第四章:草むしり・後編-2

 

 目の前にそびえる屋敷に、私は思わず息を飲む。


 大公ともなるとやはり住む屋敷の大きさも豪華さも桁違いのようで、遠くから眺める王城を除けば今まで見てきた建造物の中で最も巨大だろう。小さな城と言われたとて納得してしまう。


 この王都にある併設された冒険者ギルドと魔物討伐ギルドの建物よりも大きいなど正直意味が分からない。大貴族が住むにしたってもう少し小さくとも問題無かろう。


 一体何百人分の部屋が存在するのか……。


 そんな疑問が頭に浮かぶ中、馬車を制御していたモンドベルク公に仕える執事が御者台から降り、私に門の先に進むよう促す。


 私は促されるがまま三メートル以上ある門をくぐり、屋敷の大きさの割には小さめな庭を横断し、屋敷の扉まで辿り着く。


 すると扉は勝手に開き始め、その向こうでは数十人の使用人達が私を出迎えるように左右に居並び、一斉に私に向かって頭を下げる。


 その完璧に洗練された一糸乱れぬ動きに、またも私は圧倒されてしまう。


 ……数日前、私の屋敷で連れて来たティールにカーラットがナメられないようにと、演出じみた出迎えを講じ、見せびらかしたものだが、今回された歓迎はあの時の比ではない。


 派手さではなく、過剰でもなく。日々の地道な積み重ねが織り成す確かで純粋な練度による一種の御業。


 これが国を預かる〝大公〟という立場の人間が成さねばならぬ水準だと考えると、流石の私も多少なりとも姿勢を正したくなる。


 と、私が感心していると、目の前に広がる広大なロビーの真ん中に存在する幅の広い階段からドレスを着た女性に支えられてゆっくり降りて来る老人の姿が目に入る。


「……あれが」


 その老人が誰か確信した私は、左右に並ぶ使用人達の歓待を通り抜け、老人が降りきる前に階段手前に到着。


 その場に片膝を付き、こうべを垂れて老人が完全に降りるのを待つ。


 そして老人が降りきったタイミングを見計らい、挨拶と名乗りを上げる。


「お初にお目に掛かりますディーボルツ・モンドベルク大公閣下。私、ジェイド・チェーシャル・キャッツの嫡男。クラウン・チェーシャル・キャッツと申します。本日は私の為に時間を設けて頂いた事、誠に有難う御座います」


「ほっほ。中々どうしてキチンとしている。ささ、面を上げ、立ちなさい」


 モンドベルク公の許可を得て、私はそこで漸く顔を上げその場で立ち上がる。


「改めて……。ワシがティリーザラ王国が珠玉七貴族・金剛、ディーボルツ・モンドベルクじゃ。そしてワシの横に居るのが我が孫、リリアンじゃ」


 そうモンドベルク公から紹介されたのは先程彼が階段から降りるのを支えていた女性が瀟洒しょうしゃたたずまいでカーテシーでもって頭を下げる。


「初めまして。ディーボルツ・モンドベルクが孫娘。ブリリアント・モンドベルクと申します。どうか親しみを込めて「リリアン」とお呼び下さいませ」


 そう言ってリリアンは優しい笑顔を私に向ける。


 そんな彼女の笑顔に、私は可能な限りの慈しみを込めた笑顔で返し、「恐れ入ります。リリアン様」と返事をした。


「ほっほっほっ。若いモン同士、仲良くしなさい。……それにしてもなんじゃろうのぉ。今日初めて会ったというのに、余りそんな気はせんのう」


「はい。実は私も同じ様に感じています」


「ほっほ。そうかそうか。……さて、立ち話も何じゃ。向こうの客間を準備させている。今日はそこで語らおうじゃないか」


「恐れ入ります」


 モンドベルク公はそこで一度頷くと、ゆっくりした足取りで客間の方へ向かう。


 その足運びを見る限り、足腰が大分弱っているように見える。


 身体の痩せ具合や肌の血色、声の震え方や聞き取れる脈拍の具合から察するに体調自体が余り思わしく無く、足腰の弱りは長時間ベッドで過ごしている事による弊害だろう。


 つまるところ、モンドベルク公の体調は宜しくない。


 詳しくは流石に判断出来ないが、恐らくこうして客人を以て成すのもやっとだろう。もしかしたらこれでも今日は調子が良い方かもしれん。


 そんな体調にも関わらず、表向きには平民でしかない私にこうして時間を割いてくれている。中々に懐の深い御仁だ。


 ……まあ、キャッツ家が同じ珠玉七貴族だと知っているだろうし、そもそも父上と仕事上で付き合いもあるから私にここまでしてくれるのだろうがな。


 それでもこうして面会してくれる事には感謝しなければな。


 今回招かれている客人という立場でなければ、歩くのを支えているリリアンに代わって私がモンドベルク公に肩を貸すのも点数稼ぎになったりしたかもしれない。が、流石に今それは出来ないな。大人しくその背中を見守ろう。


 そうしてゆっくりした足取りで客間に到着すると、使用人の一人がその扉を開ける。


 客間というのはえてして家主の人柄を表す部屋だ。


 センスの無い者であれば無駄に絢爛な調度品で彩られていたり、造詣も深く無いのに高価だからと不釣り合いな絵画や彫刻を飾り自己顕示欲を他者に押し付けてしまう。


 しかし本物のカリスマ性や才能がある者であれば気品や淑やかさを感じさせる絶妙な価値ある調度品や、造詣の深さから来る絵画や彫刻が引き立てられたレイアウトを施し、見る者に相応の人柄を認識させる事が可能だ。


 この客間だってそう。


 正にこの国を守護する大公という立場の人間に相応しい装飾がなされている。


 ただ煌びやかなだけではない確かな価値がある調度品が視界の邪魔をせず、且つ確かな存在感を感じさせ、飾られた絵画や彫刻は客間の壁紙や絨毯などと引き立て合い、決してイヤらしさを感じさせない。


 その人物が余程変わった感性を持っていない限り、何も知らない者がこの客間を訪れたとしたら一発で大公に対し好印象を抱くだろう。それ程までにこの客間は完璧と言って良いほど整えられている。


「さあ、座りなさい」


 モンドベルク公が中央に備え付けられたソファにゆっくり腰を下ろし、彼を支えていたリリアンも彼の隣に座る。それを見届けたタイミングで私も腰を下ろし、一息吐くモンドベルク公とリリアンを見る。


 するとモンドベルク公は「さて」と一区切りしてから口を開いた。


「少しすれば使用人が茶と菓子を持って来る。それまでちょっと、雑談でもしよう」


 〝ちょっと〟と口にしているが、彼にとっても私にとってもそのちょっとした雑談がメインでこの場に居るのは言わずもがな。お茶会など当然ただの口実だ。


 後々何か面倒事が発生し、それについて他貴族から横槍が入った際のテイの良い方便だ。本当にお茶しに来ているわけではない。


「私はどうしましょう? お爺様」


 リリアンはそう言って少しだけ不安そうにモンドベルク公にそう訊ねると、彼は無言で私に「構わないか?」という視線を送り、私はそんな目線に頷いて見せる。


「この場に居なさいリリアン。きっとお前の勉強にもなるからのぉ」


「はい。畏まりました。お邪魔になるかと思いますが、宜しくお願い致します」


 そう言って頭を下げるリリアンに、私は「構いませんよ」とだけ返して笑って見せた。


 さて。ここからは楽しいお話し合いだ。


「では、私から最初によろしいですか?閣下」


「ああ構わないとも。それと今は話し方も多少崩して構わん。公式な場ではないし、君の言葉で語らいたいからの。それと閣下も無しじゃ。良いな?」


「はい。承知しました、モンドベルク公」


 そう簡単に決まりを作り、改めて私から最初の〝雑談〟を始める。


「単刀直入にお伺いします。何故、私に二人も監視の目を付けようとなさったのですか?」


 本来ならもう少し空気が温まってからの方が意表を突けて良いのだが、今日中にはハーティーに面会したいからな。少し早足で行こう。


「監視……のぉ」


「失礼を承知で申し上げますが、今更何を言い訳しようと私の認識は歪みませんし誤魔化されもしません。お分かりですね?」


「……」


 モンドベルク公は少しだけ間を作ると、大きな溜め息を吐いてから空笑いを漏らす。


「ほっほっほっ。あの小僧は兎も角、カーラットからの監視にも気が付かれるとはのぉ。いやはや、なんとも……」


「カーラットから聞き出した限り、貴方様は私を幼少から監視していましたよね? 一体何が目的で?」


 理由は明白ではあるが、やはり本人から直接真実を口にしてもらわん事には落ち着かない。嘘を吐く可能性も勿論あるが、これを聞き出す目的はそこではないからな。して重要ではない。


「……君を、脅威に感じたからだ」


 ほう。嘘は吐く気はないらしい。


「脅威、ですか」


「左様。君を十年前のあの日に知った時から、君は尋常ではないと察していた。まだ未熟だったとはいえ、あのキグナスに危機感を与えたのだからな。齢五つの子供が為せる所業じゃあない」


 まあ、あれを見て危機感をおぼえ無いようなのは余程の無関心か無能のどちらか……或いは盲信している者だけだろう。この人の懸念も理解出来る。


 ……だが──


「それにしてもです。貴方がわざわざ表向きの平民であった私個人にここまで労力を裂くのは少し不自然に思いますね」


「ほう。不自然、か」


「そうです。私に何か危険なものを察したのだとしても、国の大公である貴方が直々に元部下に監視を命令し、辺境の男爵位の子息をたぶらかして側に置かせるなんて労力を費やすのは過剰ですね」


「そう思うか」


「何か、他に理由がありますよね? 私に目を付けた、真の理由が」


「……」


 モンドベルク公はそこで黙ると隣に座るリリアンに目線を送り、それを受けたリリアンは一度立ち上がると私とモンドベルク公に頭を下げてから部屋を出て行った。


「今からする話はワシ一人しか知らんし、そもそも憶測も憶測。決して確信もしていない。だが君には伝わるだろう」


「それで? 理由は?」


「……ワシは君が、「強欲の魔王」なんじゃないか、と疑っておる」


 ……成る程。


「勿論さっきも言ったようにあくまで憶測。確信は一切無い。だが少なくともワシの知る人物の中では一番可能性があると思っとる」


 ……ふむ。


「憶測にしても飛躍していませんか? それでは単なる因縁を付けているようにしか見えませんね」


「君からしたら気持ちの良い話ではないだろう。だが君が産まれたタイミングや才能、センスを鑑みると、どうも考えてしまうんだ」


「タイミング、というのは?」


「アーリシア・サンクチュアリス様がお産まれになったタイミングじゃ。「救恤の勇者」である彼女が産まれた日と君が産まれた日には一ヵ月程の差しかない」


 大公がアーリシアを〝様〟呼びか。まあ、姫様みたいなものだからな。私としょっちゅう一緒に居た事自体が異常なんだ。


 ──と、それよりだ。


「偶然でしかありませんね。探せば私より近い誕生日の子は幾らでも居るでしょう」


「だが皆才能は凡庸だ。君の様に歳不相応な強者は他に居らん」


「私は純粋に努力を重ねているに過ぎませんし、比較的運も良いというだけです。それに同世代に魔王がいるのであれば、私の様に目立った動きはしないのでは?」


「ほう。つまり自身の能力をひた隠し、暗躍しているかもしれん、というわけか」


「仰る通りです」


 本来なら私だってそうしたかったがな。幸か不幸か厄介事がスキルという土産を引っ提げて私に会いに来るものだからついつい食指が動いてしまった。自分で言うのも何だが、厄介な性格をしている。


「成る程。君の言い分は理解した」


「それは幸いです」


「……一つ、昔話をしようか」


 ん? 昔話……?


「ワシは昔──大体三十年程前かのぉ。一人の男を血眼になって探し回った」


「……男、ですか」


其奴そやつはこの街の北東にある山を根倉にする山賊の頭領での。度々セルブを訪れては下街げがいでやりたい放題して治安を悪化させておった」


 山賊か……。今日日きょうび聞かな──いや、十年前に路地裏で絡まれたな。アーリシアを助けた時だったが……。ん?アレは盗賊だったか?流石に曖昧だな。


「ただの山賊の頭……ならばまだ対処は容易だった。だが問題だったのは──」


「その頭が「強欲の魔王」だった……。という話ですか?」


 私の一世代前の「強欲の魔王」……。私も気になって色々調べたりしたが、大した情報は得られず仕舞いだったな。


「察しが良いな」


「興味本位で調べた事があります。ですが山賊の頭領だった事と、《強欲》を使って暴れ回っていた事くらいしか判明はしませんでしたがね」


「そう情報操作したのだ。世間一般に魔王の情報を流すのは色々と混乱を招きかねんからのぉ。……君の先祖のように」


 そう言い放つモンドベルク公の口元は僅かに歪み悪戯っぽく笑う。その様は年齢を感じさせず、何かを試すようでもあった。


 ……ちょっと、気に食わんな。


「意地の悪い言い方をなさる。まさかそれも含めて私をお疑いに?」


「ほっほっほっ。流石にそこまで短絡的ではないわい。……だがその事実を知っている身としては、全く考えないわけじゃないがの」


「どうぞお好きに。妄想は自由ですから」


「ほっほっ。妄想ときたか」


「ええ。浅はかで滑稽な妄想です」


「ほっほっ……」


「ふふふっ……」


 場の空気が沈んでいくのを、肌でハッキリと感じる。


 まるで実際に重量が増したのではないかと錯覚するようなこの空気感。果たして次はどう切り出そうか──


「あ、あのお爺様?」


 と、そんな空気に亀裂でも入れるかのように、淑やかな声が私達の間を通り抜ける。


「ん? なんだリリアン」


「私、いつまで外で待っていれば宜しいのでしょうか? 流石にちょっと部屋の外で待ち惚けは辛いのですが……」


「……」


「……」


「あ、あの……お爺様? く、クラウン様も……。一体?」


「ほっほっ。丁度いいシラけ具合じゃの」


「ですね」


「もう良いぞリリアン。入りなさい」


「は、はい……」


 リリアンは再び客間に入室すると、いそいそとモンドベルク公の隣に戻り、「ふぅ」と一息吐いてから私とモンドベルク公を交互に見る。


「失礼しました。ではお話の続きをどうぞっ」


「続きか……。あぁ……どこまで話したかの?」


「山賊の頭領の話です」


「おおそうだったそうだった……。では、続きを話そうか……」

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