第三章:草むしり・前編-10

 


 ──あれから数分経ち、呼びに行ったカーラットではなくメイド長を務めるハンナが頭を下げながら居間にやって来て私に耳打ちをした。


「奥様は今参られます。食材は無事でした」


「そうか。それは良かった」


「折角の魔物の食材ですから。我々使用人一同、気合いを入れておもてなしさせて頂きますよ」


 ハンナはそれだけ告げるとミルトニアの着替えを手伝いに行くと言って再び居間を後にした。


 何故カーラットではなくハンナが伝えに来たのかは少々気になるが、今は母上の料理を阻止出来た事に安堵しよう。


 その後厨房から戻って来た母上を居間にてティールとユウナを紹介しながら雑談で繋ぎ止める。


 本当なら私が料理をするという話だったのだが、母上を繋ぎ止めなければならない以上、後はコックに任せるしかないだろう。少し心配だが……。


 母上の料理を何故ここまでして止めるのか。勿論理由がある。


 母上の料理は、特別不味くはない。


 この国の平均的な馬鹿舌具合を考えればまだまだ食べられる料理を作れる方ではある。


 だが何より厄介なのはその拘りの強さだ。


 元々母上は細工物を作るのが好きな上に職人並に上手い。それこそ本職を唸らせる程だ。


 故にその拘りの強さは並々ならぬ物があり、一度〝物作り〟に熱中すると徹底的に追究を始めてしまう。


 それだけならば歓迎すべきものではあるが、母上の一番の問題点は〝使う食材の量を容赦しない〟という点だ。


 自分が満足いく完成度になるまでひたすら試行錯誤を繰り返し一切妥協はしない。


 微妙な塩気の強弱で失敗と判断しては作り直し、微妙な火加減で失敗と判断しては作り直し、具材の切り方、大きさで失敗の判断しては作り直し……。


 結果母上の料理が出来上がるのに十数時間が掛かり日を跨ぐ事もあったし、それによって失敗料理に消費される食材の量はとんでもない事になる。


 それこそ一回の料理で約十日分の食材が消費された事がある程だ。はっきり言って笑えない。


 しかもそれで絶品料理が出来上がるなら百歩譲って許容出来る。だが結果出来上がるのは食べられなくもないなんとも中途半端な料理。


 絶妙に塩気が足らず絶妙に火の通りが甘く絶妙に食材の切り方にバラつきがある……。


 母上の舌は寧ろ肥えている方な筈なのだが、料理中の味見の時だけ舌が馬鹿になるらしい。


 まあ逆にあそこまで中途半端な料理を仕上げるのはそりゃあ時間が掛かるだろうと思いもするが、料理に費やした時間と食材の量を考えると静観など出来ない。


 故に母上と母上の料理を知らないミルトニア以外の使用人を含む全員が母上の料理を全力で止める。


 特に今回私は獲れ立ての魔物の食材をコックに渡してある。あのただ焼くだけでも絶品料理に化ける高級食材を無駄遣いされるのは必ず止めなければならない。


 例えそれが母上の全力の善意だとしてもだ。


 母上が哀しむ顔をしないよう、決して悟られる事はなく……。


 と、そんな具合で夕食までなんとか時間を潰していると、この屋敷の主人にして私の父上であるジェイドが帰宅した。


 父上は居間に入ると私の一時帰宅を歓迎し、ユウナの姿に一瞬だけ動揺しながらティール達に挨拶をした。


「父上」


「ん? なんだクラウン」


「夕食後にちょっと話があります。執務室にお邪魔しても?」


「ああ勿論だ。私もお前と話がしたかったからな。夕食後に来なさい」


 そう約束を取り付けた後全員で夕食を過ごしながら談笑を重ねた。


 と言っても殆どは私からの報告のようなもの。話せるだけの学院での出来事を話し、安心させた。


 なんせ入学テストのあの大惨事は詳細こそ秘匿されているものの国内に知れ渡っている。


 半分以上の新入生と教員が死に、既に始まっている筈の授業は未だ開講されず、殆ど学院は機能していなかったのだ。


 私が無事であるという連絡は姉さんがしてくれていたとはいえちょっとでも顔を出すべきだったのかもしれないと、話しながらに感じた。母上や父上も気丈な態度をとってはいるが、内心では心配していただろう。悪い事をした。


「しかし美味いな……。こんなに深みのある味は始めてだ」


「そうねアナタ。これをクラウンが狩ったのだと思うと感慨深い物があるわ。見ない間に本当に成長したのね」


「大袈裟です。これも運が良かっただけですし、まだ離れて一月経ったくらいですよ? そこまで急成長なんてしませんて」


 そう話すと目端に映るティールとユウナが少し顔を引き攣らせ、誤魔化すように料理に口を運ぶ。


 まあそのリアクションも当然といえば当然か。だが本当の事を言うわけにもいかない。


 実際はこの短い間にかなりの量のスキルを獲得し、様々な経験をした。


 あれだけの事が短期間であれば成長しない方がおかしいだろう。


 だがそれを全部話しては流石に心配を加速させてしまう。故に話すわけにはいかない。


 その後は父上から家や領内の出来事を簡潔に報告を受ける。


 話を聴く限り、やはり主に問題になっているのは海に頻出する魔物だろう。


 今は魔物討伐ギルドの手を借りながらなんとか漁を続ける事が出来てはいる。だがそれでも漁獲量は緩やかではあるが減り続ける一方。このままではいずれ赤字転落してしまうという。


 ──やはり少しおかしい。


 特殊な状況でもない限り海での魔物化は殆どないのは紛れもない事実。沖合や岩礁ならばまだしも、近海なら尚更だ。そんな近海で漁を行うのが大部分のこの街のやり方なら普通は魔物になど出会わない。実際は頻出しだしたのもここ数年の話だ。


 何か作為的なものを感じずにはいられない。


 新入生テストの時に出現したあの改造魔物の事も鑑みれば、海の魔物もエルフの仕業と紐付ける事も出来るには出来る。奴等の国にも近いし、何よりここカーネリアを苦しめる事が出来るのだから。


 ……だが、そんな事が可能なのか?


 意図的に魔物を発生させるなど……。


 ──意図的に、魔物化させる?


 ……まさか、奴等も気付いたのか? 動植物を意図的に魔物化させるあのポーションの存在に……。


 いやしかし、少なくとも私から漏れた可能性は低い。あのポーションの存在はリリーしか知らないし、アーリシアやロリーナが居る前で使った時もアレがなんのポーションであるかは説明していない。


 なら一番可能性があるのは単純にあのポーションに独自で辿り着いた、というものだろう。


 私のように手当たり次第に材料を使った偶然の産物ではなく、意図してその効果に辿り着いたのだとしたら当然私よりも熟知しているはず。魔物を意図的に発生させるくらいやってのけるだろう。


 結果、カーネリアの財政は赤字に差し掛かり、国自体にもその波が押し寄せる……。


 成る程、戦争が始まる前から奴等は王国の財政にすらダメージを与えに掛かっているらしい。


 最悪の場合、似たような工作がティリーザラ各地で発生している可能性もあるな。一度国全体の魔物発生状況を確認し、何かしらの傾向や法則性を探る必要があるか?


 ……いや、あくまでこんなものは推測に過ぎない。紐付ける事が出来るというだけで実際はもっと別の要因によって発生している可能性だってあるのは確かだ。断定するには早計。


 ならばやはりエルフの情報を掻き集める他ない。海の魔物がエルフによる要因ならば必ず尻尾が掴めるだろう。それに加え動植物を魔物化させている技術も盗めれば……。


 ……ふふっ。


「どうしたクラウン。考え事か?」


「ああ、いえ。今後忙しくなるな、と」


「学院での話か? うむ、確かに学院も色々と災難が重なっている。蝶のエンブレムを与えられたお前にも、いくつか厄介事が回ってくるかもしれぬしな」


「そうですね」


 そんないくつかの厄介事を処理する為にも、一つ一つの問題を丁寧に摘み取らなければならない。その第一手が、我が家の問題だ。


 果たしてエルフは誰なのか。はたまた一人なのか複数なのか。それとも私の思い過ごしなのか……。


 いや、希望的観測は無しだ。居る前提で動かなければ今度こそ足元を掬われる。


 奴等は侮れる相手では無いのだから。






 夕食を終え、しばし歓談した後、私は父上と共に執務室へ向かった。


 執務室に到着すると父上は執務机に向かい、いつもと変わらない様子でそのまま椅子に体を預け一息吐く。


「しかし、今日は久々に賑やかな食事を堪能出来た。たまにはこういった一時も必要だな」


「突然押し掛けてしまい申し訳ありません。もっと事前にお伝え出来れば良かったのですが、何分予定が定まらなくて……」


「構わん構わん。こうして元気な顔を見せてくれただけで私は満足している。おまけに友人まで連れてな。はっはっはっはっ」


 快活に笑って見せた父上は執務机の一番下の大きな引き出しを引くと、そこから酒瓶とグラスを二つ取り出し、片方に注ぎ込んでからそれを私に差し出す。


「上物のラム酒だ。ヤってみなさい」


「はい。頂きます」


 父上からグラスを受け取り、中のラム酒を口に含む。


 口内に広がる芳醇な甘い香りを鼻に通し、舌でじっくりころがしながら味わった後にゆっくりと喉奥に嚥下えんげする。


「良い香りですね。花のように甘い華やかさの奥に何処か懐かしさを思わせるような……」


「はっはっはっ。その歳でそこまで分かるのは大した物だ。さては成人する前に口にしていたな?」


「ふふふっ。さあ、どうでしょうね」


 まあ、成人する前というか前世の時分に散々呑んでいたからな。その時は色々な酒を試したが、やはり私はウィスキーが一番好みではある。


「さて。気付け薬も済んだ。本題に移るとするか」


「はい。実を言えば、私がここに立ち寄った理由の殆どが今からする話を父上とする為です」


「まあそうだろう。こんな時期にわざわざ帰って来る理由などそれくらいしか思い付かん。それで、話とはなんだ?」


「色々あるのですが、まずは一つ、単刀直入に聞きます。父上。私の家系──キャッツ家は本当にただのカーネリア領主という立場の家柄なのですか?」


 私がそう口にすると、父上は少しばかり驚いたように眉を上げ、すぐさま平静を装おうと目を閉じてから小さく息を吐く。


「それは、そのままの意味で受け取って良いのだな?」


「他にどう解釈するんですか? 勿論そのままの意味です」


 そう答えると、父上はグラスに注いだ自分の分のラム酒を一気にあおり、また一息吐くと机に両肘を突いて手を組む。


「……いつから勘付いていた?」


「違和感は十年前に。一介の領主でしかない父上と国の大公であるモンドベルク公に繋がりがあった時になんとなく」


「そんな前からかっ!?」


 身をの乗り出さん勢いで驚愕する父上は思わず取ってしまった自分の行動に気付き、静かに椅子に座り直すと咳払いを一つしてから私に続きを促すように顎をしゃくる。


「違和感程度ですよ。本格的に疑いだしたのは屋敷の裏にある森が元々はエルフ領であったと知った時です」


「──なっ!? 何故、その事を? それは現当主である私しか……」


「森の中の精霊に聞きました」


「精霊……」


 父上はそう呟くと深い溜め息を吐いてから空になったグラスに再びラム酒を注ぎ、少しだけ口を付ける。


「この土地──具体的な範囲は分からんが、少なくとも屋敷周辺と裏手の森は元々はエルフ領の所有地だった。それは間違いない」


「随分曖昧な言い方をするのですね」


「この件に関わったのは私から何世代も前のキャッツ家だ。それこそ百年以上昔……。今は口伝で当主にのみ連綿と引き継がれている事ではある。が、口伝であった事が災いし、その内容は徐々にだが欠如していった。故に具体的には私にも語れんのだ」


 口伝か……。どうりで屋敷に何も資料が残っていないわけだ。しかしだからといって歴史からすら抹消されている理由がまだ分からない。


「私が調べた本や資料には、この土地をエルフから奪った件についての記述が一切残されていませんでした。それこそ学院の教科書にすらです。具体的でなくても構いません。その口伝をお聞かせ願いますか?」


「……そうだな」


 父上は椅子から立ち上がると執務机の引き出しの一番上を引き、中に入っている物を全て取り外すと引き出しの底板を外して見せた。


「二重底ですか? 少々安易な気もしますが」


「いや。よく見なさい」


 父上が持つ引き出しの底板の端。丁度引き出しの奥側に位置する箇所にいくつかの溝が彫り込まれており、その大きさや溝の深さはまちまちになっている。


「それ自体が鍵ですか」


「ああ」


 そう呟くと父上は壁際にある本棚に近付き、上から数段数えた場所にある本と本の隙間にその底板を差し込む。


「この土地に関する秘密……。それを語るにはまず、先程お前が聞いてきたキャッツ家とは本当にただの領主なのか、という問いに答えてやらねばならぬ」


 差し込んだ底板をそのままぐっと奥に押し込み、上にスライドさせた瞬間。本棚の一部からガコンッと何が外れたような音が鳴り、音がした一部の本棚がまるで扉のように開く。


 そしてその中には一枚の真っ黒な金属の扉があり、横にはダイヤルが付いている。いわゆる金庫が埋め込まれていた。


 父上はそのダイヤルを摘み、左右それぞれに番号を合わせて行く。


 0、4、0、4……。って私の誕生日じゃないか……。安直過ぎないか?


 私の疑問をそのままに、父上は開いた金庫の扉を開き、中から一枚の紙を取り出す。


 羊皮紙ではなく、紙……。それだけでそれが重要書類である事を知らせる。


 そんな紙を、父上は私に見えるように差し出した。そこに書かれているのは……。


「これは……国王からの勅許ちょっきょ状……」


「ああそうだ。我々キャッツ家は、世間から辺境伯という爵位をひた隠し、国を裏から支え暗躍する任を授かった珠玉七貴族……その〝翡翠〟だ」


 珠玉七貴族の……翡翠。

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