第六章:殺すという事-19
『なんだ? こんな夜更けに……。まあ座りなさい』
クラウンは物珍しそうにディズレーを眺めると、話し易いように対面に座るよう促し、彼はそれに従って正面に座る。
『なあクラウンさん。前に俺が言ったこと、覚えてるか?』
『お前とはまあまあ言葉を交わしているからどの事か分からんな』
『意地の悪ぃこと言わねぇでくれよ……。分かんだろ? ……部下になった時の報酬だよ』
少し不適に笑ったクラウンは、読んでいた本を閉じてからポケットディメンションを開き、そこからウィスキーとグラスを二つ取り出す。
その様子を見たディズレーは何かを察すると『おう、なるほど……』とだけ呟いて少し驚いた顔を見せる。
クラウンがそんな二つのグラスにウィスキーを注ぎ、開いていたのとは別のポケットディメンションを開き、そこから氷を取り出してからグラスに入れ、片方をディズレーに手渡した。
『酒があった方が話し易いだろう?』
『いや、呑んだ事ねぇから分かんねぇけど……』
『なんだ? その見た目で無いのか?』
『この見た目は生まれつきだっ!! ……第一酒飲めるほど、俺育ち良くねぇしよ……』
ディズレーは受け取ったグラスを訝し気に眺めた後、中のウィスキーの匂いを嗅ぎ顔を歪めると意を決したように口に含んだ。
すると彼の口腔内にアルコールの表現し難い味と風味に驚くが、なんとか強引に喉奥に押し込んで
『だはぁっっ!! ……な、なんつうか、複雑過ぎて良く分かんねぇ……。これの何処に好きになれる要素あんだよ……』
『それを見付けるのが酒呑みだ。酒精に慣れると奥にある風味に病み付きになる。まあ、無理に勧めるつもりはないがな』
そう言うとクラウンも口にグラスを持って行き、中身を口に含んでじっくり風味を楽しんでから名残惜しそうに喉奥に流し込む。
そして若干眉を
『以前買った物より高かったんだがな……。旨いっちゃ旨いが、こりゃ万人受けしないな。木材臭が少しキツ──』
『そ、そんな事よりよぉっ!』
ディズレーのその一言で我に返ったクラウンは『悪い悪い』と言いながらグラスから目を離し彼に向き直る。
『確か抱えている問題を解決して欲しいんだったな。詳しく話せるか?』
『あ、ああ……』
手に持つグラスを再び口に含み飲み込んだディズレーは深く溜息を吐くとポツリポツリと語り始めた。
『俺よう。獣人族が嫌いなんだよ』
『……む?』
流石のクラウンも予想だにしていなかった方向から話が始まり少し困惑するが、取り敢えず全容を聴こうと傾聴する事に努める。
『俺の故郷……実は帝国にあんだよ』
『ほう。それは初耳だな』
『まあ、つっても帝都みてぇに華やかさなんてカケラもねぇ辺境の村だがよう。その村がある場所が……獣人族の国──シュターデル複獣合衆国との国境なんだ』
──シュターデル複獣合衆国。
その昔、今では〝獣人族〟と一括りにされた様々な獣の特徴を色濃く体現した人型獣種族達は、起源を同じくする者同士で国を築き、決して広くはない領土内で頻繁に〝国獲り合戦〟を繰り広げていた。
しかし百年以上の月日が流れたある日、一人の獣人族の勇者──「慈悲の勇者」であり英雄でもあった男がその合戦を終わらせ、獣人達の国を一つにまとめ上げた。そうして出来たのがシュターデル複獣合衆国である。
『知ってるとは思うがよ。シュターデルは錬金術の先進国だ。魔力の扱いが苦手な分、それを補って余る技術を発展させた奴等は、自分達の文化レベルを驚異的な速さで上げていった。……ある物を犠牲にしてな……』
この世界にとっての錬金術は
その為他国から戦力面や経済面で遅れをとる事を懸念した獣人族達は独自の方法でそれらを補おうと模索。結果、錬金術に行き着いたワケである。
『錬金術で犠牲というと……』
科学を進歩させる上での必ず起こり得る犠牲。
それはクラウンの前世でも世界的な問題となっている、決して無視出来ない避けようのない人類の課題の一つ……。
『……環境汚染、か』
『へっ。さっすが、なんでも知ってんな』
科学──錬金術とはつまるところ〝失敗の積み重ね〟である。
試行実験を何百何千と繰り返し、総当たりで答えを探し出す時間と根気の学問。
そしてそんな数え切れない程の失敗──もしくは結果のみを追求した成功によって生じる〝それ〟は、決して軽いものではない。
『奴等はよう。錬金術で出ちまった色んなモンを垂れ流してんだよ。川やら土ん中にな』
『ほう』
『それを自分の国で済ませてんならイイぜ? だけどアイツら……俺の村に流れる川の上流にそれを放棄しやがってたんだっ!!』
ディズレーは手に持つグラスが割れんばかりに力み、その顔は怒りに染まり切っていた。
『……成る程な』
『お陰で川は汚れて使いモンにならなくなって、川周辺の土にまで広がりやがったっ!! オマケに村のみんなが使う井戸にまで影響して……。そんな事知らねぇ村の連中は次から次へと寝込んじまったよっ!!』
『水質汚染による疫病か……』
『それだけじゃねぇっ!! アイツらが近くに工場とかいう建物を建ててから空気だって悪くなったっ!! 前は土やら草の匂い、メシ作る匂いなんかで穏やかだったのに、今じゃ得体の知れねぇ異臭が四六時中しやがる……』
『気持ちは分かるが余り大声を出すな。他の奴等が起きてしまうぞ』
指摘されたディズレーはハッとし、バツの悪そうな顔をするとグラスに視線を落とし、三度口を付ける。
『なんだかんだ言うわりには飲むんだな』
『……よく分かんねぇけど、気分紛れるからよ』
『ふふ、出した甲斐があったな。……それで、その問題は国に報告したのか?』
『そりゃしたさっ! ……だけどあの役人共、言うに事欠いて「そちらで対処して下さい」とか
『……成る程な』
クラウンは小さく呟くと椅子の背もたれに背中を預け、夜空を眺めながら溜息を吐く。
『何が成る程なんだ?』
『帝国とシュターデルはつい数十年前までは戦争とまではいかない程度の小競り合いをしていた。今現在だって表面上和平は結んでいるが、未だ確執は拭い切れていない』
『それが、なんだよ』
『
『些細な……事……?』
そう口から漏れ出た瞬間、ディズレーは勢いよく立ち上がるとグラスを地面に向かって放りながら鬼の形相で怒号を叫ぶ。
『ふざけんなッ!! 奴等にとっちゃそうだろうが俺達にとっちゃ文字通りの死活問題なんだよッ!!』
『落ち着きなさい』
『俺の両親だってそのせいで死んで、小せぇガキ共なんて日に一人は死んでるッ!! 俺がこうしてる間にもだッ!!』
『……ディズレー』
『奴等は俺達みたいな小せぇ命なんて──』
『落ち着け』
その瞬間、クラウンから凄まじい威圧感が解放され、興奮するディズレーに対して叩き付ける。
それはディズレーも受けた事のある根拠の無い恐怖感。本能から来る抗うの余地の無い精神的な暴力。クラウンによる《恐慌のオーラ》が彼に真正面から襲い掛かった。
以前第二次入学式で一度はその身に受け、耐えたものだが、あの時はクラウン自身威力を抑えていた上、壇上から彼の居た場所にはそこそこの距離もあった。つまるところあの時は本来の効果を発揮していなかったのだ。
しかし今し方クラウンが放ったのはほんの一瞬だったとはいえ〝本気〟の解放。そんなもの、彼が耐えられるはずもない。
ディズレーは思わず腰を抜かし再び椅子に腰を落とすと、目を見開いてクラウンの顔を覗き込む。
『……落ち着いた、か?』
『あ、ああ……。すまねぇ……』
『まったく。危うくグラスが割れるところだったぞ』
『グラス……あっ!!』
怒りのあまり無意識に地面に向かって叩き付けてしまったグラスを心配し、焦りながらあちらこちら探し始めたディズレー。だが──
『おぅ? グラスが……無ぇ?』
グラスどころか割れたはずの破片すら見当たらない。不思議に思ったディズレーはクラウンの顔を見ると、それに微笑して応える。
『ふふ。割れた音はしたか?』
『んー……そう言われてみりゃあ……』
『お前が叩き付ける瞬間、ポケットディメンションを開けたんだよ。地面にな』
『おおなるほど……。ってすまねぇクラウンさん……。割れなかったとはいえ……』
『構わん。たださっきも言ったが余り大声は──ん?』
そこにはクラウンがポーション作りに勤しむ机と、ポーションの材料やそれに使う器具が置かれている場所。
だがいくら視線を這わせても、変化らしい変化は見付からない。
『……』
『あの……クラウンさん?』
『いや、なんでもない』
クラウンは感じ取った異変を一旦保留にするとディズレーに向き直り溜め息を吐く。
『話を戻すが、つまりお前は私にどうして欲しいんだ?』
『どう、って……』
『お前の村や村人達を救うだけなのか、根本である環境汚染を元から断つのか……それとも獣人族に復讐したいのか……。選択肢は多いぞ?』
『……良いのか?』
『何がだ?』
『俺が提案しといてなんだけどよう……。どれだって簡単な事じゃねぇ。何年かかるかも分かんなねぇんだ。たかが俺一人がアンタの部下になったからって要求出来るような……吊り合うような要求じゃねぇぞ?』
『……私はなディズレー』
そうクラウンは語り口を柔らかくすると、再びポケットディメンションからグラスを取り出し、中にウィスキーを注ぐとディズレーに差し出した。
『私はお前に、それだけの労力を掛ける価値があると思っている』
『俺、に?』
ディズレーは腑に落ちない様子のままグラスを受け取り、困惑した様子でクラウンを見る。
『……お前は、私の部下の中で最も平凡だ』
『お、おう』
『筋力ではヘリアーテに劣り、狡猾さではグラッドに劣り、魔術ではロセッティに劣る……。本当に、平凡だ』
『……』
『だがなディズレー、人間性に平坦は存在しない。必ず凸凹で、不揃いだ』
『む、ん〜?』
『お前はまだスタートラインに立っているに過ぎないんだよ。なんならそこにすら立っていないのかもしれない』
『えっ!? クラウンさんの修行あんながんばってんのにかっ!?』
『努力の有無は関係ない。要は〝見付けられるか否か〟だ。お前の平凡な人間性という土壌に、お前にしか咲かないお前だけの花が
クラウンは心底楽しそうに両手を開げながら口元を大きく歪め、それを見たディズレーは苦笑いを浮かべた。
『……こ、根拠は?』
『本気ではないとはいえ私の《恐慌のオーラ》を耐え、逃げずに私と対峙した……。それ以上に何か必要か?』
『……マジか、この人』
『ああ、大マジだ。そして安心しなさい。私がお前を全力で後押しし、見事開花させてやる』
『……はあ。俺みてぇな図体の男を花で例えてる時点で色々とお察しだな……。だけどっ──』
ディズレーは立ち上がるとクラウンの真横まで移動し、そのまま深々と頭を下げる。
『俺なんかの為にそこまで言ってくれてありがとうございますっ! 恩に着ますっ!』
『ああ、約束しよう。私がお前の願いを叶えてやる。お前だけの花が咲く、その為にな』
「……」
ディズレーは一週間前のクラウンとの会話を思い返し、苦々しく顔を歪めた。
「その斧は何の為に握る? 何の為に振るっている? ただ無益に体力と時間を消費するだけにその斧があるのではないぞ?」
クラウンからの厳しい言葉を受け、ディズレーの中に二つある内の「何も為せない自分」という罪悪感が膨れ上がる。
自身を信じ、期待し、背中を押してくれる唯一の人間の眼差しが──
自身の願い、復讐心、故郷を救おうとしてくれる唯一の人間の言葉が──
彼の中にあるもう一つの罪悪感である「少女達の命を奪う」という耐え難い感情を徐々に押し除けるように膨れ上がっていく。
「お前の気持ちはそんなものか? お前の故郷を救いたい、故郷の家族を救いたいという願いはそんなものか? 見ず知らずのエルフに遠慮し、可哀想だと同情し、そんな奴等よりも大切な物を諦めるのか?」
(……俺は)
『ディー兄ちゃん……オレ、なんか最近目が痒いんだ……』
『ディー兄ちゃん……なんか息が苦しいの……。ねぇなんで?』
『兄ちゃん兄ちゃんっ! 俺は平気だぜっ! 身体あちこち痛いけど……。こんなんヘッチャラだからよっ!』
『ディー。あたし達はもう長くない……。だからお前がこの子達と村を守ってやるんだ……』
『ディー、ごめんな。お前に苦労ばかり掛けて……。せめてお前だけでも……』
(……俺は……)
ディズレーは、村を救う為に魔法魔術学院に入学した。
図体の割に魔法に素晴らしい適性を持っていた事が偶然判明し、この力を伸ばし、彼が偉い立場になれば村を救う事が出来るかもしれない。
そう村長に提案され、ディズレーは入学を決意した。
最初は反対した。
自分にある才能の持ち主など吐いて捨てる程居るし、何よりそんな気長にやっていたら村や村人──何より子供達が保たない、と。自分が偉くなる前に村が無くなる、と。
だがそんな村人や子供達は無理に作った笑顔で約束してくれたのだ。
『自分達ならまだ大丈夫。お前が戻って来るまで耐えてみせる。だからお前は自分の──私達の為に強くなってくれ』
……本当は分かっていた。
みんなが自分を、あの村から逃がしてくれたのだ。
身体が生まれつき丈夫で、汚染された環境にもなんとか耐えられていた自分を、〝最後の生き残り〟として、逃がしてくれた。
いくら丈夫だからと、あれ以上村に居続けてはいつ病に冒されるか分からない。だからせめてまだ身体が無事のままで……。
そう自分達の事を諦め、村人全員で決めていたのを、彼は知っていた。
村人達の思い、決意。それらを知っていたディズレーは、彼等に掛けるべき言葉を見つけられず、為すがままに村を出て、学院に入学をした。
自分はなんて情けないんだろう。
魔法が多少使えてもみんなを救えず、図体がデカく丈夫だからと身体を張ってみんなを守れず、優しく面倒見が良くてもみんなを見捨てる……。
そんな自分に腹が立ち、苛立ち、八つ当たりでもしなければ爆発してしまいそうな程に煮え滾り──
そしてそんな自分を、クラウンはアッサリ負かした。
自分と違って万能に魔法を操り、自分と違って何からでも守り、自分と違って傲慢で不遜に誰も見捨てない。
そんな彼に、ディズレーは抱いてしまった。
この人なら、もしかしたら──
「…………クラウンさん」
「……なんだ?」
「すみません。ありがとうございます。……もう、大丈夫です」
「……そうか」
クラウンは踵を返すと先程紅茶を飲んでいた席まで戻り、再び腰を下ろす。
しかし今度は紅茶などに手は付けない。
ただただ彼を──ディズレーを真剣に真っ直ぐ見詰める。
「……一生、謝り続ける──」
ディズレーは斧を守る為でなく、攻める為に構える。
「だからすまない。俺の願いの為に……みんなの為に……今は死んでくれ」
そうして振われた斧は、
真っ赤な花を咲かせながら、
ディズレーの心に、
深く深く根付いた。
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