夜の始まりー4ー

 予定よりも時間を掛けてしまったので、少し早足でいつもの飯屋に向かっていると、ふと耳が普段とは違った喧騒を捉えた。これは、鎧をまとった兵隊が駆ける音だ。

 一拍遅れて、戸惑うような声が響き、怒鳴りあう声が続いた。

 騒いでいる声の方に視線だけを向ければ、いかにも苦労知らずなボンボンといった癖毛のひょろっとした若い男――俺よりも二つ三つ上ぐらいの歳に見える――が、兵隊に追われていた。

 この町の治安維持のラケルデモン兵じゃない。あの雷の意匠は、確か……海の都市国家のアヱギーナの兵隊だな。確か、侵略者を撃ち払った大神の雷の象徴だったっけ。ただ、随分と名前負けした兵隊だと思った。軽装歩兵とも重装歩兵とも言えない中途半端な装備――陸戦を知らないのか、槍を構える窪みの無い微妙な大きさの丸盾を左腕につけ、投げるには不向きな長槍を右手で持ち、情けないぐらいノタノタと男を追いかけている。

 追っている男と走るペースがほとんど同じだ。追いつくまでには、まだまだ掛かりそうだな。丸腰の男相手なんだから、盾を捨てるなり槍を棄てるなりして身軽になって追いかけるって発想は無いのかね? ファランクス組んでる戦場でもないんだし、盾を捨てても不名誉にはならないだろうに。

 ……それとも、喜劇の練習かなにかか?

 いまいち笑えない絵ではあったが、まあ、そもそも俺とは係わり合いの無いことか、と、思い直して足を速めようとすると――。

 周囲の人波に、どよめきが起こった。


 気にせずに歩けたのは三歩の距離。

 ふと過ぎった嫌な予感に人垣を押し分ければ、案の定、エレオノーレが地面に倒れ伏している癖毛の男――いや、攻撃されたのではなくて、息が上がって立てなくなっただけのようだ。どんだけ虚弱なんだ――の前に仁王立ちして、アヱギーナ兵と対峙している。

 相変わらずのバカさ加減に、ピシャリと自分自身の額を叩いてから……。

「オラ! どけ!」

 人垣の最前列を蹴っ飛ばして割って入る。

 目の前のトラブルを起こしている四人、そして、周囲の物見高い群衆が一瞬沈黙し――さっき以上のどよめきが起こった。

 まあ、アゴラで大分有名になっちまってたしな、さもありなん、か。

 不躾な視線に辟易しながらも、貧弱な男と鈍い兵隊の間に立ったエレオノーレに向かって、いつもの調子で俺は声を掛けた。

「エル、飯に行くぞ」

 間を空けずに噴き出したエレオノーレが、どこか半笑いの顔で叫んだ。

「この場で言うことがそれか!」

 どうやら、いきなり場を散らかした俺の一言でシリアスになり切れなくなったらしい。

 だけど、一拍後にはいつも通りのキリッとした顔で俺に期待した目を向けてきたエレオノーレ。

 あー、と、唸りながら腕を組む。

 浅い息を繰り返している男と、蒸れそうな鎧兜を着込んだ二人の兵隊を交互に見遣り、頭をかきながら文句を言ってやる。

「お前な、なんにでも首突っ込むなよ。目的が違うだろ。ってか、変なことで諍い起こすな」

「で、でも……」

 考え無しで突っ込んだのか、論理的な反論や弁明はエレオノーレから返ってこなかった。多分、兎を狙う狐を、単に兎が可哀想とかだけで狐を追い払うのと同じ感覚だったのだろう。

「なンだよ。お前の女カよ。しっかりと管理しとケよな」

 舌打ちするように、左の兵隊が言い放った。

 粗暴な態度にかなりイラついたが、ここで問題を起こすと後が厄介だ。ラケルデモン内部の都市なら、一息で斬り捨てても弱いから悪いで片がつくが、ここは公共市場都市なのでそういうわけにはいかない。しかも他国の兵隊だ。

 ここでのトラブルは、基本的には、私闘ではなくラケルデモンの警備兵に告げてきちんと法に則って処理しないといけない。

 しかし、その際に俺とエレオノーレの正体を知られると、捕まらないまでも不利益を受けるのは目に見えている。

「……ッチ!」

 面白くない状況に俺が舌打ちを返すと、エレオノーレがしまったという顔になった。

 ったく、分かっているだろうに。俺に頼むってのは、そういうことだぞ?

 法の隙間を縫って俺がコイツ等を殺したらどうする気だ?

「で、でも、丸腰の相手を、二人掛りで追い立てるなんて……」

 最初と比べれば大分弱気になったエレオノーレだったが、あくまでも粘るので、冷静に状況を説明することにした。

「装備見ろ。大神が放った雷の意匠がある。海を隔てて南にあるアヱギーナの正規兵だ。なんかしたんだろ、この男が」

 まあ、一概に正規兵だからという理由で正義が担保されるわけでもないが、ここでややこしい話をしたくなかったし、権力を相手にするとなると負けないまでも相当の嫌がらせは受けることになる。

 怪我が治った以上、次の目的は、エレオノーレをアポローンの神殿に連れて行って、寄進して、奴隷身分からの開放を行い、俺自身も一度身分をリセットすることが最善となるんだが。そのためには船が要る。

 船便の当てがなく、ここにしばらくは留まる以上、行動の制限になるようなことに巻き込まれたくは無かった。


 ただ、俺の言葉に気を良くしたのか、下品な兵隊が調子に乗りあがった。

「田舎者のクせに、分かってるジャないカ。ほら、さっさとソイツを引き渡セ」

 自分の眉間をトントンと人差し指で叩く。

 これでさっきと合わせて二回目だ。俺の機嫌をこのゴミが損ねたのは。

 ……ヤバイな。左腕が完治してるし、最近運動してなかったから、殺したい。特にこういう礼儀知らずなバカな手合いは、生かしておく価値なんて無いんだし。

 ハン、海運で儲けているとはいえ、品性は金で変えないようだな。

 長い溜息を吐き、エレオノーレ、それから癖毛の男を順番にゆっくりと見る。

「大体、助けたところでなんの得にもならないだろ」

 俺も大人になったよな、と、しみじみと思いながらエレオノーレを連れてこの場を去ろうとしたら……。目の前の癖毛の男が、腰からおもむろに小さな袋を取り、その口を開いて銀貨を見せつけてきた。

 フクロウの意匠? 初めて見る形だったが、輝きは悪くない。純度は後で調べさせるとしても、袋の大きさからみるに、量も中々。

 ふむ、と、腕組みして考える。

「盗ったのか?」

 これをアヱギーナ人から盗んだことによるトラブルの可能性を考え、訊いてみた。

「違う」

 答える癖毛の男は嘘を吐いている目ではなかった。

 ふむ。

「……助けたら、いっぱい得あるな」

 俺のストレスも発散できるし、と、心の中だけで付け加えてからくるりと向き直り、新品の剣を掲げ宣言した。

「礼儀を知らぬアヱギーナ兵に告ぐ。故国ラケルデモンを田舎と侮蔑した咎により、決闘を申し込む。尋常に立ち会え」

 ようやく、ただの御節介や世間知らずのおのぼりさんを相手にしているのではないと気付いた顔をしたアヱギーナ兵。

 俺は、久しぶりの遊びにニンマリと口を綻ばせた。

 そう、決闘だけはどの都市でも――理不尽な言いがかりでなければ――認められている。正当性を担保するための立会人が必要だが、これだけの目があれば問題ない。故国の名誉を守るという大義名分もある。

 周囲の群衆がわっと沸いた。

 決闘は認められてはいるものの、命の遣り取りをするからか、意外と行われることが少ない。見物人にとってはまたとない娯楽だろう。

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