第八章:第二次人森戦争・前編-14

 


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 騎乗用の巨大な蜘蛛から降り、クラウンへと両手の手斧を構えたウーマンヤール。


 怒り心頭の中、しかし彼は小賢しくもクラウンの不意を突こうと前進してみせるフリをし、自身の身体の陰に隠れた手斧を投擲。


 魔力の篭った手斧はその刃を数秒で赤熱させ、クラウンの顔面目掛け真っ直ぐ飛んでいった。


 が、彼はそれを少し身体の軸をズラすだけで回避し、頬の数センチ横を空気すら焼かんばかりに熱せられた手斧が高速回転しながら通過して行く。


 手斧はそのまま彼を通り過ぎると、数メートル後ろにそびえる拠点の防壁へと真っ直ぐに刺さり、手斧が突き立った箇所からたちまち炎が上がった。


「『フンッ! 今のを顔色一つ変えず避けるかっ……。俺の部下達を手間取る事なく屠っただけはある』」


 そう強気に言い放つウーマンヤールだがその実、額に浮かんでいた青筋は見る影を無くし、代わりに小さな冷や汗が頬を伝う。


 彼をそうさせたのは一種の〝勘〟。彼の中に蓄積された百年以上の研鑽という経験は先程のクラウンのたった一度の回避行動を無意識に読み取り、その結果を勘という形で警鐘を鳴らしたのだ。


 もしかしたら、ヤバいかもしれない、と。


(くっ……。弱気になるなっ! 俺がこんな小僧に遅れを取るハズなどないっ!)


 ウーマンヤールは内心で自分を鼓舞すると、意を決しそのガタイからは想像し難い程の素早さと足運びでクラウンに急接近。もう一振りの手斧を身体を捻って振り被った。


「『ハァッ!!』」


 熱気立つ手斧の刃がクラウンの胸目掛け迫り、朔翡翠さくひすいごと彼を切り裂こうとするが──


「『鈍い』」


 クラウンは目の前で赤熱する手斧から一歩だけ退がり、ある程度の間が出来上がるとそれを利用して右手の鉤爪を下から払うようにして手斧を爪に絡め取る。


 そして手首を捻り、攻撃時の崩れ易くなっていたウーマンヤールの体勢を相手の力を逃しながら崩し、思い切り地面へと転ばした。


「『ぬぁっ!?』」


 一瞬何が起こったのか理解の及ばなかったウーマンヤールは、だがすかさず目の前に振り下ろされようとしていたもう片手の鉤爪を目にし、空いている手を突き出し魔術を発動。


 手の内に溶岩の小さな板を生成し、それを盾にして鉤爪からの攻撃をなんとか凌いだ。


「『ナメるな小僧っ!!』」


 そう強がってはみたものの、彼の声音は若干弱々しく、また体勢も相まって全く格好付いていない。


「『その威勢は、もっと余裕をもって吐くものだぞ』」


 クラウンは崩れゆく溶岩の盾から鉤爪を離すと、少しだけ足の位置を後方へ下げ小さく助走を作り、目一杯の力を込めてウーマンヤールの胴へと凄まじいサッカーボールキックを放つ。


「『がっ!?』」


 彼が着込んでいた分厚い鎧は、たったそれだけで嫌な音を立てながら大きくひしゃげて裂け、衝撃はそのまま腹部へと強く響く。


「『ふむ。対してダメージにならんか。ならもう一発だ』」


「『──っ!?』」


 不穏なクラウンの発言に目を見開いたウーマンヤールは、助走を取った足を目にし奥歯を噛みながらも決断。


 絡め取られ微動だにしなかった手斧を手放し、地面を転がってある程度距離を取ってからなんとか立ち上がる。


「『ハァ、ハァ……』」


「『おいおいどうした? 第三副軍団長ともあろう者が小僧相手に随分と必死だな?』」


 わざとらしく嘲笑して見せるクラウン。


 それに対しウーマンヤールは部下達が見ている前で何とか威厳を保とうと、強く語気を荒げた。


「『だ、黙れ人族風情がっ!! たまたま上手く行ったからと良い気になるなっ!!』」


「『そうか? ならこれもたまたまだな』」


 クラウンは息を荒くするウーマンヤールを尻目に、彼が泣く泣く手放した虚しく地面を焼いていた手斧を拾い上げるとそれをめつすがめつ観察する。


 そんなクラウンの行動に嫌な予感を覚えたウーマンヤールはたちまち慌て始めた。


「『き、貴様ッ!!』」


「『ほう。これだけ赤熱しているにも関わらず組成が一切脆弱化していないな。……成る程、合金素材の一つにボルケニウムを使っているのか』」


「『お、おい──』」


「『ふむ。しかし先程から感じてはいたが武器の性能に反して武器に魔力が行き渡っていない……。新調でもしてまだ馴染んでいないのか? それともまだ秘密が……』」


「『ふざけた事を言うなッ! 返せッ!!』」


「『む? ああ、すまないな。しっかり受け取れよ?』」


 クラウンはそう言って笑うと、ウーマンヤールの手斧を軽く振り被り、そのまま思い切り彼目掛けて投擲する。


「『なっ!?』」


 先程の自身の投擲よりも高速で飛来して来るそれを、ウーマンヤールは及び腰になりながらも何とか手斧を掴み取る事に成功。内心でホッと胸を撫で下ろした。


「『こっちもだな』」


 瞬間彼の前からクラウンから突如として姿を消し、先程ウーマンヤールが投擲し防壁へと突き刺さったもう片方の手斧の元へ現れる。


 そして炎上しているそれを何の躊躇も無く抜き取るともう一度彼へ向かって投擲。


 驚愕に気を取られながらもウーマンヤールはそれも何とか掴み取る事に成功。すると緊張からか額から再び一筋の冷や汗が伝う。


「『なんだ。小僧の投げた手斧に随分と必死じゃないか』」


 その声に慌ててウーマンヤールは顔をそちらへと向け直すと、先程まで防壁側に居た筈のクラウンが再び目の前に現れ、自身に薄く笑い掛ける。


「『わざわざ武器を投げ返すなど……。貴様、どういうつもりだっ!?』」


 理解出来ぬとばかりにウーマンヤールは彼を忌々し気に睥睨へいげいすると、体勢を立て直してからそう問い返した。


 彼の考えで言えば、自分は敵に武器を奪われ圧倒的に不利な状況に陥っていた。


 故に手斧はそのまま奪われたままか、さもなくば破壊される事を覚悟したわけである。


 にも関わらずクラウンはその有利な状況を自ら放棄し、ご丁寧に武器を返還したのだ。その意図を、ウーマンヤールは理解出来ないでいた。


「『……私の目的は単にお前を殺す事ではない』」


 しかしそんな彼の疑問に対し、クラウンは暗晦あんかいと影の差す笑みを浮かべて見せ、何の偽りもない言葉を紡ぐ。


「『私の目的はな? お前のプライドを完膚なきまでに踏み潰した上で殺す事だ』」


「『──っ!?』」


 一瞬ウーマンヤールは、彼が何を言っているのか解らなかった。


 その余りに傲慢で不遜な口振りに対してもそうだが、何よりクラウンが吐く言葉の一つ一つに明確な確信が宿っているように感じ、理解が及ばなかったのだ。


「『だ、だから武器を? 何故だっ!?』」


「『解らないか? 万全のお前を圧倒してそのプライドや尊厳を徹底的に砕く。逆らう気など微塵も起きないように、ちゃぁぁんとなぁ』」


「『そ、れを……本気で出来ると?』」


「『ん? 出来るとか出来ないではない。〝今からやるんだよ〟』」


 ウーマンヤールの背筋に、凄まじい怖気おぞけが唐突に走り抜ける。


(なんだ? まだコイツに何かされたってわけじゃない……。ただの戯れ言なハズなんだ。なのになんだ……この湧いて来る気味の悪さはっ!?)


 それは本能から来る恐怖。まるで目の前に居る人族が得体の知れない化け物に変わってしまったかのように印象が一変し、最早普通の人族として見る事は出来ない。


 更には這い寄るようなクラウンの言葉を鼓膜が揺さ振り、頭の中に反響して不快感が湧き上がって背中にびっしょりと汗が浮かぶ。


 常人ならばそこですくみ上がり、腰を抜かすなり逃げ出すなりするだろう。弱者ならば命乞いをしたって不思議ではない。それほどまでの恐怖が、彼を襲っていた。


 だが、ウーマンヤールは──


「『ふぅぅ……。はぁぁ……』」


 深く息を吸い、震えそうになる体に神経を巡らせながら少しずつ気を落ち着かせ、慰めるよういに精神を研ぎ澄ませる。


 そうして調子を取り戻したウーマンヤールは鼻を鳴らすと手斧を構え直し、クラウンを鋭く見据えた。


「『ふんっ!! 少し優位に事が運んだからと調子に乗るなよっ!! 貴様の様な自惚れ屋に負ける俺ではないわっ!!』」


 それは第三副軍団長としてのプライドと、百年強の年月を戦士として生きたエルフの矜持から来るある種の意地。


 そして例え由来不明の恐怖に身がすくもうと、決して逃げるわけにも、むざむざ殺されてやるわけにもいかないという漢としての意地。


 二つの意地がウーマンヤールを恐怖から奮い立たせ、目の前の化け物へと立ち向かわせたのだ。


「……ほぉう」


 そんな様子を見てクラウンは感心したように唸り、どこか楽しげに目を細めながら眉を歪ませると今までの適当な雰囲気を変え、両手の鉤爪をウーマンヤールへと構える。


「『良いなぁお前、見直した。そういうの私は案外好きだぞ?』」


「『吐かせっ!! 貴様など消し炭にしてくれるわっ!!』」


 叫んだウーマンヤールはその威勢のままに地面を蹴り、一気にクラウンとの距離を縮めると二振りの手斧に魔力を注ぎ込みながら大きく上段へ振り被る。


「『フンッ!!』」


 魔力が注がれた二振りの手斧は、ウーマンヤールが気合いを入れるのと同時に刃に蜘蛛の巣状にヒビが走り、そのヒビの隙間から赫灼かくしゃくと滾るマグマが露出。


 これによって刃自体は一回りほど膨張し、空気が焼けるほどの高熱を纏いながら真っ直ぐ《熔重潰撃ラヴァルクラッシュ》をクラウンへと振り下ろした。


 それに対しクラウンは両手の鉤爪に魔力を流し込み、爪を頭上で交差させて防御体勢を取ると《熔重潰撃ラヴァルクラッシュ》をそのまま受け止める。


「『コレを受け止めるかっ!? だがっ……!!』」


 覆い被さる体勢のまま、二振りの手斧を押し付けるようにしてクラウンの鉤爪へと体重を掛けていき、接触面からは徐々に煙が立ち上り始めた。


「『貴様のその生意気な爪などっ! 俺のこの「熔斧ファラスリム」の灼熱の前には飴玉と大差無いわぁっ!!』」


 駄目押しとばかりにそこへ魔力を更に注がれると、手斧のヒビから覗くマグマが流動し膨張を始め、煮え滾るマグマで襲う《|熔(いり)呑(の)み》が繰り出された。


「『おっと。これはマズいな』」


「『フンッ!! 今頃後悔した所で遅いわっ!!』」


「『ふむ。ならば私も少々気張らせて貰おうか』」


「『何を言──っ!?』」


 突如、ウーマンヤールの頬に何かが触れる。


 ヒヤリ、と頬を撫でるかのように通り過ぎた冷気それは自身が振るう熔斧ファラスリムの下から漂って来ており、ウーマンヤールはその発生源に目を凝らした。


 そこには──


「『爪に、霜……?』」


 ファラスリムを受け止めている両手の鉤爪に、薄らとだが白く儚げな霜が下りていた。


 それはまさしく発生している冷気によって生じたであろう霜であり、冷気を操る様をウーマンヤールは先程目撃したクラウンが使う大斧と重ね合わせて眉をひそめる。


「『まさか……鉤爪にも氷雪属性をっ!?』」


 思わず問い掛ける形で口に出してしまったウーマンヤールだったが、そんな彼の言葉に対し、クラウンは心底愉快そうに口元を歪ませて見せた。


「『さぁ、どうだろうな? 気になるなら自慢の武器をよぉく見てみなさい』」


「『何を……っ!?』」


 わざわざ見るまでもなく、ウーマンヤールは手にしているファラスリムの異変に気が付く。


 何故なら先程から注いでいる筈の魔力がファラスリムに到達するのと同時にその質を僅かに変容させ、本来の効果とは全く異なる結果になって発現しているからである。


 つまり何が起きているのかというと……。


「『な、なんだっ!? 何故ファラスリムが冷え固まっているっ!?』」


 彼の目に映る熔斧ファラスリムの様相はつい先程の猛々しい物から一変。ヒビから流れ出たマグマは凝固し、赤熱していた刃は完全に冷め切り、発していた高熱は寧ろ冷ややかすら感じられる有り様。


 最早そこに、溶岩属性を存分に発揮するファラスリムの面影など何処にも無くなっていたのである。


「『貴、様……っ!! 一体……一体ファラスリムに何をしたっ!?』」


 ウーマンヤールは身体の奥から湧いて来る怒りに任せ、冷え切ってしまっているファラスリムにクラウンを押し潰さんばかりに更に力を込める。


 彼自身、何が原因で愛用の武器がこんな悲惨な状態になっているのかは何となく察してはいる。だが腑に落ちているわけではない。


 氷雪属性ならば確かに溶岩属性にある程度対抗出来るだろう。熱を和らげ、流れ出たマグマからの攻撃をある程度は防げるかもしれない。


 だが今起こっている現象は熱を和らげるなどという生優しいものではなく、ファラスリムに発生している熱そのものが急激に低下しているのだ。


「『氷雪属性でないなら……何だと言うんだ……』」


 ウーマンヤールにとって、熔斧ファラスリムは誇りであった。


 第三副軍団長に任命された際、女皇帝ユーリに『お前に合う武器をあつらえた』と賜った武器であり、それは自らの弛まぬ努力と研鑽が女皇帝に認められ形を成した武器であると同義。ファラスリムはまさにウーマンヤールの魂と言っても過言ではないのだ。


 そんなファラスリムが今、自身の手の中で、目の前で、寒々しい変容を遂げてしまっている……。


 それを冷静に見過ごせる程、ウーマンヤールは冷めたエルフでは無いのだ。


「『俺のファラスリムに、何をしたぁぁぁぁぁぁッッ!!』」


「『……隙だらけだな?』」


「『──っっ!?』」


 その瞬間、ウーマンヤールの腹部に鋭く強く深い痛みが走り抜けた。






「『な……ぜ』」


「『……私の顔を恨めし気に睨んでばかりいるから、状況を見誤るんだ。それとも変わり果てた愛武器から目を逸らしていたのか?』」


「『なっ……』」


「『もう一度手元をよく見てみろ』」


「『……ッ!?』」


 全体重、全身全霊の力を込めて二振のファラスリムで押し付けていた筈のクラウンの両手の鉤爪。しかしその押し付けていた筈の両手の鉤爪の内片方がウーマンヤールの腹部へと伸び、二振りのファラスリムを片手だけで受け止めていたのである。


 そしてウーマンヤールの腹部には、いつの間にかもう片方の鉤爪の爪が深々と突き刺さっていた。


 本来頑丈な鎧によって守られている筈の腹部ではあったが、先程クラウンによって蹴り込まれた際に大きくひしゃげてしまい、それによって生じた亀裂に、爪が入り込んでいたのだ。


「『ファラスリムの脅威の比重は、その溶岩属性に大きく傾いている。ならその脅威さえ取り除いてしまえば後は些事だ。わざわざ必死に耐えているフリをしなくとも済む』」


「『フ、リ……だと?』」


「『まあ、重要なのはそんな所ではないのだがな』」


「『──っ!? ぐぉぉぁぁぁぁっっ!?』」


 ウーマンヤールの爪が刺さった腹部から、煙が立ち昇る。


 それと同時に腹部の傷から引き裂かれたものとは別の痛み──焼け焦げるような激痛と、何やら小さく油が弾けるような音が耳を触った。


「『高……熱、だと……』」


 彼は思わず押し付けていたファラスリムを鉤爪から下ろし、未だ深々と刺さるもう片方の鉤爪に視線を落とした。


「『不思議か? 片方の爪が冷たく、もう片方は熱い……。アールヴでは見た事がないのか?』」


「『な、なんだ……』」


「『熱冷属性……知ってるか? 温度そのものを司る属性で、やり方次第ではこうして高熱にも極冷にも出来る』」


「『ね、つ、冷……』」


「『まあ私の場合は鉤爪自体には熱冷属性は無いからな。《熱冷魔法》を利用して熱冷属性を体現している』」


「『ぐっ……うぅ……』」


「『……そろそろ限界か』」


 クラウンはウーマンヤールから腹部に刺さった鉤爪をゆっくりと引き抜き、爪に付着している焼け焦げた肉片を払い落とす。


 すると同時にウーマンヤールは耐え切れずにファラスリムを手放して落とし、本人もまた膝から崩れ落ちてしまった。


 が、それでも戦意だけは失っておらず、今までの比では程に冷や汗を滝の様に流しながらもクラウンを鋭く睨み付け、何とかして落としてしまったファラスリムを拾い上げようと手を伸ばす。


「『無理をするな。内臓が焼け爛れてるのは勿論、場所によっては炭化していてもおかしくはない。私としてはそうやってまだヤル気がある事の方が驚きだ』」


「『な゛……ぐ……』」


「『参ったな。コレじゃあ……』」


 クラウンは膝立ち状態のウーマンヤールの胸へ足を押し付けると、そのまま体重を掛けて思い切り彼を押し倒した。

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