幕間:嫉妬の受難・嘘

 


「……大丈夫か?」


 ヒルドールが物陰から前方で曲がり角を覗き込んでいるアパノースに小声で心配そうにたずねる。


 問われたアパノースは手を彼へ突き出し制止させるような仕草をして動きを止めると、暫くしてから「急いでっ!」と小声で言いながらヒルドールと彼の手を握るユーリを手招きする。


 彼等は今、王都から脱出している真っ最中。


 先日アパノースの冗談混じりの提案により戦争が本格化する前に王国を三人で脱出する、と決意。アパノースが脱出ルートを確保し次第直ぐに国からの逃亡を図る算段をしていた。


 そして決行日深夜。アパノースが仕入れた脱出ルートを参考に、簡単な荷物だけを背負い込み三人で家を出たのだ。


 幾つかの警備をアパノースの指示の元掻い潜り、迅速且つ慎重に少しずつ少しずつ王都の外壁へ近付く。


 そうして数時間という時間を掛けて三人は誰に見つかる事もなく目的地の外壁へ辿り着いた。


「おいアパノース! ここからどうすんだっ!?」


「静かになさいよっ! ほら、そこの茂み掻き分けてみなさい」


 アパノースにそう言われ半信半疑で壁際の茂みを掻き分けてみると、そこには他の外壁に比べ経年劣化が激しく色も変色している箇所があり、既にボロボロでヒビすら入っていた。


「これは……」


「その茂みのせいで長年補強されてなかった箇所よ。業者がサボったのね……。でもお陰で私達は脱出出来るっ!」


 言いながらその劣化箇所に向かってアパノースが蹴りを加えると、いとも容易く穴が空いてしまい、外壁の外の景色が見えるようになる。


「おおっ!」


「さあ、さっさとこんな所逃げちゃいましょっ!」






 外壁を潜り抜け数十分。


 脱出してからずっと走りっぱなしだった三人は森の中へ逃げ込むと、少し開けた場所に出てから一息つく。


「はぁ……はぁ……こ、ここまで、来れば……」


「おじちゃんゴメンね……重かったでしょ?」


 息を切らすヒルドールとアパノースの二人を、ヒルドールの背中から降りたユーリが不安と心配に満ちた表情を見せる。


 道中、二人とは歩幅もスタミナも圧倒的に違うユーリが彼等に着いて来れなくなり、途中ヒルドールが彼女をおぶっての逃亡に移行していた。彼女はそれに罪悪感を覚えていたのだ。


「重かねぇよ大丈夫っ! これでも俺優秀な兵隊だから、お前一人背負って逃げるなんて朝飯──ゴホッゴホッ……!!」


 無理に強がろうとしたヒルドールは勢い余って唾液を吸い込んでしまい盛大にせてしまう。


 そんな彼に呆れながらアパノースは「水飲んじゃいなさいよ」と促し、自身も水分補給をしようと水筒に手を付ける。


 しかしふと水筒の重さに違和感を感じ、まさかと嫌な予感を募らせながら軽く揺すって見るが、手に入っていた筈の水が波打つ感触は返ってこない。


「はぁ……私ったら何やってんだろ……。水筒に水入れ忘れるなんて……」


「マジか……。あ、俺の飲むか?」


「いいわよ、ユーリに飲ませてやんなさい。それに丁度少し外れた所に綺麗な川が流れてたはずだからそこから汲んでくる。あ、ついでにアンタのも汲んで来るわ」


「お、おい、あまり別行動は……」


「本当に近くよ。それにこの先いつ水分補給出来るか分かんないし……。今の内に、ね」


 ヒルドールの心配を他所に、そう言ってアパノースはウィンクするとユーリが十分に水分をったのを確認し、二人分の水筒を持って茂みの中に消えて行く。


「まったく……。こっちの意見を聞きゃしない……」


「で、でもアパノースさんは……」


「分かってるよ。アイツは単に世話焼きたいだけだ。お前は俺の女房かっ、てな……ハハっ」


「おじちゃん?」


「い、いやっ! やっぱ今のナシっ!!」


 空笑い混じりの冗談を言ったヒルドールだったが、言っていて自分で恥ずかしくなったのか誤魔化すように頭を掻いて夜空を見上げる。


「ほ、ほらユーリっ! 今日は雲一つないから星が綺麗だぞっ!」


「……」


「……ユーリ?」


「……アタシ、ずっと羨ましかったの」


「え?」


 ユーリは地面に座り込むと促された通り夜空を見上げ、瞳一杯に星空を写しながらポツポツと言葉を紡ぐ。


「おじちゃんに、拾われて……。言う通りずっと家に居て……。別にイヤじゃなかったよ? でも……いつも、羨ましかったんだ。他の、子達が……」


 ユーリはダークエルフであるが故、人族の前に顔を出せなかった。


 万が一があってはいけない、とそこだけは厳しく躾けてきたヒルドールの賜物で、ユーリはこの歳になるまで一度も外へ出ず、ただ家の中で過ごしてきた。


 そんなユーリは特別自分を不幸だとは思っていなかったものの、時々窓辺から見える人族の親子が手を繋いで仲睦まじく買い物をする姿を見て、内心ではずっと憧れていた。


 外に出たかったのではない。


 ただ彼女は、ヒルドールと、そんな日常の一部を過ごしてみたかったのだ。


「ユーリ、お前……」


「本当、はね? ……怒るかもしれないけど……今日、初めて外に出て……スゴく、スゴく嬉しかったんだっ! おじちゃんと、アパノースさんと三人で……。ちょっと思ってたのと違ったけど……。アタシ、今スゴく楽しいっ!」


「そう、か……そうか」


 彼女の言葉を聞いたヒルドールは同じようにしゃがみ込むと、ユーリを正面から抱き締めてやる。


「お、おじちゃんっ!?」


「ゴメンなぁ……。今まで……今まで我慢させちまって……。ありがとうなぁ……ワガママ一つ言わないで言う事聞いてくれて……」


「……っ。う、ん……」


 嗚咽が混じり、涙ぐみながら語るヒルドールの声に、ユーリの瞳の星空が涙で大きく波打つ。


「でもこれからは誰も俺達の事を知らない所で三人で暮らせる……。三人で飯食って、三人で風呂入って、三人で寝て、三人で買い物して……。笑ったり怒ったりしながら……三人で……」


「うぅん……うん……」


「絶対幸せにしてやる……。三人で幸せになる……。そんな夢を、一緒に叶えような」


「うん……うんっ!」


 と、そんな時だった──


「悪いけど、私はゴメンね」


 聞き馴染んだ声が、声音を変え、耳を疑いたくなるような言葉に乗って二人の耳に響く。


 そして次の瞬間、ヒルドールに対し明確な敵意が四方から放たれると、彼はユーリを庇いながら腰にはいていた剣を抜き、辺りを睨み付ける。


「ホント、相変わらず戦闘センスだけはピカイチよね……」


 嘆くように続いたその声がする方へヒルドールが視線を向けると、森の闇から見慣れない外套がいとうを身に纏ったアパノースが姿を現す。


「アパノース……お前っ!!」


「フン。流石に察したわね」


 そう言ってアパノースが指を鳴らすと、彼女と同じように森の奥から同じ外套を身に纏った幾人かの刺客が、ヒルドールとユーリを取り囲むようにして現れた。


 その手には、いずれも妖しく月光を反射させた凶器が握られており、明確な殺意を宿して二人に切っ先が向けられている。


「なんで……なんで、お前が……。裏切って……」


「裏切る? 何勘違いしてんのよ」


 アパノースは指をユーリに向かって差す。それの意味する所を、ヒルドールは漠然と察しながらも理解したくない、と頭を振った。が、それを現実が許さない。


ユーリそれとアンタを監視する。そして機を見て取っ捕まえる……。それが私に課せられてた仕事。最初っから、ね。ホラなぁんにも、裏切ってないじゃない?」


「ふざけんなっ! だってお前は兵士で……俺の同僚じゃねぇのかよっ!?」


「……これ、見える?」


 彼女が自身の襟を指し示す。そこには一つの紋章が刺繍されており、見る限りでは他の刺客達の外套にも同じ物が見受けられた。


「それは……」


「私達は珠玉七貴族が〝翡翠〟の傘下ギルドの構成員。日常に溶け込み情報を集め、国賊や反逆者の監視、制裁を任ぜられた〝影なる執行者〟」


「なっ……」


「私の担当は兵舎。たまたまね。それでたまたまアンタの同僚だった……。たったそれだけの話よ」


「そん、な……」


「でも、まさかねぇ……」


 アパノースはゆっくり二人に向かって歩き出す。


 それを剣を構えながら警戒したヒルドールだったが、彼女はそんな切っ先を鼻で笑うと腰にはいていた短剣を目にも止まらぬ速度で抜き、彼の剣を弾くと遠くへ蹴り飛ばしてしまう。


「……っ!?」


「驚いた? 私って結構やれんのよ。まぁ、本調子のアンタには敵わないでしょうけどね」


 そしてそのまま二人に至近距離まで近付き、二人と同じ視線までしゃがみ込むと、今にも泣きそうなユーリを忌々し気に睥睨へいげいする。


「まさか……。アンタがエルフ拾って来るだなんてね。しかもよりによってダークエルフ……。ホント、アンタ馬鹿よ」


「……は?」


「私──いや、私達はね。アンタがそれ拾ったのを最初から知ってたのよ」


「なっ!?」


「でもその時点じゃアンタを捕まえなかった……。なんでか、分かる?」


「……」


「分かんないわよね? ……私達の上司が、そう判断したのよ。「そもそもこのダークエルフはなんなんだ」だっ、てね」


 怯え続けるユーリに対し「チッ」と舌打ちを打って不機嫌そうに口元を歪めた。


「知ってる? ダークエルフって普通じゃないのよ。エルフ共ですら忌み嫌って表に出さないくらいね。それが何? 赤ん坊のまま王国に流れ着いた? どう考えたって普通じゃない。異常事態よ」


「……どういう意味だ」


「エルフ共の陰謀……もしくは向こうでトラブルが起こった証拠……。上司はそう睨んでね。取り敢えず今は泳がせて様子見しながら厳密な情報を集める……。私はそれが整うまでアンタを牽制しつつコイツと親密になって探りを入れる……。ってのが、私に下された命令」


「……」


「で、数日前にそれが整った……。上司はコイツはエルフ共にとっての汚点。存在そのものが奴等にとっての不都合になるって突き止めたのよ」


「ユーリ、が?」


「ええそうよ。詳しくは知らされてないけどね。……それで、よ」


 アパノースは立ち上がり趨勢すうせいを今まで見守っていた彼女の〝本当の〟同僚達に視線を送ると、彼等は一斉にヒルドール達との距離を詰めていく。


「……っ!?」


「無駄話し過ぎちゃったから急ぐわね。改めて……アンタ達二人を拘束する」


 ヒルドールは舌打ちを打つとユーリに振り返る。


 何が何だか分からずに自分の服の裾を必死に握って何かを訴え掛けてくる彼女の泣き顔を見た彼は、小さく息を吐くと強引に笑顔を作り頭を撫でる。


「お、おじちゃん……」


「……大丈夫」


 その目に強く硬い意志を宿すと、ヒルドールは立ち上がりアパノースを鋭く睨み付け、拳を構える。


「……抵抗、するのね」


「悪いが大事な〝娘〟が泣いてんだよ。例えお前でも……」


「……私の気持ちも知らないで」


「あ? なんて?」


「……もう、いいわよ」


「そうか。なら遠慮な──っ!?」


 気合いを入れようと身構えた瞬間、ヒルドールの意識が唐突にグラつく。


 視界が揺れ、ボヤけ、足腰に力が入らずフラついてしまう。


「あら。やっぱアンタ凄いわね。まだ立ってられるなんて……」


「これ、は……」


「アンタ達の水筒、誰が用意したと思ってるの? 私が自分の水筒に水入れ忘れた事に何も疑問に思わなかったわけ?」


「──っ!! く、薬を……」


「はあ……。相変わらず人が良いんだから。でも、もうおしまい」


 遂には立っていられなくなったヒルドールは膝を突き、頭を抱えながら襲い来る強烈な睡魔になんとか抵抗する。


 その横ではユーリが眠気に耐え切れず、泣き腫らした目が船を漕ぎだし地面に横たわる。


「ゆ、ユー、リ……」


「抗うだけ無駄よ。狂戦士だって眠っちゃうって評判なんだから」


「うぅ……」


「……これで、私達の──私の仕事も終わり」


「アパ……ノー……スぅ……」


「……本当、馬鹿ね、アンタ」


「……」


 意識が闇に呑まれ、望まない心地の良い眠りが理性を覆い尽くす。


 胸に去来するユーリへの心配やアパノースに対する複雑な心境を置いてけぼりにし、ヒルドールは夢の世界に旅立った。


「……任務完了。手筈通り二人を拘束して別々に監禁しなさい。上には私から報告する」


 そうアパノースに命令された同僚達は返事をしないままヒルドールとユーリに近寄り、両手を後ろ手に縛り上げると大きな麻袋に二人を詰め込んでいく。


「……おじ──」


「ん?」


「おじ、ちゃん……」


「……チッ」


 アパノースはユーリに歩み寄り、詰め込まれる彼女に対し見下しながら再び忌々し気に顔を歪める。


「アンタが……アンタなんかがヒルドールに拾われなけりゃ……。私がコイツを捕まえずに済んだのよ……。アンタさえ……アンタさえ居なければ……」


 そんな恨み節を聞きながら、ユーリの意識もまた、ゆっくりと暗転していった。


 最後に彼女の頭の中にあったのは、ヒルドールの見せてくれた「大丈夫」と無理に笑う、笑顔だけだった。






 ユーリはゆっくり目を覚ます。


 見上げるのは見覚えのある天井。自室の無駄に広く高いその天井に無意識に手を伸ばすと、何かを掴むように拳を握る。


 そんな意味のない事をしている自分に自嘲気味に笑うと、ユーリはいつものソファーから身を起こした。


「……仕事、しないと……」


 そう呟きながらソファーから立ち上がり、クローゼットに向かって中にある服をいくつか引っ張り出す。


 それに適当に着替えると、そのタイミングで自室のドアがノックされ、ユーリは「入れ」と投げやりに許可を出す。


 そして部屋に入って来た大臣に対して一瞥いちべつし、ローテーブルに置かれた資料を手に取った。


「お疲れ様で御座います。女皇帝陛下……」


「労いはいい。報告しろ」


「はっ……。早朝、南の監視砦にて第一軍団長アヴァリから定期連絡があり、砦に詰めている若輩兵士の訓練は順調との事です」


「ふん。アイツもご苦労な事だ。役に立つかも分からん兵士を鍛えるなんてな……」


「万が一がありますから……。陛下もそれを危惧し、彼女に許可を出したのでしょう?」


「お前達が煽るから心配になっただけだ。……アヴァリには戦時前には戻れるように調整しろ、と伝えろ」


「はっ」


「で? 他は?」


「はい。第二から第五軍団長は例の作戦の最終確認をしている最中です。部下達の訓練も、後二か月あれば完璧なものになると報告を受けています」


「そうか。なら正式な宣戦布告の書状を準備しろ。出来次第ティリーザラ王国に飛ばせ」


「畏まりました」


「報告はそれだけか?」


「……いえ、後一つ……」


 唐突に歯切れ悪くなった大臣を訝しみながら睨み付けると、大臣は慌てたように居住まいを正し、意を決して続きを口にする。


「ハンナに対する尋問で御座いますが……。残念ながら一つとして口を割る気配がありません。申し訳ありませんっ!!」


「……そうか。ハンナが……」


 ハンナはクラウンによって見逃されアールヴへ逃げ帰って来た当初から拘束されていた。


 理由は単純。ハンナ自身がキャッツ家の情報開示を拒んだことである。


「まさかここまであの家の連中に感情移入してるなんてな……。はなはだ不快極まりないな」


 湧き上がる感情に身を任せ持っていた資料を思わずぐしゃぐしゃに握り潰してしまうと、それを見た大臣は慌てるようにして頭を下げる。


「も、申し訳御座いませんっ!! 必ず……必ずや奴めの口を割らせ──」


「いや、いい。私がやる」


 そう申し出たユーリに目を見開いて大臣が驚くと、彼女は握ってしまった資料を適当に放り、大臣に歩み寄る。


「私が鍛えた工作員だ。生半可な尋問や拷問じゃあハンナは口を割らん。私とアイツはそれなりに長いしな」


「で、ですが陛下の手をわずらわせるわけには……」


「もう既に煩わせてんだよマヌケっ!! ……今から行く。ついて来い」


「は、はいっ!!」


 大臣の必死の返事を無視し、ドアを潜って廊下を歩き出す。ハンナが待つ、尋問室へと……。


「ハンナ……。よりにもよってお前が……クソがっ! ……許さんぞ、絶対にィ……」


 激しい憎しみや怒りを胸に、ユーリは邪悪に顔を歪めた。

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