第八章:第二次人森戦争・前編-20

 


 ユニークスキル《魍魎クハシヤ》。


 大罪スキル所持者が〝魂の契約〟によって生み出される特殊な獣〝魔獣・魔蟲〟のとりわけに発現するスキルであり、主に〝炎属性〟に強く関連付いた場合に覚醒するという極めて限定的なもの。


 そしてその権能もまた、類を見ない特殊性を孕んでいる。


 それはこの世界中を黒雲と共に飛び回り、名を上げた者の葬儀に現れては祝福を授け、代わりに死体を火葬し灰を持ち去って行くという幻の獣「魍魎クハシヤ」へと進化するというもの。


 魍魎クハシヤの存在は千年以上前から世界中で点々と確認されてはいるものの、その目的や存在理由、生態等は一切不明であり、捕獲等も一度たりとも成功した事例はない。


 それが果たして規格外な単なる動物なのか、はたまた魔物なのか、竜に類する存在なのか……。 そう生物学者達は日夜頭を抱えている魍魎クハシヤだが、その正体は今まさにシセラが証明している。


 魍魎クハシヤとは……魔王の眷族である。


 黒雲に乗り各地を飛び、高名な人物の灰と見えないのを良い事に〝魂〟をすら持ち去っては主人である魔王に献上する「強欲の魔獣」。それが魍魎クハシヤの正体。


 全ての歴史の「強欲の魔王」が魍魎クハシヤを従えていたわけではないが、連綿と続く「強欲の魔王」の継承者の内数名がこの幻獣を使い、強者の灰と魂を集めていた。その様子が、各地で目撃された魍魎クハシヤというわけである。


(……くっ。想像していたより、キツい……)


 しかしそんな幻獣魍魎クハシヤへと進化を遂げたシセラの内情は、テレリへ振る舞った勝ち気さとは裏腹に極限状態へと足を踏み入れていた。


(全身が重い……。奴を睨み付けるだけで息切れしてしまいそうだ……)


 獲得したばかりのユニークスキル。ただでさえ不慣れで使い勝手も上手く掴み切れていない上にそもそもスキル自体の発動に際した負担も重なる。


 にも関わらず、肉体的ダメージは既に満身創痍一歩手前な状況……。まともに動く事すら今の彼女には難しい状態であった。


(もって三分──いや限界までなら五分は行ける……!)


 そう自己分析し、シセラは額から流れる冷や汗を黒炎で隠しながらテレリに向かって努めて嗤って見せた。


(ここで気合いを見せて奴を打破し我が武威を示すっ!! そして褒めて頂くのだっ、クラウン様にっ!!)


 内なる欲望を迸りさせ、シセラは自身の周りに《魍魎クハシヤ》に内包されたエクストラスキル《雲渡くもわたり》によって発生させた黒雲をまとい、辺り一面へと広げていく。


「『なっ!? 何よコレっ!?』」


 戸惑い思わず声を上げるテレリに対し、シセラは嘲笑しながらその身を黒雲へと溶かし、姿を眩ませた。


「『さあテレリ。幻と対峙する準備は出来たか?』」






(何よ……。いきなりなんなのよっ!?)


 テレリは瞠目を隠し切れず、ただただ狼狽した。


 忌まわしき畜生に自慢の美貌を汚され、傷付けられただけでなく、冷静さを欠いて魔力を大量消費する大技魔術を発動し、あまつさえそれを破られた挙句に敵が見るからに強力な姿となって現れる……。


 ここまでの事が重なれば誰であろうと動揺してしまうのはある意味致し方無いとは言えるだろう。


 だがそれを今一々嘆いている暇など無い。


 何故なら今、目の前で先程とはまるで別次元の存在へと進化を果たし、圧倒的な存在感を放つシセラが攻勢に出ようとしているのだから。


(と、とにかく、今はアレに何とか対処しないとっ!!)


 徐々に黒雲を広げ、その中に溶け込んでいくシセラを見遣りテレリは周囲の障害物へと無数に聖糸リンダールを放ち、一気に張り巡らせていく。


(雲……。明らかに物理的攻撃は効きそうに無いわね。ならやっぱり《音響魔法》の魔術しか手立てがないわね……。チッ、ただでさえ炎になるのが厄介だったっていうのにこの上に雲だなんてっ!)


 眉間に皺寄せるテレリは、だがつい先刻まで収まりを知らなかった憤怒を抑え込みながら糸を使って宙へと舞い、なるべく黒雲から距離を置こうとする。


(雲とはいえ相手には自然現象には無い意思がある……。なら良く観察さえすれば動きに規則性が読み取れるハズだわっ。その挙動を何とか掴んで《音響魔法》を……。でも「圧し殺す轟音ブルンダートン・ゼクフェチット」をあんな涼しい顔で受けられた以上、大雑把な大技じゃなくもっと鋭くてピンポイントな技でないと意味をなさな──)


「『少しのんびりし過ぎじゃないか?』」


 その瞬間、テレリの後ろ首から唐突に声が聞こえた。


(マズい後ろをっ!?)


 咄嗟に後ろを振り返って見ると、そこには細く棚引く小さな黒雲が漂っており、雲の隙間がまるで口の様に開閉している。


「『愚か者め』」


 直後、テレリを襲ったのは激しい鈍痛と鋭痛。そして強力な上から叩き付けられる衝撃。


 それによってテレリを吊り上げ支えていた糸は逆に彼女自身を締め付け苦しめ、全身を強く苛んでしまう。


(あ゛あ゛ぁぁ、クソっ!! こんな簡単なブラフに引っ掛かるなんてっ!!)


 そう悔やむテレリだったが、こうしている僅かな間にも自身を傷付ける鈍痛と鋭痛の正体──黒雲から伸びる黒炎をまとった巨大なシセラの手と爪が容赦無く彼女を地面へと叩き付けようとしている。


(ぐうぅぅ……、あ゛ぁもうっ!)


 テレリは自身を吊るしていた糸を解き、支えの無くなった身体は重力に従って自由落下を開始。


 それによって生じた微かに生じた自身とシセラの間に出来た隙間に極限まで硬質化させた聖糸リンダールの束を滑り込ませそれを盾とする。


 こうしてシセラからの攻撃から逃れたテレリは別の障害物から伸びる糸を自分に結び、それを利用して手繰るようにしてその場から退避した。


「『ぐ、がはっ!!』」


 しかし受けた一撃は重く。シセラの手による強大な重撃と爪による鋭利な一撃、そして黒炎による闇属性の火炎が彼女を激しく害していた。


(このままじゃ、マズい……。いくら服の下にリンダールを張って防御力を上げてても今のあの爪や黒い炎は防ぎ切れない……っ!)


 本来ならば聖糸リンダールの光属性によってシセラの黒炎による闇属性は相殺されていた。


 だが進化した事で《魔炎》の完全制御と威力の倍増を果たした彼女の黒炎は凄まじく、最早その身にまとう聖糸リンダールの鎧は多少防御力が上がる程度の防具に過ぎない。


(こう、なればっ!!)


 テレリは目の前で黒雲の中へと引っ込んで行くシセラの手にタイミングを合わせ周囲の黒雲へ向けて無数の糸を飛ばす。


(もうリンダールの扱いにも自分の身体にも構っていられないっ! 多少雑でも強力な一撃を叩き込むっ!!)


 そうして黒雲へと伸ばした複数の糸を自身の喉へと繋げ肺一杯に息を吸い込み、全身に縫い這わせた糸に魔力を循環させ《音響魔法》を巡らせていく。


 彼女が自身の体内に《音響魔法》を流しても常人の様に身体に悪影響が出ない理由。それは正にこの全身に縫い這わせた聖糸リンダールによる恩恵によるもの。


 通常害意ある概念を再現し、それを体内にて巡らせてしまうと自身の身体にも悪影響が出てしまうが、それを体内に潜らせた聖糸リンダールを介して行う事によって負担を限り無く軽減。


 そして体内で直接魔力を巡らせることで高度な魔力操作を高効率で行え、身体中を貫く糸の痛みにすら耐えられればより強力な《音響魔法》の魔術を簡易的で直接的に唱える事が可能となる。


 今回もテレリはその手法を用い、数十分前に《炎化》にも通じたように《音響魔法》の魔術によってシセラへとダメージを与えようと試みているのだ。


(何ならさっきよりマトは大きい……。最大出力さえ出せれば、あるいは……っ!!)


 そう決意し、テレリは《音響魔法》の魔術「慟哭に流るる調べウェリシカイト・シャイエンクラン」を発動しようとした、その瞬間。


「『《霧魔法》を知っているか?』」


「『っ!?』」


 その声はまたもやテレリの背後から聞こえた。


 彼女は咄嗟に振り向きそうになったのを二の舞にはなるものか、と必死に耐えながら周囲に神経を尖らせ、黒雲からのシセラの攻撃に備える。


「『私が獲得した新たな魔法……。全てを曖昧にし、包み込む……』」


 彼女がそうテレリの耳元で囁くと視界一杯に突如として濃霧が発生。注意を払っていた黒雲はその濃霧に紛れてしまう。


「『こ、れは……』」


「『ほぉら……。視界も、音も、意識も、そして自分自身も曖昧になっていく』」


(ま、ずい……こ、れは……)


 視界が灰色に塗り潰され、音が遠くなり、意識が拡散していくような感覚に陥り、テレリは思わず声を漏らす。


 シセラが《魍魎クハシヤ》の獲得条件を満たすに際し、《強欲》が言っていた〝多少の無理〟。それが《水魔法》及び《霧魔法》の獲得であった。


 《強欲》は〝魂の契約〟の性質を利用し、主人であるクラウンが持つ《水魔法》と《霧魔法》を己が権能を用いシセラに強制習得させる事で《魍魎クハシヤ》を獲得させたのである。


 そして《霧魔法》の特性は〝ばくたる〟。あらゆる境界線、状況や状態を〝曖昧〟にし、曇らせる事が出来る《炎魔法》と《水魔法》による複合魔法であり、《雲渡くもわたり》との相性は絶大。


(ワタク、シ……今、な、に……ど、こ……)


 そんな《霧魔法》の権能にまともに晒され、全てをかし曖昧にされたテレリは今、その身の隙を曝していた。


「『さあ、私の為に──』」


 シセラは濃霧の中、黒炎をまとい爪を剥き出しにした前脚を振り被る。


「『眠るように倒れなさい……っ!!』」


 そうしてシセラは、濃霧の中で揺らめく黒炎の爪をテレリへと振り下ろ──


「ッ!!??」






 シセラの爪がテレリに接触する直前、突如として辺りを包み込んでいた濃霧が消失。それと同時にシセラが操っていた黒雲も綺麗に消え去り、彼女の魍魎クハシヤとしての姿も多少の差異はあれど元の猫への姿に戻ってしまう。


「かはっ!?」


 全てが解除されてしまった直後、シセラは思い出したかのように苦悶の表情を表しながら吐血。《雲渡くもわたり》によって宙を漂っていた影響で力無くそのまま自由落下を始める。


(く、そ……魔力を、使い過ぎた、か……)


 本当にすんでの差であった。


 ほんの少しテレリの反応が遅く、ほんの少しシセラが魔力消費を抑えられていたら間に合ったであろう僅かな時間。その時間さえあれば限界を迎える前に彼女を打ちのめせていただろう。


(ああ……口惜しい……。余りにも、口惜しいぃ……)


 去来する大きな悔しさに、微かに残る力を振り絞り奥歯を強く噛み締めるシセラ。


 満身創痍一歩手前だった肉体的ダメージも限界を迎え、宙へと投げ出されてしまったシセラはこのまま何も対策をしなければ地面へと衝突。


 下手をすればそのまま絶命もあり得るのだが、しかしその心配は微塵もしていなかった。


(ふふ、ふ……。手柄を譲るようで、少々癪ではある、が……)


 シセラは自身に急速に迫る一つの気配に北叟笑ほくそえみ、安堵するように目を閉じる。


「私は少し休みます。後を頼みましたよ……」


 そして彼女の元へ飛来したるわ光速に瞬く雷光。


 比喩で無く、正しく光の速さでシセラを回収し、地面を深く抉り土煙を上げながら着地して見せた少女は腕の中でグッタリとする彼女を見て複雑な表情を見せた。


「ったく。相性悪いアンタのあんな頑張ってる姿見せられたら、私が頑張らないわけにはいかないでしょ」


「なら、無理をした、甲斐も、あったかもしれま──げほっ、がはっ……」


「ああもう、喋んないのっ!! アンタがこんなとこで死んじゃったら私達の上司に響くし多分死ぬほど怒られるんだからねっ!?」


「そう、ですね。では改めて頼みましたよ、ヘリアーテ……」


 その言葉を最後にシセラの身体が赤黒い光に包まれると光球と化し、抱えていたヘリアーテはその赤黒い光球のシセラを光速で倉庫の安全な隅へと運んで優しく安置する。


「安心しなさいよ。あーんなボロボロのオバサンなんて、今の私なら数秒よ」


 それだけを言い残し、ヘリアーテは再び光速で元の場所へと戻る。


 するとそこにはテレリが既に正気を取り直して糸を使いゆっくりと地面に降り立っている最中であり、電気の弾ける音に気が付いた彼女はヘリアーテへと振り返った。


「『っ!? ……まったく、さっきから何なのよアンタ等はっ!? 猫の化け物だったり──』」


 テレリはヘリアーテの今現在の姿を見、最早余裕や冷静さを装おうともせず感情的である種素直な感想を叫ぶ。そんなヘリアーテの姿といえば……。


「『何? 今度は〝兎〟かなんかっ!?』」


「……ハァ?」


 金色に輝きを放ち、全身に雷光を迸りさせ、ロングツインテールを真上に逆立たせてクラウチングスタートの様に臨戦態勢を取る姿はさながら兎の如くテレリには見え、それに対しヘリアーテは思わず素っ頓狂な声を漏らす。


「『兎って……。え、何急に……』」


「『っ! な、何でも無いわよ……っ!!』」


 実を言えばこの時、先程食らったシセラの《霧魔法》による感覚の曖昧化によってまだ若干頭の冴えが悪く反射的にふと思ってしまった事を口にしてしまっただけだったのだが、それを聞いたヘリアーテはどこかしっくり来るものを感じ、少しだけ真剣に考える。


「ふん……そうね。成功したら技名でも考えようかって思ってたけど、兎かぁ……」


「『くっ……このぉ……』」


 自分とは違い、余裕があるような振る舞いをするヘリアーテに対し抑えていた憤怒が再燃し始めると、テレリは自分達を取り囲むようにして鋭利に性質変化させた聖糸リンダールを張り巡らせ始める。


「『アンタがどんな姿になろうと関係ないっ!! ワタクシの聖糸リンダールに隙なんて存在しないのよ……。抜けられなら抜けてみ──』」


「おっそい」






 気が付けば、テレリは宙に舞っていた。


 怒りに震えていながらも、ヘリアーテの俊足を侮らず全神経を彼女へ向け警戒していた。


 にも関わらず瞬きをした次の瞬間には身体が宙へと投げ出され、遅れて鳩尾みぞおちから激しい鈍痛が立ち上り、胃から迫り上がってくる血を吐血する。


「『かはっ!?』」

(な、なに……)


 状況を正しく把握する為に脳をフル回転させようとしたテレリであったが、また瞬く間に今度は別の宙を舞っており、先程とは違って背中から来る鈍痛と背骨に走ったヒビの入る感触に背筋が震えた。


「『がっ!? あぁっ……!?』」


「うん。糸が防具になってるお陰で……」


 そしてまたテレリの目に映る景色が一変すると別の場所から激痛が走り、ドレスアーマーの下に仕込んでいた聖糸リンダールの防具を貫通して身体に衝撃が走る。


「『くゔっ……!!?』」


「変にやり過ぎる心配も無いわねっ!」


 ヘリアーテの声が耳を掠めたかと思えばまたもや景色がブレ、違う箇所から激痛が脳へと遅まきに駆け登ってくる。


「『ぶぐぅっ……!?!?』」


「そぉれっ!!」


 彼女の声が聞こえ、瞬時に遠退いていく度に目紛めまぐるしく変わる景色と激痛の震源地。


 ほんの数秒の間、激痛の連続で鈍る頭ではあるものの繰り返される同じ状況にテレリも流石に察する。


 自分の身体が、宙空でまるでお手玉の如く地面に落下する前に殴られ、蹴られ、投げ飛ばされているという事実を。


(これ……や、ば……)


 テレリは何とかこの状況を打破しようと聖糸リンダールを使い防御をするなりヘリアーテの動きを止めるなりしようとするが、彼女の光の速さを捉える事など常時ですら不可能であり、今のテレリには無理な話。


 《音響魔法》を使い広範囲に攻撃を仕掛けたくとも魔力を練る集中力など微塵も保てる筈もなく、ましてや激痛の度に肺から空気が逃げ声がまともに出せず糸を弦として弾く余裕も無い。


 今のテレリに、最早ヘリアーテの連撃を止める手立てなど無かった。


(あぁ、これ……ワタクシ、死……)


 彼女の脳内に浮かぶリアルな己の〝死〟の情景。


 それを理解し、心胆から込み上げて来る怖気おぞけに身を震わせると同時に、テレリは本能から来る一つの絶叫を上げた。


「『こう、さ……』」


「ん?」


「『降参よぉッ!! 降参するからもう止めてぇッ!!』」

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