夜の始まりー6ー

 男に連れられてきた場所は、港近くの三階建ての広い石造りの建物で、アヱギーナの国旗があちこちに掲げられていた。

 敵のアジト、という認識しかないのか鼻息を荒くしたエレオノーレを他所に、俺は癖毛の男に詰め寄る。

「手前、殺すぞ?」

「いえ、あの……」

 襟首を掴んで引き上げられ顔を歪めた癖毛の男と、怒ったような顔を俺に向かって突き出したエレオノーレ。

「アーベル⁉」

「バカか? ここはアヱギーナの正式な代表がいる領事館だぞ? 下手したら戦争になる」

 え? と、ようやく事態を飲み込んだエレオノーレが驚きながらも戸惑った目を癖毛の男に向けた。

 息が苦しくなったのか、俺の右手を軽くたたいた男を無造作に地面に放り捨てる。

「ケホ……。いえ、もう戦端は開かれているのです。我々の国とアヱギーナの間で。我々は第三国にあるこの場所で非公式な会談を行っていたのですが、相手側がこちらの護衛を殺して妹を人質に」

「助けなきゃ!」

 話も終わる前に門に向かって駆け出そうとしたエレオノーレ。

「待て!」

 その頭を引っ掴んで止め、根本的な問題を指摘した。

「お前、戦いたくないんじゃなかったのかよ? 殺したくないんだろ? なんで積極的に争いに介入するんだよ?」

 二人の逃避行なら殺さずに済む場面はあっただろうが、今、関わろうとしているのは国家間の戦争だ。殺さずに切り抜けられる場面なんて、探す方が間違っている。なのに、なぜエレオノーレが前のめりに突っ込もうとしているのか、いまいち俺には理解出来なかった。

 ちら、と、エレオノーレは癖毛の男を見て、少しだけ俯いてから俺の耳に口を寄せて他に聞こえないようにこっそりと囁いた。

「不幸な人を増やさないためになら、私は戦う」

 自分自身の正義を信じ切っていて、抱いている同情自体が狭量な見識のせいだ、とは分かってくれそうに無い顔だった。

 鼻から溜息を逃がして、辺りの様子を窺う。門番が二名に、時折現れる歩哨が二名、か。領事館内もどこか浮き足立っている雰囲気がある。

 人質を取り返すだけなら、殺さなくても適当な立場の人間を軽く痛めつけた上で脅迫すればなんとかなるかもしれないが……。

 さて、どうするか。

「手前の身内があそこにいるのは確定か?」

「そこまで時間は経っていませんし、他に移した方が騒ぎは大きくなると思います」

 まあ、納得出来る理屈ではある。

 領事館は、こういった貿易を行う公共市場都市や神域にしかないので、これまで内陸で育った俺には警備がどの程度なのか分からない。ラケルデモンのアクロポリスに来る外交使節についてくる護衛は、大体二十人程度なのでここにもその程度もしくはやや多いぐらいの兵士はいると見ておくに越したことはないか。

 しかし、昼間の襲撃か。

 押し入った後、騒ぎを聞きつけて治安維持のラケルデモン兵が来るのは……そうだな、今からなら昼の終わりの鉦がなる頃までが猶予時間か。

 成否は、家捜しの手間如何だな。そこそこ広い建物だ。隠れる場所は多いだろう。人質のコイツの妹もしくは、ここの代表がさっさと見つかればいいが……。


 少し状況を改めてみる。

 残念ながらこの町で俺達はすでに問題を起こした。俺とエレオノーレがここにいることは、なんとなくラケルデモンには察されるだろう。俺の傷も癒えたし、アヱギーナ領事館を襲撃してもしなくても、ここを離れるには好機ではあった。なんだか分からないとはいえ、この男のツテも警戒しさえすれば使えないことも無いだろう。

 それに、いざとなれば何所だろうが誰だろうが殺して、奪って、逃げるだけだ。どうというほどでもない。

 エレオノーレも自分自身のミスが原因なら、俺が誰か殺すのもそこまで文句は言わないはずだ。つーか、言わせない。そもそも今は、犠牲者が最小になるように考えて殺ってヤるんだから。

 ……うん、よし。

「ま、ここまでは乗りかかった船だしな。おい! もしもの時は無関係な国行きの船を手配しろよ? 水夫はお前のとこ以外の国の人間の船で、な!」

 最後の語尾に短く怒鳴りを入れ、二人を置いて俺は駆け出した。ヤるんなら、足手まといは不要だ。どの道、口でなんとか出来る時間が終わった以上、後は一気に狩るだけだ。

 路地から出た勢いそのままに門番の二人に襲い掛かって殴り飛ばし、戸を蹴破って屋敷へと一気に突っ込む。

 ただ、この展開は癖毛の男にまんまと逃げられたアヱギーナ側としても半ばも予想していたのか、すぐさま雑兵がワラワラと湧いてきた。数える程もない手合いだったので、近付いてきた数人を、顎を殴ったり腹を蹴り上げたりして気絶させて遊んでいると、思いの外早く二人が背後から追いついてきた。

 俺に背中を向けて入り口側を固めたエレオノーレと、自分が弱いのを自覚しているのか縮こまって俺とエレオノーレの間に身を潜めている癖毛の男。

 ろくなのがいねえな、と、剣を使わずに、しゃにむに突っ込んできたのを殴り倒して踵で踏みつけて鳴かせる。

 上がったのは、文字に出来ないような金切り声の耳障りで品の無い悲鳴だった。

「アル⁉」

 エレオノーレの怒ったような声とほぼ同時だった。吹き抜けになっている入り口のホールの二階部分に、人質らしき小柄……というか、まるっきりガキの女――本当にこんなのを結婚させる気か? ――と、その横に見るに耐えないほど脂肪で膨らんだ中年が出てきたのは。

 中年太りが、短剣を玩びながらにんまりと笑って勝ち誇りを示している。

「動くなよ」

 その声を合図に、六人ほどの新手が階下の広間に躍り出てきた。青銅で補強した胸鎧を着た、さっきの連中よりは整った装備の兵隊だ。こっちが本命か。

 ぐ、と、俺の後ろで唇を噛み締め動きを止めた二人を他所に、俺は敵の姿を見た瞬間、背負っていた剣を鞘を外さずに構え、すぐさま近いひとりを峰で掬い上げて吹っ飛ばした。そのまま素早く一回転し、二人目と三人目を引っ掛けて遠心力で弾き飛ばし、しゃがんで剣を担ぐように左手で持ち、右手で近いヤツの頭をつかんで頭突きをかます。

 適当に近いヤツをいたぶりながら、状況を探ってみると、兵士の戸惑いが手に取るようにわかった。

 バカだな、こいつ等。現場慣れしてないのが丸分かりだ。所詮は前線に送られない、後方の維持兵か。士気は低く危険に対する感覚が鈍い。

 普通、制止した相手が素直に止まるか? 脅迫して抵抗を思い止まらせたいなら、人質がいる以上、少数の雑兵を繰り出して手紙なりなんなりで見えない場所から牽制するべきだってのに。

 ま、最初の癖毛の男とその護衛が弱かったから二度目も大丈夫と高を括っていたんだろうな。この領事は、歳はそれなりにいってるみたいだが頭は足りないままなんだろう。

「ひ、ひと、人質」

「だからどうした! デブ!」

 思考の間も、階上の声に怒鳴り返す間も、手も足も止めない。

 うろたえている左の男の股間を蹴り上げ、最後に残ったひとりが剣を構えたところで、その剣を俺自身の剣で叩き折った。止めに、手の中に残った折れた剣の柄を見てへたり込んだ敵の腹に蹴りを放って、静かにさせる。

 一階の全員をのした勢いをそのままに階段の手摺に手を掛け、しかし、律儀に駆け上がるのではなく、飛び上がって一息に二階部分へと乗り移った。

 俺が飛び乗った手摺目掛けて斬りかかってきた二人の護衛兵を回し蹴りでまとめて階下へ落とし、偉そうなデブの喉をつかむ。

 加減は、少ししかしない。喉が痛み息がし難くなるだろうが、気を失わない程度の力だ。

「人質は見せたら終わりだろ? 殺したら価値がなくなるんだ。見えない場所に隠しとくべきだったな」

 もっとも、どこかに隠れていたとしても、目の前のコイツを人質にして交換を持ちかけただけだが。

 うろたえたデブに額をぶつけ、凄んで見せる俺。人質のガキを両側から拘束している兵隊は、俺と視線があった後でガキに切っ先を突きつけた。

 人質を良く見ると、成程、確かにアイツと兄妹らしい癖っ毛の女だった。もっとも、背は俺の半分くらいしかないし、髪も肩ぐらいまでの長さしかなく、結婚なんてまだ数年は意味がなさそうな、まるっきり子供だったが。

「こ、ここ、こんなことをして、ただですむと」

「思ってるよ。良いのか? こんな醜聞が広がっても」

 デブだから血の巡りが悪いのか、しばらく訳が分かっていない顔で俺を見ていたが、この失態が国に届けば失脚するということにようやく考えが至ったらしく、恥辱と怒りで紅潮していた顔が青くなった。

 フン、と、鼻で笑う俺。

「どうやら、今日は皆さん二日酔いで大変だったらしいな」

「あ……え?」

 急に調子を変えた俺の声に、周囲の空気が緩んだ。わざとらしい軽く友好的な態度で、嘲るように俺は続ける。

「この兵達は、二日酔いで酔いつぶれている。そのせいで、多少の誤解があって女の子が捕まっていた。いいな?」

 止めに喉仏を親指で緩急をつけて抓りながら鋭く睨みつければ、デブの外交官にこくこくと頷かれた。

「さて、問題は解決したな。おい、そこのチンピラ、ガキをさっさと放せ」

 ガキを抑えていた二人の衛兵は、魂が抜けたような様子でストンと腕をとって拘束していたガキを取り落とした。

 ガキは腰が抜けたのか、そのままドンと尻餅をついた。

 ハハン、と、軽く笑ってガキを見下ろすと――。

「無礼者! わたくしになにかあったら、どうする気だったの⁉ 信じらんない!」

 目を吊り上げた可愛げのないガキが、一気に俺に向かって捲くし立ててきあがった。

 敵味方の区別もつかねえのか? このクズは。

「おい、エレオノーレ」

 額に手を当てて、下の階にいるエレオノーレに呼びかける。

「……なに?」

 俺が言い出すことの予想がついているのか、かなり間があってから白々しい声の返事が返ってきた。

「こいつ、助けに来る前に死んでたことにしよう」

「怒るよ。助けに来た子を、逆に虐めてどうするの?」

 俺が鞘に手を伸ばしたのを敏感に察したエレオノーレが、すぐさま切り返して来た。

 二階から見下ろせば、エレオノーレがガキに向かって手招きしており、ガキの方も素直に階段を駆け下りてエレオノーレの陰に隠れた。

 なんつーか、いまひとつ納得がいかねぇな。

「すみません。報酬の上乗せでどうか……」

 癖毛の男は、目を細めた俺に向かって何度も頭を下げてはいたが、この場所から早く離れたいのかエレオノーレとガキについてそそくさと壊れたままのドアを潜って行ってしまった。


 ――ッチ。

 舌打ちひとつで釈然としない気分を総括して、俺は殿として大股でアヱギーナ領事館を後にした。

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