Spicaー5ー

「今日も動きは無いな」

 ドカッと椅子に腰掛け、どこか憤然とした声で報告したプトレマイオス。

 俺達は、別に、本気の喧嘩をしていたわけでなく、お互いに怪我をさせないように気を遣いつつ遊んでいたんだが……。

 納得はいかないものの、プトレマイオスが眉を吊り上げて俺とクレイトスの間に座っているので、余計なことは口に出さないことにした。

 ふと、クレイトスはどんな面してるのか気になったので、テーブルに身を乗り出してみるが、パンでスープを掬って普通に食ってるだけだったので、は、と、短く息をはいて俺は背凭れに寄りかかった。

「アテーナイヱ兵は、かなりだれてきてるし、仕掛けるならそろそろだと思うんだが?」

 だが、俺の首根っこ引っ掴んだプトレマイオスが無理に姿勢を正させ、そう訊ねられてしまう。

「ん? アテーナイヱの拠点はどんな感じなんだ?」

 都市を占領し、港に引きこもってるラケルデモンの動向は全くつかめない。都市そのものが厳戒態勢下にあり、今から市内に潜り込むのは不可能だ。なので、間接的にアテーナイヱの連中の動向から戦況を探るしかないんだが……。

 プトレマイオスは、自軍の事でもあるまいに青筋を立てながら――いや、多分、俺とクレイトスに怒ってるわけではない、と、思う。うん――一息に言った。

「船上では煮炊きも出来ず、寝る場所にも困る。それは解るが、平野に柵も無く陣を張り、だらけきっている! 最近は、昼に船に戻りさえしていないんだぞ?」

 考えられるか⁉ と、俺に詰め寄るプトレマイオス。

 寄せ集めなのが災いして、規律はかなり緩いらしいな。いや、そもそもアテーナイヱの連中は長期戦を覚悟していなかったのかもしれない。一戦して蹴散らすとか、そういう算段で艦隊を出したから、士気が長続きしなかったんだろう。もしくは、兵士側の視点として、兵糧攻めの最中の都市からやっと抜け出せたので、腹が満ちたら闘志も消えたとか。

「俺じゃなく、そいつ等を叱って来いよ」

 冷静に、オリーブの実の塩漬けを齧って答えるが、プトレマイオスは一度怒るとそれが長引くタイプなので、語気を強めたまま続けた。

「アイツ等もそうだが、ラケルデモンは戦う気があるのか⁉」

 一応、俺達がここに布陣した時点の情報では、ラケルデモンとアテーナイヱの兵力は拮抗していた。いや、一戦もしていないので、今も数字の上では拮抗しているといえる。

 まあ、プトレマイオスの報告を聞く限り、士気の面では大きく差があるようだが……。

 ただ、ラケルデモン軍は、殖民都市ランプサコスを占領してから、一戦もしていないのも事実であり、それをどう読むかにもよる。

 海戦で負け越しているため、臆病……もとい慎重になっているのか、なにかを待っているのか。

「この海域特有の、なにか、厄介な海流や風はないんだよな?」

 拠点の位置を決める際や、アカイネメシスの都市へと上陸する上で何度も確認していたことなんだが、ラケルデモンが待っているのは援軍とは考え難く――実際、アカイネメシスは戦見学に俺達が向かうことを簡単に許可した。アテーナイヱ軍を挟撃したいなら、俺達を自由にさせとくのはおかしい――、となれば、冬に河川の増水によって海が荒れるのと同じような、船が使えなくなるなにかを待っていると考えるのが当然なんだが。

「ああ。地元もんとも仲良くなったが、そんな話は聞かなかったぞい」

 人情家、そして、ネアルコスとは別の傾向で人から好かれやすいリュシマコスにそう言われては、納得するしかない。

 余暇には部下を引き連れて、近くの村へと出向いているので馴染むのも早いのだろう。

「もっとも、アテーナイヱの連中に嫌がらせはされてるらしいけどなぁ。近くの村の連中を見かけると、金や食料を強請ってくるらしい」

 悪評で陣を張りにくくする……いや、弱いな。ここにきて、そんな消極策を取る意味が無い。

 ん~、と、鼻を鳴らしながら王太子を見ると――。

「まあ、村に被害が出てるようなら、恩は売ろうか」

 鷹揚に王太子は言って、リュシマコスを見た。

 ……リュシマコスは、村の連中を支援したいと暗に言っていたのか。まあ、助けた所で、特に利益にはならないだろうが、兵を遊ばせておくだけってのももったいないしな。

 王太子の視線を受けたリュシマコスが、俺を見たので、頷き返す。

「ヤるなら、事前に編成した、貸し出し用のお行儀の良い三番隊でな」

 今回の遠征は、黒のクレイトスの騎兵が二百と、俺の軽装歩兵が四百、見学に来ている王の友ヘタイロイやその側近を含めても、総勢七百を超えない程度の軍だ。そして、俺の軽装歩兵は、兵站の維持の百五十名を除く二百五十が戦士で、それを俺が率いる五十名の一番隊と、拠点警備を中心に行う二番隊の百名、そして、臨時で他の王の友ヘタイロイの指揮に入れるための三番隊と分けている。


 ちなみに、ラケルデモンとアテーナイヱが其々五千程度の軍勢であるので、戦闘に直截介入出来るほどの規模ではないが、無視できるほど小さな規模ではない。

 俺達に関して、多少の情報は両陣営ともに把握しているだろうが、こちらが静観しているからか今のところどちらからも接触は無かった。

 いや、そもそも北の貧乏国が、戦場で金目の物をあさりにきたぐらいの認識なのかもな。未だに。

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