終章:忌じき欲望の末-5

 


 ティリーザラ王国の各地に設置された「魔物化ポーション散布装置」は、霊樹トールキンの性質を利用して作られていた。


 トールキンは死したエルフの魂を回収しながら魔力と結合させ霊力へと変換し、それを根から地脈を通して世界中にある精霊のコロニーに配分している。


 つまりトールキンはある種、世界中に張り巡らされている地脈と密接に繋がっているわけであり、ティリーザラ王国中に設置された「魔物化ポーション散布装置」はその繋がりを使ってアールヴから信号を送る事で起動させられる仕組みだ。


 勿論何でもかんでも地脈を利用出来るわけではない。


 下手なやり方をすれば国の主柱であるトールキン自体に不具合が生じ取り返しのつかない事態に陥りかねず、また本来のトールキンの機能を損なわずに流せるものも極端に限られた。


 やれて今回の散布装置に送る為の微弱な電気信号ぐらいだろう。ティリーザラ王国に直接的な大打撃を与えるようなものは流せない。


 故にユーリは獣人族の国であるシュターデル複獣合衆国のとある一大企業と、ドワーフ族の国であるマスグラバイト王国の空賊と極秘裏に協力し、今回の「魔物化ポーション散布装置」を作り上げたのだ。


 ティリーザラ王国の各地に設置した装置に地脈を介して微弱な電気信号を送り込み、任意のタイミングで王国中に超高濃度の魔物化ポーションを散布させる……。そんな悪魔的な装置を。


 だが、しかし──


「ふははははははははははははッッッッ!!」


「なァ……クソがッッッ!!」


 ユーリは焦燥に駆られるように手に持つ「魔物化ポーション散布装置」の起動リモコンのボタンを何度も押す。


 本来ならばこの赤い起動ボタンを押すと同時にトールキン内に盛大なアラートが鳴り響き、国中にティリーザラ王国の壊滅を報せるような仕様になっている。


 ユーリとしては国民への戦勝演説の最中にこれを起動し、国中でティリーザラ王国の滅亡を謳うつもりでいたのだ。


 が、そんなユーリとっての大願成就を祝すファンファーレは、何度ボタンを押したところで鳴り響かない。


 その下にある複数の小さなボタンも合わせて押してみるが、リモコンはまるで子供のオモチャのようにただボタンを押し込む感覚だけを楽しむ金属の箱に成り下がり、うんともすんとも言わない。


「はははははははははァ……。あァァ……、ユーリィ……。どうだった? 私達のはァ?」


「──ッ!?」


「中々に迫真だったろォ? まあ、普段のお前なら見破っていたかもしれんが、今の余裕の全く無いお前じゃあなァ……。ふふふふふふ……」


「……しっ、て……たのか……? ぜんぶ……なにも、かも……」


「私を誰だと思っている? 今頃は私の部下達が散布装置の中枢制御を司るコントロールルームを制圧し、信号を遮断している事だろう」


 クラウンは今までに無い程に口元を笑顔に歪めながら「まったく、優秀な部下達だよ」と呟いて鷹揚に両手を広げ、ユーリに歩み寄る。


「これでも苦労したんだぞ? 国中の地理から魔物化ポーションが効果的に蔓延する地形を割り出し、お前達が処分しなかった資料から読み取れる数少ない情報と照らし合わせて散布装置の設置場所を全て把握し──」


「は、はぁ……?」


「その装置から電気信号を読み取って信号の周波数の種類を特定……。散布装置全ての周波数をコチラの都合の良い数値にあらかじめ書き換えてある。例え部下達が間に合わず中枢制御装置が生きていたとしても、信号は散布装置には伝わらんかったろうな」


「……っ」


「まあ、それでもアラートは鳴るだろうから、それが鳴らないという事は部下達が間に合ったのだろうさ。お陰で二重で信号が遮断され、お前の手元のリモコンではどう足掻いても改善はされない。実に有能な部下達だよ」


「……」


 ユーリは、此度こたび幾度目かの違和感を覚えた。


 クラウンが虎の子であった「魔物化ポーション散布装置」の存在をねてより知っていた事は勿論、彼女としては正に絶望的であったろう。


 あまつさえその装置を完璧に看破され、今の自分では手出しが出来ぬ程に切り札を潰されてしまった……。完全なる敗北だ。


 だが、それはそれとして疑問が残る。


 何故に魔法先進国のティリーザラ王国出身でしかない彼が、「魔物化ポーション散布装置」や地下研究区画に存在する「中枢制御装置」という〝錬金術〟の塊のようなカラクリを把握しているのか──


「……なん、で……」


「む?」


「なんで、壊さなかっ、たんだ……。一々信号がどうの……周波数がどうの、なんて、回りくどい事、しないでも……。散布装置の場所、を、知ってたんなら……壊せば、済むだろうが……」


 自覚のない震えた声でそう問い掛けるユーリに対し、クラウンは──


「──ッッッ!?」


 怖気おぞけがするほど邪悪に、笑ってみせた。


「なんで壊さなかったか? そんなもの──」


 クラウンは爆巓はぜいただきを《蒐集家の万物博物館ワールドミュージアム》へ仕舞うとポケットディメンションを開き、その中から夜空のような刃を持つ闇の大鎌──闇琅玕やみろうかんを取り出して床に突き立てる。


「そんなもの……私 が 利 用 す る か ら に 決 ま っ て い る だ ろ う ?」


「──ッッッッ……ま、さか……」


「魔物化ポーション散布装置」は当然、ティリーザラ王国国内にしか設置されてはいない。


 地脈を利用している関係上、装置をその場から移動させる事も不可能だろう。皇族の血を引くユーリのように《霊力感知》や《地脈感知》のスキルを持っていないクラウンでは、移動させた所で使い物にはならなくなる。


 つまりクラウンは……。


「お前……自分の国に、魔物をばら撒く気なのか?」


「……ふふふ」


 ______

 ____

 __


 この戦争にいて私が最も苦労したのは──


 潜入エルフを殲滅する事でも。


 自身を最前線に置くよう誘導する事でも。


 軍団長達の奇襲を未然に食い止める事でも。


 戦況を操った事でも。


 英雄エルダールを討伐する事でも。


 してやユーリから《嫉妬》を奪う事でも無い。


 私が一番この戦争で気を遣い。


 また戦争が開戦する前から入念に入念に下準備と仕込みをしていた、最も手間と時間と労力を掛けた作戦……。


 それは──







 ティリーザラ国内に都合の良い魔物を大量に発生させる事……。






 厳密に言えば魔物の発生自体が目的ではない。


 終戦後、如何いかに勝利国と言えどティリーザラ王国の国益は少なからず衰退する。


 元々潜入エルフ共の裏工作によってティリーザラは経済も国営も下降していた。


 それこそ、珠玉七貴族の面々の尽力無くしてはとっくの昔に亡国していてもおかしくはない程に、静かに衰弱の一途を辿っていたのだ。


 その上での戦争による更なる国益の消耗は最早致命的……。勝ったところでアールヴを食い潰すでもしない限り収支は圧倒的なマイナスを叩き出し、ティリーザラは弱小国に成り下がっていただろう。


 そうなればアールヴからの反撃は勿論、周囲の国々──特に帝国から奇襲を掛けられる可能性は大いにある。そのタイミングで攻め込められたらば必敗だ。


 故に最低限、ティリーザラが生き残るには幾つかの厳しい条件をクリアする必要があった。


 戦争によるあらゆる資源の消費を可能な限り抑え、アールヴを圧倒的な戦力差で勝利してみせながら和平を結ぶ事で他国に牽制をしつつ、即座に国益を回復する手段を確立する事……。


 どれも並々ならぬ難易度の難行ではあるが、この中で何よりも私が苦心したのが最後の「即座に国益を回復する手段の確立」だった。


 正直な話、そんな都合の良いものなど存在しない。


 何を資源にするにせよ、それを金や利益に変わるまでには相応の時間と労力が必要となる。終戦後の憔悴した王国ではその時間と労力はかなりの負担だ。一歩踏み外せば全てが瓦解するだろう。


 つまりは国益を回復出来るだけの利益を生みつつ、時間と労力を可能な限り抑え込んだプランが必要なわけで……。しもの私も頭を抱えた。


 ──しかし、前世の知識だけで凝り固まった脳みそを解してくれたのは、皮肉にもそんな国の衰退の元凶ともいうべきアールヴが設置していった「魔物化ポーション散布装置」だったのだ。


 魔物の素材は世界中で重宝される……言うなれば「生ける小さな鉱脈」に等しい。


 武器に防具に調度品に衣服に嗜好品に……。魔物の素材というだけでそこらの天然素材とは比ぶべくもない頑強さを誇り、また他では得られない効能が期待出来る。相場で言えば最低でも天然素材の数倍にも昇るだろう。


 ただ唯一の懸念点は魔物自体が珍しい事……。魔物化した事で知能が高まり狡猾になった彼等は単純に人前には姿を現さず、またそもそも数自体が少ない為に専門家である魔物討伐ギルドでなければ発見・討伐は困難を極める。


 加えて魔物自体がかなり強く、狩人は勿論のこと現役の魔物討伐ギルド員ですら狩れない事も珍しくはない。


 魅力的な資源ではあるが費用対効果は宜しくない……。それが魔物とその素材に対する常識的な理解だ。


 だがこの魔物がもし、大量に発生したら?


 狩人はまだしもギルド員ならば問題無く狩れる程度の弱さの魔物であったならば?


 それらをコチラで自由自在に操作し、調整可能であったならば?


 それこそが、くだんの「魔物化ポーション散布装置」を利用した国益経済回復策。


 意図的に国中に濃度を調整した魔物化ポーションを散布して魔物を発生させ、それらを狩り取る事で素材を望むがまま──ほしいままに手に入れ売り捌く事が出来る……。正に理想的なプランと言えよう。


 ……ただ、これにも問題はある。


 それは──


「……おい、そこの人族の女ッ!!」


「はい。私、ですか?」


「そうだよッ!! お前、自分の隣に立ってる奴が何しようとしてるのか、ちゃんと分かってんのかッ!?」


「分かってるか、とは?」


「分かんねェのかッ!? 自分の国に魔物をばら撒くんだぞッ!? 何十体じゃ収まらない……それこそ百──いや下手すりゃ千を超える数の魔物が生まれるかもしれないんだッ!! それが何を意味するか……分からねェほどマヌケじゃねェだろッ!?」


「……国中は混乱。魔物による様々な被害が増えるでしょうね」


 そう。ロリーナの言う通り、魔物を国中に発生させたらば当然、被害が出る。


 田畑や家畜が襲われる程度ならばまだ良いだろう。その程度ならば野生動物からも受ける可能性はあるならな。


 しかし、魔物は人を襲う。人を喰う化け物だ。


 散布する魔物化ポーションの濃度にもよるが、例え希釈に希釈を重ねたところで魔物である以上は一般人では太刀打ち出来ない。襲われたらば十中八九、食われるだろう。


 …………だが、それは最早〝必要経費〟だ。


「分かってるなら、何で止め──」


「必要ありません」


「……は?」


「このまま何もしなければ、ティリーザラはゆっくりと死に逝くでしょう。貧困は深まり、餓死者や疫病が蔓延し、犯罪や違法が国中を闊歩する……。そうなれば計り知れない犠牲者が生まれてしまい、国はあっという間に滅ぶ事になります」


「……」


「ならばそうなる前に、多少の犠牲を覚悟で国や未来の国民が生き、潤う選択肢を取る……。そう、私達は決めたのです」


「……それを、お前の国や国民が納得すんのか? 国や他の国民の為に死んでくれって言って納得すんのかよッ!?」


 これに関しては既に対策済みだ。


 魔物による人的被害は我等キャッツ家がコランダーム家から受け継ぐ魔物討伐ギルドを管理する事で迅速に対処する。


 散布装置の場所と周辺地理は把握済みだからな。気候や天候の差異はあるだろうが私達ならばある程度は魔物発生箇所も絞り込むことが可能だ。


 加えてこれにより復帰したばかりのキャッツ家の信用や信頼を安価に獲得し、魔物討伐によるギルドからの収支は一手に私達の手で管理、キャッツ家は莫大な利益を得ながら国や国民からの覚えも良くなるだろう。


 それと──


「ああ。それに関しては更なる仕込みがある」


「──ッ!?」


 このまま「魔物化ポーション散布装置」を私達が意図的に起動すれば、私達は国中から非難を浴びるだろう。


 例えどれだけ功績を立て、武勲を挙げたとしてもそれは免罪符にはならない。私が生もうとしている犠牲は、そんなものでそそげるほど小さいものではないからだ。


 ……だが、それを甘んじて受け入れる私ではない。


「地下研究区画には私の部下達の他に〝もう一団〟、苦労して誘導して来た者達が居る」


「は?」


「彼等は我が国で「魔天の瞳」と呼ばれる過激派宗教組織の構成員達でな。「魔物こそ至高の存在」と崇める、少々常軌を逸した思想を持つ集団だ」


「な……なんで、そんな連中を……」


「奴等の目的は一つ。地下研究区画の中枢制御装置を使って「魔物化ポーション散布装置」を起動し、ティリーザラに魔物を溢れさせる事……。つまりは私と全く同じだ」


「──ッ!?」


「まあ、動機はまるで違うし、奴等は私達にここまで誘導されたとは知らないがな。──だが奴等は奴等ので装置を起動する……。私の設置した濃度、私の設置した時間に散布されるとも知らずになぁ?」


 この為に、わざわざグラッドにシルヴィの変装をさせてまで「魔天の瞳」に潜入させ、情報を流して誘導したのだ。本当、素晴らしい働きをしてくれる。


「これにより私達には魔物化ポーションの散布の咎は向かず、全て「魔天の瞳」が罪を被る事になるだろう。奴等自身も、この罪を自分達のものとして認識し、誇る……。正に理想的じゃあないか?」


 全てはこの為……。


「魔物化ポーション散布装置」によって国益は回復し。


 国と国民からは信頼と信用を獲得しながらその咎からは逃れ。


 発生するあらゆる利益は我等キャッツが総取りする……。


 そう、この為……この為に散々骨を折ったのだッ!!


「な……な……」


「……理解したか? 所詮お前など、私と私の身内が〝良い思い〟をする為の土台に過ぎんのだよ」


「い、イカれ野郎が……」


「失敬な。私以上に人間らしい人間はいないぞ? これこそがお前が憎み、嫉妬し、舐めた態度で喧嘩を売った〝純然たる人族〟の、深淵だ」


「く……ぐぅ……」


「ふふ、ふふふふ」


「クソがァァァァァァァァァァッッッ!!」


「ふははははははははははははッッッ!!」


 __

 ____

 ______


「クソがクソがクソがァァッッ!! 来いッ!! シェロブッッ!!」


 頭を掻き毟りながら叫び声を挙げたユーリは、心底不快そうに床に拳を叩き付けると名を吠える。


 すると頭上に生い茂る黄金の葉の中から真っ白に輝く物体が落下。


 ユーリとクラウン達の間に割って入る形で着地すると、クラウンに向け七色に輝く七つの目でそれが睨み、威嚇する。


「キシャァァァァァァァァァッッッ!!」


「ほう。これがトールキンの守護者である聖獣シェロブか。噂通りの何とも美しい蜘蛛じゃないか」


 余裕の口調で感嘆の感想を口にしたクラウンは、床に突き立てていた闇琅玕やみろうかんで一度床を叩くと、彼の胸中から血色と暗黄色の光の塊が放出。


 それらがクラウンの左右へと飛来すると形をそれぞれに二本の尾を持つ血色の豹の様な大型肉食獣と、全身を禍々しい棘と外骨格で覆われた巨大な蝿へと変貌した。


「シセラ、ムスカ」


「はいクラウン様」

「はい御主人様」


「ビッグゲストのご登場だ。丁重にもてなして上げなさい」


「「はっ!!」」


 息の揃った返事をした直後、シセラは自身の周囲に《霧魔法》による濃霧を広げると自身とムスカ、そしてシェロブを包み込み、次に霧が晴れた時には三人共にその場から忽然と姿を消した。


「ぐ……」


「最後のプライドを捨てて呼び出した聖獣も居なくなったなユーリ」


「く、クソ野郎がァァ……」


「しかし、お前の精神力の強靭さにはつくづく驚かされる。まさかここまで耐えるとは思っていなかったぞ」


「は、はんっ! 見通しが甘ったんじゃねェかッ!?」


「ああそうだな。だから闇琅玕コイツに頼る羽目になってしまった。私もまだまだ未熟だなぁ。ふふふ」


 クラウンは闇琅玕やみろうかんをユーリに突き付けると、その刀身に魔力を流し込み始める。


「私は父上ほど闇琅玕やみろうかんを操れなくてな。注ぐ魔力量の割に扱える力は残滓程度……非常に使い勝手が悪い」


「な、何……を……」


「だが強靭とはいえここまで追い詰めた精神ならば、残滓程度で充分だろう。なけなしの心を削り切るには申し分ない」


「や、止め……」


 ユーリは思わず後退る。


 目の前に突き付けられた闇色の刃から放たれる僅かばかりの力はユーリのあらゆる警告を最大限に鳴らし、本能から拒絶する。


 それは決して人が触れていいものではない……。そう必死に訴えるように……。


「さぁユーリ……」


「くる、な……。くるなァァァァァッッッ!!」


「自分が壊れる音に、耳を澄ませろ」

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