第四章:泥だらけの前進-19

 湿気が凄い。


 体感で九十パーセントは超えている。非常に不快だ。


 まだ何もしていないのに衣服が身体に張り付くような、べた付くような……。兎に角不快だ。


 雨は嫌いじゃいし寧ろ好きなのだが、湿気だけが高いのは勘弁願いたい。


 そんな湿気まみれなこの場所はロートルース大沼地帯だいしょうちたい。ティリーザラ王国に存在する巨大な沼地帯であり、件の新入生テストの開催地である。


 そう、私達今まさに、その新入生テストを受ける為沼地の外周に集まっているわけである。


 周りを見渡して見れば、当然このテストを受ける為に集まった新入生達が皆それぞれの面持ちで刻一刻と近付くテストの開始を待っている。


 ある者は緊張からか顔面を蒼白に染め、ある者は引きつった笑顔を浮かべ強がり、ある者はテストを軽く見て無駄に余裕をかましている。


 ……まあ、この中で誰が一番壮絶な表情を浮かべているなと言えば……。


「あ、ああぁぁ……。だ、ダメだ……気持ち悪い……。胃も痛い……。な、なぁ……、なんか薬……薬とか持ってないか……?」


 最早顔面蒼白を通り越して土気色に近い程に変色させ、前屈みになって腹を抑えているコイツは一週間前にメンバーに加えたティール・マドネス・ハッタード。今、極限の緊張でリタイア寸前である。


「そんなもんは無い。仮にこのままぶっ倒れようが私はオマエを引きづって行くぞ? 人数不足で失格など許容出来ん」


「は、ははは……。君は相変わらず厳しいな……」


「当然だ。このテスト如何では今後の学院生活が変わる。たった一人の為にそれを台無しにするなど話にならない」


 まあロリーナがその立場だったならば私は百八十度態度を変えて全力で彼女を慰めて労うがな。そこは贔屓する。


 そしてそのロリーナは相変わらず余り感情を顔に表していない。


 だが私はこの三年間で彼女の表情をなんとなくだが察せるようはなって来ている。


 そんな彼女から読み取れる感情は……やはり緊張だろう。


 当然だ。戦闘経験が無い人間にとって、如何に模擬戦であろうとそこに漠然とした恐怖感があるのは変わり無い。人に向かって魔法を撃ち、怪我をしたりさせたり、精神的に傷を負ったり負わせたり。


 やる側だろうがやられる側だろうが、そこには相応の覚悟と責任が伴う。


 経験が割と豊富にある私でさえ、全く無いと言えば嘘になるだろう。まあそれでもここに集まっている総勢九十人の新入生の中じゃ一番マシな方だろうが……。


 と、そんな事を考えていると、集まる私達新入生の前に用意された壇上に一人の初老の男が上がる。


 彼は魔法魔術学院の教師の一人であり。三年前の入学査定で私が避けた〝余り印象の良くない〟教諭である。


 新入生一同はその初老の男に注目し、皆の視線が自分に集まったのを確認して一つ咳払いをし、《拡声》のスキルアイテムである石が括られた棒に向けて話し出す。


「諸君おはよう。本日は天候も安定せず、非常に良い模擬戦となるであろう事に、私は喜びを感じている」


 喜びと表現している割には語気に感情が殆ど乗っていないように聞こえるんだがな……。


「それではこれより、今回の新入生テストのルールを簡単に説明する。詳しくは入学式終盤に説明した通りであるからして省かせて貰う」


 ふむ、細かい話は聞いていた筈だから良いだろうという事か……。まあ余計な話を聞かないで済むから助かるが、把握し切れていない奴からすれば冷や汗ものかもな。


「今から諸君には、三人一チームの状態で一枚のメダルを持ち、私達教師が決めたスタート地点に移動し、開始まで待機して貰う。開始の合図は我等が最高位魔導師であるフラクタル・キャピタレウス様が打ち上げる魔法である」


 ほう、師匠が来ているのか。師匠という割にはまだまともに教えを請うていないのだが、まあ、新入生テストが終わったらじっくり教えて貰おう。


「合図を確認し次第、諸君は沼地中央を目指し、そこにある旗を回収しつつ、他チームが持っているメダルを合計二枚以上を奪った状態でスタート地点に戻って来る。そこで合格を認めよう」


 ここまでは入学式の時と同じだな。師匠の事だから何か意地の悪いルールをそれとなく混ぜていたりしないか疑っていたのだが、今の所は大丈夫だな。


「例外としてこの沼地に棲息している魔物であるスワンプヘビーバシノマスを討伐、若しくは撃退せしめたチームも無条件で合格と判定する。ただし一人でも重傷者、死人が出た場合は即中止する」


 まあそこまで行ったら模擬戦では無くなるからな。魔物相手に甘い対応は出来ない。


「尚この新入生テストは私達教師達が常に監視している。対戦相手に対する故意的な殺害や過剰な暴力、メダルの不正なやり取りは常に監視している故不正行為が判明し次第即効失格。場合によっては入学取り消しや相応の罰を与える事を覚悟していたまえ」


 ……簡単な説明しかしないとか言っていた筈なんだがな……。結局大体の事口にしているじゃないか。大丈夫かこの教師……。


「以上である。もっと細かいルールの確認は移動の際に各自教師に聞きなさい。では解散」


 そう一言添えた後、教師は私達に眼もくれず壇上からゆっくり降りる。


 一瞬手を挙げて質問しようとした幾人かの新入生はそんなにべも無い教師に不承不承に手を下げていく。


 まったく、ここに来てなんでそんなに質問する事があるんだ。そこまで難しい内容でも無いだろうに……。


 それからは各教師の指示の元に馬車に乗り込み、沼地外周のスタート地点にそれぞれ降ろされて行った。


 私達のチームが降ろされたのは丁度真北に位置する場所。他の新入生が降りた場所と大して環境も変わりなく、恐らくは同条件だろう。まあそれくらいのハンデなら何とかなるが……。


「うわぁ……。湿気が更に酷い……。なあ、クラウン。《精霊魔法》で湿気飛ばせないか? 気持ち悪くて仕方無いんだが……」


「戦いと野営準備以外に魔力の無駄遣いをさせるな。湿気を飛ばすとかどれだけ魔力を使わなきゃならんのだ……。絶対やらんぞ」


「あ、いや、言ってみただけだよ。気にするな……」


「ところでクラウンさん」


「ん? なんだ?」


「いえ、方針を聞いておこうかと……。ロートルース大沼地帯はかなり広大です。無闇に突き進んでしまうだけではメダル二枚以上は難しいかと……」


「ふむ、確かに話していなかったな。私の方針。はっきり言ってメダル二枚以上の確保だけでは私が混ざれば余裕過ぎると考えている」


「ま、また壮大な傲慢さだな君は……」


「事実だ。ただそれではロリーナとティールの二人に何も経験させてやれないだろ? 戦闘経験を積ませるというこの新入生テストにはそぐわない」


「俺は、正直それで構わないんだがなぁ……。ははは……」


「だから私がそこそこ苦労し、尚且つ君等にも多大な経験を積ませられる方法を取る。丁度合格条件だしな」


「……まさか」


「倒すぞ。スワンプヘビーバシノマス。安心しろ。君等は私が守ってやるから」


「……ウッソだろぉぉぉぉ……」

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