夜の始まりー5ー
「這い蹲って慈悲を請えば、命だけは助けるぞ?」
目を細く引き絞りながら、挑発的な笑みを向ける。
陸戦最強国のラケルデモンの名を聞いて、明らかに戸惑った顔をしていた二人のアヱギーナ兵だったが、余程の事情があってこの男を追っているのか、果敢にも盾と槍を構え、戦う姿勢を見せた。
身体を縮こまらせ盾の後ろへ隠し、槍を長く構えた姿勢だ。が、ふたりだけのファランクスは、随分と見栄えがしなかった。良くも悪くも教練通りで応用の利かないスタイルだ。しかも盾の大きさが半端なせいで腹から股間に掛けてしか守れていない。
隙だらけの相手に、とっとと来い、と、無造作に構えながら手招きする。
単純な性格なのか、すぐに挑発に乗った二人が突進してきた。
突きかかってきたひとりの槍の穂先のすぐ後ろを掴み、敵の突進の進路と同じ方向に強く引いて前のめりに転ばせる。すぐさま転んだ敵の後頭部を強く踏みつけた。踏みつけられたと同時に、敵は動かなくなったが、死んだわけではなく気を失っただけのようだ。
槍を無造作に放り投げ、剣を鞘から抜かないまま右手だけで構え、残ったひとりに突きつける。
俺の攻撃が届かない距離で突こうというのか、アヱギーナ兵はじりじりと下がりだした。
あんまりな消極策を鼻で笑ってから、下段に剣を構え直し、軽く振り上げる。
間合いの外。そう判断したのか、余裕たっぷりな目が兜の隙間から覗いている。
雑魚だな。
口から台詞ではなく溜息を吐き。柄の先を持っていた手の力を弱め、滑らせ、柄尻を持ち直して間合いを広げて離れていく最中の敵の足を引っ掛けた。
転がした敵の目の前に、振り上げた際に鞘を取り払った切っ先を突きつける。
「死ぬか?」
怯えた目が、切っ先と俺の顔とを行ったり来たりしている。
どうする? と、小首を傾げながらからかうような笑みを浮かべれば、槍を手放してアヱギーナ兵は地に伏せた。
「ま、まいった」
病み上がりとはいえ、肩慣らしにもなりはしないな、と、鼻で笑う俺。
「得物を棄て――、あー、いや、いいや。お前等、身ぐるみ全部おいていけ。さっき言った通り命だけは助けてやるよ」
この状態で殺すわけにもいかないが、それでも単に逃がすだけなのも面白くないので、軽い口調で命令した。
そ、それは、と、抵抗する素振りを見せたアヱギーナ兵。
「俺の命令が聞けないのか?」
冷めた目で見下ろすと、本気だと――断れば殺されるとはっきりと理解したのか、寝ているもうひとりを蹴り起こし、慌てたようすで盾と鎧の留め具を外し、乱雑に放って逃げ去っていった。周囲の人垣からの嘲笑を受けながら。
流石に、腰布一丁で逃げ去る醜態をさらせば、しばらくはこの辺りをうろつけないだろう。
結局ヤっちまったが、まあ、殺してもいないんだしそこまで大きな騒ぎにはならないだろうと判断する。それに、終わったことをグダグダ悩んでも仕方が無い。
なら、次にすることは決まっている。
「盗賊か、貴方は」
どこか呆れた顔で呟いたエレオノーレに、なにを今更と言う顔を返す。あの国にいた頃は、欲しいものを命ごと頂くのが基本だったんだから、随分と優しくなっただろうに。
……お前の影響で。
「そう言うな。悪いヤツをやっつけたんだから当然の報酬だ。ふむ。結構、儲かったな……うわ、くっさ」
所々を青銅で補強された革鎧の匂いをかいでみると、鼻がひん曲がりそうなほどの悪臭がした。新品じゃない。使い古しだな、これ。あの国、儲かってんじゃなかったのかよ。
まあ、他国では軍の装備品は市民個人が自費で揃えるのが基本だと聞いたことがあるし、アイツ等が単に成り上り者だったか、逆に没落中の家だったかということか。
「エル、着てみるか?」
到底自分で使う気にはなれない鎧を、からかいを込めた笑顔でエレオノーレに差し出すと、にべもなく断られた。
「いらない」
「じゃあ、売るか。この槍も携帯には不便だしな」
飯の後にでもさっきの鍛冶屋に持っていこうかと考えていたところで、この騒動を起こした張本人なのにいまいち影が薄かった癖毛の男が、割って入ってきた。
「妹がまだ奴等の元に」
息は整っていた。
まあ、あれだけの時間へたり込んでいて上がった息が落ち着かない方が問題だが。
ただ、態度はまだどこか切羽詰っていた。ああ、妹がどうとかいってるし、それも当然か。
もっとも、俺には全然関係ないことだが。
「あっそ、いいから金出せ。エル、動いたら腹が減った。すぐに飯に行くぞ」
「アーベル!」
予想通りといえば予想通りなのだが、怒ったようなエレオノーレの声にげんなりした顔を返す。
「本気かよ、お前」
「だって……」
今度は拗ねた顔で口を閉ざしたエレオノーレ。
どうも、この女は、都合が悪くなると黙るのが癖になっているらしい。交渉の上で、理を以って言い返せないというのは大きなマイナスだ。それを質すためにも俺は強い口調で追い撃った。
「『だって』なんだ? 正当な理由があるのか? この諍いに介入する理由をしっかりと述べてみろ」
エレオノーレは、縋るような目で俺を見てから俯いた。
最近のエレオノーレは、俺が強く叱責したところで一昔前のように反抗的な視線を返さなくなった。忠告として素直に受け取っている、と言えなくも無いんだろうが、どうにも依存に近いような感覚がするのが面白くない。どうせ最後は助けてくれる。そんな風に思い始めているのかもしれない。近々、引き締めないとな、と、思う。
俺は、いつまでも自立出来ない人間を甘やかすためにここにいるんじゃない。
「この人が困ってる。妹を連れ去られていることからも、向こうが悪人だと思う」
俯いたまま、ボソボソと拗ねた子供のように言ったエレオノーレ。
だからなんだ、と、睨みつけるが、俯いたままのエレオノーレからは俺の顔は見えないようで、反省の色が態度から見られなかった。
これみよがしに俺は溜息を吐いてみせる。
「私ひとりでも、助太刀する」
ほら来た。都合が悪くなれば、決まってこの強情さが顔を出す。
今回は叱り飛ばしてやろうとしたところ、あの……と、転がり込んできた厄介事、もとい、癖毛の背だけ高い痩せ男が、青い目を不安そうに揺らしながら話に割り込んできた。
「お礼は、充分にさせて頂きます。今は事情の全てをお話できませんが、非は向こうにあり、御二人が罪に問われないことも保証します」
ほら、と、頬を膨らませて俺を見たエレオノーレ。
くしゃっと前髪を掻き揚げる。
なんだか、色々とこじれてきたな。
「あ――、じゃあ、貴様、アレだ。これ着てろ」
奪った装備を放って、銀貨の袋を奪い取る。
「え?」
癖毛の男の戸惑ったような表情から、一瞬だけ素の顔が覗いた。
コイツ……。
演技とまではいかないんだろうが、同情を引くための計算も混じっていたな、これは。
俺に気付かれたことに気付いた男は、しまったなと口をへの字にしたが、すぐさま人懐こい笑みで誤魔化しにかかった。
エレオノーレは、残念ながら気付いていない。
その上、微妙な俺とエレオノーレの距離感は目の前の男に気づかれた。
ふ――、と、長く息を吐いて男に向かって冷たい顔で俺は言い放つ。
「お前な、追われててそのまま立ち戻る気かよ。これでアヱギーナ兵に偽装できるだろ。ああ、あと、もう一着は背中に背負っといてくれ。壊すなよ、後で売るんだからな」
「あの……そんなにお金に困っているのですか? でしたら――」
「金は無いと困るが、多少持ったところで満ち足りれるという物ではない。あったらあったでより多くを求めるものだ」
癖毛の厄介者は、成程、と、納得した顔になった。
ハン。インテリぶった連中は、これだから扱いやすいんだ。自分と同じ強欲をこちらが見せ付ければ、金で飼える相手だと思ってくれる。
「そんな話はいいから、急ごう」
と、癖毛の男をエレオノーレが急きたてる。
やれやれ、と、俺は早足で進む二人の背中を二歩離れた位置で追いかけた。
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