終章:忌じき欲望の末-13

 


 射出された三つの果実が、凄まじい速度でティリーザラ王国方面──ティリーザラ軍が展開している後方拠点に向かって飛んでいく。


 その様はさながら近距離から眺める隕石のようで、空気抵抗による摩擦熱からの炎上により、余計にそう見えてしまう。


「……」


「え、ちょっと、え? えっ!?」


 クラウンはその様子をただ見詰めるだけで何もせず、そんな彼の無関心さにユウナが慌てるように視線を飛んでいく果実とクラウンとで右往左往させる。


 そんな中──


「あは、あははは……」


「ふむ」


「あははははははッ!!」


 よろよろと力なく起き上がったユーリが高笑いを上げ、口元の血を拭いながら女王に相応しくないイヤらしい笑みを浮かべた。


「なんだクラウン呆気にとられてッ!? まさかアタシがテメェらの国にちょっかい掛けないとでも思ってたのか? えぇっ?」


「……随分とご機嫌だな。キャッチボールが趣味なのか?」


「ははっ! 悪いなぁ、キャッチ出来ないような球投げて……。でも気にするなよ? 代わりにテメェの大事な大事な同胞達がその身をもって受け止めてくれるさっ!!」


 三つの果実は曲がる事なく真っ直ぐ、ティリーザラへと向かっている。


 このままでは間違いなく後方拠点に落下し、甚大な被害が出る事だろう。


 だが、クラウンはそれを気にする事なく話を続けた。


森精の巨人兵オノドリム、とか叫んでいたな。ただ固いだけの果実というわけではないんだろう?」


「あぁ? ……ああ、そうだ。アレはただのデカイ投石なんかじゃない。アレは、トールキンのだ」


「分身? ……という事はアレは」


「そうっ! 着弾した直後から果肉と太陽光によって種が芽吹き、樹に育つ。そしてその樹はトールキンの──いや、アタシの敵を駆逐するために立ち上がり、歩み、蹂躙するのさっ!!」


 ユーリが愉快痛快とばかりに語り、両手を天を仰ぐように掲げる。


 そんな彼女の様子に、クラウンは訝しみながらも興味深気に続けた。


「本当にご機嫌だな。進化前とは打って変わって健全な様子だ」


「あぁ? 何の話だ?」


「……いや。自覚が無いならいい」


「ふん。……で? 助けに行かなくていいのか?」


「──? 助け?」


 眉をひそめ首を傾げるクラウン。そんな心底何の事だと思っていない様に、ユーリは苛立ちながら繰り返した。


「だからっ! テメェのお仲間のとこに三体の森精の巨人兵オノドリムが向かってんだよっ! 何にもしなきゃテメェら人族は壊滅……。国丸ごと血の海だっ!!」


「……」


「今のテメェなら助けに一瞬で行けんだろ? ほら行ってこいよ? その間にアタシは今より万全な状態に回復して改めてテメェを──」


「はぁ……」


「……あ?」


 その溜め息は、聞くだけで嫌な予感を思わせるに充分な重々しさを孕んでいた。


「……なんだ」


「……お前、進化したくせに視野が狭くなってるんじゃないか?」


「あ、あ゛ぁ?」


「確かに、私が行けば事態は解決するだろう。誰一人犠牲を出さず、そう苦労もせずにな」


「……」


「だが必要無い。私がお節介でわざわざ向かわんでも、あの程度ならティリーザラ我々は容易に乗り越えられる。なにせ──」


 遥か遠く、ティリーザラ軍後方拠点前の平原にて轟音を上げながら果実が着弾。即座に果実は割れ、急速に芽を伸ばして成長を始める。


「なにせ、私以外の強者くらい、向こうにだって居るからな」


「──ッ!!」
















「……」


「……待たせたな、ガーベラ」


「──っ! これはキャピタレウス翁。お速い到着ですね」


 目の前の光景を睥睨へいげいしていたガーベラが、テレポーテーションの羊皮紙で転移して来たキャピタレウスに振り返り、歓迎するように微笑む。


「そりゃあのう。クラウンから《遠話》で連絡が来て数分とせん内に、が飛んで来ては急ぎもするわい」


「そうですね」


 二人は揃って眼前のものに振り向く。


 そこには推定二十メートルを超える巨大な果実が地面に減り込み、天頂からヒビが入って芽が伸び始めている様子が、今までの平原の景色を一変させていた。


 芽は尋常ならざる速度で果肉と大地の栄養を吸い上げながら、見る見る内に樹へと成長していく。


 このままでは数分程度で〝巨大な何か〟にまでなるだろう。


 間違いなくティリーザラ軍を破壊し尽くす、破滅の権化へと……。


「まったく、笑えんのぉ。彼奴あやつ、こんなモンをワシらに押し付けてからに……」 


「はっはっはっ! 弟も忙しいのでしょう。何せ今、彼の女皇帝を相手取っているわけですからね」


「……別にわざわざ敵国の首魁を討たねばならん道理は無いんじゃがのう。それとも余程に女皇帝というのは諦めが悪いんか?」


「まあ、これだけの戦況差があっても降伏してきませんから、その余程なのでしょう。「子供をあやすのも苦労します」と、小さく愚痴を漏らしていましたよ」


「目上を相手にあやすなどと……。不遜も極まれりじゃな」


「まあまあ……。──お。そろそろ成長し切りますかね?」


 悠長に会話を弾ませている中も、樹はどんどん成長していく。


 幹はあっという間に直径が十メートルを超え、高さも既に三十メートルに達している。


 そして何より、ただ樹が成長しているというわけではない。


 その身の半ば左右には腕のように見える極太の枝が伸び、地に根ざしていた根は足のように左右に別れ始める。


 全体のフォルムも徐々に形を変えていき、頂点の葉が生い茂る辺りには頭部と顔面らしき形ものが浮き上がり、表情すら読めそうな程だ。


 その姿はさながら人……。数十メートルにも及ぶ木人が、ガーベラ達の前で着実に完成しつつあった。


「大きいですねぇ……」


「うむ。似たようなのに「エント」という二足歩行で歩き回る樹木の魔物が居るが、これはその比じゃないのう。数十倍は強かろう」


「ええ。何せ霊樹トールキンの分身らしいですから。クラウンによると森精の巨人兵オノドリムというらしいですよ?」


「ほっほ。さぞ貴重な素材元になろうて。杖でも新調するかのう?」


「おお! それは良い考えですっ! 私も検討しようかな……」


「む? オヌシの竜剣・ジャバウォックにでも使うんか?」


「それもありますが、最近は槍にも関心がありましてね? 弟の真似事ではありませんが、他の武器も扱えるようになれば更なる──」


 話が盛り上がり始める最中、とうとう眼前の樹木── 森精の巨人兵オノドリムはその根を大地から上げ、地上へと立ち上がる。


 一瞬バランスを崩して蹌踉よろめくもすぐさま二足歩行へ順応。何の為にあるか判らない顔を人間の仕草のように動かして辺りを見回し、状況の確認を始めた。


「……流石に雑談はもう無理そうですね」


「じゃのう。どれ、ワシは向こうのヤツを片付けるとしよう。オヌシはコレか?」


「はい。アッチのは……。プラトンっ!」


 ガーベラが名を呼びながらスキル《召喚》を発動。直後、彼女の隣に全身を鏡面のような眩く鋭い鱗で覆われた竜──プラトンが不服そうな顔で出現した。


「ぬゥ……。なんだガーベラ。吾は言った筈だ。お前の為ならばいざ知らず、あの矮小な人族共の為に力を振るうつもりなど無いと」


 プラトンがその顔をガーベラににじり寄らせ、文句を垂れる。


 彼──というより殆どの竜は人族を含めた支配種族達を基本的には下等生物と見下している。


 世界の理を司りし〝龍〟から零れ落ちた力の断片をその身に宿す彼等にとって、ただ世界の仕組みの一部に過ぎない支配種族達は不完全な歯車と同義。


 一つ二つ壊れた所で大した影響力も及ぼさない、木端の如き存在でしかない。


 そんなものを一々気に掛けてやるほどプラトンに人族に対する関心は無く、寧ろ後方拠点内での卑しい貴族からの気色の悪い懇願に不快感すら感じている。


 そんな彼等を、プラトンは守ってやる義理など当然感じていなかった。


「んーそうだな……。じゃあ私と弟の為に力を貸してくれ。それなら文句ないだろ?」


「……何? お前だけでなく、何故お前の弟などを引き合いに出した?」


「何故って……。私達は二人で敵兵の討伐数を競っていたんだが、私は二万も倒してないからな。この賭けは私の負け……だからクラウンにご褒美を用意しなければいけない」


「……待てお前、まさか──」


「ああ。お前に関する素材を渡す約束をしたっ!」


「…………呆れてものも言えん」


「安心しろっ! クラウンは確かに他人より少し欲深いが愚者ではないっ! きっとお前が作り出す「竜鏡銀りゅうきょうぎん」も有効活用する筈だっ!」


「……フン。どうだかな」


「とにかくっ! 私を助けると思って協力してくれっ!」


「……ハァ」


 一度空を仰ぎ、呆れたように嘆息を漏らしたプラトンはそのまま無言で羽撃はばたくと飛び立ち、北側に出現した森精の巨人兵オノドリムの元へと飛び去っていった。


「……いざ竜が使い魔ファミリアとして付き従っているのを見ると、如何いかにオヌシが規格外か再認識するわい。……さて」


 プラトンが飛び去り、余計な事で怒らせぬようにと黙って趨勢すうせいを見ていたキャピタレウスはそう溢した後、ゆっくりと振り返ると少しだけ歩きながら懐から羊皮紙を取り出す。


「ワシももう行く」


「はいっ! 余りご無理されませぬようお気を付けてっ!」


「ほっほっ。侮るでないわ小童。弟子ばかり目立ってしまったが、そろそろ師であるワシも威厳を示さねばのう。まだまだ現役なところ、とくと見遣れ」


 そう言い残し、キャピタレウスは転移して行く。


 一人残されたガーベラは小さく「ふぅ」と息を吐くと、改めて目の前の森精の巨人兵オノドリムを見上げる。


「斬り刻んでもいいが、クラウンは「派手にお願いします」なんて言っていたしな。ここは──」


 ガーベラは竜剣・ジャバウォックを引き抜くと両手で柄を握り、刃を眼前に構えて目を閉じ、深く長い息を吐く。


「──一瞬で消し炭にでもしてしまうか」


 瞬間、ガーベラから尋常ならざる魔力が溢れ出す。


 可視化出来てしまう程に濃密なそれは真紅の炎が如く彼女から吹き出し、遠方だろうと視認出来てしまう程に太く、天を衝く程に高く立ち昇った。


「天災断ちて我がつるぎは目醒め──」


 紡ぐはとある技スキルを〝解放〟する為の鍵となる言葉。


「竜の叫声が世界にこだまする──」


 余りに強大で、余りに破滅的なその技は、決して常時振るえてよいものではない。


ことわりを乗せた一閃は流転すら止め──」


 故に言葉でって鍵を掛け、その技から〝世界〟を保護している。


「万物の意志に神が与う──」


 ガーベラはこの技をってプラトンを負かし、そして恐怖すらさせ降した。


赫耀かくやくの竜技。一振りをって全を絶つ──」


 放出した全ての魔力がジャバウォックの刀身に集約し、太陽の様に輝き放つ。


 それを彼女は上段へと構えると、森精の巨人兵オノドリムへと剣筋を合わせ……。


「界断一刀──」


 開眼と同時に、一気に振り下ろされる。


 ──直後。


「《神奥しんおう哪吒なたく》ッ!!」


 世界から一瞬、音が消えた。












「……相も変わらず、矮小な身で何と凄まじい」


 遠目より見える赤き斬撃に、プラトンは身震いする。


 ──ガーベラと魂の契約を結ぶきっかけとなったあの時の対峙……。


 身体中をプラトンの竜の息吹ブレスによる竜鏡銀りゅうきょうぎんに蝕まれながら放ったあの技は、決して一介の人間が振るえて良い技などではなく。


 しものプラトンでさえ、片翼を犠牲にして漸く回避に至った世界すら脅かす一刀であった。


 そんなものを真正面から喰らわされたならば、トールキンの分身でしかない森精の巨人兵オノドリム如きでは欠片すら残らぬだろう。


「……アレがまた吾に向かぬよう、吾も一働きせねばな」


 プラトンがガーベラの使い魔ファミリアに降った理由は一つ。あの一撃が、再び自身に向かぬようにする為。


 死したとてすぐまた転生出来る竜の身でありながら尚も植え付けられた〝死〟への明確な恐怖……。それを二度と感じぬ為に、プラトンは彼女の生涯に寄り添う事を決めたのだ。


「……霊樹トールキンの分身、か。吾等が召す理の龍の一部であれど、そのあか程度ならばしたる影響もあるまい」


 プラトンは森精の巨人兵オノドリムの方を向き、そのうちに力を溜める。


 周囲の空気はそれだけで震え、宙空に舞うあらゆる塵がその影響で銀色に輝きを放ち、辺り一帯がさながらダイヤモンドダストが如き光景へ変貌した。


「吾の平穏の為、吾の主人の捧げ物に成り果ていッ!!」


 瞬間、プラトンの口から放たれる銀月の竜の息吹ブレス


 その照準は一切ブレる事なく木偶でくの坊である森精の巨人兵オノドリムに向かい、直撃。


 森精の巨人兵オノドリム身動みじろぎするも世界の頂点たる竜の一撃から逃れる事叶わず、樹の身体は見る見る眩く太陽光を反射する鏡面体へと変えていった。


 ──数秒後。そこには三十メートルを超える、価値換算で金貨何枚になるか想像すら出来ない竜鏡銀の鉱脈が誕生していた。










「やれやれ。派手にやりおる……」


 遠方で繰り広げられている超常の破壊に、キャピタレウスは余りの現実味の無さに苦笑いを浮かべた。


「こりゃあ、ワシも負けてられんのう」


 だが、それに臆するだけのキャピタレウスではない。


「世界最高位魔導師……。原初の魔導師・テニエルから続くこの名に恥じぬと、我が王と世界──そして生涯最後の弟子に改めて喧伝せねばな……」


 キャピタレウスは森精の巨人兵オノドリムを正面に見据えると杖を構え、魔力を練り上げる。


「──我が真髄は果てなき探究……。魔の究明に生涯を費やし、求めるは新たなる真理の鍵」


 練り上がった魔力は洗練され、研ぎ澄まされ、濃縮されていく。


「──光耀の花、破滅の柱、空を焦がして地を祓う」


 杖は震え、空気が鳴く。


 周囲から光が集まるにつれ辺りは暗くなり、その範囲は急速に広がり始める。


「──万象滅して浄界を成し、仇なす愚者を討滅し尽くす。此れなるは神罰の光なりッ!!」


 暗闇に包まれ、ただ一つの光明となった杖を掲げ、告げる。


 全てを焼き祓う、裁きの光柱の名を──


「降り注げッ!! 「天地滅光の裁断シャマシュ」ッ!!」


 瞬刻。


 杖から放たれた光の球は天に昇ると森精の巨人兵オノドリムの頭上へ飛来し、拡大。


 瞬く間に直径二十メートルはあろう光の柱が森精の巨人兵オノドリムを包み込み、焚く。


 眩い光柱はさながら天からの裁きの光。


 あまねく不浄を一瞬で蒸発させ、そのことごとくを葬り去る無常の光輝により全てが浄化される。


 後に残るは焼け野原……。森精の巨人兵オノドリムという脅威など、灰一つとして残留していない。


 それはキャピタレウスが誇る最高峰の魔術が一つ。


 己で発見した《核熱魔法》の魔術であり、自身の周囲が暗闇にまでなるほどのエネルギーを杖へ集約、圧縮する事で完成する、万物を焼き祓う光の柱の魔術である。


「……さて。こんなもんかの」


 杖を下げ、キャピタレウスは遥か遠方──アールヴを見遣る。


 その先に居るであろう、愛弟子に伝えるように。


「ほれ。早う終わらせんか。馬鹿弟子」

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