第六章:殺すという事-25

 

 ──

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 クラウン達が砦東側にある応接間へ向かう。


 短い道中にも先程クラウンの首元を撫でた冷気は強くなっていき、応接間周辺には霜が降りており、扉に至っては凍り付いてすらいた。


「クラウンさん、氷が……」


「ああ」


 すかさずクラウンは氷結した扉に向かい手をかざすと、燈狼とうろうを出現させ魔力を込める。


 魔力を注がれた燈狼とうろうの刀身が蒼炎の刃をまとい終えると、クラウンはその刃を扉に向かって幾度も斬り付ける。


 蒼炎の刃は凍て付かせ触れる事すら拒んでいた扉を急速に溶かしていき、クラウン達側の扉は数分とせず溶け切った。


「よし」


「よしって、反対側まだ凍ってたりしないのっ!?」


「凍っているだろうな。だが片側だけならば……」


 そう言うとクラウンは燈狼とうろうを仕舞い、腰を落とし左手拳を扉に触れるか触れないかの位置に置き、息を長く深く吐くと《発勁》を扉に打ち込む。


 ──バキッギィィィッッッ


 扉が軋みながら歪み裂け、同時に反対側の氷結が割れ剥がれる音が響いたのを確認したクラウンはドアノブに手を掛けると力技で無理矢理扉を押し開ける。


 その瞬間──


「なっ」


「さっっっむっっ!?」


「おいおいおいおいっ!?」


「ちょーっとヤバめだね」


「これは……」


 五人の体を、痛みを伴う程の極寒の冷気が突き刺さる。


 最早寒いという次元を超え、流体の存在など決して許さぬと言わんばかりに当たり一面が氷結。


 吹き荒ぶ吹雪は一瞬にしてクラウン達の身体を冷やし、耐性スキルを持っていないクラウン以外はその鋭い凛列りんれつに思わず身をすくませた。


「これ……ロセッティが?」


 寒さに震えながら、ヘリアーテは困惑する。


 目の前にあるのは五体の氷像。応接間の中央で床に座り込み一切動く事なく床を見つめ続けているロセッティを取り囲むようにして四体が並び、内一体は床に倒れ伏している。


 共通しているのは、それら五体全てが皆苦悶の表情を浮かべている事。恐らく身体が芯から凍り付いていくのを体感したのであろうその表情は、ロセッティが如何いかにしてこの地獄を作り上げたのかを想像させる。


「どうなってんだっ!? アイツにこんな力なんてあったかよっ!?」


「ま、まあ魔法の才能だけで言ったら、多分彼女が一番だったとは思うよ? で、でもこの状況は流石に……」


 戸惑うのも無理はない。


 彼女はこの部屋に来てからの約一時間強、魔法を発動し続けているのだ。


 それも一切その威力を減退させる事なくこの極寒を作り続けている。常軌を逸している所業と言えるだろう。


「クラウンさんっ、このままではロセッティちゃんは……」


「ああ。いくら彼女に才能があろうと限界がある。あのままでは魔力欠乏症どころか自壊症を発症するぞっ」


 自壊症とは魔力欠乏症に陥っても魔力を使い続けた結果発症する症状。体内の魔力が枯渇しているにも関わらず更に魔力を使用し続けると、魔力を無理矢理作り出そうとしてしまう。


 本来ならば枯渇した時点で脳が無意識にリミッターを掛けるのだが、尚も絞り出そうとした際にそれが外れてしまう事がある。


 そうしてリミッターが外れた結果、魔力の精製に材料として術者本人の生命力が使用されてしまうのが自壊症の初期症状。


 生命力を消費してしまうと身体が脆弱化してしまう事に加え、精製した魔力に身体が耐えられずに蝕まれてしまい、肉体が崩壊を始める。それが自壊症の症状である。


「そんな……っ!? なら早く止めさせないとじゃないのっ!!」


 ヘリアーテは凍えながらも吹雪に立ち向かうように前に進み、座り込んでいるロセッティに暴風に負けぬ声量で語り掛ける。


「ロセッティっ! もう充分よっ!! もう充分だからっ!!」


 声を張りながら彼女は並ぶ氷像に目を移す。


 その様子はもう誰が見ても明らかで、例えどれだけ丁寧に慎重に氷を溶かしたのだとしても絶命は免れないだろう。


 加えて猛烈な吹雪に煽られてしまった結果、彼等エルフ達の氷像の腕や頭は脆くも崩れ落ちてしまい、治すなど最早無意味。


 こんな凍結地獄を作り出したのが、あの気弱で物静かなロセッティだという現実に顔をしかめるヘリアーテは、更に叫ぶように彼女に語り掛け続けた。


「ロセッティっ!! もうよしなさいよっ!! アンタは良くやったわっ!! 気が弱いアンタが本当に良くやったっ!! だからもうっ──」


「……弱、い……」


「え?」


 猛吹雪が吹き続けているにも関わらず、ロセッティのその小さな呟きが異様な程に鮮明に、ハッキリと耳に届く。


「……そうよ。わたしは弱い……弱くて弱くて弱くて弱くて弱くて……。なのにこんな事させられて……。人、殺し、て…………殺して…………殺し──」


「ロセッティっ!!」


 ヘリアーテがそう叫びロセッティに歩み寄ろうとして一歩足を前に踏み出した。


 その瞬間──


「来ないでッッッ!!」


 ロセッティが慟哭するように声を上げる。するとたちまち今まで吹いていた吹雪が更に激しく、強烈に荒び出す。


 その激しさは先程までのギリギリ耐えられるレベルのものではなく、今や目を開けている事すら不可能なものに変貌を遂げ、ヘリアーテは思わず踏み出した一歩以上に後退してしまう。


「ちょ、ちょっと……アンタぁ……」


「殺した……知りたくない……分かりたくない。なんでわたしがこんな思いをしなきゃいけないの? なんでわたしがこんな重荷を背負わなきゃいけないの? なんでわたしが殺さないといけないの? なんでわたしが戦わないといけないの?なんでわたしが知らないといけないの? なんでわたしが──」


「……」


 反響し、部屋中にこだまするようにロセッティの声が重く静かに響き渡る。


 それはまるで呪詛のように不気味で重々しく、耳にしているだけで聞いている者の精神すら蝕みそうな声音に、クラウンが眉間に皺を寄せた。


「言葉にまで魔力が乗ってしまっている、のか? マズいな……」


「えっ!? それって、どういう……」


「彼女自身が魔力の制御を手放しているんだ。ただ栓を全開まで開いて放置している……。猶予は無いぞ」


「分かってるわよそんなのっ!! でも……近付く、なんて……」


「……彼女を」


「へ?」


「彼女を追い詰めたのは私だ。私が責任を取る」


「って、マジで言ってんのっ!? いくらアンタでも、これは……」


 《寒冷耐性・小》を保有しているクラウンだが、それでも勢いを増した極寒の冷気には抗い切れず、彼にも鋭い痛みが全身に走り続けている。


 夜翡翠の体感温度の反転ですら意味をなさず、然しものクラウンも尻込みしてしまいそうになっていた。


 が、それでも彼はその足を一歩前に送り出す。


「四の五の言ってられる状況ではない」


 クラウンは《炎魔法》を発動させると、それを全身に纏う。


「お、おいっ!?」


「アンタそれっ!?」


「問題無い。自身の炎にやられる程間抜けではないさ」


 そう四人に笑い掛けると、猛吹雪の中を歩み出す。


 吹雪はその冷気だけでなく、まるで柔軟性のある壁のような暴風でクラウンの進行を阻んでくるが、力技でそれを突っ切り、ゆっくりではあるがロセッティに近付いていく。


「来ないでって言ったでしょッッッ!!!!」


 しかしそんなクラウンにロセッティは喉が裂けんばかりに叫ぶ。


 そして空中に幾本もの氷柱つららを出現させ、なんの躊躇ちゅうちょもなくそれをクラウンに向かい解き放つ。


 氷柱はクラウンの身体に全て命中する。


 纏っていた《炎魔法》によりある程度溶解しその鋭利な先端が身体に穴を開ける事は無かったものの、勢いまでは殺し切れずに氷塊が鈍い音を立てて彼の身体に衝撃を与える。


「ふ、ふふ……。夜翡翠よるひすいは流石だ。だが、いつまでも喰らえないな」


 制御を放棄したロセッティによる氷柱の一撃は並の威力ではなく、改造魔物の外骨格製である筈の夜翡翠ですら威力を殺し切れていない。


「才能は素晴らしいのだがな……。想定していたより、メンタルが弱かったか……」


 クラウンの考えではここまでの事態になる事は想定外であった。


 ロセッティは第二次入学式の際、クラウンからの手加減された《恐慌のオーラ》に耐え抜き、彼との試合では変わり身だったとはいえ彼に容赦無い攻撃を仕掛けた。


 故にクラウンは彼女の見た目や態度とは裏腹に何かしらの方法でそのメンタルを守る手段を要しているのだと考え、五人の中の優先順位で最後に回したのだ。


 が、蓋を開けてみればこの有り様である。


「何もかも想定内とはいかない……。が、身内の想定外ならば挽回は出来る」


 ゆっくりゆっくり、吹雪の猛攻に抗いながら歩を進める。


「来ないで来ないで来ないでぇぇぇぇッッッ!!」


 その間もロセッティからの鋭利な氷柱の連撃は止まらず、いくつかは再び取り出した燈狼とうろうで払い除けるが吹雪の抵抗感で思い通りに燈狼とうろうを振るえず完全には防ぎ切れずに何発か喰らってしまう。


「クラウンさんっ!!」


 背後からロリーナが心配そうに声を張り上げる。


 そんな彼女にクラウンは目線だけで「心配ない」と言うと改めて座り込むロセッティに目線を戻す。


 それからもロセッティからの氷柱を防ぎつつ、彼女の叫び続けた喉が枯れ始めた頃、クラウンは漸く彼女の目前にまで辿り着いた。


 握っていた燈狼とうろうを仕舞い、自身に纏わせていた《炎魔法》を解除し、座り込む彼女に合わせて片膝を突いて語り掛ける。


「……ロセッティ」


「いや……構わないで……わたしなんかに構わないでっ!!」


「そういうわけにはいかん。このままでは君は魔力を──」


「どうでもいいんですよそんなのっ!!」


 ロセッティは顔を上げ、クラウンを睨み付ける。


 が、額から血を流し、自身が放っている吹雪の影響で身体に霜が降り始めたクラウンの姿に思わず目を見開き、気不味そうにして目を逸らした。


 そんな彼女の目は泣き腫らして真っ赤になり、頬を伝う涙とその跡が凍ってしまっていた。


「……涙が凍っている。君が少なからず自分自身の魔法から影響を受けてしまっている証拠だ。自壊症一歩手前……理解しているか?」


「……人を──」


 クラウンの姿を見て多少冷静さを取り戻したのか、ロセッティは小さく、ゆっくり口を開き、語り出す。


「人を、無責任に殺せてしまったわたしは、どうすれば良いんですか?」


「……無責任?」


「ええ、そうですっ!! ……わたしは、逃げたんです……。覚悟する事から……現実から……。目を逸らしてただ無責任にあの時杖を振り下ろした……。貴方の、言う通りに命に向き合えなかった……。出来なかったっ!」


 ロセッティは両手で頭を抱え、爪を頭皮に痛々しい程食い込ませる。


「人を殺した責任が怖くて逃げて……。でもやらなきゃいけないからって何も考えずにここに来て……。エルフに剣を向けられるのが怖くてがむしゃらに魔法、使っ、て……。また、殺、し、ちゃっ、て……」


「……」


「無責任で……。自分可愛さだけで他人を犠牲にして……。怖くて……。重くて……。耐え切れない……」


 立てた爪に徐々に力が入っていき、戒めるように自身の頭を掻きむしり始める。


「…………」


「こんなどうしようもない私に生きる価値なんか無いっ!! ……もうヤダ……知らない……やりたくない……分からない……」


「……お前」


「いっそ……いっその事、あのまま剣でわたしが死んだ方が──」


「お前、嘘を吐いているな?」


 クラウンの声に、ロセッティは思わず動きを止め、言葉が詰まった。


 抱えていた頭を解き、再びクラウンの顔を見上げ目を見開いたまま「へ?」と一言漏らす。


「……いや、嘘というより、自分にそう言い聞かせているのか」


「……い、意味が分かりません。わたしは、覚悟が、出来、て……」


 狼狽うろたえ、慌て、まるで縋るようにクラウンの夜翡翠の裾を掴むと、定まらない視線のまま訴える。


「わたしは、何も考えないままで……この人達を……殺したんですっ! それ以上でも無ければましてや以下でも──」


「五つの死体」


「……へ?」


「君が氷漬けにしているエルフの五人。内一人は倒れているな」


「それが、どうしたんですか。倒れてる……だけです」


「問題は場所と状況だ。他四人はお前を囲うように位置し、剣を鞘から抜いているのに対し、あのエルフは正面の奴の足元に転がっている。しかも剣を抜かずにな」


「……だから、なんです」


「状況証拠だけの推察になるがそこの倒れている奴、正面の奴に盾にされたんじゃないか? お前からの攻撃の盾に」


「──っ!?」


「しかも盾にされた奴に戦闘をする意思は無かったんだろう? なんなら正面の奴に「話し合おう」だなんだと説得したかもしれないな。まあ、お前にエルフ語は分からんだろうがな」


「……」


 ロセッティは目を泳がせながら俯くと、掴んでいた袖を力無く放す。


「……何故そんな状況になり、何故お前がそれで自己暗示なんて始めているのかまでは分からん。……だがなロセッティ」


 クラウンはロセッティの氷点下にまでなっている両手を重ね、それを包み込むように彼自身の手で包む。優しく、優しく温めてやるように。


 その感触に彼女は一瞬身を震わせ「うぅ……」と小さく唸るような声を漏らした。


「例え何が理由であろうと、私はお前を見放さない。何があろうとだ」


「……へ?」


「多少厳しい事は言うかもしれん。怒るかもしれんし、呆れてしまうかもしれん。そこは保証出来ない」


「……」


「だがこれだけは約束する。お前にどんな事情があろうと、私は全て受け入れる。お前が弱くても、意気地なしでも、臆病者でも、嘘吐きでも、未熟者でも……。そんなお前を、私は決して否定しない」


「…………は、い……」


「ありがとう。さて、取り敢えずは最優先は君の身の安全だ。この吹雪、止められるか?」


 俯いていたロセッティは顔をゆっくり上げ、申し訳なさそうにしながら首を数回横に振った。


「む、無意識で、やって、て……」


「そうか。ならまずは深呼吸だ。数回やって多少気を落ち着かせなさい。焦らなくて良いからな」


「……はい」


 クラウンの言う通りロセッティは数回深呼吸をする。それからも彼に言われるまま彼女は少しずつ魔力を抑えていき、遂には部屋に吹き荒んでいた吹雪が完全に止み、温度も下がる事は無くなった。


 しかし魔力欠乏症を発症してしまったようで、緊張状態から解放された反動でロセッティの顔色は優れず具合悪そうに項垂うなだれてしまった。


「……よし。なんとか自壊症にならずに済んだな。ホラ、飲みなさい」


 そう言ってクラウンはポケットディメンションを開くと一つのポーションを取り出し、ロセッティに渡す。


「魔力回復ポーションだ。改良品で通常の物より即効性が上がっている」


「ありがとう……ございます」


 渡されたポーションを飲み少しすると、ロセッティの顔色もマシになり、無理なく会話出来る程度にまで彼女は回復した。


「……もう、大丈夫か?」


「すみません……取り、乱して……」


「構わん。それに元はと言えばお前の精神状態を正しく見抜けなかった私の不手際だ。私からも謝罪する。すまなかったな」


「そんなっ! ……全部、わたしが悪いんです。未熟なわたしの、自業……自得なんです」


「……話せるか?」


「……はい」


 ロセッティは自分の胸に手を当て、深く深く息を吸う。


 上がり切っていない部屋の冷たい空気が肺に入り、自分の作った部屋の惨状を見て眉をひそめた後、おもむろに口を開く。


 懺悔ざんげを、吐き出す。


「わたしは……彼等を、〝憎しみ〟で、殺したんです」

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