第六章:殺すという事-11

 

「おおぉ……ビクトリアよっ!! 遂に見付けたのだなっ!! 相応しき者をっ!!」


「…………」


 何やら感極まった様子の老人はゆっくりした足取りでビクトリアと呼ばれた巨馬に近寄り、その頭を撫で始める。


「ワシは心配しておったのだ……。この世にお前に相応しい者など居らんのではないかと……。だが漸く……漸く……うぅ……ううぅぅ」


「……ブルルン」


 撫でながらとうとう泣き出してしまった老人と何やら露骨に不服そうな表情の巨馬。


 一体どういう状況なのだろうかと首を捻っていると、老人は急に私の方を振り向き、下から上までまじまじと舐める様に見てくる。


「……何か?」


「ふーむ。見た目じゃ分からんもんだな。側から見ていたが、目の当たりにした今でもお前がビクトリアを投げ飛ばしたと信じ難い」


「……貴方は察するに彼女の飼育員、という事で良いんですね?」


 でなければただの不審者になるが……。まあ馬が嫌な顔をしこそすれ、撫でられて抵抗しない所を見るに間違いないだろう。


如何いかにも。ワシがこのビクトリアの育ての親……ベン・コンスタンティンじゃっ!!」


 ん、また馬が嫌な顔をしたな……。


「改めておめでとう少年。お前は見事ワシが育て上げたビクトリアを──」


「ブルルンッ!」


 と、ベンが何か言い掛けると巨馬はいい加減にしろ、とでも言いた気に鼻息を荒く鳴らしながら彼の肩を鼻先で強めに小突いた。


 ベンはそれによりバランスを崩すと牧草の上に膝を着き巨馬の方を見る。


「な、何をするビクトリアっ!?」


「ブルルンッ!!」


「何を不満そうに……。や、やはりこの小僧では不満があると言いたいのかビクトリアっ!?」


「ブルンッ!! ブルルンッ!!」


 ……この老人。飼育員のクセに全く彼女の意を汲めていないじゃないか。これでよく気性も気位も高い彼女の飼育が務まったものだ……。


 ──それにしても、これはおそらく……。


「……あの」


「なんじゃ?」


「その〝ビクトリア〟って名前が嫌なんじゃないですかね? 彼女……」


 気の所為でなければ先程からベンが巨馬をビクトリアと呼ぶ度に嫌な顔をしている。


 馬が自分の名前を理解し、更に好みを露わにするのかどうかは知らないが、側からはそう見える。


「何を言うかっ! ビクトリアは仔馬の時代にそう名付けて以来ずっとそう呼んでおるんじゃっ!! それを今更嫌がるわけなかろうっ!!」


 む、そうなのか……。ならば試しに……。


 私は巨馬の方を真正面から見据え、その目を見詰めながら──


「ビクトリア」


「ブルルンッ!!?」


 ふむ。やはり不満気だ。


 しかも私にそう呼ばれたのがショックでもあるのか、馬の顔であるにも関わらず「冗談ですよねっ!?」と読み解ける程に焦っている。


「ほら……。飼育員の貴方なら、判るんじゃないですか?」


 ここまで露骨なやり取りを見れば流石に分かるだろう。


 そう期待を込めベンの方を見ると、牧草の上で膝を突いたまま困惑極まった表情を露にしながらわなわなと震える。


「そ、そうなのかビクトリアっ!! な、何故今までそうワシに伝えなかったのだっ!? 散々そう呼んでいたではないかっ!?」


「ブルルンッ!! ブルルルルンッ!!」


「それにそんなに嫌なのかっ!? ビクトリアという名前はワシが今まで育てて来た馬の中でも最高の──」


「何かトラブルか?」


 巨馬とベンとの口論──と言っていいのか分からないが──に発展しそうになったタイミングで先程まで巻き込まれないようにしていたコランダーム公と執事が巨馬にビビりながらも毅然とした振る舞いで現れる。


「トラブル、と言えばトラブルですね。あ、因みにもう大丈夫ですよ。彼女は私に従ってくれるようです」


「む、そうか。それは重畳だな。流石ではないかクラウン」


 コランダーム公はベンの前という事もあり対外向けの口調と態度に戻っている。私としては今更感が拭えないが……まあ、彼女がそうするならば私も付き合おう。


「お誉めに預かり光栄です閣下」


「ああ。それで? トラブルというのは何なのだ?」


「ええ、実は──」


 私はコランダーム公に事の顛末を伝える。と言ってもただ巨馬が自身の名前を嫌がっているだけなのだが……。


 簡単な説明を終えると、コランダーム公は顔に「そんな事か……」と浮かべながら小さく溜息を吐く。


「はあ……。なら名を変えれば良いではないか」


「ヒィィンっ!! ヒィィンっ!!」


 む。巨馬が妙に色めき立っている。そこまで嫌なのか、ビクトリアという名前。


「あ、いや……し、しかしだな。コイツは……」


「話を聞くに、この馬は既にクラウンを主人と認めているのだろう? ならば命名権もクラウンにあるのではないか?」


「い、いや……。そ、そもそもワシはまだコイツをビクトリアの主とは認めていな──」


「今までこの馬は貴様以外には心を許さず、日に日に大きくなる馬の世話もギルドの経営を圧迫していると報告を受けている。今この時を逃せば十中八九この馬に相応しい者は現れないだろう。それでも良いのか?」


「う、むぅぅ……」


「まあ、クラウンと馬が名前を変えなくとも構わないと言うのであればこの話は意味を為さんが……両人はどうなのだ?」


 巨馬の名前か……。まあ私の意見としては──


「彼女が名を嫌がっているのは明白ですし、私自身……失礼を承知で言いますが、ビクトリアという名前には後ろ向きです」


 ビクトリアという名前そのものに文句があるわけではない。ただ個人的に彼女には似合わないと感じるし、やはり彼女が嫌がっているしな。出来れば変えてやりたい。


「ヒィィン、ヒィィィィンっ!!」


 私の言葉に巨馬も嬉々としていなないている。


 というか完全に人間の言葉を理解しているよな? 馬は賢いとは良く聞くが、流石にここまで明確な意思疎通が出来る程ではないだろう。そこも特別、という事か……。一体何があってこんな馬が産まれるんだ?


「……どうやら形勢は貴様が不利なようだな。さて、どうする? ギルドの経営の為……そして何よりこの馬の為……。意地を張るのは、もう止めては?」


「……」


 コランダーム公の言葉を受けたベンは少し俯いて黙り込むと、ゆっくりと立ち上がり巨馬の眼前に立って再び優しく馬の顔に手を伸ばし撫で上げる。


「お前は……もう決めているんだな? ワシの手を離れ、コイツに生涯付いて行く……。そう、決めたのだな?」


「……ブルルンッ」


「そうか……。ふん、他ならぬお前が決めてしまっては、ワシの意見などはなから通らんよな。……ワシも、子離れせねばな」


「……ヒィィン」


「おい小僧」


 ベンは巨馬から手を退けると私に向き直り、私の肩に手を置きながら真っ直ぐ真剣な眼差しを向けて来る。


「お前はこの子に認められた。お前を主人としてだ。それがどんな事か、理解しているか?」


「……」


 私は巨馬に視線を移す。


 巨馬の瞳からは私に対する敬意や畏怖、そして何より大きな期待と決意が伝わって来るのを感じる。


 強大な膂力りょりょくと馬力。それに加え人語を解する明晰な頭脳を持ち合わせる非常にポテンシャルの高い彼女を生涯満足させるのは並大抵の事では出来ないだろう。


 そこに必要なのは確かな実力と確かな覚悟。彼女を従えるにはそれらが必要不可欠だし、それを彼女に示し続けなければならない。


 そんな事が可能なのは世界広しといえど、誇張なく私しかいない。そう私は確信している。


 彼女と私の出会いは必然。私はそれに、真っ直ぐ応えたい。


「彼女には私しか居らず、そして私はそんな彼女を必要としている……。それ以上に必要なものはありませんよ。なあ?」


「ヒィィィィィィンっ!!」


 私の言葉に巨馬が嘶いて応えると、ベンは何やらスッキリした顔をしながら豪快に笑い声を上げた。


「ふははっ! こんな短時間でそこまで通じ合われてはワシの立ち入る隙なんかないなっ!! はははははっ!!」


 ベンの目に薄っすらと浮かんだ涙のような物が、陽光に反射し一瞬光る。


 我が子を手放す親の気持ち……。前世でも、私は経験しないままだったな……。まあ、かつての部下に似たようなものを感じた事はあるが……、まあ、それは今はいい。


「話は纏まったようだな。それでクラウン、結局名前はどうするんだ?」


「ベンさんには悪いですが、変えさせて頂きます。他ならぬ彼女が嫌がっているのでね」


「そうか。ベンも異存ないな?」


「あ、ああ……。じゃが半端な名前は許さんぞっ! ビクトリアを越えるエクセレントでマーベラスな気品溢れる名前でなければならんからなっ!!」


「これはまたハードルの高い……。そうですね──」


 ベンやコランダーム公、そして勿論巨馬からも期待の眼差しが向けられる。


 彼女に相応しい名前……。


 木すら薙ぎ倒す程の馬力に、人語を理解する程の知能。


 気位が高く孤高ではあるが、愛嬌もあって可愛らしく愛らしい。


 そう、そんな彼女に相応しい名は──


「……「竣驪しゅんれい」。完成された黒馬という意味です。これ以上ない名でしょう?」


「竣驪……竣驪か……」


「ほう、これは中々……」


「ヒィィィィィィィィィィンッ!!」


 ベンは名前をぶつぶつ呟きながら俯き、コランダーム公は感心した様に唸りを上げ、竣驪しゅんれいと名付けた巨馬は嬉しそうに高々と嘶く。


 少なくともコランダーム公と竣驪しゅんれいは納得したようだが、ベンは──


「……はあ。ワシって、ネーミングセンス無いのかのう? お前の付けた名前を聞いた瞬間、ビクトリアという名が陳腐に感じるわ……」


「という事は?」


「文句の挟みようないわいっ! ビク──竣驪しゅんれいが認めただけはあるなっ! 流石だわいっ!! ふはははははっ!!」


 ベンは再び豪快に笑うと私の肩を何度も強く叩く。私の名付けを相当気に入ってくれたようだ。


 さて、これで諸々の問題は解決した。後は細々とした事を決めていくだけだな。


「一応確認ですが、私が彼女の主人であると認め、買い取るという事で宜しいんですよね?」


「買い取る? 馬鹿言うでないわっ!」


「はい?」


「この世の何処に愛娘を金で嫁がせる親が居る? 竣驪はお前の生涯のパートナーだっ! 遠慮なく持っていけっ!!」


 ……生涯のパートナーとまで言われると若干尻込みしてしまうが……、まあ間違いではないな。


「では遠慮なく。……宜しくな、竣驪しゅんれい


「ヒィィィィィィィィィィンッ!!」


 竣驪しゅんれいは興奮したように立ち上がると天高々と嘶き、おもむろに私の襟を口に咥えそのまま持ち上げると自身の背中に乗せた。


 竣驪しゅんれいからの眺めは高く、軽く別世界にでもなったかのように景色が遠く、違って見えた。


 筋肉が隆起している背中は案外座り心地が良く、見た目に反して柔軟な筋肉である事を理解させられた。


「今まで何度か乗馬の訓練をする際に馬には乗ったが、お前の背中は格別だな。きっとお前以上にこんな素晴らしい景色を作ってくれる馬は存在しないだろう」


「ヒィィィィンッ!!」


「ふふふ。どれ、折角背に乗せてくれたのだ。軽く一回りでもしようか、竣驪しゅんれい?」


「ヒィン、ヒィィン」


 竣驪しゅんれいは嬉しそうに鳴くと私を乗せたまま軽快に歩き出し、徐々にスピードを上げながら牧草を駆け始める。


 その速さは今まで経験してきた乗馬の際の速さとは比にならず、また竣驪から伝わってくる振動は迫力を伴うにも関わらず一切不快感を感じない。寧ろ爽快感すらある。


 きっと竣驪しゅんれいが私に気持ち良く乗って貰おうと気を遣いながら走ってくれているのだろう。本当、器量の良い女だな、この子は。


 これからはこの子が《空間魔法》による転移とは別のメインな移動手段になる。長い、本当に長い付き合いになる。


 良い関係を築いていかなくてはない。


 竣驪に相応しい男で居続ける……。ふふふ、難しくも、なんとも楽し気ではないか。


「共に欲望の限りを尽くそうじゃないかっ! 竣驪しゅんれいっ!!」


「ヒィィィィィィィィィィンッッ!!」


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「……ところでベン」


「ん? なんだ公爵様。今ワシは竣驪しゅんれいが生涯のパートナーを背に乗せ嬉しそうに走る姿に感動しているところなんだが……」


「いや、水を差すようで悪いが、向こうの方で地獄耳なギルドマスターが竣驪しゅんれいをタダで譲るという発言に戦慄しているのだが?」


「んお? ……本当だな。何をあんなに……」


竣驪しゅんれいは何才馬だ?」


「あの子は今年で二才だが……だからなんだ?」


「あの図体だ、食事量も相当だろうし日増しに増していく身体の大きさに特別厩舎まで用意する必要があった……。蹄鉄代だって馬鹿にならないだろう? 二年間で竣驪一体にかなり金を掛けたんじゃないか?」


「ま、まあ、そうだな……」


「そんな大金を使って育て上げた竣驪しゅんれいをタダで譲る……。これ以上、わざわざ私が口にする必要があるか? ベンよ」


「むぅ……。し、しかし漢に二言は無い!! 親として娘をやる男に金を出させるわけにいかんっ!!」


「……ギルドマスターが泡を吹いて倒れたが?」


「……二言は、無い」


「……誰かっ! ギルドマスターを室内に運んでやれっ!! それと暖かいお茶だっ!! 励ます人間も何人か集めなさいっ!! まったく……こんな事まで公爵の仕事ではないぞ……」


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