幕間:嫉妬の受難・親
「はぁぁッ!? ぜ、前線ですかッ!? 俺がッ!?」
「落ち着いてヒルドールッ!!」
大声を上げ、今にも目の前の初老の男に掴み掛かりそうなヒルドールと呼ばれた
ここはティリーザラ王国の王都セルブにいくつかある兵士の詰所。日夜兵士達が王都内外を警備、
そこで兵士達は己を鍛えながら自分の担当エリアを守る仕事をこなしているのだが、冷戦状態とはいえ戦争真っ只中である今現在に於いて、そんな業務に誰もが望まない内容が度々飛び込んで来たりもする。
今回ヒルドールが激昂している理由がまさにそれ。彼は今までの功績を運悪く評価されてしまい、開戦時の最前線に抜擢されてしまったのだ。
「別に今すぐってわけじゃ無いわ。そもそもこの緊張状態がいつ解かれるかも分からないのよっ? 何もそんな暴れなくても……」
「いつっていつだよっ!? 明日かもしれねぇし下手をすりゃ一時間後かもしれねぇだろうがっ!」
「そんな極端な事はしていないのよっ!」
「もういい止めろっ!」
口論が始まりそうな中、先程ヒルドールに掴み掛けられた初老の男がそんな二人を制止し、溜め息を一つ吐く。
「アパノースの言う通りだヒルドール。今すぐ前線に立って来いという話ではない。そもそもまだ第一候補がお前というだけの話。正式な決定ではない」
「なら──」
「だがこの人選は上の指示でもあるんだ。無視は出来ん。それにこの選抜はお前の実力が認められてこその物だ。それで納得は出来ないのか?」
「で、ですがフィーリマール兵長っ。俺にそんな実力は……。それに俺には家で待ってるチビが居るんですよっ!」
「何年か前にお前が拾った子供か?」
「はいっ! 確かにアイツは歳のわりにしっかり者ですけど、寂しがり屋なんですっ! もし俺が死ぬような事があったら……アイツは……」
ヒルドールはそう口にしながら口調の勢いは落ちていき、嫌な想像でもしてしまったのか、そのまま俯いて不安気な顔をする。
「……はあ。分かった分かった。今度また上と掛け合ってみる」
「本当ですかっ!」
「おいおい、余り期待するなよ? 上が予想以上にお前を評価しているみたいだから俺の進言なんて効果は薄いだろう」
束の間の希望を抱いた瞬間に期待ハズレであった事を突き付けられ更に落ち込みを見せるヒルドール。
「で、でもさっ! 前線任されるなんて大したもんじゃないっ! 普通は兵長が選ばれる所を一般兵士でしかないアンタが選ばれたんだよ? 嫌な面ばかりじゃなくて良い面も見てみなよっ!!」
「……お前は当事者じゃねぇからそんな口利けんだよ……。これじゃ死刑宣告も同じだ、クソッ……」
「ねえヒルドール」
更衣室に向かう途中、俯き落ち込むヒルドールの隣を、さてどうしたものか、と苦笑いを浮かべるアパノースは頭を回転させ、取り敢えずは慰めようと声を掛ける。
「……なんだよ? 前線祝いとか
「馬鹿ね、そんなわけないでしょっ! それにさっき言ってたようにまだ戦端が開いたわけじゃない。それまでにフィーリマール兵長がなんとかしてくれれば──」
「気休めは止してくれっ。これまで上の決定が
半ばヤケクソ気味になっているヒルドールにアパノースは困り果て愛想笑いをする。
(参ったわね……。慰めるのは無理か……。ならいっそ別の話題に……)
そう考えたアパノースは慰めるのを諦め、気分を少しでも誤魔化そうと話の
「そ、そうだわっ! いつも話に出してる拾ったって子。私見た事無いのよねぇ」
「……そりゃあ、誰にも会わせてないからな」
「ね、ねえ。見に、行っても良い?」
「は、はぁっ!?」
俯いていたヒルドールは顔を上げながらその場に立ち止まり意味が分からないとばかりに眉を
「なんでお前に見せなきゃならないんだよっ!?」
「え、だって見てみたいし。アンタが溺愛するくらいなんだから可愛いのかなって」
「アイツは……駄目なんだよ」
「なんでよ」
「ひ、人前が……苦手なんだよ……」
嘘だ。
アパノースは彼の言葉に長年の付き合いからくる直感でもって即決し、他に何かしら理由があるがそれすら言えないのだろうと察する。
アパノースとヒルドールは同じ日に兵士となった同期であり、唯一女性で兵士となった自分に対し周囲がやっかむのを意にも介さず普通に接してくれた事を恩に感じている。
そんな彼に日々何か報いる事は出来ないか、と色々苦心してはいるのだが、なまじ彼が態度とは裏腹に優秀な事も相まって納得出来る成果は挙げられていない。
故に今回こそは彼に何かしら恩返しがしたいアパノースは彼の吐いた嘘を物ともせず、若干強引に切り込んでいく。
「人前が苦手だからって誰にも会わせないっていうのは不健全じゃない?将来独り立ちさせる時にかなり苦労するわよぉ」
「う、うーん。だがなぁ……」
「第一、会いたいって言ったって私だけよ? 友達居ないアンタにとって私が一番近しい人間じゃない?」
「と、友達が居ないってお前なぁっ!?」
「事実でしょっ。……もう、ほらっ! いつかは誰かと顔会わせられるようになんなきゃ駄目なんだからさぁっ! 私で練習しときなってっ! ねっ?」
アパノースが少しわざとらしいとびきりの笑顔を向けてやると、ヒルドールは若干訝しみながらも頭を掻いて少し思案し、数秒の間を経て結論を口にする。
「いつかの為……かぁ。そうだな。それが良い」
「でしょでしょっ!!」
「分かった。今日で問題無いならウチに来い」
「うんうんっ!」
「ただしっ!!」
「えっ!? な、何っ!?」
「……絶対に驚くなよ。いいか、あの子はなぁ──」
「ただいま……」
「おかいんなさいっ……って、おじさん、元気ない?」
ヒルドールが疲れ切った様子で帰宅すると、満面の笑顔の少女が出迎える。
しかしヒルドールがいつもの様に隠す事もなく、露骨に疲れた様子を見せていた事に、少女は戸惑いながら素直に疑問を口にした。
「あ、ああごめんな……。今日は特に疲れちまってな」
「大丈夫?」
「うーん……まあ、体調悪いわけじゃないから大丈夫。風呂入って飯食ってお前と話でもしてれば元気でるよ」
「うんっ! 分かったっ! じゃあ先にお風呂入っててっ! ご飯作っちゃうっ!」
「おう、ありがとうな。じゃあ早速──」
「ちょっとっ! 早く紹介してよっ!」
「ちょっ、待ってっ! ……あぁ、それからな、今日はお客さんが来てるんだ」
ヒルドールが半身を避けると、そこには彼以外にもう一人立っているのを少女は発見する。
彼女は発見するや否や素早い身のこなしで死角に隠れ、そのまま警戒態勢に移行する。
「お、おい大丈夫だよっ! コイツは事情知ってるからっ!」
「え?」
素っ頓狂な顔する少女は狼狽しながらもゆっくり再度顔を確認するべくゆっくり死角から顔を覗かせる。
「ご、ごめんなさいね驚かしちゃってっ。私はアパノース。彼の同僚よ」
現れたのは顔立ちの整った一人の女性。
然るべき服装や化粧を整えれば間違いなく美人となり得る素質を持っている彼女だが、今はヒルドールと同じ鎖帷子を着用し化粧っ気は無く、髪だってボサボサで纏まっていない。
見る目がある者ならば彼女のそんな素質を見抜けるだろうが、彼女の周りにはそこまでの審美眼を持った人族はいない。
そう
「……」
「どうした?」
「……ううん。なんでも」
「そうか? ……ってホラっ。緊張するかもしれんが取り敢えず出て来て挨拶っ!」
ヒルドールはそう言うと隠れている少女の元まで近付き、半ば無理矢理抱き抱えるように彼女を持ち上げ、アパノースの前に連れ出す。
アパノースはそんな少女の目線に合うよう中腰になり、自分が出来るとびきりの笑顔を向けた。
「お名前は?」
「……うぅ……ぅぅ……」
「大丈夫よ。ゆっくりでいいから」
「……ユー……」
「うん」
「ユーリ……」
なんとか絞り出された少女の名前を聞きアパノースは表情を明るくすると、その頭に手を添えて優しく撫でてやる。
「うんうんっ! よく出来ましたっ! 可愛いお名前ねっ!」
「お、おじちゃんが……付けて……くれた……」
「へぇ、そうなのっ! 良かったわねぇっ!」
アパノースは立ち上がるとヒルドールに耳打ちする為に顔を寄せる。
「随分と小洒落た名前付けてんじゃないのアンタ」
「な、何がだよ……」
「え? ユーリの花から取ったんじゃ……。まさか、知らないで付けたの?」
「ユーリの、花?」
「マジで知らないんだ……。ユーリの花って言うのは、山深い森林にひっそりと咲く小さな花の事よ。毒性のある植物が群生する場所にしか生えないんだけど、周囲の毒草の毒性を弱める効果があるからユーリの花の周りに生えてる草木は良い薬になるって話」
「毒が、薬に? なんで?」
「馬鹿ねアンタ。厳密には毒も薬も同じなのよっ! 私も詳しくは知らないけど、弱い毒は寧ろ薬になるって」
「へぇ……。知らなかったな」
「はあ……。ユーリの花言葉は「君に捧げる」とか「献身」、それから「忍耐」……だったかしら」
「詳しいな。らしくない」
「わ、私だってそういうのに興味ある年頃だった事くらいあるわよっ!! ──ってもう、いつまで玄関に立たせとくのよっ! 私お客さんよっ!」
「あ、ああ、そうだな。ささっ、入って入って……」
雑談が終わり、漸くヒルドールに自宅に招き入れたアパノースは嘆息し、重たい装備を鳴らしながらユーリの横を通り過ぎようとする。
するとアパノースの鎖帷子の裾が何かに引っ張られるのを感じ、振り返るとユーリが困り顔で自分を見上げているのが目に入った。
「あら、どうしたの?」
「嫌じゃ、ないの?」
「え? 何が?」
「わ、わた、し……。人族じゃない……。エルフ……ダークエルフ、だよ? 嫌じゃない?」
「……なぁに言ってんだかこの子は」
アパノースは改めてユーリに向き直り、再び中腰になってユーリの目線に合わせると、もう一度笑顔を見せる。
「人族とかエルフとかダークエルフとか、そんなん関係ないよっ。私にとっては可愛い可愛い女の子でしかないんだからっ!」
「ほ、ホントぉ?」
「うんうんっ! 良かったらさ、私とも仲良くしてくれる? 私アナタの事、沢山知りたいなっ!」
「う、うんっ!」
「よしっ! じゃあ、取り敢えずは一緒にご飯作ろっかっ! こう見えて料理には自信あるんだよ私っ!」
「うんっ! 作るっ!」
こうしてユーリにまた一人心を許せる人間が出来、その日はユーリがヒルドールに拾われて以来、一番賑やかな食事会になった。
「…………」
とても快眠とは言えない眠りから覚醒し、ユーリはまたも散らかった自室のソファから半身を起こし、頭痛が響く頭を抱えて歯噛みする。
「チッ……。忌々しいクソアマ……クソビッチが……。夢に出てきやがって……」
苛立つ思考で悪態を吐きながらソファから立ち上がり、カーテンの隙間から朝日が射すのを見て溜め息を吐く。
「人族が、絶対に滅ぼしてやる……。あんなカス共……。……さて、仕事をしないと──」
と、凝り固まった身体を伸ばしてそう意気込もうとした時、部屋の扉が数回ノックされる。
ユーリはそれに少しだけ機嫌を悪くすると一言「入れ」とだけ言ってノックした者を入室させる。
「失礼致します、陛下」
「用件はなんだ? 手短に言え」
「はっ! ……一つ、申し上げ難い案件が御座います」
「クドイぞ」
「し、失礼致しましたっ! では簡潔に結果から申し上げます。……キャッツ家に潜入させていた〝目〟──ハンナが正体を暴かれ、逃走しました」
「……」
その瞬間、頭により一層強い痛みが走り、ユーリの機嫌を更に苛んだ。
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