第二章:嬉々として連戦-15

 

「ちょ、ちょっと待てよっ!」


 ティールはそう言って私が服を脱ごうとしたのを肩を掴んで止める。


 なんなんだまったく。


「なんだ?」


「なんだじゃねぇよお前っ! 魚相手に水中戦とか馬鹿じゃねぇのかっ!? 俺でも分かるぞそんくらいっ!!」


 そうまくし立てるティールだが、私だってその程度理解している。理解している上で水中戦をするつもりでいるんだ。


「分かって言ってる事くらい分かるだろ」


「いやまあそうだろうけどよぉ……。流石に無謀だろう?」


 ふむ。まあティールの言っているように、水中をあの速さで泳ぎ回る奴相手に水中戦は確かに無謀だろう。だがだからと言って他に手は……。


「《精霊魔法》は使えないのですか?」


 そんな声に振り返ってみると、ロリーナが私の側まで歩み寄ってくる。


「確か《精霊魔法》は自然現象を操れるのですよね? それで湖の水を一時的に退かしておくというのは……」


「流石の私もこの広い湖の水を全て抜ける程の《精霊魔法》は操れない。仮に無理をしてやったとしても、そっちに神経を割かなきゃならないからまともに戦闘出来ないだろう」


「でしたら水を一時的に別の場所に移す、というのは? 《地魔法》などで一旦受け皿を用意して……」


「この湖の水を一時的にでも置いておける程の受け皿を用意するのは至難の技だ。それにこんな森じゃあそんな場所も確保出来ない」


「……成る程」


 ロリーナはそこから口元に手を当てながら熟考するような素振りを見せ黙り込む。


 まあ、私としても出来る事なら魚……正確には鯉だが、そんな奴相手に水中戦は避けられるなら避けたい。


 スキル構成を見る限り、奴の持ち味はその水中での機動力と鱗による防御力。それと発電器官を利用した電撃攻撃だ。


 水中での速さはこちらが劣るのは勿論、水中では私の攻撃も水の抵抗で威力がかなり落ちる。奴の頑丈な鱗を貫けるか怪しい。それに加え《水魔法》による攻撃に、この水の性質は分からんが、電気伝導率が良い水中での電撃……。


 ふむ。考えれば考えるほど私達がかなり不利だな……。というか寧ろ有利な点を挙げる方が難しい。やはり水中に潜るなどせず、他に何か方法を模索する方が良いか……。となると、


「やはり水はどうにかしたい。水上や地上での戦いも出来なくはないだろうが、あの速さだ。魔法や武器を当てるのも困難だろう」


「そうですね。水さえどうにか出来れば形勢は一気に逆転出来ます。水さえどうにか──」


 私とロリーナの二人で大精霊に視線を向ける。そんな視線を向ける私達が何を言いたいのか察した大精霊は小刻みに震えながら抗議する。


『なりませんっ!! 一時的に退かすならば兎も角、水を抜いて枯らしてしまっては魔物を討伐し魔力溜まりを解消したとしても湖に生態系が戻る事はありませんっ!!』


「だろうな。しかし一時的に退かす……か」


「問題は場所……。この広大な湖の水を置いておける様な、広い……空間……」


「……空間?」


 …………あ。


「「ポケットディメンション……?」」


 私とロリーナの声がハモり、そのまま頭に浮かんだアイデアを整理する。


「ポケットディメンションならばそれこそ容量は際限無い。湖の水だろうが全てを回収出来るだろう」


「それに確かポケットディメンションの中は虚無空間でしたよね? 時間経過も無く環境の影響を受けないのならば戦闘後に戻しても問題は無いのでは無いですか?」


「ああそうだ。それに回収するのも戻すのも簡単だ。わざわざ《精霊魔法》を使ってチマチマ集めなくとも、水中にポケットディメンションの入り口を作ってしまえば自然に流れ込むし、戻す時は逆に入り口を開いて流し込めば……。これならばっ」


「はい。現状一番……というよりこれ以上の得策は無いと思います」


 ロリーナとの意見も一致し、湖の水の攻略に漸く目処が立つ。


「ティール、ユウナ、大精霊。他に何か意見はないか? メリットデメリット、どちらでも構わない」


「えっ? ……いやぁ、特に思い付かねぇけど」


「わ、私も……」


『環境に悪影響は出ないのですね?ならば問題はありません』


 よし。そうと決まれば早速──


「じゃあ今から新しいポケットディメンションを開く。少し時間が掛かるから、君等は今の内に諸々準備をしていなさい」


 私のその発言に、ティールとユウナは眉を潜め、私に疑問を投げ掛ける。


「え? ポケットディメンションってもうあるだろ? 新しく開くってなんだ?」


「そうですよ。わざわざなんで新しく?」


「ん? 教えてなかったか? 私はポケットディメンションをいくつか保有している。今保有しているのは……七つだな」


 その言葉に二人は目を丸くして声を上げる。


「七つ!? なんでそんなに必要なんだ? 容量無限なんだろ?」


「なんでそんな贅沢な使い方をっ!?」


「一々煩いな……。というかまさか君等、私が食材やら野営道具やら魔物の死体を一緒の空間にしまっていると思っていたのか? 有り得んだろ普通……」


 野営道具は外に出す都合上、土や泥が付着している事がある。勿論定期的に掃除はするが、それでも野菜やら肉なんかと一緒にしまう気にはなれない。


 魔物の死骸なんて更に以ての外だろう。空間内じゃ腐る事はないし、臭いも付き辛いだろうが気分的に一緒にするなど有り得ない。


「だから私は食材用、野営道具用、魔物用、素材用、一般武器用、道具用、不用品用の七つを保有し、使い分けているんだ」


「お、おお……。確かに獣臭のする椅子やら野菜とか嫌だな……」


「まったく……。第一全部同じ空間だったら、いくら広いとはいえ空間内に湖の水流し込んだら大惨事だろうが」


「な、成る程……。そこまで想像してませんでした……」


「ふう……。まあいい。じゃあさっき言ったように新しくポケットディメンションを開くから、戦闘準備をしておけ」


 私がそう言うと、ティールとユウナは何故だか不思議そうな顔をして首を傾げる。まだ何かあるのかコイツ等……。


「いやいや。湖の水全部抜くならそんな準備いらんだろ。魔物とはいえ魚だぜ? 泳げなきゃ……なあ?」


「そうですよぉ。泳げない魚なんて目じゃありませんよぉ。それこそまな板の上の鯉ですよ、まさにっ!!」


 上手い事言ったとばかりにドヤ顔をかますユウナにちょっとアーリシア風味を感じちょっとだけ懐かしくなりながらも、呆れ気味に軽いデコピンをかます。


「いったぁっ!? な、なんなんですか急にっ!!」


「魔物相手に油断するなと言ったよな? 例えそれが打ち上げられた魚だろうが、相手は魔物。魔法も使えるし、普通の生き物なんかより膂力だってかなりある。下手な生き物など地上だろうと相手にはならんと、私は思うがな」


 そもそも奴は《水魔法》が使える。奴の保有魔力量にもよるが、なんなら自ら有利なフィールドを拵えて来る可能性だってある。水を抜こうが油断など出来るわけがないのだ。


「うぅぅ。なんで私だけ……」


 そう唸りながらユウナはなんの被害も被っていないティールをジト目で睨み、それを受けたティールは目線を逸らして知らぬ存ぜぬと口笛を吹く。


「はあ……。いいからさっさと準備しろ。その後は作戦会議だ。気を引き締めろよ?」


 ______

 ____

 __


 晴天が写る透き通った水面は、そよ風に細波を立てゆっくりと流れていく。


 他の動物が居らず鳴き声が聞こえないこの森に存在する湖の畔には、そんな細波が立てるかすかな音すら広がり、鼓膜を心地よく叩いてくれる。


 畔でピクニックでもしたくなるような理想的な湖だが、そんな絵空事を実行すれば、それは巨影に踏み潰されるような惨劇に姿を変えるだろう。


 細波しか立たないこの湖には、全く波を立てる事なく水中を高速で泳ぎ回る一匹の魚影が存在する。


 体長は優に十メートルを超え、その身体を覆う朱色とクロの斑が美しい鱗は天然物の強靭な盾。並の金属を遥かに凌ぐ。


 口元から伸びる左右一対の髭は自由自在に動き、高感度感知センサーの役割を担い、凡ゆる臭いや音を敏感に感じ取る。


 更に体内には発電器官を有しており、最大で五百ボルトの電撃を髭を通して放ち、対象を容易に再起不能に陥れる事が出来る。


 そんな凶悪な鯉の魔物であるシュトロームシュッペカルプェンは、しかしてその実窮地に立たされていた。


 その動きは正に血眼という言葉が似合うかのように必死に見え、縦横無尽に水中を回遊し続ける。


 それもその筈。現在この湖には、シュトロームシュッペカルプェン以外に水中に生息する生き物が、一匹と存在しないのだ。


 シュトロームシュッペカルプェンはその体内構造上、胃が存在せず腸内にて獲物を消化する。その為体内に摂食した物は胃で留まる事は無く、満腹感を感じ難い。故にシュトロームシュッペカルプェンは常に空腹感に襲われているのだ。


 そんな空腹感に苛まれ続けているシュトロームシュッペカルプェンはほぼ寝る間も無く広大な湖に生息していた水中生物を根こそぎ食い漁り、そのまま湖を蹂躙した。


 その結果、訪れたのはシュトロームシュッペカルプェンによる水中生物の根絶。湖にはこの鯉の魔物しか居なくなってしまった。


 だがそれでも、シュトロームシュッペカルプェンの食欲は一切衰えず、それどころか底からどんどんとマグマが噴き出すように溢れて来る。


 魔物特有の生命力にモノを言わせ、ここ数年程無食でもこうして生きていられるが、それも当然無限ではない。近い将来必ず餓死するだろう。


 危機感と激しい空腹感からシュトロームシュッペカルプェンは限りなく僅かな可能性を信じて湖を回遊し、小さくとも構わないから餌は無いかと探し回っているのだ。


 このまま死んでなるものか、と必死の威容で泳ぎ続けるシュトロームシュッペカルプェン。そんな哀しき魔物が休む事なく獲物を探し続けていると、突如として湖内の水流に異変が生じる。


 今までその巧みな泳法によって水面すら揺らさなかったシュトロームシュッペカルプェンはそんな違和感に敏感に反応。回遊していたルートを変更し、《水流理解》で水流が変わった地点に急ぎ向かう。


 数分とせず件のポイントに到達したシュトロームシュッペカルプェンだったが、そこに広がっていたのは異様で異常な光景だった。


 湖底に現れていたのは漆黒。まるで暗闇をそのまま切り取って雑に貼り付けたようなその漆黒は、巨大な激流を生み出しながら湖の水を吸い込んで行っている。


 その激しい水流に自身も巻き込まれそうになったシュトロームシュッペカルプェンは再び《水流理解》により流れの比較的緩い場所へ移り、その場でただ目の前の光景を傍観する。


 シュトロームシュッペカルプェンは魔物化して以来、多少の知恵を身に付けてはいるが、だからと言って目の前で起こっている謎過ぎる現象をどう解決するかなどは思い付かない。そもそもなんなのかすら分からない漆黒に動物的本能が働いて近付く気すら起きない。


 そんな傍観して何も出来ないでいるシュトロームシュッペカルプェンだったが、別の場所で更に水流が生まれた事を《水流理解》で察知し、まさかという思いでその場に向かう。


 すると案の定、別の場所にも同様に漆黒が湖底に張り付き、その漆黒に水が大量に流れ込んで行く。


 目の前の現状に思考停止に拍車が掛かるシュトロームシュッペカルプェンだったが、そこでふと嫌な予感が全身を走り、思わず湖面を見上げる。


 そこには明らかに湖面が下がって行く光景が広がり、徐々に自身に湖面が近付いて来ていたのが見えた。自身の行動範囲が狭まって行くのを本能的に感じ取ったシュトロームシュッペカルプェンはここで漸く漆黒をどうにかしようと行動。辺りに散らばる岩を《水魔法》で全力で押し流し、漆黒にぶつけようと試みる。


 しかし漆黒は何を起こすでもなく岩を飲み込み、依然として湖の水嵩を減らして行く。


 そんな状況に焦りを募らせたシュトロームシュッペカルプェンは、今度はその漆黒に対して意味があるか分からず電撃を放つ。


 だが当然そんな悪足掻きに意味など無く、ただ電撃は漆黒に呑まれる水流と共に闇に消えて行く。


 なんの成果も得られないシュトロームシュッペカルプェンは更に焦り再び岩や土を漆黒にぶつけようとするが、事態は何も変化しない。


 歯痒い思いを募らせるシュトロームシュッペカルプェンだったが、そんな彼に追い討ちを掛ける様にまた別の場所に激しい水流が生まれたのを理解し、湖面が下がるスピードが増して行く。


 何も出来ない無力感に包まれたシュトロームシュッペカルプェンは、最早自分には何も出来ないと諦観し、抵抗するのを止めた。


 理解が出来ぬ、追い付かぬまま、シュトロームシュッペカルプェンの背鰭がとうとう湖面を貫いた。

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