終章:とある少女の幸せ

「今帰ったよ」


 深い森の奥、昼間でも陽光がまばらにしか届かないそんな場所に、一軒の真新しい小屋がある。


 老婆はそんな真新しい小屋の戸を開け、中で待っている同居人に帰りを知らせる。


「お帰りなさい、お婆ちゃん」


 それに返事をしたのは一人の少女。齢にして五つのその少女は机に齧り付く勢いで分厚い本を読み耽っていた。


「お前さんまた本を読んでいるのかい?」


「うん」


「まったく、遊び盛りの子供がそんな難しい本ばかり読んで……。そんなに本を読むのが楽しいのかい?」


「本を読むのが楽しいんじゃないの。本の中身を知るのが楽しいの」


「まあまあ、発言は大人顔負けだねぇ。と、そうそう、今日も見つけて来たよ。ホラ、こっち来な」


 老婆はそう言って少女をその枯れ木の様な手で呼び寄せる。少女もそれに従い、彼女から見たら背の高いであろう椅子を降り、小走りで老婆へと駆け寄る。


 すると老婆は持っていた網カゴから一つの首飾りを取り出す。その首飾りには小さな石が括られており、石は澄んだ青空色に輝いている。老婆がそんな首飾りを少女の首に掛けてやり、一歩後退して少女の全体像を見る。


「どうじゃ? 何か感じるか?」


「………………」


 少女は何か具合を確かめる様に体を軽く動かし、最後に胸に手を当て目を閉じて集中するように深呼吸をする。


「うん、前のより良いと思う」


「そうかいそうかい、そいつは良かった。取り敢えずはそれは肌身離さず持っていなさい。明日には魔法の練習をするからね」


「うん、ありがとうお婆ちゃん」


 少女はそう言うと少し嬉しそうに笑う。それを見て老婆も少し笑い、網カゴを小屋入り口の台に起き、中身を所定の位置へ片付けて行く。それを見た少女も老婆を手伝う様にカゴの中身を片付ける。


「お婆ちゃん」


「ん? なんだい?」


「色々、ありがとう」


 少女のそんな突飛な発言に少し面食らった老婆であったが、直ぐにその言葉の意味を悟り、少女の頭を優しく撫でる。


「何を言うんだいこの子は。わたしが好きでやってるんだよ、礼なんざ言われる事はしちゃいないよ」


「でもお婆ちゃん! 私のためにわざわざ昔住んでた家からコッチに引っ越して……。私のお世話までしてくれて……。それに魔法の練習まで……。私、お婆ちゃんに迷惑掛けてばかりで、全然恩返し、出来てなくて……」


「だから言ってるだろう?わたしがやりたいからやっとるだけだよ。前の家には多少愛着もあったが、あの辺りじゃわたしが商売するには少々不都合があったからのぉ。それに比べてココは色々と捗る。材料にも事欠かんしの」


「でも、だからって私をお世話してまで……」


「丁度一人で退屈しておった所だったんじゃ、だからお前さんを世話しとる。魔法を教えるのだってわたしの暇潰しと魔法への理解を深める為。ハッキリ言うがの、お前さんがウチに来てから、わたしは寧ろ前より健康になっとる位じゃぞ?」


「本当に?」


「ああ、そうとも! この歳になると身体のあちこちにガタが来る。故にわたしは自身の健康を常日頃から管理しとるが、お前さんが来てからと言うもの、みるみる健康になっとるわい!じゃからの──」


 老婆はその折れた腰を更に屈め、少女と同じ目線になって抱き寄せる様にして頭を撫でる。


「わたしにとってもお前さんが居なくちゃ困るんだよ。だからもっとわたしの傍に居ておくれ。生涯家族を持てないと思うとったわたしにとって、お前さんは今のわたしの心の支えじゃ。だからわたしにお前さんを世話させとくれ、頼む」


 老婆がそう言うと、少女は老婆の肩に顔を埋め、静かに、けれども止めどなく、心の底から泣いた。老婆もそんな少女の背中を優しく撫でながら、この子を必ず立派に育て上げる、と心から誓った。


 暫くして少女が泣き止むと、老婆はぐしょぐしょになった少女の顔を懐から取り出したハンカチで拭いてやり、ニッコリと笑顔を少女に向ける。


「さあて、そろそろ夕食の準備をしなくちゃねぇ。今日は新鮮で大きなジャガイモと中々出回らない牛のチーズを買ってきたからね、今日はチーズ焼きだよ」


「うん……。私、チーズ大好き。でも、チーズって高いんでしょ?」


「何、心配は要らんよ。わたしはコレでも商売上手なんじゃぞ? お得意さんの一人や二人、確保済みじゃよ」


「…………怪しい人、じゃない?」


「まったく、何を心配しとるんかねこの子は…………。古臭いスクロール屋をやってる小娘とこの都市の領主様じゃぞ? 怪しいワケあるかい」


「そうなんだ……。凄いねお婆ちゃん」


「凄かないよこのくらい……。そうそう、領主様で思い出したが、その領主様に息子が居っての。その子がまたエライ魔法の才能を持っとるんよ」


「エライ……才能?」


「そうそう。そりゃもう飛び切りじゃ。お前さんと同い年にも関わらず僅か一日で《炎魔法》を体得して見せたんじゃ。ありゃ将来この国を背負って立つ逸材じゃよ」


「………………」


 少女はそれを聞くと、無意識なのかはわからないが、頰を吹きらませ露骨に機嫌が悪くなった様な表情に変わる。


「私だって……」


「ん? どうかしたのか?」


「お婆ちゃん! 明日私、一日で魔法覚える!!」


「お、お前さん!? 魔法なら魔法魔術学院の入学テストに間に合いさえすればよいのじゃぞ? 何もそんな無理しなくたって良いんだよ? そもそも普通魔法を覚えるには半年でも早い方で、一日などあの子以外では到底……」


「やるの! 教えてお婆ちゃん!」


「…………まったくお前さんは……。一回でも弱音を吐いたら止めるぞ? 良いな?」


「うん!! ありがとうお婆ちゃん!!」


「はあ……。なんだか最近こんなんばっかじゃのう……。まあ、楽しいからよいが……。さあ、それより今は夕飯の支度じゃ、手伝ってくれるか? ロリーナ?」


「うん! お婆ちゃん!!」


 少女、ロリーナ・リーリウムは笑う。


 老婆、リリーフォ・リーリウムの傍で、他の誰にも向けない屈託の無い笑顔を見せながら、二人は幸せを噛み締めていた。

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