第五章:何人たりとも許しはしない-13
それは一週間程前の事。
クラウンによりアーリシアの命は辛うじて救われた。
しかしその代償にクラウンはその左腕を失い、直後に意識を失った。
そんな事態にアーリシアは、激しく気が動転した。
記憶が曖昧になる程に叫んでは涙を流し、有らん限りの罵倒を自分に吐き、責めた。
アーリシアはあの時、沼地でクラウンを見掛けて、特に深く考えもせずに駆け寄ってしまった。
それはチームとしていた他二人とは道中で逸れてしまった事。元凶としていた魔物の姿が見えなかった事。場はかなり混沌としていたが、傍目から見てそれがなんだか沈静化しつつあるのが分かった事。そして何より身を潜めていたせいか心細かった事。
それらが重なり、アーリシアはクラウンを見て思わず駆け寄ってしまったのだ。
それがあの悲劇を招いた。
大事な想い人に大怪我をさせてしまった。
その結果が、アーリシアに重く重くのし掛かったのだ。
クラウンの容態が安定した後、そんな責任感、罪悪感に押し潰されそうなアーリシアの耳に入ったのは、あの自分に襲い掛かったか化け物は「暴食の魔王」という存在であったという事。
それを聞き、アーリシアは「ああ……やっぱり私のせいか……」と更に自分を責めた。
あの「暴食の魔王」は空間の歪みを突き破り現れたが、周りに複数居る人間、ダークエルフが居るにも関わらず一目散にアーリシアへと飛び掛った。
それは恐らく、アーリシアが「救恤の勇者」である事に起因するのだろうと当のアーリシア本人は思い至ったのだ。
「救恤の勇者」に直接の相克関係があるのは確かに「強欲の魔王」であるが、だからといってお互いは魔王と勇者には変わりなく、あの場で真っ先に目を付けられる理由として十分にあった。
そんな現実に思い至ったアーリシアの脳裏に、かつてのクラウンの言葉が思い起こされる。
『お前がどう思おうが、お前に責任は向かない。お前の周りに責任が向く。お前は、そういう人種なんだよ』
きっと今回クラウンがした怪我でアーリシアは責められないだろう。
それは被害者であるクラウンからもそうだし、周りの大人や仲良くなった人間全員がアーリシアを責めはしない。
だが彼女は「一層の事責めてくれたなら……」、とアーリシアは思わずにはいられなかった。
そんな現実に向き合うので精一杯なアーリシアに、一人の男が心配そうに語り掛けて来る。
自己紹介をし合ったわけではないが、周りの人が彼をティールと呼んでいたからきっとその人なのだろうと、整理がつかない頭でそれだけは理解したが。今の彼女にはそれが限界だった。
そんな彼の慰めの言葉はアーリシアの耳を素通りし、自責の言葉に埋め尽くされた頭には殆ど入っては来なかった。
(ああ……私はなんて薄情な……)
そうやって更に自分を追い込もうとしたアーリシアに、一つだけ、ティールの言葉が引っ掛かる。
「はあ……。俺は《地魔法》で精巧な物を造るのは得意なんだが、流石に新しい腕はなぁ……。義手ならまだ……可能性あるか? いやでも流石に──」
(……新しい……腕?)
半ば愚痴混じりのティールの言葉で、アーリシアはハッとする。
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それは約十年前。まだまだヤンチャ盛りだったアーリシアが、実家──幸神教総本山にして本殿である「聖幸神教会」の宝物殿に侵入した時の事である。
そこには世界中から集められた聖遺物として認定された国すら動きかねない程の逸品が多数厳重に保管されており、父親である教皇が一度だけアーリシアを中へ入れてくれた事があった。
勿論その時は父親の厳しい目があった為動き回るなど出来ず大人しくしていたのだが、その時アーリシアは宝物殿の中でこの場には似つかわしくない程に簡素な長細い箱に興味が惹かれた。
アーリシアはそれが何なのかと父親に訊ねると、父親は「確かにアレは気になるな」と笑いながら説明してくれた。
中に入っているのは「セフィロト」と呼ばれる生命の樹の古木。その枝端だと。
セフィロトはこの世界に確かに存在する「本当に必要な者の前にしか現れない神樹」であり、実際に目にした者は両手で数えられる程度だとされている。
そのセフィロトの権能は「生命の再生」。
朝露を飲めば例え完治不可の死病をすら満全に回復させ、葉をすり潰して傷口に塗れば例え部位欠損でも復活する。
枝を使えば一度だけアンデットから人間に復活し、その樹液は精神的病からすらも立ち直れる。
正に神の如き神木である。
しかし、その箱に入っているのは〝古木〟の枝端。神樹とはいえ既に劣化しており、そこまでの権能には期待出来ないという。
それでも神樹である事には変わりなく、こうして現存している事すらかなり珍しいとの事で、こうして聖遺物として保管されている。
それを聞いた当時のアーリシアはただただそんな貴重な物が自分の家にあると知り大変に喜んだ。そんな自分の家が誇らしかった。
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(新しい腕……。もしかしてアレを使えばっ!!)
アーリシアはそれを思い出して一瞬希望が見えたと喜んだが、ふと現実的な事が過ぎりまたも落ち込む。
(駄目だ……。アレは聖遺物。そんな簡単に持ち出して……ましてや使って良いものじゃない……。それに許してくれる筈ない)
セフィロトの古木の枝端は他の宝物殿にある聖遺物同様、そうそう中から出していいものではない。古木で劣化しているとはいえ生命の樹なのだ。
使えば必ず世間は騒ぐし、使った事が世間に知れれば悪い反響が広がる。ましてや使う相手が王族などではなく一般の領主の息子だ。誰も許してはくれないだろう。
(勝手に持ち出せば私はともかくクラウン様が責められる……。そしてクラウン様はそれをきっと望まない……)
アーリシアは知っている。クラウンは今の絶妙な立場が気に入っているのだと。
そこそこにお金が使えて、そこそこに自由に出歩けて、そこそこに人付き合いが出来、そこそこに世間から頭を下げられる。そんな立場を望んでいる事を。
だからきっと、聖遺物を使ったと広まってしまってはクラウンのそんな立場が崩れてしまう。クラウンはそれを絶対に望まない。
それが例え片腕と天秤に掛けたとしても、である。
十年の付き合いも伊達ではない。未だにクラウンにはよく怒られるが、それは全部自分の為にしてくれている事もちゃんと理解している。
それだけクラウンを分かっていて、それでもクラウンは望まないと分かっていて、けれども──
(私は……私なりに責任を取りたい。きっと周りは望まないけど、それでも私は、私にしか出来ない責任取りをしたい)
だが現状としてリスクは消えない。
ならそれを解決する術は一体何なのか?
聖遺物を一領主の息子に使っても世間に広まらない方法。
自分達だけが得をする、そんな都合の良い方法。
(古木の所有権は教会にある……。だけどその教会の最高責任者はお父様……。つまりお父様にお願いすればっ!)
父親である教皇にワガママを言えば、何とかしてくれるかもしれない。
だが──
(でも、いくらお父様でも古木を使いたいなんて話、聞いてはくれない……。私は……どうしたら……)
視線をクラウンに向ける。
ベッドに横たわり静かに寝息を立てるクラウンは、何故かどこか誇らしげで。それでいてまだ何も諦めていないような。そんな雰囲気があるように見えた。
それは幻覚かもしれない。そう思い込みたかっただけかもしれない。自分がどこか、クラウンにそう望んでいるだけかもしれない。
だがそんなまやかしにも似た彼の威容に、アーリシアの背中は確かに押されたのだ。
(クラウン様なら諦めない。欲しい物の為なら躊躇わない。使える物は全部使って、叶えたいを叶える人……。私も……私もっ!!)
アーリシアは立ち上がり、急ぐように扉へ向かう。突然立ち上がったアーリシアに驚いたマルガレン達に「実家に帰りますっ!!」とだけ告げて部屋を飛び出した。
校舎の外に出て辺りに人が居ないのを確認すると、スキル《召喚》を発動する。
すると目の前に白い装束を着込んだ男装の麗人と呼ぶに相応しい凛とした女性が現れ、アーリシアにお辞儀をする。
「お呼びですか? お嬢様」
「ラービッツ。今から帰ります。すぐ私を教会に連れて行って」
彼女の名前はラービッツ・ホワイトウォッチ。聖幸神教会に所属する上級神官であり、アーリシアの従者兼監視役である。
彼女は生れつき《千里眼》というエクストラスキルを持っており、遥か遠方であろうと常にアーリシアが何かに巻き込まれないか監視をしている。
アーリシアがその立場からは考えられない程に自由に歩き回れているのは彼女の存在があってこそである。
「……お帰りになられるのですね。良いご判断です。この目で色々大変な光景を見させて頂きましたのでその心中はお察ししております。学院が荒れている間、お嬢様は教会でゆっくりと──」
「違うのラービッツ。私が帰るのは一時的。お父様にお願いがあって帰るの」
「……お言葉ですがお嬢様。お嬢様は既に魔法魔術学院への入学という無茶を教皇猊下に陳情し、無理に通しています。いくらお嬢様でも、これ以上のワガママは許容し──」
「ラービッツ」
その時出たアーリシアの声音は、今まで生きて来た十五年間で一度も出した事がない様な凄味が混ざっており、ラービッツは思わず口を
「私はねラービッツ。責任を取らなきゃいけないの。クラウン様に痛い思いをさせてしまった責任を。私が取らなきゃいけないの」
「……お嬢様の命はお嬢様お一人のものでは御座いません。あの者は確かにお嬢様の為に犠牲を払いましたが、それは当然の犠牲。お嬢様が責任を感じる必要など──」
「クラウン様の犠牲を当然だなんて言わないでッ!!」
「お嬢様っ……!?」
「私は今私が出来る事をしたいのッ! 私にしか出来ない事をしたいのッ! それをワガママだとか、
アーリシアの凄んだ迫力に、ラービッツは目を丸くする。そしてラービッツは気が付く。
これはワガママでは無く、決意なのだと。
憧れに──愛に背中を押された、我が主人のある種の成長なのだと。
《千里眼》で覗いていたアーリシアとクラウンの関係を思い出し、納得してしまう。
それに気付いたラービッツに、最早アーリシアを止めるような無粋な考えは起こらなかった。
「……畏まりました」
ラービッツはアーリシアに近付き、その手を取って目を閉じる。数分たっぷり時間を使い、ラービッツは《空間魔法》のテレポーテーションを発動。
二人の景色は一変し、アーリシアにとって見慣れた景色へと変わる。
目の前に
「……お父様は?」
「ただ今執務をこなしておいでです」
「分かったわ」
アーリシアはラービッツにそれだけ伝え、教会へと歩き出した。
「お嬢様っ」
ラービッツの自分を呼ぶ声に、アーリシアは一時振り返る。
するとラービッツは頭を深く下げた後、一言だけ告げる。
「貴女様に、幸神様のご加護があらん事を……」
その言葉に、アーリシアは頭を下げて返してから踵を返し、教会へと走って行った。
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