第三章:欲望の赴くまま-3

 漸く……習得出来た。


 姉さんにそう言われ、私は思わず自分の両の手の平を眺める。


 傷だらけだ。血豆は破け、擦り傷が汗でみる。


 握力はとうに限界を迎え手は震える。木剣を握れているのが不思議なくらいだ。


 そんな両手を眺めて心中で叫ぶ。


 実感が……一切無いっ!!


 確かに姉さんに一撃入れることが出来た。正直入れられたと言って良いのか分からんが、姉さんが言うには確かに一撃入れられた。


 だがそれがスキル《麻痺刺突パラライトラスト》だと言われると、腑に落ちない。明確に習得したという証が──感覚が無いのだ。


 確かに《天声の導き》の権能の文言を読んだ時はその可能性を考えていた。十中八九そうだろうとは思っていた。


 しかしだからといってここまで何も無い事があるか? 音が鳴れとまでは言わない、不思議な感覚を期待していたわけでもない。


 だがこう……何となくそれっぽいのすら無いのか?


 ……もしや姉さんが慰めで言っているのではないか? と、姉さんの方を見ると、姉さんは先程から満面の笑みを浮かべながら地面に座り込んでいる。流石の姉さんも朝陽が昇る程の長時間の運転は堪えたようだ。


 そんな姉さんの様子を見るに、とても私に嘘を言っているなど思えなかった。心の底から私が習得出来た事に喜んでくれている。


 つまりコレは、スキルの習得にはそもそも明確な実感など元々無いのだという事なのだろう。寂しい話だが。


 自分がどのタイミングでどうやって、どんなスキルを習得したか……。それを知るには簡単に手が出せない程の高額な「鑑定書」と言われる自身の情報を参照出来る羊皮紙を使うなどしない限り判然としないのかもしれない。


 ……はあ。まったく、はなはだ嘆かわしい。心の何処かで私は期待していたのだ。そういった感覚のようなものがあるのではないか、と。


 これでは希望的観測をしていたようなものではないか。なんたる愚行を犯したのだ私は……。


 前世で私は一切の希望的観測を捨て、全ての可能性に対して万全を期す。そういった人間だった筈なのだが……。


 どこで私はこんなにも甘い人間になってしまったのだろうか? これではいつか必ず足元を掬われてしまう……。心構えを改めなければ……。


 そう密かに決意をしていると、私は目の前で木剣を杖代わりにして立ち上がる自慢の姉の姿が映り、そちらに目を向ける。


 その深紅の長髪が朝陽に照らされ輝いている。瞳は大きく、金色の虹彩がその魅力を更に引き立てている。思わず見惚れて先程の決意が薄れてしまいそうな程だ。


 そんな私の視線に気付いた姉さんは、再び満面の笑みを私に見せてくれる。


 ……姉さんを見ていると、何故か不思議と「まあ、いいか……」などと考えてしまうのだから、私は本当に甘くなったのだろう。いやはや、どうしたものか……。


 ……と、今はそれどころじゃないな。こうなって来ると早いところ《天声の導き》が使えるようになってくれるか、もしくは転生前に狙っていた《解析鑑定》を手に入れる必要が出て来る。


 既に布石を撒いている《解析鑑定》が今は一番早く手に入れられる可能性が高いが、万が一を考えると先に《天声の導き》が使えるようになってくれるのがありがたい。これは色々検証する日が来たのかもしれないな。


 と、そう考え事をしていた、その時──


「あらあら、よぉ〜やく、終わったのね」


 そんな声が、背後から聞こえて来た。


 ふと私は無意識に下げていた目線を目の前の姉さんに再び向けると、姉さんは私の背後を見ながら青褪あおざめた表情で固まっている。


 ああ、これは……。


 私も恐る恐る、背後を振り返る。


 そこに立っていたのは母上と救急箱を抱えた御付きのメイド長のハンナだ。ハンナは呆れたような顔をしているが、母上は優しい微笑みをたたえながら、ただ私達を眺めている。


 私は知っている。まだ母上とは五年程しか一緒に過ごしていないが、これは家族だからなのだろう。決してこの微笑みは、慈愛からくる本当の意味での笑みなどではないのだと。


「は、母上? ど、どうされたのですか?」


 姉さんがそう怯えた様に問い掛ける。あの剣術の天才の姉さんをすら圧倒しているが、流石の姉さんも母上には頭が上がらない。事実声がかなり上擦っている。


「どうされた? あらあら、分からないかしら? 一から説明しましょうか?」


「え、あ、い、いえっ!! 滅相も御座いませんっ!!」


「はあ……。まったく、貴女は今が何時なのか判るかしら? 一晩中修練場で五歳の弟相手に大立ち回りなんてして……」


 そう言いながら母上は頭を抱える。そんな母上を見た姉さんは血相を変えて私に駆け寄り、私の両肩を勢いよく鷲掴みにする。


「お、弟よっ!! クラウンよっ!! け、怪我は大丈夫かっ!? どこか痛い場所はっ!? 骨は折れていないかっ!?」


 何を今更……とも思ったが、どうやら一応は本気で私の身を案じているらしい。


 まさかとは思うが、私がまだ五歳のお子様である事を忘れていた訳じゃないよな?


 そう思いもしたが、目の前でわなわなと震えながら心底不安そうにその大きな瞳を涙を滲ませる姉さんを見ると、どうも本気で忘れているようにも見えて来る。


 まあ、最初こそ確かに私に対して割と手加減してくれていたが、十日目辺りで段々とそれが無くなって来ていたのは、なんとなく感じていた。最終日となった今日も当然本気で打ち込んで来ていたのだろう。全身の痛みがその証拠だ。


 そう思うと、私もよくやったなと自画自賛してしまいたくなる。と、そろそろ返事をせねば。姉さんが自責の念で今にも号泣してしまいそうだ。


「大丈夫ですよ姉さん。確かにあちこち痛いですけれど、大怪我はしてません」


「本当に? 本当だなっ!? 我慢したりしてないかっ!?」


「していません。それより私は姉さんに感謝してるんですよ?スキルは習得出来ましたし、かなりハードでしたけど、その分かなり剣術が上達しました。今なら同年代の子なんて敵じゃないと確信しています」


「う、うわぁぁぁ……。なんて……なんて出来た弟なんだお前はぁぁ……」


 ああ、結局泣いてしまったか……。仕方ないな、まったく。


「母上も、私は全然平気ですから姉さんを怒らないであげて下さい。そもそも私がお願いした事ですし、事実強くはなれたと思います」


「まあまあ、この子ったら。これじゃあどっちが年上か分からないわね。……はあ、仕方ないわね本当。クラウン、ガーベラ。まずはハンナに手当てをして貰ったら二人ともお風呂に入りなさい。それが済んだら朝食です。良いわね?」


 そう言い残し、母上はハンナに「よろしくね」とだけ伝え、彼女を一人残し背を向けてこの場を後にした。


 ハンナが救急箱を抱えてこちらに向かって来るのだが、そんな最中にも姉さんは未だに何かを喚きながら涙を流し続けている。


「ほら姉さん、先に手当てをしてお風呂に行って下さい。このままじゃ朝ご飯食べ損ねますよ?」


「うぅぅ……一緒に入るぅぅ」


「入りませんよっ!? 私はお風呂は一人が良いんですっ!!」


 突然何を言い出すんだこの姉は。柄にもなく大声を出してしまったではないか……。


「ヤダぁぁ入るぅぅ……」


「はあ……まったくもう……」


 五歳児である私が言うのも何だが、姉さんもまだまだ子供である。だが私は姉さんのこういう所が好きなのだ。苛烈な時とのギャップのせいかは知らないが、ついつい付き合ってしまう。


 さて、それよりも明日は私の誕生日。約五年間温めていたちょっとした計画が実を結ぶ。その時が来るのである。明日に備えて、今日はさっさと手当てをして風呂に入って朝飯食べて寝て──


「一緒に入るぅぅぅぅ……」


「ああ、もうわかりましたよっ!! しょうがない姉さんですねまったくっ!!」


 駆け寄ったハンナがそんな姉さんに若干呆れながらも、手際良く私達の手当てを始める。


「もう、心配しましたよ……。私達使用人は兎も角、奥様や旦那様の声すら聞こえていないんですもの……」


「すまないなハンナ。習得間際と知って、つい熱が入り過ぎてしまったよ」


「相変わらず口調が大人びていらっしゃる……。と、終わりましたよ」


「ありがとうハンナ」


「応急手当てです。今薬など塗ってもお風呂で流れてしまいますし、坊ちゃんに至っては全身に傷があるでしょうから本格的なのは後日治療院に行きますよ?良いですね?」


「あ、ああ……」


「さて、次はお風呂をさっさと済ませて朝食ですっ。ホータンがお疲れのお二人の為に腕によりを掛けて作るそうなのでお楽しみ下さいねっ!」


「……そう、だな」


 朝食、か……。素直に喜べないこの問題も、時間を掛けていつか解決せねばな……。


 正直、気が重い。


「さあ、行きますよお二人共っ!!」


 そう言うハンナを先頭に、私達は重い体を引き摺るように屋敷に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る