第六章:殺すという事-23

 天井を見上げ鼻を啜ると、自身で両頬を軽く叩き、グラッドは何事も無かったかのような素振りを見せながら私に振り返る。


「さてっ! こんだけ時間使ってエルフ一人なんて正直笑えないから後はチャチャっとやっちゃおうかなっ!」


 確かにこのエルフ一人に数十分はたっぷり時間を使った。だが彼の場合、最早状況だけは整っている。


「特別急がんで構わん。後の三人はあの診察室に閉じ込めているんだろう?」


 そう言いながら私は親指で病室の端の方を指す。そこには《水魔法》の魔法陣による水の壁に出入り口を塞がれた診察室があり、色々とあって時間は経ってしまっていたものの、未だ変化らしい変化はない。


「……あのまま診察室の空気無くなって窒息したりしないかな」


「無くはないだろうが余り期待するな。中の三人がいつまでも大人しくしてくれるとは限らんからな」


 病室と診察室の間にある壁の厚さはそこまで無い。診察室とそれに繋がっている薬品倉庫にある物を使えば簡単とまではいかなくとも時間さえ掛ければあの壁程度なら脱出されてしまうだろう。


「奴等が今何を考えているかは知らないが、流石に窒息になるまで行動しない事はないだろう」


「ま、だよねー」


「だがだからといって塞いだ出入り口を開けて三対一をやるというのもお前では厳しいだろうな」


「うーん……。やれない事ないだろうけどわざわざ有利な状況崩すのは違うよねー」


「なら、どうする?」


 そう問い掛けるとグラッドは悩ましそうに腕を組みながら悩み、少しして何か言いた気な様子でこちらを見てくる。


「……なんだ?」


「アレだよね? 死体ってやっぱ回収するんだよね? ホラ、前の盗賊ん時みたいに」


「ああそのつもりだ。この砦は後々利用するからな。死体は邪魔になってしまうし、処分しようにも燃やせば煙で奴等にバレてしまう可能性がある。何より勿体無いしな」


 なんといっても二十三人分のエルフだ。放置するわけにも土に埋めるわけにもいかん。ならば最大限有効活用しなくてはな。


「うーん。なら中に薬品ぶち込んで爆発させるのはダメだなー……」


「……君、案外エゲツない事考えるんだな。さっきまでウダウダしていた奴とは思えん」


 しもの私でもやらんぞそこまで……。


「じょ、冗談だよ冗談……。ボク今情緒行方不明になっててまともに制御出来てないんだよ……。痩せ我慢してんのっ!」


 ……確かに色々と人格がブレてるな。まあ、すぐに立ち直るような事ではないだろうしな。後は私が支えつつ上手い具合に着地点を見付けていこう。


「何にせよ君にはやる事をキッチリやって貰う。厳しいだろうが、遂行しなさい」


「……うん」


 グラッドは一変して真剣味を帯びた声音でそれだけ返事をすると、薬品棚の方へと歩き出す。


 完全に解消した、とは言い切れないが、きっと今の彼なら大丈夫だろう。


 グラッドはこの先──いや彼だけでなくヘリアーテやディズレー、そしてロリーナは私の思い描く理想には欠かせない存在だ。


 今から丹念に丹念に、育てていかなくてはな。


「グラッドっ!」


「──っ! は、はいっ?」


 突然呼ばれ驚くグラッドに、ポケットディメンションから取り出した袋と長方形の薄い箱を投げ渡す。


 慌てて受け取った彼は袋と箱と私の顔を交互に見て、暗に「なんですかこれ?」と聞いてくるが、その問いに対し適当に笑って返し、一言だけ添える。


「私は君の味方だ。何があろうとな」


「──っ!! ……はいっ」


 珍しく丁寧な返事をした彼を背に、私は病室を後にした。


 ______

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「……なんだろ、勿体ぶっちゃって」


 クラウンを見送ったグラッドは、まずは彼から投げ渡された袋のひもを解き、その中を確認する。


「これ……」


 中に手を入れ取り出したのは植物の葉。それも加工し易いように丁寧に乾燥させられており、あと少し手を加えるだけで常用出来るようにされている。


寂落草じゃくらくそう……。それもこんなに……」


 中には同じものが袋に詰められるだけ詰められており、暫くは寂落草を切らす不安を覚えずに済むだろう。


「まったくあの人は……甘いんだか厳しいんだか……。安い薬草じゃないってのに……」


 思わず笑みを溢すと次にもう一つ渡された箱に目を移し、おもむろに開けてみた。


「……? これ、眼鏡?」


 中に入っていたのは折り畳まれた眼鏡。しかしただの眼鏡ではなく、レンズの部分が真っ黒に染まったラウンド型のサングラスであった。


 この世界に於いて眼鏡の普及率はそこまで高くはなく、使用者の殆どは貴族か、生活に支障をきたす程に視力の悪い者くらい。ましてやサングラスなどティリーザラ王国では全く普及していない。


 故にグラッドはこの真っ黒な眼鏡に対し眉をひそめた。


「こんなん見えるわけ無いじゃん。え、嫌がらせ?」


 何の当て付けだ、と訝しみながらもサングラスを取り出し、物は試しと好奇心で掛けてみる。


 そして目を開いた時、彼の中で響き続けてた〝痛み〟が、劇的に和らいだ。


「これ……っ!? 光が、遮られて……」


 グラッドは吽全うんぜんの後遺症により視神経が異常に過敏になっており、目に入る僅かな光でさえ耐え切れない程の痛みが走るまでになっていた。


 彼の糸目はそうした理由から極力目に光が入らないよう彼自身で意図的に細めていたのに由来するのだが、サングラスを掛けた途端、彼の世界は幼少の頃に見た景色を取り戻したのだ。


「は、ははは……。こりゃぁ、良いなぁ……。目が疲れないし、痛くないし……。薄暗くて、落ち着く……」


 勿論、サングラスは万能ではない。彼の目に入る光を完全に遮るわけにはいかないし、何より目を全て覆っているわけではない故にグラッドの目に走る痛みもまた完全に消えたわけではない。


 だが何も無かった頃に体感して来た激痛に比べれば今程度の痛みなど最早彼をさいなまない。


 彼は灯りの無い夜以外で久々にその目をしっかり開き、クラウンがもたらしてくれた世界の景色を再確認する。


「この眼鏡を通した景色が、ボクとボスが歩んでいく新しい人生の景色……。ははは、なんて暗く、けれど明るい世界なんだろう……」


 グラッドは真の意味で決意する。


 以前の自分「ウィリアム・ストン」の名を捨て、汚れた金で買った「グラッド・ユニコルネス」として、生涯掛けてクラウンに着いて行くと。


 この景色を──世界をくれた人と、自分の人生を歩んでいくと。


「さて……。じゃあ親愛なる上司に見限られない為にも、誠心誠意、初仕事をキッチリこなそうかな」


 改めて薬品棚を見たグラッドは、何かを閃くと手慣れた手付きで薬品を取り出していき、少しずつ混ぜ始める。


「爆発はダメ。なら後残るのは……これかな?」


 そうして完成させたのは二種類の液体。片方が塩素系の液体、もう片方が酸性タイプの液体である。


「後は穴開けて、と……」


 薬品を持ったまま診察室の壁に向かい、指先に《嵐魔法》による小さくも轟々と吹きすさぶ旋風を発生させ、それを壁に押し当てて少しずつ削り始める。


 程なくして小さな穴が空くと、それに気付いた中にいる三人のエルフが何やらエルフ語で騒ぎ始めた。


「ごめんごめん、何言ってんのか分かんない。でも、まあ一つだけ言っておくよ。ごめんね──」


 グラッドは二種類の液体をその穴に流し込み、全て流し終えると穴を《水魔法》で塞いでしまう。


「ボクの為に、死んでくれ」


 彼は中で響く断末魔を聴きながら、グラッド・ユニコルネスとしての初仕事達成に、満足した。


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「……ロリーナ」


 ──

 ____

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「はあ……はあ……」


「『貴様……よくも、よくも俺達の仲間をっ!!』」


 ロリーナは息を荒く吐く。


 それは体力的な問題でも、ましてや緊張から来るものでも無かった。


「はあ、はあ……くっ」


「『しっかりしろっ! おいっ!!』」


 彼女の手にある細剣の切っ先には真っ赤な血が着いており、ゆっくりとそこから血が滴り落ちていた。


「な、んで……。なんで……」


「『目を開けてくれっ! なぁっ!!』」


 身体は小刻みに震え止まる事はなく、頭と身体が別の生き物にでもなったかのように言う事を聞かない。


「わた、しは……。大丈夫な、はずじゃあ……」


「『死ぬなっ!! おい、死ぬなよっ!!』」


 彼女の目の前には四人のエルフ。しかしもう間もなくで、三人になろうとしていた。


 一人が剣を構えロリーナを鋭く睨み、もう二人は座り込んでいる。


 そして最後の一人はそんな二人に寄り添われながら、胸からおびただしい血を流して倒れていた。


 つい数分前、ロリーナが空けた穴からである。


「『殺す……殺してやるっ!!』」


 叫ぶ剣を構えたエルフがロリーナに襲い掛かる。


 その動きは稚拙で粗が目立ち、本来のロリーナならば避ける事や受け流す事も容易だろう。なんならそこからカウンターを狙い、返り討ちにだって出来る。


 しかし、そんな生易しい剣撃を、ロリーナは真正面から受け止める事しか出来なかった。


 ──ガキンッ!


 刃同士のぶつかり合いで響いた金属音は軽く、エルフの一撃はアッサリ止められる。


「くっ……」


「『ふざけんな……ふざけんなよクソ人間がっ!!』」


 気迫が増し、鍔迫り合いに力を込めるエルフ。


 そんな剣圧を受け、ロリーナは歯噛みしながら押されつつあった。


(体が思うように動かない……力がちゃんと入らない……っ。なんで、どうして……。ちゃんと一人倒したのに……っ!)


 ロリーナの頭の中はぐちゃぐちゃだった。


 クラウンの指示通りここ砦の二階東エリアである共同寝室が密集した区画を訪れ、そこで四人のエルフと交戦。


 四人同時に相手という事もあり多少立ち回りに苦労はしたものの冷静に対処。結果一人のエルフの胸に切っ先を貫かせる事に成功した。


 心の中に順調に支持をこなせた安堵感が去来するも束の間、突如身体の動きが鈍くなってしまった。


 胸から血を噴き出し倒れ行くエルフと、自身の手にある細剣に付いた血を目の当たりにし、細剣から伝わって来た心臓を貫く感触を理解した、その瞬間に。


(なんで……私は、平気で……)


 クラウンが見せてくれた盗賊を殺める一部始終。彼女はそれを見ても特別揺れ動く感情は無かった。


 まるで本の中の出来事を俯瞰ふかんして見ているような、事実を人伝に聞いたかのように非現実的に感じてしまい実感が余り湧かなかった。


 だから自分は大丈夫なんだ、難なくこなせるんだ。


 そう信じ挑んだ結果、彼女は今、動揺の極地に立っていた。


(この、ままじゃ……)


 エルフからの圧は徐々に増していく。


 仲間を殺された怒り、悲しみ、憎しみ……。それらがい混ぜになって普段の何倍もの力を発揮し、剣に込めてロリーナを押す。


 その力は冷静さを失った彼女にとって本当に重いものと化しているのだ。


(このままじゃ……クラウンさんに迷惑が……。クラウンさんに、見捨て──)


 その瞬間、彼女の中で何が突然溢れ出す。


『不吉な──』


『どう考えてもそっちの──』


『この子は捨て──』


『いらない』


 そんな誰のものとも知れない残酷な声の数々が混迷を極める彼女の頭の中に幾重にも響き、最早まともな思考すら覚束なくなった。


 そしてエルフの剣を受け止めていた手から、力が抜けてしまう。


「──ッ!?」


 細剣から滑るように振り下ろされた剣は真っ直ぐロリーナの頭を目掛け落下し、刃が彼女の顔に影を指す。


(……いっそ)


 死に直面した彼女は、その刃をただ見詰める。


(いっそこのまま……全部諦め──)


 生を放棄し掛けた彼女に迫る刃は、しかし彼女を傷付ける事は無かった。


 ──キイィィンッ!


「……え?」


 ロリーナの命を奪い取ろうとしていた剣は甲高い音と共に高く弾かれ飛んでいき、合わせて剣を振るっていたエルフは後方へと投げ出される。


「……何を──」


 彼女の横にはいつの間にか見知った顔があった。


 祖母であるリリー以外で他の誰より頼りになり、他の誰より信頼し、他の誰より親身な彼が、剣を片手にロリーナの横に立ち、迫る剣を弾いたのだ。


「クラウンさ──」


「何をしているんだ君はっ!!」


「──っ!?」


 その声には、怒りが滲んでいた。


「今何故諦めた? 君の命はそんなに軽いものなのか?」


「わた、しは……」


「君の命は自分だけのものか? 違うだろうっ!?」


「──っ! ……クラウン、さん……」


 振り返った彼の顔には、今まで一度だって見た事の無い顔があった。


 酷く、酷く哀しそうな。見ている方が辛くなってしまいそうな、そんな悲壮感に溢れた顔にロリーナは困惑する。


「違うんですっ! 私は、ただ……」


「ただなんだ? それは私が君が命を投げ出そうとするのを納得してしまうような理由なのか?」


「それ、は……」


「そんなものあるはず無いだろうッ!? 君を失う事を納得する理由なんかこの世の何処にだって存在しないッ!! 皆無だッ!!」


「……っ」


「君は想像しないのか? 君を失った私が何を思いどんな気持ちになるのかッ! ……君は、自分を──」


「『ぺちゃくちゃ喋ってんじゃね──』」


五月蝿うるさい黙ってろッッ!!」


 体勢を立て直し再び襲い掛かろうとして来たエルフに対し、クラウンは叫びながら《重力魔法》を使って重力を上乗せしエルフを床に固定させる。


「はあ……はあ……」


「……すみません、でした……」


「……ロリーナ」


 俯くロリーナの両肩にクラウンは手を置く。そして見上げた彼女の目を真っ直ぐ見詰めながらおもむろに口を開いた。


「前にも言ったが改めて言う」


「え?」


「私は君が好きだ。愛している」


「……」


「それに応えてくれとまでは言わない。けれど想像してくれ。愛する君を失う私の姿を……私が何を叫び、何を思うのかを……」


「……」


「……君の過去を、私は知らない。もしかしたらさっきのように死を受け入れてしまうような、そんな過去が君にあるのかもしれない。けれどもだ」


「……はい」


「どうか……。どうか私の為……そして何より自分のためにも、そんな事はしないでくれ。はしたくないんだ。だから頼む……頼むからそう、約束してくれ」


「クラウンさん……」


「……」


「……わかりました。約束、します」


「本当、だな?」


「はい。さっきみたいなクラウンさんの顔。もう二度と見たくありませんから」


 あんな顔を、この人にさせてしまった。


 それだけで自分が一体何を選んでしまいそうになったのか、酷く痛感した。


はしたくないんだ。──』


(……)


 ロリーナは何ヶ月か前、クラウンに彼自身の正体と過去を教えられた。


 過去自体はかいつまんでいて具体的にはまだ話してくれていなかったが、前の世界で結婚していた事は知っている。


 そして当時の妻と、死別している事も……。


 彼の昔の人生は決して平和なものではなかった。故にその身の回りに起こる出来事もまた危険が伴う事であり、妻の死別との関わりも想像にかたくない。


 それを漠然とではあるが察していた彼女は、それ故に後悔する。


 混乱し混迷していたとはいえしてしまいそうになった、自分の愚かな決断を。


(もう、間違えない)


 そう心に誓い、クラウンを避けてから細剣を再びエルフ達に向かって構えた。


 しかし──


「……っ」


「ロリーナ?」


 彼女は再び、自分が作り出した死体を視界に入れる。


 するとやはり身体の動きが鈍くなったように感じ、手が震えてしまう。


「す、すみません……。大丈夫なはず、なんですけど……」


「……」


 そんなロリーナを見たクラウンは、彼女の正面に再び立つと、ゆっくり彼女の背中に両手を回し、優しく抱き締めた。

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