第五章:正義の味方と四天王-15

 

 ヴァイスは直剣から伝わって来た〝二つ〟の衝撃に驚愕し、困惑する。


 その正体を確かめるように弾いたものに目を移せば、そこにあったのは紛れもない二本の間断あわいだち


 間断あわいだちは弾かれ空中に投げ出されると、片方は前触れも無く消失し、片方はまるで蜃気楼が薄れていくように景色に溶けた。


 その変化の違いから何かある、と直感的に感じ取る事は出来たものの、未だ脳内は整理し切れておらず、また尚も衰えない間断あわいだちによる猛攻に神経を割いているせいで全く考えは纏まらない。


(このままでは……っ!)


 そうこうしている内に、今度は衝撃が一回に三つ伝わるようになり、そして次第に四つ、五つと増え続け、数が増える毎に間断あわいだちの投擲を捌き切れなくなっていった。


 身体中に傷が増え、全身から走る鋭利な痛みがただでさえ擦り減らしている神経を更にさいなみ、いっその事「降参するっ!」と叫び楽になりたいとすら頭に浮かぶ。


 しかし、ヴァイスはそんな言葉を、自身の最も大きな〝プライド〟で強引に掻き消した。


 自身の根幹であり指針。歩むべき道であり信念。


 それらが挫けそうな──折れそうな心を無理矢理繋ぎ止める。


 それは──


(負けられない……負けたくないっ! 僕のプライドが……正義がっ!! 彼だけには負けちゃ駄目だって叫んでるんだっ!!)


 ヴァイスを奮い立たせているのは〝正義感〟。


 彼がこれまで積み上げて来た過去により鋭く強く研ぎ澄まされたその刃の様な正義は、ヴァイスの心が折れる事を決して許さない。


(こうなれば……っ!)


 ヴァイスは握り締めた直剣に、更に魔力を送り込んで行く。


 《光魔法》を纏わせていた刀身はその魔力を受け更に輝きを増していき、徐々に波紋のように広がりだすとそのままヴァイスを丸ごと光で包み込む。


 そして飛ばされる五本からなる間断あわいだちが彼に迫りその光に触れた瞬間、まるで何かに弾かれたように間断はあらぬ方向へ飛んで行き、一切をヴァイスへ近寄らせなくした。


「あれは……」


 そんな彼の放った光の壁に、観戦していたキャピタレウスが小さく唸る。


「な、なんなのですか? あれは……」


「《光魔法》で結界を作ったんじゃ」


「結界……ですか?」


「左様。《光魔法》の特性は〝押し広げる〟力。何物をも押し流し、広がる力じゃ。アヤツはそれを利用して飛来する短剣を押し返しとるんじゃ」


「成る程成る程……。それならあの短剣の攻撃を弾けるねー」


「じゃがまだまだ未熟じゃな。魔力操作が不安定で形が歪んどる」


「だったらどうなんスか?」


「あの調子じゃと僅かな油断で崩壊するじゃろう。あのまま維持するのはまだ大丈夫じゃが、攻撃に転ずるのは難しいのぉ」


 キャピタレウスの発言の通り、ヴァイスの作り出した《光魔法》の結界はかなり不安定な状態である。


 元々大量の魔力を扱い制御が難しい上に、クラウンの猛攻によって消耗させられた体力と精神力……加えて全身に走る切り傷の痛みがヴァイスの集中力を削った。そんなかなりギリギリの状態で発動させたのだ。


 今彼に出来るのはクラウンの更なる攻撃を受けない事。この一点のみ。


 攻撃に転ずる確実な方法を模索し、実現しない限り、現状の打開は絶望的だった。


(だけどこれで向こうの攻撃は弾ける……。今の内に何か打開策を──)


 と、そうやって疲弊した頭で次の一手を模索しようとした時、今まで忙しなく転移を繰り返していたクラウンが突如としてヴァイスの目の前に転移し、片手で間断をもてあそびながらゆっくり光の結界に近付いて来る。


「成る程。《光魔法》による簡易的な結界か……」


 クラウンは結界に触れる距離まで近付くと、間断の刃で軽く結界を叩くような仕草をし、弾かれる感覚を確かめるように観察した。


「確かにこれなら間断コイツの攻撃は通らないな。まあ、かなり不安定ではあるが……」


「な、なんだい? 負け惜しみかい?」


「ほう。まだそんな口が利けるのか」


「僕だって伊達に《光魔法》を覚えたわけじゃない。君の攻撃くらい、こうやって弾いてみせるさ」


「……ふむ」


 するとクラウンは唐突に光の結界に手で触れる。


「な、何を……」


「《光魔法》による結界……。これが無敵だと、本当に思っているのか?」


「どういう、意味だい」


「《光魔法》には相克関係にある魔法が存在する。それは《光魔法》の〝押し広げる〟力とは違い、〝塗り潰す〟力があり、あらゆる物を侵食する力だ」


「ま、さか……」


「さあて。お前の不安定でボロボロな《光魔法》と、私の《闇魔法》。どちらが勝つかな?」


 瞬間、光の結界に触れていたクラウンの手からドス黒い靄が溢れ出す。


 それは光の結界に広がり始めると徐々に塗り潰すように光を侵食していき、結界に黒い穴が生じ始める。


 その生じた穴を目の当たりに血の気が引いたヴァイスは《闇魔法》によって開けられた穴を追加の魔力を注ぎ込みなんとか《光魔法》で塞ぎ直す。


 しかし塞ぎ終わる頃には侵食された結界に二つの穴が生じ、それを塞ぐ頃には穴が四つに増えていった。


「くっ!?」


「さあ、頑張れ」


 口角を吊り上げてわらい出すクラウンに奥歯を噛み締め魔力を限界近くまで奮るうヴァイスだったが、それでも《闇魔法》による侵食は止まらない。


 そして遂に──


 ──パリンッ!!


「くそっ!?」


 まるでガラスが割れたような音が響き、展開されていた光の結界が砕け散る。


 それは光の粒子となり辺りに散らばり、一瞬だけヴァイスの視界を遮った。


 その状況をマズいと判断した彼は直ぐさま《光魔法》の展開を解除し元の魔力へと戻す。


 が、目の前には漆黒の爪を右手に宿し身構えるクラウンの姿があった。


黒爪シャドウネイル


 黒い軌跡を描きながら放たれた闇の爪による斬撃はヴァイスがなんとかギリギリ構える事が出来た直剣を引き裂き、黒く塗り潰された刀身が音を立てて崩壊する。


「はっ……、はぁ……」


 崩れた刀身が甲高い音を立てて地面に落下し、自身の吐息と心臓の音が間近で聞こえるような静寂が訪れる。


「ほう。やれば出来るじゃないか」


 ヴァイスは両手で握る刀身を無くした直剣を目の当たりにし、手が震え出すのと同時に視界が霞み始めたのを感じた。


 後一瞬。ほんのコンマ数秒剣を構えるのが遅れていたら、あの黒い爪が切り裂いたのは間違いなく自分の頭だった。


 あの刹那、彼を助けたのは今まで稽古し培った剣による防御という条件反射。


 頭で考えて動かすのとは違う、もっと本能的なもの。それが彼を救ったのである。


 だが今のヴァイスの脳裏に浮かぶのはそんなポジティブなものではなかった。


(い、今……僕は、死んで……)


 リアルな死への直面。それがヴァイスを混乱へと誘う。





 ──ヴァイスは、クラウンを哀れんでいた。


 入学式で最初にクラウンを見た時、基本的に誰とでも好意的に接せられる彼には珍しく「多分仲良くなれない」と直感的に悟ったヴァイスは、その後の彼の挨拶でその直感が正しかったのだと確信した。


 傲岸不遜な態度でもって他生徒を煽り、それを恐怖で無理矢理押さえ付け威圧し、あまつさえ残った五人の心も折ると言った。


 そんなクラウンをヴァイスは哀れみ、そして感じた。


 こんな方法でしか自身の優位性を主張出来ないのかと。恐怖で圧倒するのが君の強さなのかと。それが栄えある魔法魔術学院の生徒の頂点なのかと……。


 故に自分が──自分の正義が、そんな彼を正し、救わなければならないと。


 あの座に着く以上、彼は強い。そんな彼が正しい心と精神で立ち直れば、きっと生徒や教師にとって素晴らしい未来が待っている。


 そうに違いない。と、彼は真剣に考え、実行する為に呼び出されたこの場に駆け付けた。


 しかしそれは、甘い考えだった。


 クラウンは強い。強過ぎる。


 ヴァイスは予想だにしていなかったのだ。同年代の彼と自分にここまでの隔絶した差がある事──全く歯が立たない事。


 そして何の迷いもなく人を殺せるその精神性を、ヴァイスは全く予想していなかった。


 ヴァイスは目の前に黒い軌跡が走る瞬間、一瞬だけ見てしまった。見えてしまった。


 彼の──クラウンの自分を見る目には何の感情も宿していなかった。


 哀れみも、恐れも、怒りも、悦びも、後悔も。


 何一つ、感じる事が出来なかった。


 アレが人を殺す者の目。殺す事がどういう意味なのか、知っている目であった。


 ヴァイスとクラウンでは、違い過ぎた。


 経験も、実績も、実力も、覚悟も。


 彼はヴァイスの遥か遠くにいた。


 さながら遥か先の景色を間近に見てしまう蜃気楼のように、ヴァイスはクラウンの居る場所を見誤ってしまった。手の届く範囲に居るのだと……。


 その現実に──自分の今の限界に、ヴァイスの視界は霞んだ。


 理性が現実を拒むように、目の前の敗北の象徴である切り裂かれた直剣の姿を霞ませた。


 あの瞬間。黒い軌跡が直剣の刀身を切り裂いたその瞬間、ヴァイスの心もまた切り裂かれたのである。







 ヴァイスは直剣を落とし、両膝を地面に着く。


 その顔からは表情が抜け落ち、まるで能面のように生気が感じられなかった。


 そんなヴァイスを見て、クラウンはほんの少しだけ笑う。


「最後の最後に少しだけ、お前に興味が湧いたよ。今後の努力次第では、期待出来るな」


 そう言葉を残し去ろうとするクラウンの耳に、小さな小さな呟きが届く。


「……ぼ、くの……」


「んん?」


「僕の……正義じゃ、君を……救えない……」


「……正義?」


「僕は……みんなを護らなくちゃならなんだ……。僕の正義で……みんなを」


「……」


「でも君は救えない……無理だ……。僕の正義じゃ君を──」


「おい」


 クラウンはヴァイスの胸ぐらを掴むと、そのまま自分の目線にまで持ち上げ彼の正気の無い顔を睨み付ける。


「私を救う? お前が、私をか?」


「ああ、いや……僕は……」


「余計な世話も甚だしい。私は生まれてこのかた、救われたいなどと思った事は一度たりとも無い。お前のような未熟者に、そんな気の遣われ方をされる覚えは無いぞ」


「で、でも僕は正義を──」


「喧しいっ! 正義正義と、軽々しく口にするなっ! 本物の正義というのは内に秘めて燃やし続けるものだっ! お前のように口にしていないと実現出来ないような安っぽいものでは断じて無いっ!」


「──っ!?」


 クラウンはヴァイスを突き放し、尻餅を着いたヴァイスを見下す。


「私の知っている正義は、もっと執拗で諦めが悪く、頑固で無茶で、そして──」


「……」


「……絶対に心が折れない者の事を言うんだ」


 クラウンはそのまま踵を返すとキャピタレウス達が集まっている場所に向けて歩き出す。


 ヴァイスはそんな彼の後ろ姿を見て、ただただ惚ける事しか出来なかった。






『なあ集一っ!! 俺はお前を絶対諦めないからなっ!! 俺がしつこいの知ってるだろっ!? ハッハッハッ!!』


「……まったく。嫌な奴を思い出した」


 頭に響く笑い声に、クラウンは小さく苦笑いを浮かべた。

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