第九章:第二次人森戦争・後編-12

 


 ──その日、悪夢が通り過ぎた。



 西側広域砦は、ティリーザラからの侵攻を防ぐために建てられた北から南に掛けて数十キロにも及ぶ長大な砦であり、ティリーザラ側の砦前には砦に添う形で二十以上の拠点が敷かれている。


 ガーベラやクラウン達が強制転移させられ分断されたのも、そんな拠点の一つであった。


 故にその拠点にはクラウンの部下達も各々転移させられており、皆がそれぞれエルフの兵士達を牽制しながら一時撤退のタイミングを図っていた。


「……」


 そんなとある拠点の一つにて、グラッドは空を見上げる。


「お、おいどうしたっ!? どこかやられたのかっ!?」


 一緒に転移してきた剣術団二番隊副隊長のグレゴリウスがそんな呆けたグラッドをエルフ兵士を相手にしなが心配するが、グラッドは我関せずとばかりに深い溜め息を吐いた。


「あー止め止め。あーあ疲れたー」


「は、はぁっ!?」


 唐突に素っ頓狂な事を言い出したグラッドに思わず変な声を出してしまったグレゴリウスだが、そんな事などお構いなしにグラッドは近くの岩に歩み寄ると「どっこいしょ」とわざわざ口に出して腰を掛ける。


「いやいやいやいやッ!? 何休んでんだよオイッ!?」


 グレゴリウスは対峙していたエルフ兵士を倒すとグラッドへと駆け寄り、息を荒げながら訝しんだ表情で彼を睨む。


「お、お前……一体何のつもりで……」


「んー? あーゴメンゴメン。……ただ、ねー?」


「何だよ、ねーって……。何かあるのか?」


「んー……。何かあると言うかー、何もしなくてよくなるというかー?」


「……はぁ?」


 そう言って睨むグレゴリウスに半笑いで返したグラッドは、だが何処か達観し、空を見詰める。


 ──グラッドは基本的には真面目だ。


 言動が飄々としていて全く掴み所が無い所はあるが、上司であるクラウンの命令には誰よりも忠実……。今回の戦争に関しても、その態度とは裏腹にクラウンの望むだけの成果を上げ続けて来た。


 少なくともグレゴリウスはそう、内心でグラッドを評価していたのだ。


 だがここに来てそんなグラッドの奇行……。グレゴリウスとしては全く理解出来なかった。


「お前……一体何言って──」


「あ。なんだ、もう来てたのかー」


「あぁ?」


 直後。グレゴリウスの鼻が何かを嗅ぎ付ける。


 それはこの戦争で幾度と無く嗅いで来た臭い……。人によっては吐き気を催す、新鮮で濃厚な……何ともなまぐさい香り。


 紛れも無い、血の臭いだった。


「──ッ!?」


 グレゴリウスは瞬く間にこの場を支配した腥風せいふうが何処から漂って来るのかを確認すべくその場で身体ごと振り返り、目に映った信じ難い光景に瞠目どうもくする。


「な……なに、が……」


 ──実は内心で、少しだけオカシイとは感じていた。


 グラッドに駆け寄った後、何故か自分達に


 今は敵地の拠点のど真ん中なのだ。状況によっては多少会話する程度の暇はあるとはいえ、全くコチラに攻撃が来ないのは流石に不自然と言える。


 だが、それも景色が広がっているならば嫌でも納得出来てしまう。


 真っ赤な敵の血で出来上がった巨大な水溜り。その中央に一人たたずむ、毒小刀障蜘蛛さわりぐもと空間短剣間断あわいだちを握るクラウンの姿を見れば……。


「やっほーボス。またエゲツない強さになったねー」


「む? ああグラッドか。いやな。ちょっと試運転中なんだ。折角だから砦前の拠点は今日中に全て片付けてしまおうかな、と」


「えー全部ー? じゃーボク達もー帰っていー?」


「ああ構わんぞ。ついでに今日の夕食の準備でも進めておいてくれ」


「はいはーい。んじゃグレゴリウス副隊長。ボク達はもう引き上げちゃお?」


「……」


「……副隊長?」


 ──グレゴリウスは、混迷を極めていた。


 気付かずクラウンが拠点を訪れていた……。それだけならば最早疑問に思わない。それが出来るだけの能力があるのを彼は散々見て来たからだ。


 だが……だがしかしだ。


 目の前の巨大な血の水溜まりは、一体いつ作られた?


 気配も、悲鳴も、雑多な音でさえ何一つ感じなかったし、聞こえて来なかった。


 そもそもこれだけの数を、一体何秒で片付けたのだ?


 この拠点には未だ数百人近くの兵士が居た筈で、剣術団員や後衛部隊の一部がそれらと戦っていたはず……。なのに敵兵は全て致命傷を受け即死し、今や味方は皆が何が起きたか理解が追い付かずただクラウンを見遣るばかり……。


 物音一つ立てず、悲鳴や慟哭すら上げさせず。グレゴリウスがグラッドと会話していた数分も無い間にそれを実行するなど、最早常軌を逸している。


 そんな事、人間に可能なのか?


「ではグラッド。私はもう他の拠点に向かうとする。首尾は任せたぞ」


「はいはーい」


 グラッドがそんな気の抜けたような返事を聞いた直後、先程までそこに居た筈のクラウンはまるで見間違いでもしていたかのようにその姿を消す。


 既に秒とか、そんな単位の速さではない。いっそ幻覚を見ていたと思った方が自然な程の痕跡の無さは、しかし尚も残る血の池によってアッサリと否定される。


 一体何がどうなっているのか……。グレゴリウスは定まらぬ思考のままグラッドに振り返り、我慢出来なかった疑問を吐露する。


「……アイツ」


「んー?」


「アイツ、どうしたんだ? あんなのもう、別人だろ……。何があったらあんな風にいきなり人外になるんだよっ!?」


「あー。アレはねー」


「……」


「ウチのボスが、英雄を超えたんだよ」


「……は?」


 グレゴリウスはその瞬間、考えるのを止めた。








 ふ、ふふふ……









「あ、アレ? ボスッ!?」


「ああロセッティ。ここに居たのか」


「え、ええそうですけど……。なんでわたしが居る場所に?」


「ん。まあ、試運転だ」


「あ、あぁ成る程……。だからわたしもさっきより少し強くなって……」


「ああ。だから後は任せて帰って構わんぞ」


「わ、分かりました。兵士達を回収し次第帰還しますっ!!」


「うむ。頼んだ」


 そう口にしたクラウンは《蒐集家の万物博物館ワールドミュージアム》から水槍淵鯉ふちてがみと氷斧拝凛はいりんをそれぞれ取り出し、数百の敵兵のみとなった拠点を見据え鷹揚に構える。


「『な、なんだ貴様はッ!?』」


「『すまないが会話する気は無い……』」


「『何ぃ?』」


「『疼いて仕方が無いのだ……。叶うならば、鎮めてみせろ』」


 クラウンが拝凛はいりんを振り下ろすとそれだけで拠点一面を数秒と経たずに凍結させ、エルフ兵士全ての足を地面へと縫い付けた。


 そこからはさながら実った作物を回収する農夫が如く、次々と身動きの取れないエルフ兵士達を刈り取っていく。


 淵鯉ふちてがみを振るってはその水刃が何十もの兵士達の頭部を輪切りにし、拝凛はいりんを横に薙げば同じように何十の兵士達の上半身と下半身が切断され、別れた側から凍結していく。


 そんな蹂躙に戦慄した兵士達は逃れようと魔法で凍結されてしまった足を地面から引き剥がそうとするが、幾ら打ち込もうと融けも砕けもしてくれない。


 中には足を自ら切断して這ってでも逃げようとする気合いの入った者もいたが、手や身体が凍てついた地面に触れた瞬間から足同様に凍結してしまい今度こそ微動だに出来なくなる。


 そうしている内にエルフ兵士達は次々と淵鯉ふちてがみの刃と拝凛はいりんの氷柱によって超速で次々と処理されていき、ものの数分程度で拠点内に居た五百人弱の兵士達が生々しい氷のオブジェと化した。


「……さて。次だ」


 軽く討伐人数を数えた後、クラウンはこの拠点を後にする。


 まだまだ拠点は残っているのだ。時間は掛けてはいられない。










 ふふ……ふふふふ……










「えっ、えっ!? ぼ、ボスぅっ!?」


「ディズレーか。君も中々頑張っているじゃないか」


「え、ええ頑張っちゃいますけど……。い、いつから居たんスか?」


「さっきだ、さっき。と、そんな事だ。後は私に任せて今日はもう帰りなさい」


「え゛えぇっ!? ひ、一人でやるんで? この人数をっ!?」


「ああそうだ」


「そうだって……。何人か倒したとはいえ後何百人は居るんですよっ!? 幾らボスでもぉ……」


「心配するな私だぞ? 出来ぬ事は言わん」


「あ、ああ……。そ、そうです、ね。へへ……」


「分かってくれたのなら構わん。──では、さっき言ったように帰還してくれ。兵達を集めてな」


「は、はいっ!! みんなぁーーッ!!」


「……さて」


 味方兵士達がディズレーに集まり始めたのをきっかけに、クラウンは《蒐集家の万物博物館ワールドミュージアム》から地槌砕骨さいこつと重大剣重墜かさねおとしを取り出し、跳躍。


 敵兵が固まっている上空へと到達すると砕骨さいこつ重墜かさねおとしを振り被り、重墜かさねおとしと《重力魔法》で自らに数十倍の重力を掛しながら兵士達目掛け落下し、砕骨さいこつ重墜かさねおとしの猛打が彼等に炸裂する。


 瞬間、地震となんら遜色無い地鳴りと揺れが発生し、耳をつんざき鼓膜が破裂する程の凄まじい爆音と立っている事すらままならない衝撃波が数百人の兵士達全てを襲う。


 聴覚を失い尻餅を着いた兵士達は、そんな災害級の一撃を一身に受けてしまった震源地で無惨な肉塊と化した仲間を目の当たりにし、絶望に顔色を染め逃亡しようと情け無い悲鳴を上げながら足掻き始める。


 しかしそれを見越していたクラウンが重墜かさねおとしを振るうと通常の数倍の重力が発生。逃げようとした兵士達はその重さに耐えられず身体を地面に沈めた。


「……歯応えが無いな。これでは害虫駆除だ」


 そうボヤき、クラウンは耐え難い重力に晒されたエルフ兵士達に向け砕骨さいこつを振るい大幅に強化された《地烈衝ランドバニッシュ》で地面に亀裂を発生させ、その中に何十人もの兵士達を飲み込ませたりそのまま振り抜いて全身を砕く。


 重墜かさねおとしでは重力の強弱を操りながら宙に浮遊した兵士たちをその分厚い刃で数人をまとめて潰し斬りながら、同時に重力を強めて圧し潰す。


 そうやって拠点の兵士達を事務的に片付けていき、数分で全ての敵兵が血と骨と臓物が混じった物体と化し、辺り一帯をグロテスクに染め上げた。


「ふむ。ヴァンヤールの描いていた絵画に趣きが似た景色となったな。まあ、センスは奴に及ばなんだが……」


 アールヴに潜入した際に見たヴァンヤールの絵画を思い出しながら砕骨さいこつ重墜かさねおとしを仕舞い、次の拠点へと急ぐ。


 残り約半数……。時間にして一時間程度が経過していた。









 ふふ。ふふふふ。ふふふふふふ。










「うおわっ!? く、クラウンっ!? い、いつからそこにぃっ!?」


「なんだファーストワン。全然敵が減っていないじゃないか」


「あ、あのねぇっ!! 言っておくけどこの拠点千人くらい敵居るんだよっ!? 対してコッチは百人居るか居ないか……。持ち堪えてるだけ褒めて欲しいんだけどもっ!?」


「あーあー分かった分かった。ならば頑張ったご褒美ではないが、お前達はもう前線拠点に帰って構わん。後は私が一人で片付ける」


「……え? い、今なんて?」


「二度も言わせるな。さっさと部下達掻き集めて渡したテレポーテーションの羊皮紙で帰りなさい。いいな?」


「うぇ? あ、ああうん……?」


「はぁ……。いいからさっさとしないか! 部下達が無駄死にするぞっ!」


「は、はいぃぃっ!!」


 呆れながらファーストワンが部下達を招集するのを横目に、クラウンはポケットディメンションから未だ専用武器となっていない熔双斧ファラスリムと聖糸リンダールを取り出し、突然撤退しだした敵に困惑するエルフ兵士達の前へ躍り出る。


「『な、なんだ貴様はぁっ!?』」


「『貴様それ……テレリ第三軍団長とウーマンヤール第二副軍団長の武器ではないかっ!!』」


「『貴様ぁぁ……。何故それを貴様がぁっ!!』」


「『血気盛んな奴等だ。ノルドールの部下か何かか? ──まあ、誰でも構わんか』」


 クラウンはそう言ってリンダールを嵌めた右手を振るうとその籠手から幾本もの聖糸を放出。拠点を囲う木々に糸を複雑に絡め、拠点内に縦横無尽に張り巡らせた。


「『さあ、好きなだけ逃げ惑うといい』」


 混迷するエルフ兵達に、クラウンは両手のファラスリムを投擲。灼熱に迸った二投のファラスリムは弧を描くようにしてエルフ兵達の元へ到達し、その首や胴を焼き焦がしながら一気に数十人を葬る。


 だがそれを見たエルフ兵長が──


「『クソっ! ──だがあのガキは武器を自分で手放したぞっ!! 一気に攻め立てろっ!!』」


 そう号令を掛けクラウン目掛け前衛が一斉に武器を構え走り寄って来る。


「短絡的だな。実に嘆かわしい」


 クラウンを仕留めようと武器を振り被ったエルフ兵士達はしかし、その行く手を可視困難なほどに迷彩化した聖糸リンダールに触れた瞬間に絡め取られ、半自動で彼等の身動きは完全に封殺された。


「『がぁっ!? このっ……』」


「『ひ、きょうもん、がぁぁっ!!』」


「『この武器がどんなものかを知っていたんだろう? にも関わらず無策で突っ込んで来るなど愚の骨頂。ノルドールもさぞ無念だろうさ』」


「『な、にぃっ!?』」


「『そもそもだ。私がいつ、武器を手放したって?』」


「『あ゛ぁ? ──ッ!?』」


 悪態を吐いていたエルフ兵長の背後から、突如として悲鳴と慟哭が上がる。


 何事かと兵長が血相を変えて振り返ってみれば、そこでは仲間達から次々と血飛沫が上がり、高熱に晒され蒸発する血と焦げた肉の臭いが蒸気となって煙る惨状が広がっていた。


「『な、なんだッ!? 一体何が……』」


「『どうした? 自分達の上司の武器が活躍している場だぞ? 感嘆に咽び泣け』」


「『──ッ!? ま、さか……』」


 エルフ兵長は仲間達が何も出来ずに死に逝く凄惨な光景に耐えながらも目を凝らす。


 するとよくよく見てみれば、仲間達の血煙に混じり四方上下しほうじょうげに飛び回り、一切勢いが衰えない二振りのファラスリムが殺戮を繰り返していた。


「『な、何が……。なぜ溶岩属性でしかないファラスリムが……あんな、挙動を……』」


 ──エルフ兵長には見えていない。


 ファラスリムがエルフ兵士を数人を切り刻んだ直後、本来ならそのまま拠点の外へと投げ出されてしまう所を、拠点の周囲に張り巡らされた聖糸リンダールによって跳ね返され、再度エルフ兵士を狙って蹂躙する……。それを延々と、何度も何度も反復しているのだ。


「『勢いが衰えるのを期待するならば無駄だ。私がリンダールに音響属性の魔力を通し、音による振動を利用して反発を増幅しているからな。私が許すまでいつまでも続くぞ』」


「『あぁ……ああぁぁ……』」


「『そうら、もうそろそろお前達にまで飛来するぞ? 今の内に逃げねば部下達と同じ末路を辿る事になるぞ?』」


「『ああぁっ!! ああぁぁぁッ!!』」


 必死に足掻くエルフ兵長だが、リンダールに囚われた体は身を捩り暴れれば暴れる程に身体に絡み付き、逃げるどころか徐々に身体に食い込んでいく始末。


 各々の武器で糸を断ち切ろうと試みはするが、並の武器程度で聖糸と謳われる糸を切る事など到底叶わない。


「『く、そォ……。ぐぞォォォォッッ!!』」


「『有難う諸君。お前達は良い練習台になったよ。さぁ、せめて上司の武器で旅立って逝きなさい』」


「『イヤだ……イ゛ヤ゛だァァァァァァァァァッッッ!!』」


「『では。さようなら』」


 ──そうして、第三軍団の構成兵士だった彼等は上司の武器であったファラスリムに殆どが虐殺され、人数が減りファラスリムが当たらなくなった所をリンダールによる《音響魔法》で殲滅された。


 クラウンは回収したファラスリムとリンダールをまじまじと眺めながら満足そうに笑い、それらをポケットディメンションへと仕舞う。


「今の内にしっかり名前を考えねばな。いや、そもそもこの二つだけではないか。少し大変だな……」


 愚痴を溢しながらも実に愉し気に、クラウンはその場を後にする。


 残りの拠点も後僅か……。この時点でクラウンは既に、一万五千に届き得る兵士をその手で刈り取っていた。








 ふふふふ。ふはははっ……。










「ふぅ。ここが最後か」


 道すがら、残りの拠点を鉤爪や弩、騎槍ランスや鎖鎌を用いて侵攻し、その全てを殲滅。己が新しい力を試しながら一時間と経たずに占領してのけた。


 そして訪れたのは最後の拠点。ここさえ侵略してしまえば、残るはたった一人として兵士の居ない西側広域砦のみである。……しかし──


「……誰も、居ない?」


 英雄の力を手に入れた今のクラウンに探れぬものなど殆ど無い。


 故に彼がスキルで拠点内を探り、その権能に全く引っ掛からないという事は十中八九この拠点には一人として存在しないという事になる。


「……私以外にこんな事を為せる人など、一人だけだな。だが……」


 クラウンの頭の中には一人だけ心当たりがある。


 しかし先述したように今のクラウンに探れぬものは無いに等しく、それを掻い潜れる者はそうそう居ない。


 それはクラウンの心当たりの人物も例外では無い筈なのだが……。


「──お。クラウンっ! クラウンじゃないかっ!!」


「むっ!? ……ね、姉さん……」


 クラウンの背後から現れたのは、彼が心から尊敬し常に強者としての指標の一人としている親愛なる肉親、ガーベラだった。


「いやぁ、漸く会えたなっ! 随分と走り回ってしまったぞっ!」


「走り回った?」


「ああっ! ほら、少し前にお前中々のダメージを負っただろう? それでつい頭に血が昇ってしまってな。お前の元へ向かおうとしていたんだが……」


「途中で私が拠点を渡り歩き出したからそれを追って走り回ったと?」


「はっはっはっ! そうなるなっ!」


「そうなるな、って……」


 クラウンは若干呆れながらも「姉さんらしい」と贔屓目ひいきめ全開で評価して笑う。


 するとガーベラは「それより」と前置きをしてから、何やら訝しむような視線をクラウンへと向ける。


「クラウンお前……。この短時間で何があった?」


「……姉さんなら、分かるんじゃないですか?」


 問い返されたガーベラは、何やら得心入ったとでも言いたげに眉をひそめると途端に真剣味を帯びた表情に変わり、確信しながら改めて問うた。


「……あのエルフの英雄を……倒したんだな?」


「……はい」


「成る程。だがどうやって? そもそも倒したからと何故クラウンが強くなるのだ? それではまるで──」


「姉さん」


 何かを言い掛けたガーベラを言葉で制し、少しだけ申し訳なさそうにクラウンは続ける。


「すみません姉さん。いつか必ずお話するので、仔細はご勘弁願います」


「……そうか」


「それにです。これだけ強くなったにも関わらず、どうやら姉さんにはまだまだ及ばないようですしね」


 クラウンが肩を竦めながら困り眉で笑う。


 彼としては英雄であるエルダールを倒し、己が力とした事で姉であり目標でもあるガーベラに大きく近付いたと確信していた。


 なんなら元々の自分の能力が合わさる事により並び立つか、もしかしたら越える事が出来たのではないかと小さく期待していたのだ。


 しかし実際にガーベラと再会し、そんなものは幻想である事を早くも思い知る事になった。


 クラウンの感知系スキルを何の気無しに掻い潜り、そして再会した際に《超直感》にて察知したガーベラの実力は、今のクラウンですら敵わない……。


 それは彼にとって、久しく感じていなかった敗北感を味合わせるに充分だった。


「ですがまあ、ある意味で身が引き締まりましたし、ますます姉さんを尊敬しましたよ。流石は竜を使い魔ファミリアにするだけはあります。感服しました」


 これは紛れも無いクラウンの本音ではあるものの、その裏には確かに悔しさが滲み、努めて浮かべる作り笑いも思わずぎこちなくなってしまう。


「クラウン……。──む?」


「姉さん」


「ああ。折角ゆっくり弟と語らえると思ったんだがな」


 二人で振り返ると、そこには目深かにフードを被り、暗色のローブを身にまとう男が立っていた。


 男は二人をフード越しから見遣ると、心底ウンザリしたように深い深い溜め息を吐き、ただでさえ曲がった猫背を更に前屈させる。


「アレは……」


「ケレゴルム・ライフ。アールヴの暗殺部隊の隊長で、女皇帝ユーリお手製の潜入部隊が組織されたせいで仕事を奪われた哀れな男ですよ」


「な、成る程」


「『なぁに人前で聞き慣れねぇ言葉喋ってやがる。え?』」


 ケレゴルムは猫背のままフードを上げると、その肌の色は浅黒く、燻んだ銀色に頭髪を覗かせた。


「……ダークエルフか」


「『おぉ? 今のはわかったぞダークエルフつったか? ああそうだよダークエルフだ、それが何だってんだえぇ?』」


 怒気を滲ませた声音で両者を睨むケレゴルムは、どうしようもない怒りを自身の頭を掻き毟りながら発露させ、叫ぶ。


「『オレァよォ……。ダークエルフだからって散々利用されてよォ……。汚名返上する為に必死になって汚ねェ仕事だってやってよォ……。一生懸命に生きて来たんだよ……なのに、なのによォ……』」


「……」


「『なのになのになのにッ!! あの同じ色した女皇帝様はよ゛ォ!! 用済みだからってオレにテメェらの相手させんだってよ゛ォ!? ふざけんなよ……。ふざけんなふざけんなふざけんなァッッッ!!』」


「……はぁ」


 クラウンは嘆息するとその両手に炎剣燈狼とうろうと雷細剣黒霆くろいなずまを取り出して握り、おもむろにケレゴルムに歩み寄る。


「……クラウン?」


「姉さん、ここはお任せ下さい。ああ見えて奴の実力自体はアールヴの軍団長に引けを取りません。私の今の実力を姉さんに見せるには丁度良い相手です」


「そうか。ならば見せてくれ。お前の今を」


「はい」


 そうして鷹揚に二刀を構え、ゆっくり、ゆっくりケレゴルムに歩み寄る。


 するとそれを見たケレゴルムは露骨に狼狽うろたえたように僅かに後退るが、怒りが諸々の感情に勝ったのか、自身の腰から所謂いわゆるスリングショットと呼ばれる射撃武器を取り出し、何やら魔力を帯びた鉄球を装填してからクラウンに向け引き絞った。


「『な、ナメんじゃねェ……ッ!! オレァアールヴの暗殺部隊隊長で……。元第三軍団長を兼任した男だぞッ!? て、テメェみてェな、ガキ一人に……』」


「『……痴れ者が』」


「『──ッ!?』」


「『他者を呪うだけ呪い。自身の不甲斐無さを酒に溺れて誤魔化した気になり。現実をクスリに頼って有耶無耶にしているような大空け者うつけものの叫びなど、微塵も響かんわ』」


「『ぐ、ぐゥゥゥゥァァァァァ……』」


「『だがせめてもの情けだ。優しく殺してやるからゆっくり噛み締めろ』」


「『がァァァァァァァァァァッッッ!!』」


 狂乱の叫びを上げたケレゴルムはスリングショットをクラウンに放つ。


 放たれた鉄球は真っ直ぐにクラウン迫るが、彼に着弾する直前でその軌道を直角に変えあらぬ方向へと飛んでしまう。


 だが鉄球は何もない空間にぶつかるようにしてクラウンの周りを幾度も跳ね返り始め、跳ね返る度にその速度を増していった。


「『シネ……。シネシネシネシネシネシネシネシネシネェェェェェェッッッ!!』」


 その後もケレゴルムは何発もの鉄球を同じように放ち、クラウンの周囲を十数個の鉄球が残像を残す程の速さで飛び回る事になる。


「……ふむ」


「『穴だらけになって死にさらせェェェェェェェェェッッッ!!』」


「中々面白いが──」


 クラウンはそんな音速に近い速度まで加速した鉄球を見遣ると燈狼とうろう黒霆くろいなずまを超速で振るう。


 するとクラウンの周囲を飛び回っていた十数個の鉄球の半分は真ん中から真っ二つに両断され、半分は黒霆くろいなずまの刀身によって貫かれ、残骸となった鉄球が地面へと転がった。


「『……は?』」


「『私を殺すには、足りないな』」


「『ふ、ふざけんなッ!! たかだか落としただけで調子に──』」


 ケレゴルムが新たな鉄球をスリングショットへ装填しようとした時、既に彼の前にクラウンの姿は無かった。


「『……あぁ?』」


 全く感知出来ぬ間にケレゴルムの背後に移動していたクラウンは、血に濡れた燈狼とうろう黒霆くろいなずまを払い、少しだけもの悲しそうに目を伏せる。


「『惜しい。出来ればお前が酒にもクスリにも蝕まれていなかった時に、やり合いたかったな』」


 直後、ケレゴルムは一言も発する事が出来ぬままその身体を三枚に下ろされ、力無く地面に滑り落ちた。


「……見事だ」


「有難う御座います姉さん。では、拠点に帰りましょうか」


 クラウンは燈狼とうろう黒霆くろいなずまを仕舞い姉の元へと歩き出す。


 まるで散歩でも切り上げる時のように、実に爽やかに笑いながら……。


「ふふ、ふはは──」


「む?」


「ふはははははははははははははははははははははッッッ!!!!」








 ──その日、悪夢が通り過ぎた。


 ガーベラが繰り広げ語り継がれる事になる偉業「深紅の処刑祭」に並び立って歴史に刻まれた伝説……。


 たった一人で二十以上ある千人規模の拠点を殲滅し、僅か二時間弱で約二万人の戦死者を作り出した人族の死神による災害──


 北から南に掛け真っ直ぐ滅んだ拠点になぞらえ、後世に「断頭線の悪夢」と語られる新たな歴史の誕生であった。

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