第五章:正義の味方と四天王-9

 

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 第二次入学式が終わって間もなく、一人の少女がフラフラと頼りない足取りで入学式が行われていた多目的ホールから退出し、近くの柱に背中を預けてから盛大に溜め息を吐く。


「もうやだ……帰りたい……眠い……」


 真っ直ぐ切り揃えられた長めの紫色の前髪から覗く緑色の瞳は暗く陰り、側から見ても彼女の身に何かがあった事を容易に想像させる。


 そんな彼女は天を仰ぐと、煌々こうこうと照る太陽の位置を確認してもう一度溜め息を漏らす。


「はあ……。呼び出された……。なんで? なんであたしは気絶とかしなかったのよぉぉ……」


 それは今から数十分前。


 第二次入学式の締めとして挨拶した本校で最も優秀とされる生徒──蝶のエンブレムを保持する第一次新入生クラウン・チェーシャル・キャッツによる〝脅かし〟に起因する。


 ホール内に居た第二次新入生を挨拶早々に煽り散らかし、全員が彼に反感を抱いたタイミングで放たれた彼の「私を驚かせてくれ」の一言から発せられた規格外の〝恐怖〟。


 それは形容し難く、また得体が知れず。まるで脳に直接〝恐怖〟という感情をぶつけられたかのような衝撃は瞬く間に第二次新入生達に波及。ある者は腰を抜かし、ある者は気絶し、ある者は逃走を図った。


 阿鼻叫喚が支配していく入学式の中、そんなクラウンから発せられた未知の恐怖に耐えた者達が五人も居た。


 そんな彼等を見たクラウンは口元を僅かに歪めると、その五人に対して「正午に屋外訓練場に来い」という半ば命令じみた要求を突き付け、そのままステージ袖に消えていった。


 そう。この葬式の様な空気感を漂わせる彼女もまた、そんなクラウンに目を付けられた五人の内の一人なのである。


 こんないかにもメンタルが弱そうな彼女が何故クラウンからの恐怖に対抗出来たのかは分からない。彼女自身にも謎である。


 自分の周りが次々と床に伏していく中、状況が飲み込めずただ狼狽うろたえる事しか出来なかった彼女は今、自分もあの時フリでもいいから倒れていれば……と絶賛後悔中。


 メンタルが弱い事を自負していた彼女は今、ただただ現状を呪うばかりであった。


「あぁぁ……。行きたくない……。……ん? でもそう言えば行かなかったら行かなかったで別に構わない的な事言っていたような……」


 混乱ばかりが頭を支配し、狼狽ていたあの時に聞いた彼の言葉が自分が都合良く聞き取ったもので無いのなら、別に行かなくてもいいんじゃないか?


 そんな可能性は彼女の脳裏に、一筋の希望が見せた。


「そうだよっ。行かなきゃいいんだよっ。確かそう言ってたし。よし決めた行ーかないっ! あたしはこんなゴタゴタに巻き込まれるタイプじゃないんだっ。あたしは教室の隅で平々凡々な学院生活を送るんだっ! だーれが呼び出しなんか──」


「アンタ、ロセッティよね? 随分と独り言が長いようだけど。友達とか居ないの?」


 意気揚々と教室への帰路に着こうとしたロセッティと名を呼ばれた少女の言葉を遮ったのは、またもや一人の少女。


 発色の良い黄色い髪をツインテールに結い、真っ赤な大きな瞳を爛々と輝かせる彼女は、豊満な胸の下で腕を組み、ジト目で独り言を口にしていた彼女を睥睨へいげいしていた。


「な、なな、なんです……か? というかなんで名前を……」


「そんなキョドんないでよ鬱陶しい。さっきすれ違った教師に名前を聴いたのよ。あ、因みに私もアンタと同じでアイツに呼び出された中の一人よ」


 ツインテールの彼女もまた、あの場で恐怖に耐え抜いた者の一人である事を聞いたロセッティは、そこで自分に何の用事があるかを察した。


 しかし、どう考えても面倒な事になると直感した彼女は、ここは取り敢えずとぼけてみようと即決し、実行に移した。


「え、ええと……。そんな貴女が、私に一体……?」


「決まってんでしょっ。一緒に訓練場に行く為よ。言わなきゃ分かんない?」


(やっぱりかっ!!)


 嫌な予感が的中した彼女は、なんとかはぐらかす方法は無いかと頭を巡らせ始めるが、そこで「待てよ?」と一旦頭を切り替える。


「えっとぉ……。あたしの独り言聞いてたんだよね?」


「ええそうよ。最初から最後まで一言一句聞いてたわ」


(ならもっと早く声掛けてよっ!!)


 羞恥心から内心でそう叫びながらも、彼女はひとまず堪えて頭の隅に文句を追いやり、気になっていた事を改めて訊く。


「な、ならあたしが行きたくないって分かってるよね? なんで誘うの?」


「はあ? ……アンタ悔しくないの?」


「……悔しい?」


 意味が分からないと頭を捻るロセッティに対し、ツインテールの少女は哀れみの混じった溜め息を吐きつつ、まるで諭すように、そしてイライラをぶちまけながら語り出す。


「私達はねぇ、コケにされてんのよっ!? 自分より能力が低い連中だって決め付けて潰しに掛かってんのよアイツはっ!! そんなのアンタ耐えられんのっ!?」


「え、えぇ……」


 その気持ちは分からないでもない、とロセッティは一旦は心中で肯定する。


 彼女とて酔狂で魔法魔術学院に入学をしたわけではなく、のんびり平々凡々な時間を過ごしたいとはいえ確固たる意志の元、ここに居る。


 しかし現実としてそれを考え始めると、目の前に巨大な壁がある事に行き着いて激しい諦観に襲われた。


「分かるよ? 分かるけどさ……」


「何よ」


「実際の所、あの人強いよ? 勝てるの?」


 クラウンは何も、金や権力にものを言わせて蝶のエンブレムを授けられたわけではない。


 純然たる実力と才能によって相応の立場に収まったに過ぎず、先の入学式の挨拶は多少誇張表現はしたものの傲りでもなんでもなく事実なのだ。


 そしてそれを証明するかのように彼はその入学式で第二次新入生達の大半を実際に《恐慌のオーラ》でもって圧倒してみせた。


 立ち続けることが出来たとはいえ、何も感じなかったワケではない彼女達もそれは当然体感し、実力差も理解している。


 が、ツインテールの少女は頑とした態度でもって鼻を鳴らした。


「ふんっ! やってみないと分からないじゃないっ! それに脅かすのが上手いだけで、実力は分からないわっ!」


「そんなの現実逃避じゃないのよっ!」


「うるさいうるさいっ!! とにかくやるったらやるのっ!!」


 地団駄を踏みイライラを爆発させたツインテールの少女はまるでワガママを通そうとする子供のように駄々をねると、そのままロセッティの腕を引っ掴んで強引に連れ出す。


「ちょ、ちょっとっ!」


「大丈夫よっ! 何かあったら二人掛かりでやっちゃえばいいしっ! なんなら呼ばれてる五人全員でやっちゃえば何の問題も無いわっ!」


「なんかもうヤケクソじゃないのっ! ──というか力強っ!? えっ!? ビクともしないぃぃ……っ!!」


 小柄ではあるものの、地面に足を着き抵抗する自分を半ば無理矢理引き摺りながら引っ張り続ける少女の馬鹿力に驚愕しながら、なんとか説き伏せようとするロセッティ。


「落ち着いてっ! 私達今日入学したばかりだよっ!? こんな事したら怪我しちゃうよっ!」


「ケガ? はんっ! そんなもんにビビるようなやわな育てられ方してないわよっ!」


「そういう問題じゃなくってぇぇっ!」


「アンタもわっかんないわねぇっ!! 貴族はナメられたら終わりなのよっ!! このまま黙ってやり過ごしちゃ自分の努力と家の看板に泥塗る事になるのよっ!!」


「──っ!!」


 その言葉に、ロセッティはハッとする。


 故郷で待つ年老い、後継がロセッティしか居なくなってしまったと嘆き悲しむ祖父の姿と、裏腹に貰った厳しい言葉。


 それら思い出し、改めて自分の立場というものを認識した彼女は、ツインテールの少女に掴まれた腕を握り返すと今までより強い口調で話し掛ける。


「分かったっ! 行くから取り敢えず離してっ!」


「本当ねっ!? 逃げないわねっ!?」


「逃げないっ、逃げないからっ!」


 数秒ほど思案した少女は一旦その場で止まり、ロセッティの腕を離すと何故かドヤ顔を見せて腕を組み直しふんぞり返る。


「分かれば良いのよっ! 分かればっ!」


「う、うん……。と、ところで、お名前は?」


「あら、言っていなかったっけ?」


 そう言うと彼女はその場で優雅にターンを決めると、先程までの荒れっぷりが見る影も無い程優雅にカーテシーを決める。


「私の名はヘリアーテ・テニエル・ヘイヤっ! 由緒正しき伯爵位、ヘイヤ家が令嬢よっ!」


 そんなツインテールの少女ヘリアーテの挨拶に一瞬見惚れたロセッティは、返さなければと慌ててカーテシーをする。


「あ、あたしはロセッティ・ゲイブリエル・ドロマウス。侯爵位、ドロマウス家のしがない一人娘……」


「そうっ! 侯爵位ぃ……。え? 侯爵位?」


「え? ……うん」


 彼女の爵位を耳にし、ヘリアーテの表情が固まる。


 ヘリアーテの伯爵位よりもロセッティの侯爵位の方が階級的には上であり、爵位だけを見ればヘリアーテよりもロセッティの方が家柄は──


「く、靴をお舐めしましょうか……?」


「何その変貌っ!? 止めてよ急に怖いっ!!」


 余りのへりくだり具合にドン引きするロセッティを他所にヘリアーテは顔色を悪くしながらわなわなと震える。


「で、ですが……。先程から度重なる失礼を……。わ、私は一体どうすればお許し頂けるのでしょうかっ!?」


「や、止めてってっ……!! た、確かに侯爵位ではあるけれど……。血筋的には他人レベルで王族の血は薄いし……。貧乏とまではいかないけど、治めてる領地も小さいし……」


「そ、それでも我が家の方が爵位としては──」


「ああもうっ!! いいからさっきみたいに接してよっ!! 態度の落差で頭混乱するっ!!」


「そ、そう? 怒ったりしてない?」


「してないからっ!! だから、ね?」


 ロセッティがそうやってお願いすると、ヘリアーテは「わ、分かったわ」と言ってから自分の頬をピシャリと軽く叩き、息を吸い込んでから胸を張って先程の強気な表情に戻る。


「じゃあ改めてっ!! あの憎ったらしいお上りさんを泡吹かせに行くわよっ!!」


「う、うん……」


 彼女の中でどんなスイッチの切り替えが起こっているのか心底不思議でならないロセッティは、困惑を隠し切れないままヘリアーテが向かう屋外訓練場へ同道したのだった。


「…………ん? テニエル? ミドルネームが?」


 一つの、疑問を残して……。






「ここね。屋外訓練場」


 歩く事数分。


 辿り着いた屋外訓練場は中々に広大であり、数十人以上が集まったとしても問題無く干渉せずに魔術の訓練が可能な程である。


「流石は王国一の魔術学校」


「うん。入学式直後だからかな。人は全然居ないけど……」


 屋外訓練場は現在のところ、彼女達二人と少し遠くに見える数名の人影のみ。


 勿論、入学式の直後というのが、一番この閑散具合の理由として妥当ではあるのだが、実際は違う。


 それは彼女達──いては目を付けられた五人に取って非常に嬉しくない理由なのだが、今それを彼女達は知る由もない。


「ん? ねぇ、アレって多分……」


「……あぁ、うん。多分そうだね」


 ヘリアーテが指差したのは先程から見えていた少し離れた位置に固まる三人の人影。


 彼女達以外に訓練場に集まっている唯一の者達であり、人数から察するに呼び出された内の残り三人だと推測出来た。


「後は全員男子かぁ……」


「まあ、いいじゃない。そんな事より早く行くわよっ」


 若干テンションの落ちたロセッティの手を取り歩き出すヘリアーテ。


 なんだか自然とこうしてスキンシップを取っているが、当然彼女達は今日が初対面である。


 それがこうして親しげになれているのは、ヘリアーテの周りを巻き込んでいく性格と、先程のグダグタなやり取りを経た他愛ない時間のお陰。


 元々暗い性格で、友達作りも余り上手くないロセッティですら気が付けば普通に会話出来てしまっている現状にロセッティ自身が驚くも、中々どうして居心地の良さを感じている。


 深く考えるのを止めて今は素直に手を引かれ事にした彼女は、密かにヘリアーテを〝最初に出来た友達〟として胸の内に留めたのだった。






「待たせたわねっ!」


 ヘリアーテのそんな一言に、固まっていた三人組は一斉に彼女達の方を見る。


 すると三人の内の一人──糸目で緑髪の線の細い男がくつくつと笑う。


「いやいやーそんな待っただなんて……。ボクらとしては五人全員が男だなんてむさ苦しい状況にならなくてホッとしている所だよー」


「そう? なら別に謝らなくてもいいわねっ!」


「勿論勿論……。というかこの場に来たって事は、君等もやっぱりあの男の態度が気に食わなかったって口なんでしょー?」


 妖しく笑う男に若干の不気味さを覚えたヘリアーテとロセッティだったが、女だからとナメられてはいけないとばかりに、ヘリアーテは胸を張って返事をする。


「ええそうよっ! アイツの物言いには業腹なのっ! ここで目に物見せてやるわっ!!」


「なるほどねー……。ならさー──」


 そこまで言うと男は口元に手を添えわざとらしく小さな声音で続きを口にした。


「誰でもいいから奴の気を引いてさー……。ボクが後ろにこっそり回り込むから、その隙にザクッ!! と、やっちゃわない?」


「──っ!?」


 笑う彼の手元を見てみれば、そこには折り畳めばてのひらに収まってしまう程のナイフが覗いており、彼はそれを手でもてあそびながら口元を歪めていく。


 そんなあからさまな凶器に血の気が引くのを感じたヘリアーテとロセッティだが、彼からの妖しい提案に答える前に、五人全員の耳にある声が届く。


「なんだ。まだ正午まで時間があるというのにもう集合しているのか。随分と血気盛んじゃあないか」


 何処か楽しく、しかし何処か嘲るように放たれたその声に全員が振り向くと、そこには黒地に赤いメッシュがまばらに走った個性的な髪をし、右肩には眩いばかりに蝶のエンブレムを飾った一人の男──クラウン・チェーシャル・キャッツが悠然と立っていた。


「さあ、君達。心が折られる準備は良いかい?」


 その一言に、五人全員の表情が強張った。

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