幕間:暴食の悪夢・急
(……ここは……どこだろう。僕は……)
彼は三度目を覚ます。
何も映らぬ暗黒の中で、耐え難い空腹に苛まれながら彼は思い出す。
(……ああ……そうだ……僕は……僕は……)
これから始まるのは、彼の終局。悪夢の最後である。
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「降伏しよう」
その言葉に、縦に頷く者は居なかった。
特に大臣達や貴族達は猛反発。やれここまで来て引けないや、国としての誇りがどうやらや、私達のメンツがどうやらや……。理由は様々。彼はそれを、静かに聞いていた。
場は喧々囂々。静まる気配のない会議室の中、彼は一人、思っていた。
(ああ……またこれだ。王の僕の言葉なんて聞いちゃいない。こんなんだから負けるのか……。大事な物なんて、他にあるのが分からないのか?)
彼は王、魔王だ。この国で一番発言力があり、威厳がある存在だ。
だが彼はその座に就いて日が浅く、大臣や有力貴族達の信頼は無いに等しく、またそれを捩じ伏せる実績も実力も無い。
何故なら彼は元々、ただの田舎の領主の息子に過ぎなかったのだから……。
(僕の意見なんて所詮は素人……。ならいっそ、このまま黙っていれば──)
「……やむを得ないな……」
突然、彼の一番近い席に座る大臣の大公が、騒がしい会議室で小さくそう呟く。
すると先程までの騒ぎが嘘かのように静まり返り、皆が一斉に大公に注目する。隣に居る彼には歯牙にも掛けない。
「我々には最早道はない。然りとてこの戦、引くわけにはいかぬ……。ならば一つしか、我々に手段が無い……」
大臣達はその言葉に皆俯く。苦い顔をし、口を手で覆う。この中でそれが分からないのは、王であるはずの彼だけであった。
「陛下……。ここは国の為、民の為に……一肌脱いでは頂けないでしょうか?」
大公は私に振り向き、頭を下げる。
それに倣って会議室内の大臣達も一斉に頭を下げた。そこには普段は感じ取れない、嫌な真剣味が含まれていた事に、彼は何と無く感じ取った。
そこは城の地下深く。彼ですら知らない隠し階段を下りた先にある石造りの広めの一部屋。
中には豪奢な絨毯の上に置かれたテーブルと椅子。その周囲を淡く照らす燭台と、用意されたテーブルセッティング。それらが中央にポツンと淋しげに配置されている。
彼が案内されたこの異常な部屋。大公に言われたのは、この部屋で食事をする事であった。
意味が分からない彼に大公はただ「陛下が「暴食の魔王」故、陛下に強くなって頂く為、陛下に民を守って頂く為……」と、そんな中途半端な答えを口にするばかり。ただ……。
(初めて王として頼られたんだ。民の為ならば……)
そう思い半信半疑な考えを振り払い、彼はただ椅子に座って運ばれて来る料理を食べた。
不思議な事に、料理を食べれば食べる程、心の……魂の内側から力が湧いて来るのを感じた。
味も今まで食べて来た料理の中で一番美味に感じ、彼は誰に言われるでも無く夢中で平らげた。
そして更に不思議な事に、彼は満腹を感じなくなって来ていた。
普段から《暴食》の影響もあってそこそこの量を食べられるのだが、今回の料理は異常な程に腹に貯まらない。
食っても食っても満腹にならない。それどころかただひたすらに空腹がやって来る。
目の前の料理を平らげて次の皿が運ばれて来る間が余りにも待ち遠しく感じた頃、彼はある違和感に気付く。
(……何故肉料理しか出ないんだ?)
出される料理は様々な調理法が凝らされているが、どれもこれも肉ばかり。野菜なんかも混じっているが、それでもメインは肉なのだ。
そして更に──
(この国は敗戦寸前で食料なんて余裕が無い筈だ……。なのになんだ? この料理の量は……)
食料の出所。それが分からない。
そんな物があるならば自分などでは無く民に配って欲しい。兵士に力を付けて欲しい。
何故……自分に?
そんな考えが頭を過るが、目の前に運ばれて来た新たな料理を前に思考が食欲に傾く。
彼はそれから何時間、何十時間と食事を続けた。
満腹感が訪れず、徐々に料理が出て来るスピードが遅くなって来た頃、彼の頭の中は最早次の料理の事しか頭になかった。
『腹が減った』
頭に響くその声に、彼は突き動かしれる様に席を立つ。
側に控える侍女が「お座り下さい!!」と青褪めた表情で彼を宥めるが、最早彼女達が抑えられる程非力では無い。何十時間も食事をし続けた彼は、食べる前より数倍と強くなっていたのだ。
彼を引き留める者を物ともしない彼は、そのまま料理が運ばれて来る厨房へと足を踏入れる。
厨房に広がる香ばしい匂いに食欲が更に刺激され、口から涎が溢れる。
(早く……早く……次の料理を……料理を!!)
厨房で料理をする料理人達の制止を振り切り、調理途中の肉に口を付ける彼。その味に例えようの無い幸福感を感じながらひたすらに貪り食う。
その時──
──ダンッ!!
と、何かが振り下ろされた様な音が彼の耳に届いた。
それは断続的に響き、そこから芳しい香りが漂って来る。
今まで食べた料理より甘美で、そして芳醇なその香りに、彼は光に誘われる虫の様にその音と香りが漂う場所を目指す。
そんな彼に今まで引き止めていた者がより一層血相を変えて彼を止めるが、彼はもう止まらない。
皆の制止を振り切りながら、彼はその音が響く部屋を覗き込んだ。
その瞬間、彼の頭の中の欲望は、一気に霧散した。
広がるのは石造りの細長い台と鈍く光る刃渡りの分厚い包丁が並べられた壁。
壁際にはフックにぶら下がった無数の肉塊と、血塗れな床と流し台。そして──
「何を……やっている……」
台の上には裸の女性。血の気が完全に引き、青白くなった肌に、細かく寸断された左足。
台の前には肉切り包丁を天に掲げたまま彼を凝視する血塗れの男。
「それ……それ、は……、なんだ……なんなんだ……」
「魔王様……これは……、その……」
視線を移せば、部屋の端には様々な人と思しきパーツが、まるで残飯の様に一箇所に集められている。中には鳥の翼の様な物も混じっているが、それよりも……、
「それは……その人は……、魔族……だろう? なぁ……、なあッ!?」
台に乗る女性の頭には、魔族特有の捻れた角が見えた。この死体は、紛れも無く魔族なのだ。
(これまで……自分が食ったのは……まさか……全部?)
その考えに至った瞬間、猛烈な吐き気に襲われその場で胃の中の物を吐き出そうとする。
しかし、出て来るのは胃酸のみ。スキルの影響で、食べた物は最早彼の血肉と化していた。
(ああ、クソ……なんで……なんでこんなぁ……)
「こ、これは……違──」
「よい、続けなさい」
彼は声がした方を振り向く。
そこに居たのは大公だった。大公は彼の正面に立つと、頭を下げた後彼の目を見詰める。
「陛下。どうか解って下され。貴方様が強くなるには……、戦争に勝つには、最早これしか無いのです」
「何を……分かれと言うんだ!? 同族を食べる事をか!? そこまでして勝ちたいのか!? 名誉が大事か!?」
「断じて!! 断じて違いまする!! 彼の者は今回の戦死者……勇敢に戦い、その命を散らした英霊の血肉に御座います!!」
大公は彼の肩を鷲掴み、その目を凝視する。その目は彼の眼を覗き込んでいるものの、何処か別の……何かを見ている様だった。
「王である貴方様が英霊達の血肉を食らう事でッ、強く、強靭にッ、「暴食の魔王」として完成するのですッ、貴方様がッ、我々を救って下さるのですッ!!」
彼は愕然とする。
頭が追い付かなかった。
(この人は……僕にこのまま食べ続けろというのか?同族と知った僕に……同族の肉を、内臓を……)
彼は呆れた。もう、付いていけない。無理だ。そう感じた。
「……戦場に戻る」
「な!? まだ陛下は完全では御座いません!! そんな状態で戦うなど……」
「戦わない。最初に言っただろう、降伏すると」
「な、なんと……」
「僕は戦えない。王も辞める。もうお前達には付いていけない」
「な、なりませんッ、なりませんぞッ!! 我々は勝たなければならないのですッ!! 敗戦など許されないのですッ!!」
肩を掴む力が強くなった大公の手を、彼は振り払う。そうして振り返って部屋を出ようと歩き出す。
すると──
「待って下されッ!! せっかくッ、せっかく今日の為に用意した物があるのですッ!! 辺境からわざわざ持って来た極上品……どうかお戻り下さい陛下ッ!!」
大公のその言葉に、彼は思わず振り返ってしまう。
振り返ってしまった。
大公が指し示した場所には、一つの木箱が置かれていた。
先程包丁を振り上げていた男がその木箱を開けると、そこから一つの死体が転がり出る。
力無く床に滑る魔族の女性は確かに死体であり、その肌は青白い。
彼はその死体を目にした瞬間、頭の中で何かが弾けた様に感じた。
音が消え、視界は狭まり、最早周りの匂いも感じない。
彼はゆっくりその死体に歩み寄り、膝を折って死体の……彼女の顔に触れる。
そして確かめる。見覚えのある……懐かしいその顔を。
そんな彼女の姿を見て、彼は──
『腹が減った』
……。
…………。
「あぁ……、ああぁ……、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「さあ魔王様ッ!! その死体を食らうのですッ!! さすればッ、さすれば貴方様は更に完璧な魔王にッ!!」
「あぁ……、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
ぁぁぁぁぁぁッッッッ!!」
(嫌だッ!!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッ!!食べたくない食べたくない食べたくない食べたくない食べたくない食べたくないッ!!)
『腹が減った』
「さあ魔王様ッ!!さあ」
(嫌だッ!! 食べたくないッ!! 食べ……たく……)
『……もう、いい』
彼の体が膨れ上がる。
衣服を突き破り、まるで泥水の様に肉が膨れ、広がり、彼の体の原型が崩れていく。
(食べたく……ない……もう……食べ、たく……ないぃぃぃ……)
膨れ上がった肉塊から、巨大な口が形成される。
巨大な口は辺りを手当たり次第に食らい付き、彼女の死体を、料理人を、大公を、侍女を、喰い散らかした。
(嫌だ……、嫌だ……、誰か……、誰か……助けて……。嫌だ……嫌だ……)
彼はそれから城中を食い尽くした。
大臣達を、貴族達を、生き残っていた兵士を、平民を、そして敵である天族を……。
片っ端から食い荒らした。
(もう……嫌だ……嫌だ……嫌だ……)
その後彼は国中を食い散らかし回った。
町をいくつも食い潰し、出会った魔物を食い尽くし、旅の者を食って回った。
(誰か……助け……)
そうして暫くした後、彼は同族である魔族の勇者の手によって異空間に封印された。
しかしその封印は完全ではなく、異空間からすら感じ取る異形と化した彼の嗅覚は、現界の濃厚な死の匂いを嗅ぎ付け、力任せに封印を破る。
そして彼の残り僅かな意思がそうさせるのか、ある程度満足すればまた異空間に自ら引き篭もる。
彼はそれを、何百年と繰り返していた。
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彼は全てを思い出す。
忌まわしい記憶を。忘れていた方が良かった記憶を。
(そうか……、僕は……僕はッ!! あぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!)
耳をつんざく悲鳴が異空間に響き渡る。
それは耳にするだけで他者の内側から恐怖を引き摺り出し、頭を塗り潰さんとする悲痛を極めた悲鳴。
誰が聞くでもないその悲鳴が、漆黒の異空間に虚しく消えて行く。
すると何処からか、微かな匂いが漂って来る。
それは若干薄いながも、確かに香る、久々の死の匂い。
彼は匂いのする方へ歩を進め、その歪と化した肉体を使って無理矢理異空間にヒビを入れる。
『腹が減った』
ヒビに触手を差し込み、辺りを見る。
そこに映るのは、泥だらけになりながら駆けて行く、一人の少女の姿。
その姿が、その懸命な姿が、彼の中で彼女を重ねた。
(嫌だ……嫌だッ!! 食べたくないッ!! 食べたくないッ!! 食べたくないッッ!!)
しかし身体は止まらない。
そう、最早この身体は彼の物ではないのだ。
『食う。喰う。食う。喰う』
暴食の意思に抵抗も出来ず、彼はヒビを突き破る。
瞬間辺りから香る濃厚な死の匂いに、彼の意識は霧散していった。
(誰か……助……け……)
…………。
……。
(腹が減った)
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