第三章:草むしり・前編-7

 

 強烈な破裂音が響いたかと思えば、私の前に居たノーマンの顔に褐色美人の平手が食い込み、そのままの勢いでノーマンは尻餅をつく。


 ぶつかりそうになった私はギリギリ後方に少し下がったお陰でなんとか巻き込まれずに済んだのだが、遮蔽物になっていたノーマンが尻餅をついた事によりその褐色美人──メリーとバッチリ目が合う。


 するとメリーは少し気まずそうに一つ咳払いをした後腰を打ち付け痛がっているノーマンの目線にまでしゃがみ込んだ。


「アンタねぇ。毎度毎度いってるだろっ? ウチの店来る時はもっと静かな声で呼べってさ」


「い、いやだって、それじゃあ俺が来たって分からないじゃねぇか」


「分かるよっ! まったく……。大体、ウチはアンタんとこと違って富裕層向けの商品扱ってる店なんだよっ!? 貴族夫人様だって来るんだ。そこにアンタみたいな無駄にデケェ声のむさ苦しい男がいきなり店入って来たらどうなると思う?」


「……どうなんだ?」


「皆さんが怖がるんだよバカたれっ!!」


 メリーは手を思い切り振りかざすとノーマンの頭目掛けて振り下ろし、鈍い音を立てながら拳骨が炸裂する。


 ノーマンもこれには思わず頭を押さえ、ジタバタとその場で痛みを誤魔化すように転げ回る。


「はぁ……、ったく。……すいませんねぇウチの亭主がみっともなくて」


「……いえ、お構いなく」


 チラッとメリーの奥──服飾屋の店内を覗いてみれると、そこではこの夫婦のやり取りに呆気に取られている数人の客と、まるで何事も無かったかのようにテキパキ仕事をこなす従業員がおり。このやり取りがさして珍しい物ではないのだと理解する。


「お構いなくったってそうはいかないさ。アンタ、ウチに用があんだろ?」


「はい。外套コートに名前を刺繍して頂きたいんですよ」


外套コートに刺繍ぅ?」


 メリーは私の言葉に少し頭を悩ませると、ふと旦那であるノーマンに視線を移し、直ぐに合点がいったような表情になる。


「ああー、アレかい? 亭主に防具頼んだっていう、そっちのお得意さん?」


「そうですね。間違いないかと」


「なるほど。そりゃ、単に名前入れるっつってわざわざウチ来ないわな」


 それはそうだろう。単に名前入れたいだけなら自分でやるかもっと一般的な服飾屋に行く。こんな貴族が買い物しに来るような場所にわざわざ頼んだりはしない。


 それこそ、私のような特殊な案件じゃない限りは。……というか。


「ノーマンさん、ご結婚されていたんですね。初耳です」


「なんだそうなのかい? ホントもぉ、ウチの馬鹿亭主は変な所を黙っとくんだから……。この前だって──」


 あ、マズイ。愚痴が始まる予感がする。


「メリーさん……で、よろしかったんですよね?」


「あ? ああー、そうだね自己紹介もまだだった」


 メリーはそう言うと軽く自身の服を叩いて身綺麗にし、とびきりの笑顔を作る。


「改めて、そこの馬鹿亭主の妻やってるメリー・コーヒーワだ。この服飾屋「魂が震える糸車」の店主をしてる。機会があれば、そっちもよろしくねっ!!」


 メリーは真っ白な歯を見せて私に笑い掛ける。


 彼女は何度か言及しているように褐色美人だ。身長も高過ぎず低過ぎず、少々痩せて見えはするが、ノーマンを拳骨ですくらいの筋力はあるだろう。


 服装は正統派な服飾師の仕事着。腰に左右ウェストポーチをぶら下げ、そこに鋏やマチ針が数種類セットされている。


 まさに服飾の女職人といえる風貌である。


「私はクラウン・チェーシャル・キャッツと申します。ノーマンさんには武器、それと今回の外套コートの件で非常にお世話になっております」


「そうかい、やっぱりアンタが……。名前は知ってるよ。亭主に散々、アンタは良い客だって自慢されてたからねー」


 ……私が例え本当に良い客だったとして、それは自慢するような事なのか?


 ふむ。まあいい。


「挨拶はこれくらいにしておきましょう。早速ですが外套コートの名付けのほう、よろしくお願いします」


「ああそうだね、そうしようか。じゃあアタシに付いて来な」


 そう言われ私が彼女に付いて行こうとした時、何かを察知したのか、再び彼女は振り返り深い溜め息を漏らす。


「なーんでアンタまで付いてくんだい?」


「ああ?」


 振り返ってみれば、ノーマンもまた私に続くようにして店内に入ろうとしている所であった。


「そりゃあオメェ、名付けを見届けようと……」


「アンタが来たって邪魔になるだけだよったく……。いいからアンタは店帰んな」


「いや、だがなぁ……」


「馬鹿だねまったくっ!! モーガン一人に店番任せて来てんじゃないのかいっ!? いつまで放っとくつもりだいっ!?」


「いや……。アイツなら少しぐれぇ大丈夫だ。それにその外套コートは俺の作品でもある。見届けるくれぇ──」


「いらないっつってんだよ、分からない人だねぇっ!! それとも何かい? アタシの仕事が信用出来ないってのかい?」


「そ、そんな事言ってねぇだろうがっ!!」


「ならここはアタシに任せてもらうよっ? こっから先はアタシの仕事場なんだ、アタシがルールだっ。分かったかい?」


「む、むぅ……」


「分かったんなら返事してとっとと店帰んなっ!!」


「は、はいっ!!」


 ピシッと綺麗に背筋を伸ばしたノーマンはそのまま一目散にUターンし、真っ直ぐ店に走って行った。


「はあ……。ホント疲れる奴だよ……。悪かったね、また見苦しいとこ見せちまって」


「いえ、お構いなく」


「そうかい? ならちゃっちゃと仕事しちまおうか」


「……はい」


 何がとは言わないが、ああはならないようにしたい、と。私は強く思った。






「ちょっと座って待ってな。すぐ戻る」


 メリーはそう言うと私を接客用と思しきテーブルに案内し、一人奥に消えていった。


 その間に店内を見回す。


 そこは服で出来た部屋と形容出来るような景色。辺り一面を服が覆い尽くし、最早陽の光を取り入れる役目である筈の窓すら埋まっている。


 そんな服の為の部屋ともいうべき場所で少しだけ待っていると、奥からメリーが仕事道具らしき物を抱えて現れた。


「待たせたね」


 メリーはそう言うと台座を私の反対側のテーブルに置き、外套コートと同色の染色液が入った小さな壺をその横に置いてかそこにどかっと勢いよく座る。


「さて。じゃあ一旦その外套コートを脱いでくんな」


「ああはい。それもそうですね」


 私は着たままだった外套コートを脱ぎ、それをメリーに渡す。するとメリーは外套コートを広げ、全体をじっくりと眺めてから愛おしそうに息を吐く。


「我ながら惚れ惚れするねー……。何よりこの黒緑に輝く色彩……。アンタが寄越したっていう魔物の甲殻が良い具合に染めてくれてるよ」


「それは良かったです」


「ああ。まあそのお陰で刺繍糸を染める染色液の色作りに手間取っちまったがね……。ほれ」


 メリーは外套コートを台座に置いた後、ウェストポーチから小型の刃物を取り出して私に差し出して来る。


「この染色液が入った壺にアンタの血を入れてくれ。あ、なるべく多めで頼むよ」


「理由を知らなければ狂気的な発言に聞こえますね」


 私は刃物を受け取ると壺の上に手を持って行き、刃に指に当てがって一気に引く。すると当然傷が出来、そこから血が流れ出る。


 普段は《斬撃耐性》でこの程度の刃物では傷など付かないが、オフにしてしまえばこの通り普通に傷も付く。


 仮に今エルフにでも狙われれば危険ではあるのだが、私には《超速再生》がある。一撃で私の命を持っていかない限り私を殺すことは不可能だろう。


 ……まあ、そうやって油断していると、私も知らない未知のスキルで裏を突かれ足元を掬われるかもしれないがな。


「おっと、もう十分だよ。ほれ」


 メリーはそう言って私から刃物を受け取ると代わりに血を拭う為の布と薬らしき物を差し出す。


 まあ、本来なら受け取るのが普通なのだろうが……。


「ほら、消毒しな」


「いえ、お構いなく」


 そう言って受け取りを拒むと当然メリーは意味が分からないと訝しんだ顔をする。


「まあ見てて下さい」


 私はメリーに指の傷に注目させた。すると傷はものの数秒程で塞がり始め瘡蓋かさぶたが出来ると直ぐに剥がれ落ち、傷痕も残らず綺麗に完治する。


「こ、こりゃいったい……」


「詳しくは言いませんが、この程度ならこうして完治してしまいますよ。私ならね」


 《超速回復》を使うまでもない。《自然回復力強化》と《再生力強化》を併用すればこの程度は造作もなくこなせるようになった。


 我ながら人間離れして来たと実感する。


「……見せて良かったのかい? 赤の他人に簡単に見せるようなモンじゃないとアタシは思うんだが……」


 ほう。察してくれるか。まあ、あのノーマンさんの奥方ではあるからな。肝心なところにちゃんと目がいって繊細だ。些細な事だが実に素晴らしい。


 そしてだからこそ、わざわざ見せた甲斐がある。


「貴女はノーマンさんの奥さんですからね。そこは信用していますよ。ただ一方通行なのもフェアじゃないので、これで「私は貴女を信用しています」という私の気持ちを知って貰おう、とね」


「……なるほどね。アンタ、こうしたらアタシが信用するって分かってやったんだろ? 初対面だってのによくもまあ……」


「あの堅物な職人のノーマンさんに釣り合うか、それ以上の人だとは思ってましたから。ここまでされて気持ちが動かない人じゃないだろう、と」


 そこまで言うとメリーは一瞬だけ黙り込み、それなら清々しい程の笑顔を見せると私の肩を強く叩く。


「ったく、まどろっこしいねアンタは!! だけど嫌いじゃないよ、ちょいと捻くれちゃいるが、そうやって隠さないで「信用してくれ」って言う奴はね!!」


「それは何より」


「よし! じゃあ早速縫っちまう──」


「あ、ちょっと待って下さい」


 針と糸を構えたメリーに待ったを掛けてからポケットディメンションを開く。そしてそこから真っ白な糸の塊を取り出してメリーに差し出した。


「コイツぁ……」


「蜘蛛型の魔物から取れた糸の塊です。刺繍に使うなら是非これを使って下さい」


 メリーはそう言われるとその糸の塊を手に取り、じっくりと検分を始める。


 時には明かりに透かし、時には触り心地を確認し、時には糸の端を摘んで引っ張っり……。


 そんな感じでたっぷり数分使って検分し、小さく一言「ふーん。コイツは上物だ」と言葉を漏らした後、唐突に立ち上がった。


「ちょっとだけ加工して来る。すぐ済むから待ってな」


 それだけ言い残し、メリーはさっさとまた奥に向かってしまう。


 糸を加工? 今からか?


 製糸業に詳しいわけじゃないから分からないが、糸の加工などそんなに早く出来るものでもないだろう。それも客を待たせている時にだ。


 そりゃあ蜘蛛の糸をそのまま使うというわけにもいかないのだろうが、だからといって今から一時間や二時間待たされるのなど流石に……。


 と、そんな訝しんだ考えを頭に巡らせていると──


「はいお待たせ」


「早っ」


「ん? なんか言ったかい?」


「ああいえ、なんでも……」


 いかん。思わず思考がそのまま口をついて出てしまった。


 にしても本当に早かったな。あの奥に糸を加工出来る何らかの設備があるのだろう。それも普通の物ではなくスキルアイテム──もしくは彼女自身のスキルか? だとしたら気になるが……。


「じゃあやるよ。名前は決まってんのかい?」


「そうですね……」


 黒緑に優しく輝き、美しい花の刺繍が洗練された最硬の外套|外套《コート》……名は──


「「夜翡翠よるひすい」……」


「洒落てんねぇー。よし来たっ!!」


 そこからはまさに早業だった。


 手首から先の動きを目で追えるわ追えるが、本当にギリギリだ。それこそムスカの飛行速度と同等の速さで名前が外套コートに刻まれていく。


 そして名が刻まれて行くにつれ私と夜翡翠よるひすいの間に繋がり結ばれていく感覚が伝わり、最後の一画が刻まれた瞬間、天声のアナウンスが頭に響いた。


『アイテム種別「外套」個体名「夜翡翠よるひすい」との魔力での接続に成功しました』


『これによりアイテム種別「外套」個体名「夜翡翠よるひすい」はクラウン・チェーシャル・キャッツ様の「専用防具」として登録されました』


『これによりアイテム種別「外套」個体名「夜翡翠よるひすい」に新たなスキルが覚醒しました』


『確認しました。アイテム種別「外套」個体名「夜翡翠よるひすい」は補助系スキル《小反射》を覚醒しました』


『確認しました。アイテム種別「外套」個体名「夜翡翠よるひすい」は補助系スキル《判定半減》を覚醒しました』


『確認しました。アイテム種別「外套」個体名「夜翡翠よるひすい」は補助系スキル《被撃半減》を覚醒しました』


 ああぁ……。本当に素晴らしい……。

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