第六章:殺すという事-18

 

「さて、次だな」


 壁を一つ乗り越えたヘリアーテを見届け、私は次に見届けるべき部下の元へ向かう為に踵を返す。


 すると──


「……あっ!」


「なんだ? 何か問題発生か?」


「つ、詰所はいいとして待機所の奴等放っといたままなのよっ! アイツ逃げたり──」


「ああ、それなら安心しろ」


「え?」


 ヘリアーテにこっちに来るよう手招きし、亡骸になったエルフから立ち上がった彼女に廊下の曲がり角の先……件の待機所の方を見るよう促す。


「……え? 何アレ」


 彼女は促された先を目を細めて確認する。そこには待機所の扉のドアノブが変形し最早原型を留めていない無残な姿があった。


 私が《炎魔法》を使ってかしたものだな。


「君がグダグダやってる間に出て来ようとしていたんでな。邪魔にならないよう塞いでおいた」


「で、でもアンタ私達にエルフを殺させるって……」


「私はお前達にエルフを殺してもらうようにサポートすると言ったんだ。目的の障害になるのなら私が全て受け持つ。だから安心して遂行しなさい」


「それはそれは、心強い事で……」


 ヘリアーテは少し皮肉気に笑うと、先程自分が扉を歪ませた詰所の方に踵を返し歩き始める。


「取り敢えず先にアッチ片付けるわ。意図して閉じ込めたわけじゃないから向こうより早く脱出されちゃうかもしれないし……」


「……平気か?」


 私からの言葉にヘリアーテは動かしていた足を一旦止めると、天井を仰ぎながら一つ溜息を吐く。


「……難しいわね……でも──」


 ヘリアーテは私に振り返ると、歯を見せながら無理矢理笑顔を作り虚勢を張って続きを口にする。


「アンタからの期待に、応えてあげなきゃねっ! 私、テニエルの子孫なんだものっ!」


「ふふっ。無理して笑わんでいい。……だが今までで一番好きな顔だ。……何かあれば呼びなさい、駆け付ける」


「そっちは期待しない事ねっ。心配したのが馬鹿らしくなるくらいアッサリ終わらしてあげるからっ」


「ふふふ、なら期待せずに他の奴に尽力して来よう。ではまた後程な」


「ええ。アイツ等の事、頼んだわよ」


 なんとも言えない顔を最後にし、私はヘリアーテに背を向けて次のサポートへ向かう。


 ______

 ____

 __


「……はあ」


 ヘリアーテは偶然封じる形になった詰所へ足を運び、歪んだ扉の前で溜息を吐く。


 扉は絶えずガタガタと音を立てて揺らされており、扉の向こうで先程閉じ込めたエルフが必死になって扉を開けようと奮闘していた。


 歪み開けられなくなった扉だが、そんなエルフの奮闘の甲斐もあってか、もう少しすれば開いてしまうだろう。


「ギリギリ、ね……。アイツが居なきゃ今頃挟み討ちされてたかも。本当、自分が情け無い……」


 ヘリアーテはそう呟くと自分の両手に目線を落とす。


 両手は先程から震え続け、意識して止めようとしても一切言う事を聞いてくれない。


 未だにその手には頚椎が粉々に砕ける感触が残り、耳には最期に漏れ出した呻き声がこびり付いている。


 何より目の前で……自分の手で命を一つ奪ったという事実が、彼女の中の様々な感情を乱暴に掻き混ぜ、今では自分が何を抱いて何の気持ちを持っているのか分からなずにいた。


 そして次にその目線を廊下へと向けた。


 そこには自分がこしらえた二度と動く事はないエルフの少年が床に無残に転がっており、ただ虚しく上等な鎧が無傷のまま窓から差す僅かな陽光に照らされている。


「重……たいな……。命って……」


 ヘリアーテは再び両手に視線を落とすと無理矢理強く握り締め、今にも開きそうな扉を強く強く睨み付ける。


 今自分がどんな感情なのかは分からない。


 けれど一つ、たった一つだけなら心中で一切動じず、一本芯の通った物が確かにあると、彼女は確信していた。


「悪いけど、私の糧になって。私が強くなる為に……アイツの期待に応える為に……」


 そう呟いた瞬間、ヘリアーテはその拳を思い切り振り抜き、音を立てて開かれようとしていた扉に向かって真っ直ぐ拳を叩き付けた。


 __

 ____

 ______


 ……次は……ディズレーだな。


 ──

 ____

 __


「あぁもうっ……クソっ!」


 ディズレーは迫り来る凶刃を斧で受け止めると、その横から来る追刃を視界に捉えながら悪態を吐く。


 受けた剣を素早く弾き返すと、置かれていたテーブルや椅子を薙ぎ倒しながら可能な限り後方へ飛び退いた。


 ここは砦正面から見て真正面にある食堂。奥には大人数の料理を拵える為に作られた広いキッチン。そしてその横には食糧倉庫が併設されている。


 この食糧倉庫には権力者等を逃す為の抜け道が隠されたりしているのだが、そこは既にクラウンが放ったムスカによって《地魔法》で塞がれ、脱出する事は叶わない。


 この区画には全部で四名のエルフが居り、食堂に二人とキッチンに二人存在している。


 そんな一画を任されたディズレーは今、食堂内でその二人のエルフと交戦している真っ最中であった。


「チクショウ……やり辛ぇっ!!」


 ディズレーは巻き込んだミニテーブルを適当に引っ掴むと、そのまま二人のエルフに向かって投げ付けて牽制を謀る。


「『うっ!?』」


「『わっ!?』」


 エルフはそんな投擲物に面食らい大袈裟に避けてしまいディズレーに対し隙を作ってしまう。


 が、そんな隙を与えても、ディズレーはその手に持つ斧を振るう事なく二人の間を抜けて反対側に走る。


「ハァ……クソッ! キッチン《地魔法》で塞ぐまでは良かったってのによぉっ!! なんだって──」


 体勢を立て直した二人のエルフが改めて武器を構え直し、焦るディズレーに対し鬼気迫る雰囲気で詰め寄る。


「なんだって〝女〟が兵士やってんだよっ!? しかもガキじゃねぇかっ!!」


 ディズレーの前に立ちはだかる二人のエルフは中性的な顔立ちではあるものの、着用している鎧は明らかに女性の体型を意識して作られた仕様をしており、鎧の隙間から露出する衣服の線の細さは見るからに女性特有のものである。


 先程から交戦している際に上げる声音も甲高く、頻繁に耳にしたディズレーの思考を混乱させるには十分だった。


「ぜってぇ……ぜってぇクラウンさん分かってて言わなかったなこりゃあ……。しかもわざわざ俺に相手させる為に場所選んだろ、これ……」


 ディズレーの予想は正しく、この監視砦に詰められている兵士の中で数少ない少女エルフ達は全員がこの食堂とキッチンに集まっており、男ばかりで肩身の狭い彼女達は殆どの時間こうしてこの区画でたむろしていた。


 そこに目を付けたクラウンは、五人の中で一番〝そういった事〟に消極的なディズレーを当てがい、担当にしたのだ。


「はぁ……。あの人との付き合いまだ短い筈なんだけどなぁ……。見透かされてんなぁ、意外と……」


 ディズレーは見た目のゴツさや口調の粗暴さや好戦的な性格に対し、意外と紳士的な精神性をしている。


 基本的に女子供には手を出さないし、老人にも親切に接する。なんなら年下相手であると故郷で兄貴分だった頃の甲斐性が蘇ってしまい構って世話をしてやらずにはいられなくなるタチなのだ。


 そんな彼の相手を、クラウンは分かっていて彼女達にしたのである。


「分かってんだ……分かってんだけどなぁ……」


 ディズレーは忌々し気に頭を掻くとヤケクソ気味に斧を構え、二人の少女エルフを見据える。


 するとジリジリと迫っていた少女エルフ達の内、一人が床を踏み込んでディズレーとの距離を詰め、中段に構えた剣を真横に薙ぐ。


 そんな一閃をディズレーは斧を振るって簡単に弾き、弾かれた勢いで飛ばされてしまった少女エルフは身体を椅子等にぶつけながら転倒してしまう。


「『カラっ!? クソッッ、人族めっ!!』」


 飛ばされた仲間の名前を心配そうに叫ぶと、もう一人の少女エルフは憎々し気にディズレーを睨み付けた。


「苦戦出来りゃ言い訳出来んのによぉ……。いい具合に弱っちぃからどうも加減が──」


「なんだ? お前達の間では「一旦手加減して相手を油断させる」という作戦が流行っているのか? 悪くない作戦だが、今は必要無いだろう?」


 突然耳に届いたその声に思わず身体をビクつかせたディズレーは、その声がする方向へ目線を向けてみる。


「く、クラウン……さん……」


 そこには椅子に座り、優雅に紅茶を口にしているクラウンの姿がいつの間にか居り、その余りの緊迫感の無さにあの場だけ別世界の様な印象をディズレーは受けた。


 対面する少女エルフもそんなクラウンに度肝を抜かれており、隙だらけになった姿をディズレーに晒してしまうが、それを彼は見て見ぬ振りをした。


「……はぁ」


 クラウンはそんなディズレーの様子を見て深く溜息を吐くとカップをテーブルに置き、肘をつきながら呆れたように彼を睥睨へいげいする。


「女子供は殺せない……か?」


「そ、それは……」


「まあ喜んで殺すような奴では流石に困るがな。だからといって手を抜いて無意味に時間を浪費するのは頂けない」


「わ、分かってるよっ!! そんな事……」


「ほう。ならば打開策があるという事か? なら今すぐそれを私に見せてくれないだろうか?」


「ぐっ……」


 ディズレーは歯噛みしてから再び少女エルフに向き直る。


 少女エルフはそんな彼の動きを目端で捉え、ディズレーに対して剣を構え直した。


 すると投げ飛ばされていたもう一人の少女エルフ──カラが漸く体勢を立て直すのに成功して立ち上がり、それを見たディズレーに対峙する少女エルフが彼女に向かって叫んだ。


「『カラっ!! 私はこのデカイのをヤルっ!! お前はそっちの気取った方を頼むっ!!』」


「『え、ええっ!! 分かったわモリっ!!』」


 モリと呼ばれた少女エルフの指示に従い、カラは余裕の態度を崩そうとしないクラウンに向かって剣を構える。


「まったく……。『誰が気取った方、だって?』」


「『!?』」

「『!?』」


 クラウンが突然エルフ語を話し出した事に驚いたモリとカラが動揺すると、それを見たクラウンはわざとらしく不敵に笑って見せた。


「『お嬢さん方。悪いがお前達の相手は彼だ、私ではない。万が一彼を倒せたのならば、相手をしてやろう』」


「『な、何を勝手なっ!!』」


「『構うなカラっ!! 良いからソイツを──』」


 瞬間、二人の頬を掠めるように何かが通り過ぎ、遅れて空気を切り裂いた時に生じた風が彼女達の兜からはみ出した髪を揺らした。


 一瞬何が起こったか理解出来なかった二人は掠めた頬に指で触れると、指には真っ赤な鮮血がヌラリと照っており、徐々に脳に理解が染み渡ると全身から滝のような汗が噴き出す。


「『私は別に〝お前達でなくとも〟構わないんだ。余り分をお前達の代わりに回せば事足りるし目的は達成出来る。私の言う事が聴けないのであればお前達の寿命は数秒後になるだろうが、どうする?』」


 敢えて優しい笑顔を見せたクラウンの手では間断あわいだちが弄ばれており、彼の言葉が一切偽りないものであると少女エルフ二人は本能的に察した。


「『安心しなさい。私はお前達の戦いに一切手を出す事はしないさ。まあ、信用するかしないかはお前達の自由だが……何にせよお前達二人に選択肢は二つしかない。さあ、選べ』」


 クラウンの一切感情が篭っていない声音に心身が冷え込むのを二人は感じると、示し合わせるでもなく二人は顔を合わせてから互いに頷き、ディズレーに二人共向き直った。


「『ふむ。賢明な判断だ』さあディズレー、頑張れ」


「……クソ」


 ディズレーは内に湧いた「もしかしたら俺が殺さなくて済むかもしれない」という都合の良い未来が潰えたのを悟ると小さくボヤき、カラとモリに睨まれた彼は思考を巡らせる。


(本当に……本当にヤらなきゃなんねぇのか? こんな幼気いたいけな二人を殺さなきゃなんねぇのか?)


 ディズレーの視界に映る二人の姿が、故郷で世話をしていた妹分達と重なる。


 親を病で亡くし、家族が居なくなった彼にとって故郷の弟、妹分が唯一の家族だった。


 辛く苦しい毎日を送る未来しか無かった自分を救ってくれた第二の家族。


 そんな彼女達と被ってしまう様な相手を、どうして自分が殺せようか?


 そしてそれが出来てしまった時、果たしてそれは以前の自分と同じ人間と言えるだろうか?


「……きねぇ」


「ん?」


「俺には出来ねぇよクラウンさんっ!! こんな……こんな子達を手に掛けるなんて俺にゃぁ出来ねぇっ!!」


「……」


 突然に叫んだディズレーにカラとモリは驚愕し、隙を伺っていたのを思わず止めて聞き耳を立てる。


 本来なら人族語など理解出来ない二人だが、迫真なディズレーの形相に何かを感じ取り、様子を見る事にしてしまった。


 そんな何処か甘い思考に傾いてしまう彼女達を横目に見遣り、奥歯を噛んだディズレーは先程よりも大きな声でクラウンに叫んだ。


「別にこんな女子供じゃなくてもいいじゃねぇかっ!? 普通の大人を殺せりゃそれで構わねぇだろっ!? なんだってこんな──」


「エルフは成長が遅い」


「……え?」


「そいつらだって見た目は子供だが私達の倍の年月生きている。お前が言う大人エルフは軒並み百歳二百歳を越えるような連中だ」


「それが……なんだってんだ」


「分からないか? 戦争に参加するエルフ達の半分は、実力自体はソイツ等より遥かに上だが見た目は行っても十五、六って私達とそう変わらんぞ」


「──っ!?」


「そんな奴等がウジャウジャしている戦場で、お前は一々見た目で相手を選びながら戦うつもりなのか?」


「……っ」


「もしお前がそんな奴等を見逃して、その見逃した奴等がお前の学友や戦い慣れてない平民──いてはヘリアーテ達を背後から襲った時、お前は責任が取れるのか? それもさっきの様に「見て見ぬ振り」をするのか?」


「それ……は……」


「……なあ、ディズレー」


 クラウンは椅子から立ち上がるとゆっくりディズレーに近付く。


 ある程度の距離まで近付いて立ち止まると、そんなクラウンの行動に警戒心を強めたモリとカラ。だが、クラウンはそれを飛び切りわざとらしい笑顔で無理矢理に止めさせ、恐怖が顔に現れたのを確認すると改めてディズレーに視線を戻す。


「私との約束を、忘れたわけではないよな?」


「──っ!? ……約……束……」


 ディズレーはその言葉を聞くと一瞬だけハッとするが、直後に顔を俯かせていき苦々しい表情を浮かべる。


 それは約一週間前の出来事。


 馬車旅の道中、クラウンが一人寝ずの番をしながらポーション研究の息抜きに読書を楽しんでいた時である。


『悪い。今良いか?』


 のんびりとした時間を過ごしていたクラウンの元に、ディズレーが少し申し訳なさそうにしながら現れたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る