意外だ。


「……こうしていても詮無いな」


 ちょっと気分転換がてら外の空気を吸おう。先程出た時は気温も風も割と心地良かったしな。頭を少し休ませるには丁度いい。


 そうして私は立ち上がり、そのまま自室を出てカーラットを問い詰めていたあのバルコニーに向かう。


 本当なら寝てしまう方が気分もリフレッシュ出来るのだろうが、眠気はスキルの恩恵でまだ遠いし、何より時間が勿体ない。


 またこうした自由の利く時間がいつ取れるか分からないんだ。なるべく有効活用しなければな。


 そんな事を思い浮かべながら歩いていると、程なくしてバルコニーに辿り着いた。が、そんなバルコニーに誰かいるのか人影があるのが見て取れる。


 こんな時間にバルコニーに? 一体誰が……。まさか新たなエルフか?


 ハンナを逃げた事は恐らく既に向こう側にも伝わっている筈。ならばその報復ないし襲撃の先触れの可能性もあるか……。


 ともあれまずは正体を探らねばと、《気配感知》で取り敢えずの確認をとってみる。


 するとその気配は、私の知る慣れ親しんだものであった事が判明する。


 なんでこんな時間、こんな場所に……。まあいい。


 私がそのままバルコニーの扉を無造作に開くと、手摺りに手を置き外を眺めていたロリーナがこちらを振り返る。


 ロリーナは一瞬驚いたような顔を見せるが、訪れたのが私だと分かると、どこか安心したように表情を崩す。


「クラウンさん……。眠れないのですか?」


「いや、そうではないんだが……。ロリーナこそ、どうしたんだ?こんな場所で」


「私は中々眠れなくて……。久々に柔らかいベッドで寝ようとしているからですかね」


「まあ、無くはないだろうな」


 そう適当な会話をしながら私はロリーナが半身避けてくれた位置に向かい、二人で同じ景色を眺める。


「……明日、学院に戻るんですよね」


「ああそうだな。なんだかんだで結構な時間留守にしてしまった。何か変な事の一つや二つ起きてるかもな」


「変な事、ですか?」


「そろそろ減った分の学生を新たに勧誘し終わる頃だ。私達が入学査定を受けた時に問題があって落とされた者や、時期やタイミングが合わなくて泣く泣く査定を見送った者が入学してくる可能性がある」


「私達の時のような厳しい審査は?」


「あのままでは無いだろう。この国には戦争に参加させる戦力がまるで足りていないからな。素通りは無くとも多少緩くはなっている筈だ」


 なりふり構っている場合ではないからな。あの沼地での学生、教員の損害はこの国に多大な打撃をもたらした。その補填の為なら多少融通を利かせなくてはやってはいけないだろう。


「そうなると……。また入学式を開くんですかね?」


「時と場合によるだろうが、恐らくやるだろうな」


「やるのでしたら、またクラウンさんが壇上で挨拶を?」


「……あぁ。その可能性があるのか。考えていなかったな」


 という事はあれか。またあの時の様に私に納得出来ない連中と乱闘紛いの実力試しが起こるかもしれないのか……。


 実力を示せるのは構わないんだが、以前の時より厄介そうな連中と壇上でやり合うのは骨が折れるだろうな。何か対策を講じておいた方が良いかもな。


「適当になんとかするとするか」


「そうですね。あの時のように騒ぎになってしまうのは今の学院では負担でしかないでしょうから」


「面倒事は避けたいな。これから忙しくなるっていうのに……」


「そう、ですね」


 そう。忙しくなる。暫くはこうしてのんびりも出来ないだろうし、勿論帰って来るのもままならない。


 だからこそ……。


「……ロリーナ、本当にリリーに会いに行かなくていいのか?」


 夕食前に話した時。私はロリーナにリリーの──つまりは彼女の実家に寄らなくてもいいのかを訊ねたのだが、それにロリーナは首を横に振った。


「はい、大丈夫です。今帰ってしまったら長居したくなってしまうでしょうし、帰り辛くなってしまいますから。それに何より、時間がありませんし」


「すまないな。気を遣わせたみたいで」


「何故謝るんです? これはクラウンさんだけの問題ではありません。私達全員にも関わってくる問題です。ですから──」


 そこで一旦言葉を区切ると、ロリーナがジッと私の目を見据え、心配そうな眼差しを向けてくる。


「一人で背負い込もうだなんて、しないで下さいね。もっと頼って下さい」


 頼れ、か……。


 今までのこの十五年間は確かに色々あった。


 貴族の屋敷に侵入して追い落としたり、精霊と契約したり、魔法魔術学院に入学したり、魔王を討ち倒したり……。


 この全てを私一人でこなして来たわけではないし、私一人では解決しなかった事ばかりだ。


 誰かに頼り頼られで今の私の立ち位置がある。それはとても……幸福な事だ。


 だからそうやって誰かと共に物事を解決していくのは、決して悪い事ではないだろう。


 ……だがしかし。これからはどうか分からない。


 これから私が関わっていくのは今までとは違う残酷な戦争という名の現実だ。


 様々な狡猾な思惑が絡み合い、他者の命より自己の利益を前提にした思想が飛び交い、当たり前のように良い奴が死に、当たり前のように罪深い奴が生き残る。


 父上から聞いた話の通りならば、今回の戦争の発端になったのは私の先祖の後始末であり、エルフにとっては正当で真っ当な報復行動だ。


 人族がエルフをしいたげ、欺き、踏みにじった歴史の、その復讐だ。


 非は人族にある。明らかにだ。


 だが。それは戦争で負けてやる理由にはならない。


 どれだけ我々人族がエルフから恨みを買っていようと、どれだけ非がこちらにあろうと、大人しく殺されてやる義理もなければそんな感傷で手を緩める馬鹿でもない。


 陳腐な言い回しだが、この世は弱肉強食なのだ。


 生殺与奪の権利を如何いかに先に手にするか……。そんな単純でどうしようもない、この世で最も理不尽な現実を突き付け合う縄張り争い。


 それが戦争だ。


 これから私は、そんなただでさえ醜い戦争の中でいかに私や私の身内が利益を得られるかを万全に準備し、行動するつもりでいる。


 その過程でどれだけの他人が不幸になり、理不尽を味わおうとも容赦なく。徹底的に、一切の隙無くだ。


 もしかしたら非人道的な手段に出るかもしれないし、もしかしたら非倫理的な手段に手を染めるかもしれない。


 だがそれが私や私の身内が笑える未来の礎になるのなら、私は躊躇ためらわない。その覚悟がある。


 ……しかし、そんな物を目の当たりにした彼女達が、私に幻滅するかもしれない。


 いや、幻滅するだけならばまだマシだ。


 最悪私を止めようと、敵に回ってしまう可能性だって考えられる。


 彼女達に嫌われ、軽蔑され、信頼を失う。


 それはなんとも……度し難い。


 ティールとユウナは……まあ、傷付くかもしれないが、最悪なんとか持ち堪えられるだろう。


 だがロリーナには……。この子だけには、嫌われたくないな……。


「……クラウンさん?」


「……なあロリーナ」


「はい」


 ……彼女には、私のそばに居て欲しい。


 愛の告白──ではないけれど、今後も私に付いて来てくれるよう、なんとか口説いて今よりももっと距離を縮めたい。


 ロリーナにいつか、愛してもらいたい。


「……私は、きっとこの先色々な事をする。非道な事、法外な事、残酷な事……。私や君等の幸せの為に、手を尽くすつもりでいる」


「……はい」


「これは私のワガママだ。それもどうしようもなく身勝手で救いようのない……。だがそんなワガママを、君に受け入れて欲しいと思っている」


「何ですか? ワガママって」


 私はロリーナの目を真っ直ぐ見詰め、心の底からの意志を乗せた本音を、ゆっくり口にする。


「……これからするであろう色々な非道を目の当たりにしても、私に付いて来て欲しい。幻滅せず、否定せず、拒否せず……。私を理解して欲しい」


「理解……ですか」


「難しい、だろうな。それは分かっている。だからこそのワガママだ。……だが」


「はい」


「君がもし、それが無理だというのなら。私は君を巻き込まないよう努力する。今より一緒に居られる時間は少なくなるだろうが、望まない事に巻き込むのは本意じゃないからな」


「……」


「仮にその後の私の行いに幻滅し、嫌悪するなら距離をもっと置こう。君に嫌われるのはかなりショックだが……。それが一番良い」


「……その様な行いをしない、という選択肢は無いのですか?」


「可能な限り避けはする。だが戦争やそれによってもたらされる影響で非道が最も望ましいものを手に出来る手段ならば、私は実行する」


「何故そこまで? 多少の妥協は許容して然るべきではないですか?」


「妥協は敵だよロリーナ。妥協の先には必ず後悔が付き纏う。そしてそんな後悔がもし取り返しの付かないものであったら救われない。だから私は常に、妥協を潰すんだ」


「だから非道を行うと? 必要なら?」


「ああ。こればかりは前世から変えられないさがのようなものだ。それが私なんだ」


「……」


「今決めるのは無理だろう。時間は確かに余り無いが、ゆっくり考えてみてくれ」


「……それは」


「ん?」


「それはつまり、私も一緒に非道を歩んで欲しい……。という事でいいんですよね?」


「そう、だな。……誘っている私が言うのも何だが、私に付いて来れば少なからず君は嫌な思いをするだろう。精神的にも肉体的にも負担が掛かるかもしれない。それに何よりリリーが望まない。君の不幸を、あの人は絶対望まないからな」


「お婆ちゃん……」


「勿論私も君が幸せになれるよう最大限努める。君が心の底から笑っていられる日を可能性な限り増やす。まあこれは、私が君の笑顔を見たいって話でもあるんだがな」


「……なんだかクラウンさん。私を幸せにしたいのか不幸にしたいのか分かりませんね」


「ふふっ……。そうかもな。……だが私は君の幸せを願っている。一切の偽りなく。真摯にな」


「……クラウンさん」


「……ああ」


「どうしてそこまで私を重宝してくれるんですか?」


「……言わなきゃ駄目か?」


「大切な事です」


「……恥ずかしいんだが」


「それでも、です」


「……ふむ」


 結局こういう流れになってしまったか……。


 だがまあ、私の想いが前提の提案だからな。そりゃあ結果的にはそこを話さねば進まない、か……。


 しかしはぐらかすのは……漢が廃る。


 決心、せねばな。


 ……まったく。何十年振りだ。


「私、はな」


「はい」


「……」


「……」


「……君に……惚れているんだよ」


「……」


「女性として……異性として。君に魅力を感じている」


「……」


「私は、君が好きなんだ。ロリーナ」







「それでは、行って参ります」


「ええ。気を付けるのですよ? 向こうには……」


「心配には及びません。それなりの対処はするつもりですから」


 翌朝。私とロリーナ、ティール、ユウナの四人は荷物をまとめ、魔法魔術学院へ戻るべく玄関に集合。そんな私達を、母上が見送りしてくれていた。


「そうですか……。もう少し、長居しても良いのですよ?」


「いえ、それは流石に……。講義が無いとはいえもう数週間も学院を離れてしまっています。これ以上は厳しいですよ」


「そう、ですね……」


 露骨に寂しそうな顔をする母上。


 そりゃあ母親だからな。少しでも長く子供と居たいのだろう。だがこればかりはどうにもならない。やらねばならない事もあるしな。


「お兄様……」


 母上の足元を見てみれば、こっちもこっちでミルトニアが今にも泣き出しそうな顔で私を見上げている。


 私はしゃがんでミルトニアの目線になると、その頭を優しく撫でてやる。


「すまないなミル。本当は遊んだりしてやりたいんだが、今は忙しい。また待たせてしまうが、我慢出来るか?」


「……うん」


「ふふっ。心配するな。約束は必ず守る。ミルの行きたい場所にも連れて行ってやるし、欲しい物も買ってやる。だから、な?」


「はい。我慢しますっ」


 ミルトニアは目に浮かぶ涙を自ら拭うと、幼い顔で精一杯の決意に満ちた表情で頷いてくれる。


 本当、良い妹だ。これは戦争が治ったら目一杯可愛がってやらねば。


 最後にミルトニアの額に軽いキスをしてやり、立ち上がってから母上の方を見る。


「あらあら。これでは私が一番子供みたいね」


「そのような事は……」


「ふふふ。この子が我慢するんですもの。私も我慢しなくてはね」


「確かに色々やる事はありますが、そう時間は掛けません。ちゃっちゃと終わらせて、暫くはのんびりするつもりです」


「そう?ならその時を楽しみにしているわ」


「はい。では、改めて行って参ります」


「ええ。気を付けてね」


 私は振り返り、三人が待つ場所まで歩み寄る。


「ん? 終わったか」


「待たせたな」


「いえそんなっ! 別れの挨拶くらい待ちますよ」


「そうか。すまないな」


 私のそんな一言に二人は驚愕した様に目を見開いた後に困惑の表情を浮かべる。


「え、なんかそう素直に謝られると気持ち悪いんですけどっ!?」


「お前風邪でも──ってお前が風邪引くわけないわな……。にしてもちょっと様子おかしいぞ」


「ん? そうか?」


「そうですよっ! なんか表情も雰囲気もフワフワしてるって感じで、なんか寒気がします」


「何? なんかあったの昨日」


「……いや。何も」


「なんだよその妙な間は……。はあ……。まあどうせ問い詰めても答えないだろうし別に良いんだけど」


「そうか。ならさっさと帰るぞ。ロリーナ、手を」


「はい」


 そう私が手を差し出すとロリーナは少しだけ躊躇ためらうような仕草をしながらも、確かにしっかり私の手を取ってくれる。


「……?」


「なんだユウナ」


「え? あぁ、いえなんでも」


「なら早く私に触れていなさい。置いてけぼりになっても戻って来ないぞ?」


「わ、分かりましたってぇぇっ!」


 ユウナがそう言いながら私の肩に触れ、同じようにティールが私の反対側の肩に触れる。


「よし。行くぞ」


 そうして私は《空間魔法》のテレポーテーションを発動。


 私達の視界は一瞬にして、見慣れた懐かしいあの部屋へと変わった。

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