第八章:第二次人森戦争・前編-17

 


 テレリは自身に振り下ろされようとしていた大剣が、力無くヘリアーテの手から離れた隙を見切り《空間魔法》を発動。


 本来それなりに演算処理時間を要する魔術テレポーテーションを、スキル《高速演算》や《演算処理効率化》等の演算系スキルを用い簡略化且つ短縮化。


 ごく短い距離ではあったものの、自身が地面に衝突する直前で辛うじて魔術が発動し、テレリは未だ頭を抱えて苦しむヘリアーテ達の背後へと転移した。


(な、なんとか、なったわね……)


 衝突を免れる為に演算系スキルに多量の魔力を消費した彼女は強い倦怠感を感じながらも、その内心は命の危機から脱せたという安堵に満たされていた。


(後、ほんの少し……魔術を使うのが遅れていたら……)


 テレリがあの絶体絶命の状況で繰り出したのは魔術「絶叫する旋律シャインズメロディ」。《風魔法》と《空間魔法》の二属性による複合魔法音響魔法による魔術である。


 あの間、彼女は落下中にヘリアーテ達が口論していた間にあらかじめ張り巡らせ、一度切り離していた糸を再びガントレットへ装填。


 それを大剣が振り下ろされる直前まで指先を繰り何とか手繰り寄せ、糸を楽器の弦のように弾いてギリギリの所でヘリアーテへ脳を揺さぶる程の大音響を響かせる事が出来たのだ。


 紙一重も紙一重。テレリが操る糸程もない僅かな隙間から、彼女は生還する選択肢を選ぶ事に成功したのだ。


(クッ……。ゾッとさせるじゃない。小娘が……っ!!)


 先程繰り広げられた一連の攻防の別の結末を想像し思わず身震いするテレリ。


 しかしそんなタラレバからくる僅かな震えも、今目の前で荒い息を吐き、拾った大剣を杖代わりにしながら耳を抑え、覚束おぼつかない足取りで立ち上がったヘリアーテの姿が視界に入った事で消え失せる。


(まったく、何なのよこの小娘は……。ただの力自慢の《雷電魔法》使いじゃ説明出来ないじゃない。あんな力……)


 テレリがヘリアーテに対して訝しんでいるのは二つ。


 一つは彼女が魔法、魔術によって発生させた電気を纏って高速移動し、あまつさえ直接肉体から電気を放電して見せた事。


 通常、魔法や魔術を使い現象や特性の再現を実行する場合はあくまでも〝体外〟である事が常識。何故ならば体内で魔法、魔術を再現しようものならば術者自身の身を傷付ける事必至だからである。


 魔法、魔術は決して万能ではない。幾ら術者の魔力操作能力が高く、自在に現象の特性、効果を自在に変貌させられようとも「傷付ける」事を目的として現象の再現を行う以上、そこに自他の区別など到底付ける事は出来ない。


 仮にそんな御業を実行しようとするならば、その発動する魔法、魔術に〝明確な自分〟という曖昧且つ極めて複雑な条件を再現に組み込む必要があり、つまり自己を完全に捉え切っていなければ成り立たないのだ。


 しかし感情というものがある以上、己自身を一縷に至るまで把握出来ている存在など皆無に等しいのは言うまでもなく、故にヘリアーテが先程見せた〝《雷電魔法》を身に纏う〟所業にテレリは解せないでいた。


(あんな使い方すれば、普通自分も感電するはず……。もしかして耐性持ち? いやでもワタクシがダメージを受ける程の威力の電撃なら生半な耐性じゃあんな平気な顔出来ない。ならこれは……)


 テレリは思い当たる一つの単純な答えに静かに奥歯を噛みながら、次に別の思考──彼女の容姿からは想像付かない程の理不尽なまでの怪力さについて考えを巡らす。


 ヘリアーテ達が居る巨大倉庫には、不自然なまでに高く作られた幾つかの障害物が存在する。


 それらは皆一様に頑強な金属によってそびえており、後程倉庫として再利用する関係上取り外し可能にはなっているが、それでも根元の基礎部は地中深くに固定されている。


 故に障害物は正当な手順でもって外さない限りは生半可な力では小さく揺らす事すら困難なほど堅牢に設計されているのだ。


 にも関わらず、先程ヘリアーテはそんな障害物と大剣を糸で繋がれた際に構わず力を込め続け、そして遂には繋がっていた障害物が根元から抜け倒壊するという異常事態を引き起こした。


(有り得ないでしょ普通っ!? 転移直後に巻き込まれた爆発とかワタクシの糸から伝わって来た感覚でかなりアレ等が丈夫なのは知っていたけど、それを根元から倒すって……)


 明らかにただ〝鍛えた〟などという生易しいものではない。そもそもヘリアーテの肉体は多少恵まれているとはいえ基本的な十代女性のものと然程大差ない外見をしており、アレだけの怪力を発揮した現実と比べ余りにも不釣り合いなのである。


(電気の事もそうだけど、絶対何か秘密があるわね。多分スキルか、スキルアイテムあたりが妥当かしら? でもワタクシ、そんなスキル見た事も聞いた事も無いわよ?)


 テレリは齢三百歳を超えているものの、アールヴ国内ではまだまだ若輩にあたる年齢。


 しかし彼女が当主を務めるボーンビシッド家はアールヴ内では皇族に次ぐとまで言われる名家であり、その立場上あらゆる国内外の情報が舞い込んで来る。


 取り分けテレリはスキルに関する情報に執心しており、彼女が当主の座に着いてからは霊樹トールキンに「スキル管理局」を設置した経歴も存在する。


 そんなスキルに関する情報を徹底的に収集するテレリに言わせてみれば、ヘリアーテが発揮した二つの不可解な能力に該当するであろうスキルやスキルアイテムには心当たりはないのである。


(二つとも肉体に関する能力……っ!? まさか、〝アイツ等〟が絡んでるなんて事──)


「『随分と、余裕そうじゃない……』」


 ハッと我に帰ったように視線を改めて声のした方──ヘリアーテへと向けたテレリ。


 そこには自分が色々と熟考している間に万全とまではいかないまでも、戦えるほどには回復したヘリアーテが胡乱うろんな眼差しでコチラを睨んでいる様が視界に入った。


「『……アラ。そちらは逆に余裕が無さそうじゃない? 何ならもう少し休憩が必要かしらね?』」


 テレリは強がって見せてはいるものの、その実言葉程に余裕は無い。


 先程の攻防で久方ぶりに強い緊張感を覚え、鈍り切っていた心に精神的な負担がのしかかり、且つ強引に魔力を消費して《空間魔法》を行使した反動により残存魔力が大量に消費されてしまった。


 加えて咄嗟に発動させた《音響魔法》の魔術も緊急事態だった為にかなり雑に魔力を使ってしまい、通常よりもかなり効率の悪い使い方をして自慢の糸にいらぬダメージを負わせてしまってもいた。


 更に言えば受けてしまった電撃による体内外の中度の火傷によって肉体としても苛まれている。


 状況としてはすこぶる芳しくない。


(最悪ねホント……。特にワタクシの「聖糸リンダール」は扱い方次第では硬度、靭性共に並の刃物を凌駕する頑強さと鋭利さを発揮するけれど、反面雑に扱えば途端に〝ただの糸〟に成り下がる……。難儀だわね)


 テレリが愛用する武器……「聖糸リンダール」は無論普通の糸などではない。


 アールヴの皇族にのみ従い、霊樹トールキンの守護者として君臨する伝説的な蜘蛛の聖獣シェロブ。


 それが紡ぎ出す黄金色に輝くあらゆる特性に変容する糸を原料とし、その特性を最大限に活用出来るよう様々な金属が織り込まれた超が付く逸品である。


 その製法には〝エルフの技術を凌駕する〟技法が加わっていたりするのだが、特筆するべきはその糸としての性質。


 使用者から送られる魔力の質や量によって糸としての特性を千変万化させる事が出来、硬性、靭性、粘性、そしてその太さに至るまでを自由自在に変化させる事が可能。


 大量の死体を紡ぎ合わせ即席の醜悪な防壁にする柔軟性も、大剣の重い斬撃をも受け止める堅牢さも、成人女性を軽々と上空で寛げさせる安定性も、ヘリアーテの怪力に晒されても切断敵わない硬性も、そして楽器の弦のようにすら扱う事が出来る汎用性も、全てにいて思うがままなのである。


 それを特殊な細工が施されたガントレットの手甲部によって巻き取る形で収納し、指先にそれぞれ五本ずつその糸を通す形でテレリは「聖糸リンダール」を自在に操って見せていたのだ。


 しかし彼女が言うように「聖糸リンダール」の扱いは非常に難易度が高い。


 魔力の質や量によって様々に性質を変貌させる関係上、一度扱い方を間違えたり雑に扱ってしまえば先程まで猛威を振るっていた優位な特性は一転。途端に並の糸や寧ろそれ以下の頼りない繊維にもなりかねないのだ。


(心を乱してはダメ……。常に余裕を頭の隅に作り、その余裕の中で糸の扱いに集中するのよ……)


 先程彼女がした雑な魔力の扱いにより糸の一部が劣化。扱える本数や長さが一部機能しなくなってしまったものの、まだ戦えるだけの糸は行使出来る。


 それらを十全に活かし、ヘリアーテ達をいち早く討滅する。最早余裕は作ろうとも、一切の容赦も出し惜しみもしてはいられない。


(何はともあれ今更だけど今はコイツ等の情報が欲しいわね……。まずは《解析鑑定》で小娘の能力の正体とあの猫の力量を──)


「『のんびりし過ぎだってのっ!!』」


 一切目を離していない。瞬き一つしていない。


 にも関わらずその声がしたのは、テレリの目と鼻の先で大剣を振り被るヘリアーテからであった。


(ッ!? さっきより速ッ!?)


 《思考加速》により、ごく短時間で様々思案していたテレリではあったが、その反面ヘリアーテと少し離れた位置から様子を伺っていたシセラに対して彼女は微塵も油断していなかった。


 文字通り雷光のような速さで動くヘリアーテと、絶妙な隙を突いてくるシセラの脅威を悟ったテレリはその動き一つ一つをつぶさに観察し、付け入る隙を見せまいと気を張っていたのだ。


 しかしそんなテレリは今、ヘリアーテの動きを一切捉える事が出来なかった。


「『クッ!!』」


 奥歯を噛み締め、テレリは即座に両手と指を動かし自身とヘリアーテとの間に聖糸リンダールを盾として幾本か渡し、今にも届きそうだった大剣を防ごうとする。


 しかし糸の盾に触れた大剣はヘリアーテの怪力でもって構わず刃を押し付け続け、テレリが想定していた重さをも上回った結果糸の盾がたわみ出し、刃がテレリの胴へと届かんとしていた。


(なっ!? ん゙ん〜〜あ゙ぁもうッ!!)


 テレリは内心で怒号を発すると盾にしていた糸へ送り込んでいた魔力量を増やし、たわむ糸の盾を更に堅牢化。すんでの所でヘリアーテが振るった大剣が制止する。


(な、なんとかっ……)


「『関係ないわねっ!!』」


 脅威が去ったという一瞬の気の緩み。その一瞬の隙を突き、ヘリアーテは右手を真っ直ぐテレリの首へと伸ばすとそのまま引っ掴み、ゆっくりと締め上げる。


「『が、はっ……!?』」


「『なんか動き鈍くなってない? それと頭も』」


「『なっ……』」


「『そりゃこんだけ近付けば武器なんてわざわざ振らないわよ。てか私の場合こうした方が殺傷力は上だしね』」


 一段、ヘリアーテは生卵を優しく掴み取るような感覚で僅かばかり首を掴む手に力を込める。


 しかしたったそれだけでテレリの首は更に締まり、まともな呼吸がままならなくなる。


「『あ゙、あ゙ぁぁ……』」


「『知ってるわよ? アンタ等エルフ族って光合成だけである程度なら無酸素状態でも生きていけるって。でもここじゃあ、ねぇ?』」


 ヘリアーテの言う通り、今が太陽の下であったならば例え首を絞められたとしても酸欠にはならず生きられる。


 だがここはそんな太陽光を殆ど遮る倉庫。内部には勿論灯りも存在するが、置かれているのはスキルアイテムによる魔力の淡い灯りであり無酸素活動可能な程に強くはない。


 案の定テレリの光合成もまた倉庫内の灯りでは酸素を賄い切れず、その顔色は血の気が引いていき徐々に青白く変色を始める。


「『さあどうすんの? 投降するって言うなら離してやっても良いわよ?』」


「『あ゙、あ゙、め……』」


「『ん?』」


「『あ゙めん、じゃ……な゙いわよっ!!』」


 テレリは両手を素早く移動し、指を複雑に動かして見せると周囲に張り巡らされていた聖糸リンダールがテレリの首を掴むヘリアーテの腕に巻き付く。


「『ぞの、まま、斬り飛ばすっ!!』」


「『だから、さぁ。頭鈍ってるって』」


 瞬間、ヘリアーテは自身の身体に魔力を巡らせ《雷電魔法》を発動。黄雷を全身に発生させて纏い、首を掴んでいるテレリにも感電させる。


「『が、あ゙あ゙あ゙ぁぁぁぁっ!?』」


「『アンタがどれだけの糸使いだろうが関係無い。私がこうしてアンタに触れられた以上、もうアンタに勝ち目なんかないのよ』」


「『ぐ、ぐぁぁぁぁぁっっっ……』」


 テレリは後悔していた。


 先程の攻防で聖糸リンダールを雑に扱ってしまった事で無意識に糸の扱いに慎重になり過ぎてしまってたのだ。


 特に劣化の要因にもなった《音響魔法》はその特性上どうしたって糸へ最大限に気を遣わなくてはならず、ヘリアーテの高速と怪力を前にしてそれが成し得るのか、彼女には自信が無かった。


 ボーンビシッド家当主の座に就き約五十余年……。その身をアールヴの政治や治世にのみ費やして日々を過ごした事で、勘や心構え、そして何より技の質が以前の戦争から鈍り、実力を存分に発揮出来ていなかった。


 にも関わらずユーリはそんなテレリを内政には置かず、軍団長として任命し、聖糸リンダールを頂いた。その意味する所に、彼女は──






『テレリ。聖糸リンダールは非常に難解な武器だ。僅かな油断や杜撰ずさんな感情ですぐにダメになる厄介な武器だ。でも、だからこそお前に託したい』


『それは……。多分に喜ばしい御言葉では御座いますが、ワタクシは今殆ど戦闘技術を磨いておりません。ワタクシに何故そこまで……』


『お前だからだよテレリ。お前みたいな狡猾で残忍で冷酷なお前だからこそ、聖糸リンダールの〝本質〟を見抜き、十全に扱えると私はふんでいるだ』


『な、成る程……』


『今は全て理解しなくて良い。ただ心には留めておけ。その聖糸リンダールこそ、お前が持つべき刃であり盾……そして──』


『そして?』


『ふふ。後はまあ、察せるよ。お前なら、ね』






(あの、方が……。ワタクシに……託したのだっ!! ボーンビシッド家の当主ではない、テレリというワタクシ個人にっ!! ならば応えねばならないっ……。例え、どんな手を使ってでもっ!!)


 テレリの決意を知らないヘリアーテは相も変わらず電流を流し続け、彼女の顔色が更に悪くなっていくのを見ながら小さく溜め息を吐いた。


「はぁ。強情ねぇ……。まあいいわ。殺すのはダメなわけだし。取り敢えず、気を失うまで──」


「『あ゙、あ゙ぁぁぁぁっ!!』」


 電撃を浴び続ける中、まるで獣の如き絶叫を吐くテレリ。


 そんな彼女は痺れ言う事の聞かない指、両手をどうにかする為、両手のガントレットに魔力を集中。聖糸リンダール全てに性質変化をもたらしていく。


「『……今更何したって無駄よ』」


「『ワタ……クシはッ!!』」


「『あん?』」


「『貴様、などに……負けはしないのよッ!!』」


「『はんっ!! どんなに強がったって遅いのよっ!! アンタは大人しくボスへの手土産にでもなっ──』」


 ヘリアーテが言葉を綴っていた、その真っ最中。


 バチンッ、という強く弾ける音が鳴り響くと共に、唐突にヘリアーテが首を掴んでいた腕の電撃が途絶える。


「なっ!?」


「『ッッ!!』」


 するとテレリは電撃が止んだ瞬間に聖糸リンダールを繰糸。糸を自身の身体へと潜り込ませていき、そして自身の喉へと幾本もの糸を張る。


「『な、何をしたのよっ!?』」


「『い、糸に……電気抵抗の性質を加えたっ! そしてその糸を全身に埋め込んだっ!! コレでもう、ワタクシには電気は効かないッ!!』」


「はぁッ!?」


「『ワタクシをここまで追い詰めた事、褒めてあげるわ……。でもねぇ──』」


 テレリは喉へ張り巡らせた糸へ爪を引っ掛けるとヘリアーテへ苦悶の笑顔を見せる。


「『ワタクシの覚悟の方が、断然上よッ!! 旋律、おびただしく列挙し、慟哭を震わせ波及し、泡沫の命を削り取れッ!!』」


「ちょ、何……はぁっ!?」


「『震えろッ!!「慟哭に流るる調べウェリシカイト・シャイエンクラン」ッッ!!』」


 そして喉の糸を指で弾いた瞬間、周囲のあらゆる物体全てが、咽び泣くような絶音に絶叫した。

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