第五章:何人たりとも許しはしない-9

「……ふむ」


 一通りの資料を読み漁り、漠然とではあるが「暴食の魔王」についての情報が固まった。


 といってもこれが〝今現在〟出現している魔王に照らし合わせて確かめる事が出来ない以上信用し過ぎるのは少し危険だ。


 今私達が出来る事は、この固まった情報から推測出来る奴の行動パターンの予測。それと奴の能力の予測だ。


 資料から読み取った情報を元に奴の行使可能な能力を推察してその対応策を講じる。それも読み取った情報以上のスペックを予め想定し、いざという時の為にその対策も用意する。


 私が昨日直接目にした奴の能力と、師匠がかつて目撃した奴の情報も加え、精査する。


 時間は掛かるがこれを惜しんではいけない。


 ところで、だ。


「話によれば、師匠はかつて戦争で「暴食の魔王」を目撃したのですよね? その時はどう対策されたんですか?」


 数十年前、このティリーザラ王国はエルフと戦争をしている。その時に師匠はかつての「嫉妬の魔王」と対峙し、半ば相打ち同然に「嫉妬の魔王」を撃破。見返りとばかりに《救恤》を失うも勝利を収めたという。


 そしてそんな戦争の中、「暴食の魔王」も出現したらしいのだが……。


「……話さねばならんか?」


 師匠の瞳が陰る。余程言いたくないと見えるが。


「この状況で情報の秘匿は命取りですよ。それに魔王があの場に留まっている今がチャンスなんです」


 現在あの沼地では「暴食の魔王」が沼中に散らばっている死体を探し回っている。救出出来る死体はなるべく集めて回収したらしいが、魔王が居る以上全回収は困難を極める。


 酷い話ではあるが死体は魔王をあの場に留めて置く為の贄と化している状態だ。


 そして師匠からの話じゃ、あの沼地に居た生き残っていたダークエルフ、拘束されていたダークエルフは皆一様に自害したらしく、それらも魔王の餌となっているらしい。


 エルフ側としては師匠に魔王と対峙して欲しいからなるべく動き回らないようにとそうダークエルフ達に命令していたと推測するが、同族をそんな使い方をするなんてな……。ふむ。


「あの沼地の死体で魔王が満足するかは分かりません。ですが満足されて消えるのも、死体を食い尽くして国中を荒らされるのも今回は駄目なんです。奴があの場に居る内に討伐する。それが一番なんです」


「……確かに……そうじゃのぉ……。じゃが、参考には余りならんとワシは思う……。期待するでないぞ?」


 師匠は椅子にもたれながら天井を仰ぎ、数秒の間を置いてから私に向き直り、少し伏し目がちに語り始める。


「……エルフ共は当時──もしや今もかもしれんが、とある〝土地〟に固執していた。ワシが産まれるより昔に人族がエルフから奪った土地らしいが、我が国では事実無根として突っぱね、それが元で当時に戦争に発展した」


 この〝土地〟とは恐らく私の屋敷周辺……。もっと言えばカーネリアの街そのものを言っているのだろう。ただ今は……、


「「暴食の魔王」を顧みずにですか?」


「そうじゃ。それ程までにエルフはその土地を切望していた。当時の「嫉妬の魔王」が裏でエルフの国の大臣やら宰相やらを牛耳っていたのも影響しとるんじゃろうが、その執念は凄まじかった。じゃが──」


 師匠はそこで言葉を一旦区切り、マルガレン手製の紅茶に口を付け、一言「美味いのぉ……」と小さく呟いてから続ける。


「当時のエルフ共はそれはもう自惚れていた。昔からエルフは気高い種族として有名じゃったが、当代皇帝と魔王は歴代一という程プライドが高くての。「我が種族に並ぶ者無し」と謳い、精鋭全てを投入して人族に挑んだのじゃ」


「精鋭全て……。それはつまり自国防衛に人数を置かず、全て進軍させたという意味ですか?」


「まあそれに近いのぉ。攻め込まれるなど露程も思っとらんかったんじゃろ。それ程までに奴等は自惚れていたし、執着していた。そしてそれが奴等を敗北させたのじゃ。最悪の形での」


「最悪の形……。それが「暴食の魔王」ですか?」


「ああそうじゃ。我が国は当時魔導師最盛期での。ワシを含め多くの才気ある魔導師が国に仕えていた。それを軽く見ていたエルフ共はそんなワシ等に防戦一方とまでは行かぬまでも、かなり苦戦を強いられた。そして防衛線を守り切ったワシ等は反撃とばかりに進軍。奴等の支配地まで攻め込んだ。その後じゃ、奴が現れたのは」


 師匠の顔色が少しずつ悪くなる。体調不良とはまた違うその変化に、これからがクライマックスなのだと悟る。


「我が国の精鋭魔導師達はその時、調子に乗っていた。エルフ共が何者ぞ、と。ワシは魔王を討つべく別行動を取ったが、他の者は何を思ってかエルフ共を無差別に攻撃しだしたのじゃ」


「……非戦闘員も、という事ですか?」


「ああ……。何やら二度と逆らえぬ様にとかほざいとったらしい。エルフ共の自惚れが伝染したんじゃ。馬鹿な奴等じゃよ。……そして結果的にその地に大量の死体が転がった。魔王が現れるのに十分な、な」


 師匠は手元にあった資料の一枚を捲る。そこには今師匠が語っている戦争の内容を酷く美化した内容が記載されており、師匠はそれに眉をひそめ苦い顔をする。


「「暴食の魔王」が現れてからは早かった。精鋭魔導師達は悉く奴に食われ、エルフ共の死体も綺麗に無くなっとった。ワシが魔王討伐後、伝令からそれを聞き付け現場に向かった頃には、悲鳴を絶叫する「暴食の魔王」が血と砂埃の中で一人たたずんどった」


「……」


「ワシはその時、頭を抱えたわい。なんせ「救恤の勇者」としてなんとかせねばと頭で理解しとるのに、心が動かんのじゃから。「嫉妬の魔王」によって消されてしまった《救恤》の影響は、もうその時既にワシを苛んでおった。そして──」


 更に師匠は別の資料を手に取って捲る。それは今学院で歴史の授業に使われている教科書であり、そこには師匠が戦争後華々しく凱旋した旨が記載されており、それを見た師匠の顔は険しくなる。


「ワシは……思い付いてしまった。《救恤》を失ったワシの頭が、勇者であったら絶対に思い付かぬ「暴食の魔王」をなんとかする方法を……。そしてワシは……決行した。我が国に被害が及ばぬようにする残酷な作戦を……」


「……師匠。お辛いでしょうが、どうかお願いします。今だけ……今だけで構いません。今だけ、耐えて下さい」


「……ワシは……逃げるエルフの兵士を一人ひっ捕まえて殺し、それを使って「暴食の魔王」をエルフ国内に誘導した。そして……、エルフの砦に……奴を閉じ込めた。エルフの避難民と怪我を負った兵士が何人も詰めていた砦に……。ワシは砦の入り口を魔法やスキルやスキルアイテムを駆使して固め……。そして逃げた……」


 ……成る程。


「その後、「暴食の魔王」がどうなったか、エルフがどうなったかは分からん……。エルフが滅ばなかった事からなんとかしたんじゃろうが、その方法をワシは知らん。その後調べた話じゃ満足すりゃ勝手にどっか消えるらしいが、エルフがそうしたかは……」


「……後悔、していますか?」


「後悔はしとらん。ああでもせねば「暴食の魔王」は我が国に来ていた可能性があった。国を守るには、あの場ではあれが最善策じゃ。……じゃが気は咎めたし、罪悪感に苛まれた。未だにの。ワシが弟子を取る気が失せたのは《救恤》を失ったのもあるが、それがあったからじゃ」


 師匠はまだ熱い紅茶を自分を責めるように一気に呷ると、苦しそうに息を吐いてからマルガレンにお代わりを要求する。


「じゃが、改めて語って再認識したが、ワシ、エルフからしたら相当恨まれるような事しとったのぉ……。そりゃ意趣返しとばかりに「暴食の魔王」を使ってワシを狙い打ちするワケじゃ……。過去の行いが巡り巡ってワシを苛んどる……。因果応報、自業自得じゃ」


 師匠はそう空笑いするが、その顔は酷く疲れ切ってしまっている。今にも何年も老け込んで寿命が来るのではと心配になる程だ。


「師匠。取り敢えず今日はもうお休み下さい。辛いお話を聞かせて頂いたお礼は翌朝の朝食をご馳走します。勿論豪華に」


「……ほっほ。そうかいそうかい、そりゃ楽しみじゃのう。ではお言葉に甘えて、ワシは一足先に休ませて貰うわい。朝食、楽しみにしとるからの」


 そう言いながら師匠は重い足取りで私の部屋を後にする。その背中はいつもの頼りがいのあるものではなく、少し押せば倒れてしまいそうな、そんな弱々しさが滲んでいた。


「……」


「キャピタレウス様、お辛そうでしたね」


「そりゃあそうだろう。あの人は今勇者でこそ無くなったが、その人生は勇者である前提のものだった。《救恤》が無くなろうが、根本的にはやはり善人なんだよ。あの人は」


 何より師匠が嫌なのは、それを実行出来てしまった自分なんだろう。そしてそれを改めて語った事で、その過去に感じた感情が薄らいでしまっていた自分が、嫌なのだろう。


「……あのまま居なくなったりはしませんよね?」


「そこは……大丈夫だろう。少なくとも魔王を倒すまでは責任から逃れようとはしないさ。朝食を食べる約束もしたしな」


 私もちょっと嫌な予感がして朝食をご馳走するなんて約束事を口にしてしまったが、勇者時代なら兎も角、今の師匠ならばこれくらいじゃへこたれない。私はそう信じている。


「ところで坊ちゃん。キャピタレウス様にあんな話をさせたのですからそれ相応の何かは思い付いていらっしゃるんですよね?」


 また変にハードルを高くしに来たなこの側付きは……。まあ、思い付いているんだが……。


「そりゃあな。……だがこれを実行するには師匠の協力がいる。だが本当なら不謹慎極まり過ぎて師匠には関わらないで欲しいんだがな……そこは師匠次第か。何かご機嫌を取らないといけないな……」


「……またエゲツない事をするつもりなんですか?」


「……ああ、そうだな」


 私は椅子に背を預けながら右手を上げて背中を思い切り伸ばす。


 左腕が無いせいか左側背中に上手く力が入らず、背を伸ばした際の気持ち良さが半減し舌打ちしそうになるが押し止まる。


「……沼地に点在している死体の数は多くない。奴が沼地に未だに留まっているのは、沼地が広大であり移動に時間が掛かるのと、沼地が死体を上手い事隠してくれているかららしい」


「そうなんですね」


「だがそれでもいずれ奴は沼地の死体を全て平らげるだろう。そして資料にある奴が現れた戦場で奴に食われた平均人数を考えると、明らかに足りない。このままじゃ後数日で国内を暴れ始めるな」


「えっ!? ま、マズイじゃないですかっ!!」


「ああ。だがこれもエルフ共の計算の上だろう。数日しか期限が無いと師匠に悟らせ、満足に準備を整えさせない為のな。どこまでも師匠を殺したいらしい」


「でしたら……一体どうするんですか? 後数日じゃあ僕達だって準備なんて……」


「……引き延ばせばいい」


「……えっ?」


「死体が足らないなら足せばいい。奴が満足するギリギリのラインまで、奴に死体を与え続ける。そして時間を稼いでその間に十全に対策をして……、」


「ま、待って下さいッ!! 死体を足すって……。一体どうやってッ!? 第一倫理的に……」


「倫理的? ではお前は師匠がかつて行った所業も倫理的にと言って否定するのか? 傷心しながらも国を守った男に、同じ事が言えるのか?」


「それは……、今は状況が違って──」


「状況が違う? どう違うんだ? 奴に死体を与えなければ国が滅ぶ。そうでなくとも師匠が死ぬ羽目になるんだぞ? 決して違わないさ。それに優先度を考えろよマルガレン。この国と一時胸にある倫理観、お前はどっちが大事なんだ?」


「……」


「……すまない。少し強く言い過ぎた。だが今は倫理観に囚われて選択を誤る訳にはいかないんだ。師匠には止められるかもしれないが、まあ、師匠と同じモノを背負うくらい、私にもやれるさ」


「坊ちゃん……」


「それに忘れたか? 私は魔王……「強欲の魔王」だぞ? 私がやらないで誰がやる」


「……僕は──」


「ん?」


「僕はどこまでも坊ちゃんの味方です。背負うなら、僕も背負います。その方が、少しだけでも、軽くなるでしょう?」


 コイツ……。


「……ああ。頼む」


「はいっ。承りました。所で……、」


 マルガレンはそう区切ってから私の冷めてしまった紅茶を淹れ直す。資料に夢中になっていたせいで殆ど口に出来なかったな。悪い事をした。


「死体、と一口に言っても、どう調達するんですか?お墓を掘り返したり……ですか? まさか誰かを攫って……、」


「それは流石にやらん。墓にしたって無理がある」


「では、一体どこから……」


「居るだろ。そこそこの人数。死ぬ事を定められた、死を待つばかりの奴等が」


「……病人、じゃないですよね?」


「私はそこまで残酷ではない。……つもりだがな。違う」


「では……、犯、罪者?」


 マルガレンのその答えに、私はワザとらしく笑って見せた。

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