第三章:草むしり・前編-9

 

「ここがお前の屋敷、かぁ……。はぁ……」


 ティールはそんな事を呟きながら懐かしの我が家を仰ぎ見て溜め息を吐く。


 帝都で昼食後、問題無く帝国からの出国手続きを終えた後、直ぐに馬車ごと我が家があるカーネリアにテレポーテーションで一気に転移した。


 そして馬車を降り、屋敷を目の当たりにしてのティールの言葉だった。


「なんだ? 変にテンション下がっているが」


「いや、な……。ウチの屋敷より少しデケェなぁって……。ウチ貴族なのに……」


「……そうか」


 ティールの実家──ハッタード家が治める町は辺境らしいからな。王都内の貴族と比べるとどうしても下回ってしまうし、漁業で莫大な利益を得ている貿易都市カーネリアの領主であるキャッツ家は貴族に負けない程度には贅沢が出来ている。


 そこら辺が、貴族とただの領主の差が縮まっている理由であるのだろう。


 ……まあそれも、ちょっと怪しいと感じてはいるのだがな。今日はその事について父上を問い詰めるのも目的だ。


「さあ。突っ立ってないで中に入るぞ」


「お、お邪魔しますっ」


「お邪魔……します」


「お邪魔します」


 三人の返事を聞き、私は屋敷の扉まで向かうと先に屋敷内に私達が到着したと伝えに向かっていたカーラットが扉の前に立ち、恭しく頭を下げながら扉を開けた。


 すると玄関ホールには屋敷で給仕をしている複数人のメイドと、それ等を取り纏めるメイド長であるハンナ、それにコックが左右に姿勢を正して立っており、一斉に頭を下げながら私達を歓迎する。


「「「「お帰りなさいませ、坊ちゃん」」」」


「……ああ、ただいま。というか少し大袈裟じゃないか?」


 まだ学院に行って一ヶ月経ったか経ってないかというレベルだぞ? いくらなんでも歓待が過ぎる。


「坊ちゃんは使用人皆の人気者ですから。皆寂しかったのですよ。それに加えお友達連れです。心を込めて持て成さなくてはキャッツ家に泥を塗ってしまいます」


 カーラットが扉を閉め、私の横に立ちながらそう口にすると手を二拍叩き、自分に使用人を注目させる。


「皆さん。先程お伝えした通り坊ちゃんがお友達を連れて来られました。皆様非常にお疲れですので誠心誠意のお持て成しで疲労を癒して貰います。よろしいですね?」


「「「「はいっ!!」」」」


「良い返事です。それでは各員持ち場に付きなさい」


「「「「はいっ!!」」」」


 使用人達はそう返事をすると再び恭しく頭を下げてからそれぞれの持ち場に散り散りになっていく。


 私達を持て成したいという心意気は伝わって来た。……だが──


「……ああいったのは普通主人や客人の前でやるものじゃないだろう。どういうつもりだ?」


「ちょっとした示威行為ですよ。ティール様は確か男爵位のお家柄……。爵位が無いからと舐められてはそれこそキャッツ家の名に泥を塗ってしまいます」


「……成る程。理解したが、ティールはそういった貴族特有の傲慢さを持ち合わせてはいない。何を勘違いしているか知らんが次からは私に一度相談しろ。いいな?」


「はっ。畏まりました」


「ふん……。それで、父上と母上、それからミルは今どうしている?」


「はい。ジェイド様は只今公務に駆り出されており、奥様とミルトニアお嬢様は二人で演劇に行かれました。お三方共夕刻にはお帰りになるかと思います」


 ふむ。父上は今不在か……。ロリーナとユウナの二人が風呂に入っている間にティールだけ置いておいて件の事を問い詰めても良かったんだが、居ないのなら仕方がない。夜に回そう。


 さて、ならば……。


 取り敢えずは三人に今からどうするのか軽く話そうと振り返ると、先程の茶番のせいかなんなのか、三者三様に立ち尽くしていた。


 ティールはカーラットの思惑が成功した様子で、先程の大袈裟な歓待を見て圧倒されたまま固まっている。


 ユウナはこういった広い屋敷自体が初めてのようで、先程から忙しなく辺りをキョロキョロと見回している。


 ロリーナはいつも通り落ち着いた様子ではあるが、やはり疲労が溜まっている様子で心なしか元気が無い。


 三人の反応を見るに変な感情を抱かれてはいないように見える。まあそこはひとまず安心だが、あんなつまらん事で私の信用が落ちては目も当てられない。


 ……いや、今はそんな事より──


「風呂は二つある。そこまで広くはないから一人一つだな。女性である君等二人から先に入って来るといい」


「え、良いんですか?」


「君等は客人だろう? 遠慮する事はない。私とティールはそれまでゆっくりさせてもらう」


「え、俺も早く風呂に入りた──」


「……」


「わ、分かった分かったっ……」


「まったく……。それじゃあゆっくりして来なさい」


 それから三人に客室をそれぞれ案内して荷物をポケットディメンションから取り出した後、ロリーナとユウナはそのまま浴室へと向かい、私とティールは二人が上がるまでの間、私の部屋で適当に過ごす事にした。


 そんな私の部屋に入るなり、ティールは盛大な溜め息を吐いて呆れた調子で部屋を見回し出す。


「……なんだ」


「いやなんだって……。物だらけじゃねぇかよっ! つーか散らかってるなっ!? かなりっ!!」


「……ふむ」


 確かに物で溢れている。


 だが散らかっているわけではない。


「物量があるからそう見えるだけだ。キチンと整理整頓はされているし掃除だってこまめにしていた」


「だからってお前……。アレ見ろよアレっ!!」


 そうティールが指差した方を見てみるが、そこにはただの本棚しかない。


「本棚がどうした?」


「どうしたじゃねぇよっ!! なんでこんなデカイ本棚が三つもあって本が溢れてんだよっ!! 置き切れなくて横に積んでるじゃねぇかっ!!」


「ああ、それか」


 確かに本が数冊本棚に入り切らずに横に積んである。が、仕方ないだろう。


「これ以上本棚自体が部屋に入らんのだ。だがだからと言って読みたい本は増え続ける……。どうにもならんだろう?」


「いや読み終わった本くらい別の部屋にでも置いておけよ……」


「読み返したい時に手元に無くては取りに行かねばならんだろう。そんな面倒な事に時間を潰すなど馬鹿馬鹿しい」


「融通効かねぇなっ!? ……はあ。まあそれはいいや。だがもう一箇所っ!!」


 なんなんださっきから。コイツ……。


「おい面倒臭そうな顔すんじゃねぇっ!! さっきの本棚は百歩譲ってまだ整理されてるとしてだっ。だがあの机の周りは言い訳させねぇからなっ!!」


 次にティールが指差したのは私が少し前まで普段使いしていた机。そこはリリーから教わったり独学で学んだ薬学の研究を主に行なっていた机である。


「……まあ、確かに綺麗ではないな」


 机の上には山積みにされた専門書や書き殴ったメモが散乱。奥には試験管やビーカー、フラスコなどがまだ内容物を残した状態で放置されている。しまいには溢した薬品によって出来た机のシミや汚れ、また少し焼けたような痕があったりする。


「だよなっ!? 汚いよなっ!?」


「ああそうだな。だが元々こいつは学院に持って行くつもりでいたんだ。ついでに机も新調して、とな。だから向こうの部屋がどんな物か確かめるまでは取り敢えず放置していた。しかし学院に入学して早々にトラブルの連続で、結果今に至るまでこのままだったわけだ」


「……あ、言い訳終わったか?」


「何が言いたい」


「学院に入学どうこうじゃなくて最初から片付けとけよっ!! 特にあの試験管に入ってる液体っ!! なんかドス黒い色してっけど腐ってんじゃねぇのかよっ!?」


「ああ、まあそうだな。生モノではあったから腐るだろうな。最近まで暑かったのもある。確実にダメになっているだろう」


「ははっ……。どおりでちょっとだけ臭うと思ったら……。つか、お前なんでそんな冷静なのっ? 怖いんだけどっ……」


「喧しいなさっきから。だから何が言いたいんだ?」


「片付けろっつってんだよッ!!」


 今までにない程の気迫で叫ぶティールに少しだけ驚く。何か琴線にでも触れたのだろうか?


「……はあ。涼しい顔しやがって……。ゴミ袋どこ?」


「何?」


「何? じゃねぇよっ! ゴミ袋だよゴミ袋っ! 二人が上がる前に片付けちまうぞ」


「いや、私は別に……。あの腐っているのだけ処分すれば──」


「俺が耐えらんねーのっ!!」


「別にお前がこの部屋を使うわけじゃないだろう?」


「この惨状を知ってて放置すんのがむず痒いんだよっ! ホラっ! 早くゴミ袋っ!!」


「あ、ああ……」


 ティールに言われるまま、私はポケットディメンションを開いてゴミ袋を取り出した。







「それで今まで掃除していたんですか?」


 居間にて風呂から上がったロリーナとユウナに埃まみれになっていた理由を聞かれ、その経緯を簡潔に説明した。


「ああ。と言っても殆どをポケットディメンションにしまい込んだだけだがな。お陰で三つあった本棚が丸々片付いて部屋が広くなった」


 部屋の半分以上が本と本棚だったからな。これでまた何かやる時に部屋に持ち込める。


「はあ……。そもそもなんで最初から本をあの黒い穴にしまっとかなかったんだよ? あっちの方が何倍も便利じゃねぇか」


「……本棚にな」


「ん?」


「本棚に本が隙間なく並べられている光景が好きなんだよ。私は」


「……そんだけ?」


「ああそうだ。お前は見て思わなかったのか? 三つの巨大な本棚に種類別、分類別、著者別に並べられた本のなんと美しい事か……。芸術家のお前なら分かるだろう?」


「……いや、分かるっちゃ分かるがな」


「ああっ!」


「それ以上に部屋散らかってたら台無しだろうがっ!!」


「……」


 なんだろうか。初めてティールに言い負かされたような気がする。


「まあ、私は分かりますけどねー。好きな本で一杯の本棚とかぁ……。でも流石に部屋は掃除しますねー」


「私も同意見です。というかそれよりもクラウンさんが部屋散らかす人だったのが意外です。掃除がお嫌いなのですか?」


「いや、嫌いではない。ただ掃除する頻度が少ないだけだ。そもそもあれは散らかすというよりは──」


「ハイハイ、言い訳すんなっての……。つーか使用人とかやってくんないわけ? さっきのメイドとか……。それこそマルガレンなんて甲斐甲斐しくやってくれるだろ?」


「使用人には私の部屋には入れないようにしている。本の内、数冊は装丁が劣化に劣化を重ねていて下手に扱えば崩れてしまう物もある──」


「えっ!? なんですかそれっ!? あ、後で拝見させてもらって良いですかっ!?」


 ……急に食い付いてきたなユウナ。私の所蔵する書物は大概が専門書やそれに類するものばかりで彼女の食指が動くようなものは無いと思うんだが……。まあ、見せてやるくらいはやぶさかではない。


「構わんぞ。ただ余り期待しない事だな。お前の趣味に合うかは保証しかねる」


「はいっ! くふふ……楽しみ……」


 まったく、この本の虫は……。


「で、イジられたくないのって本だけなのか? なら事前に注意しときゃあ……」


「いや。本もそうだが、薬品やらポーションの材料やらをいじられるのが怖い。劇薬は流石にないが、人によっては気分を害するからな」


 特に薬品に関しては注意が必要になる。私ならば平気だが、一般人であるメイドが至近距離で気化した物を吸い込んでしまったら目も当てられない事になりかねんし、万が一にでもビンやらを倒して薬品が意図しない形で混合しようものなら最悪だ。


「そんな危ねぇもんあんな雑に置いておくなよな……。はあ、疲れた。風呂行ってくる……」


「じゃあ私も入って来るとしよう。二人は私達が入って来る間ゆっくりしていてくれ。後で飲み物を用意させよう」


「はい、お言葉に甘えますっ!」


「ありがとうございます」






「……ムスカ」


「はい」


「パージンの状況は?」


「はい。少々手間取りましたが、パージンとその周辺に潜んでいた「魔天の瞳」の構成員及び関係者全てにわたくしの眷族を寄生させる事が出来ました」


「重畳だ。そのまま監視と情報収集を続けろ」


「畏まりました。……はどうなさいますか?」


「そっちは私が片付ける。お前はあっちに集中しなさい」


「畏まりました」






 風呂から上がるなり、何やら騒がしい声が聞こえる。


 最初は何かトラブルかと身構えはしたのだが、騒がしい中心から響く声を聞いて拍子抜けしながらも警戒をといて声の方──居間に向かった。


 扉を開け、私が姿を見せると、可愛らしいドレスを着た天使が満面の笑みを私に向けてくれる。


「お兄様っ!!」


「おおミルトニア。久しぶりだな」


 ミルトニアは視界に入った私に向かって駆け寄り、勢い良く抱き着くと痛いのではないかと心配になるくらいに顔を擦り付けて来る。


「おいおい、随分と熱心だな」


「だって寂しかったんですもんっ!!」


「ふふっ。そうかそうか。それは悪い事をしたな」


 ミルトニアの頭を撫で幸福感に浸っている中、私より先に風呂から上がっていたティールとユウナが何故か顔を引きらせた。


「うわぁ……。何そのリアクション気持ち悪ぃ……」


「笑顔が……笑顔がなんか違う……」


 コイツら……。


「二人とも」


「お、おう」

「は、はい」


「夕食抜きにしても私は構わないんだぞ?」


「いやぁっ! 良い妹さんだなっ!!」


「可愛らしい妹さんでっ!! ええとてもっ!!」


 まったく……。私の可愛いミルトニアとの触れ合いに水を刺してからに……。まあそんな事はどうでもいい。


「ミル、母上はどうした?」


「お母様はお夕食を作りに向かいましたっ!! お兄様のお友達が来てるなら私が腕をぉ……ふるう? ってっ!!」


「──っ!?……そうかそうか。そうしたらミルも着替えて来なさい。一緒に夕食を食べよう」


 母上が……料理を?


「はいっ!!」


 そう言うとミルトニアは近くに居たメイド長の手を取り、二人で居間を出て行く。


「……カーラット」


「はい」


 返事をしたカーラットに顔を向けてみれば、いつもポーカーフェイスを貫いている筈の表情から僅かに焦燥感が見て取れる。


「母上の料理をなんとしてでも止めろ。私が友人を紹介したいからと言って連れてこい」


「はい。直ちに」


 そう言ってカーラットは速やかに厨房へと向かい、何やら不穏な空気を察したロリーナ達が不安そうな顔をする。


「え、何、何事?」


「気にするな。問題ない」


「で、でも……」


「問題ない。母上が来るまでゆっくりしていようじゃないか」

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