Capellaー1ー

 日没と同時に夕飯が運ばれてきた。


 ここは、さっきの場所からは少し離れた港の一角で、富裕外国人商人の住む区画だ。外国使節が常駐する一等地ではないものの、そう悪い場所でもない。この建物も、領事館のようでもあるが、パッと見ただけでは判然としない建物だった。

 まあ、『我々の国家』とさっき癖毛の男が言っていたので領事館ではあるんだろうが、な。

 多分、都市計画時には無かった新興国だろう。

 ランプを惜しげもなく使って昼間と同じほどの明るさで照らされた部屋は、俺達が使っていた宿の部屋の五倍ほどの広さがある。

 食堂だけでこの広さとは。

 灯明の燃料代もバカにならないはずだが、それを気にした風は無く、料理も――多分に見栄もあるんだろうが――随分と金の掛かった物が出てきた。

「食いながらでいいか?」

「どうぞ」

 訊ねれば、にこやかに頷かれたが肝心の主賓はまだ手をつける気配がない。こういう場合は、毒を盛っていない証明のためにも先に手をつけるのが――少なくともラケルデモンでは――常識だ。

 こめかみに指を当て、あごをしゃくってやるとようやく意図を察したのか、癖毛の男は俺の側に置かれた皿のパンをひとつとって頬張って見せた。

 昼を抜かされた上にかなり待たされたせいで気が立っていたので、それを見てすぐに乱暴にパンを掴んで口に放る。パンは、大麦より遥かに生産量の少ない小麦のパンだった。

 ちなみに、その平焼きのパンに添えられていたのは小さな油の壷で、そこからは微かな芳香が漂ってる。

「オリーブオイルです」

 返事を聞いてから二つ目の平焼きのパンに滲み込ませて一口で頬張る。

「悪くない」

 新しい油なのか、香りは上品だしパンに合うように程好く塩を利かせてもあったので、飲み込んですぐに次のパンに手を伸ばす。

「我々の貴重な輸出品のひとつなんですよ」

 にこやかに話す声に、誇らしそうな調子が滲んだ。

「ん? お前等、クレーテの人間か?」

 クレーテは、かなり大きな島なんだが、他の島よりも遠くにあるので、あまり情報が入ってこない場所だ。一応、我々と同じギリシア人ヘレネス――祖先を同じとする氏族のひとつではあるらしいんだが、ラケルデモンと同じように他の都市国家とは、かなり異なった文化を持っているようなので、物品の交流ほどには、人や文化の交流は進んでいない。

 いえ、と、前置いた上で癖毛の男は畏まった態度で名乗ってきた。

「フレアリオイ家のキルクスです。アテーナイヱのアルコンのエポニュモスの次男です」

「その四女のイオです」

 微妙に不機嫌そうに付け加えたチビ。

 しかし……。

「アん?」

 クレーテよりも馴染みのない地名と、役職名? に、首を傾げることしか出来なかった。

 微かに眉根を寄せた後、すぐに苦笑いで誤魔化したキルクス。

「ああ……ええと、そう、アテーナイヱについて、まず、お話しないといけませんよね」

 頷いて、細かく刻んだオレガノの葉をまぶしたチーズを齧る。ほろ苦い清涼感が濃厚なチーズの後味をより良くしていた。

「アテーナイヱはここから北東の半島の国家です。我々は、五年前に大規模な銀山の開発に成功し、それと同時に政治形態を王制から民主制に変えたところですので、少しその辺で情報のごたごたがあるかもしれませんね。ああ、その……銀の利権を王が独占しようとしましたので……」

 まあ、どこにでもある話だが、よくすんなりと政治体系が移行したな。

 多分、最後の止めが利権の独占で、革命の下地そのものは以前からあったんだろう。民主性そのものも珍しい制度でもないしな。軍事国家のラケルデモンには向かないが、少なくない商業国がそんな政治をしていたはずだ。

「ちなみに、アルコンとは市民から選ばれる六名の代表で、エポニュモスは政治担当者です」

 はぁン、と、鼻で返事をしながらパツァス――ニンニクと玉ネギを入れた子牛の胃と足肉のスープ――を掻っ込む。

 香辛料をふんだんに使った辛味のあるスープだった。匙が止まらない、なんて思っていると、素焼きのコップに水も注がずにワインを注いでいるエレオノーレを見て軽く噴出しかけた。

「待て、お前はワインでなにをする気だ?」

 ワインは水で薄めて飲むのだが、そんな常識を知らないエレオノーレは、生のままの瓶からコップに注いでそのまま飲もうとしていた。

「え?」

 口に当てる直前で手を止めたエレオノーレ。

 酒は判断が鈍る毒があるから避けていたんだが、こうした場で笑われないようにするためにも、一度くらいは高い食堂で勉強させておくべきだったかもしれない。

「悪いがコイツには、酒じゃないのを頼む」

 ただの水だけでは味気無いと思ってくれたのか、給仕が牛乳の入った瓶を運んできた。エレオノーレはブドウの芳香に惹かれたのか、未練がましくワインを見ていたが、ガキに微笑ましく見守られているのに気付くと縮こまって牛乳をちびちびと飲み始めた。

「ああ、それで――場所は、ここから北東って言ったっけ」

 喜劇的になった空気を誤魔化すように改まって訊き返した俺。

「ええ」

 地図でしか知らないが、あの辺りは耕作には不向きな土地で……たしか、山の裾がかなり海に近い地形じゃなかったかな。

 いや、そもそも……あの場所は島国のアヱギーナの大陸側の唯一の飛び地じゃなかったか?

 俺の疑問を察したのか、キルクスが少し苦い顔で早口に言った。

「アヱギーナとコトスリンの戦争時に、上手く立ち回って独立したんです」

 たしかその戦争は、ラケルデモンがメタセニアを攻め滅ぼすよりも昔の話だ。なのにあまり聞かなかったところから察するに、銀山開発で経済基盤が出来るまでは独立といっても形だけでどっかにへつらって生き延びてたんだろう。てことは、追放した王も傀儡か?

 となると、金が溜まったので自治します、認めません、ってのが今回の戦争の本当の原因か。

 まあ、戦争の理由なんてそれだけじゃないだろうけど。

 そもそも商売的にはどちらも海運で儲けようとしてんだから、カチ合うのも必然だろうし。国名から察するに信仰する神も違いそうだ。

「下克上、ね」

 皮肉の笑みを口の端に乗せれば、可哀想な国の仮面で同情を誘おうとしていたキルクスの表情は破れ、失敗した策士の苦笑いが表れていた。

「まあ、有り体に言ってしまえば……」

「しかし、旗色は悪そうだな」

「はい。お恥ずかしながら……。もう一年あれば、倍の戦船を揃えられたのですが」

「政略結婚による一時的な停戦を?」

 チビの方を見ながら半笑いで問い掛けると、キルクスが口を開く前にチビが怒鳴った。

「ええそうね! でも、あんな蟻ン子の国に理知を期待するだけ無駄だったわ!」

 蟻? と、エレオノーレが小声で呟いたので、相手側に聞こえないようにそっと耳打ちする。

「アヱギーナの始祖アイアコスは、アヱギーナを興す際、大神が蟻を人に変えて無人だった島の一般市民を作ったといわれている」

 エレオノーレは、ふうん、と、実際は分かっていないのを誤魔化すような生返事を返してきた。

 まったく、と、ここ数ヶ月様々なことを監督してやってもいまひとつ伸び悩んでいる不肖の弟子を呆れた目で見てから状況を整理する。

 多分、歳はキルクスが俺よりも若干年上で、チビは俺よりも少し年下だろう。政略結婚の適齢期とはいえない。にも拘らず話を進めたってことは、切羽詰っていた以外にもこのガキの厄介払いも込みで、一石二鳥を狙ったような計画だったんだろうな。

 てか、そもそも政略結婚に向かないだろ、ちやほやされて育ったせいで負けん気ばかり強いバカ女なんて。

 ガキを宥めているキルクスに、エレオノーレに向けていた視線をそのまま横に動かすと、やや疲れたようなキルクスが言った。

「なにもかもお見通しですね」

 簡単な推理だ、褒められるほどのものではない、と肩を竦めてみせる。

 その瞬間、ス、と、キルクスの表情が変わった。

「そちらの事情をお聞きしても?」

 来たな、と、内心溜息を吐きながら、厄介な事情をどう煙に巻くかを考えていると、俺が口を開く前にバカが先走った。

「エレオノーレ……ラケルデモンの人間だ。そう、一応は」

 背筋を伸ばしてはっきりと言い切るエレオノーレ。

 ほう、と、少し驚いた顔をしたキルクスが重ねて質問した。

「町を警備しているようには見えませんが……。やはり、保護都市での騒動は見過ごせませんでしたか?」

「ち、違う。その、私はラケルデモンの政府とは別で――」

「旅人だ。外国の見聞を広めるためにな」

 余計なことを口走ろうとしたエレオノーレを遮って、早口に俺は答えた。だが、黙れという俺の意思表示は全く伝わらなかったのか、その後もエレオノーレは余計なことを俺が言い終えると同時に付け加えあがった。

「困っている人を放っておくことなんて出来ないんだ」

 このバカ、余計な言質を与えあがって。

 一瞬ではあったが、キルクスの視線と表情の変化にはっきりと気付けてしまった。そして、ここまでの事情を聞いたエレオノーレが今なにを考えているのかという事も。

 どうにも、こじれてきたな。

 貴方は? と、差し向けられたキルクスの邪気のなさそうな、にも関わらず落ち着けない政治屋の笑み。

 トントントン、と、机の端を指で叩く。

 エレオノーレが名乗ったおかげで、出鼻を挫かれたな。国名は最初に助けたときに知られているので善しとしても、ぼかしつつこれ以上関わりあわないことを先に明言するつもりだったんだが……。

 どうしたものか、と、考えるが上手い言い逃れが浮かぶだけの猶予もない。

 多少強引ではあるが、仕方が無いか。

「コイツは俺をアーベルと呼んでいるが、本名は別でね」

 親しげではあるものの冷えた笑みをキルクスに返しながら、ゆっくりと話し始める。

 え? と、エレオノーレが戸惑う気配がとなりからしたが、ここで詳しく解説するわけにもいかないので無視する。

「実は、俺は家族や周囲からはウーティスと呼ばれているんだ」

 そう言って、ニッと今度は生の笑みを浮べると、キルクスだけは事情を察した顔になった。

「なるほど、『誰もいない』のなら、尋ねるわけにはいきませんね。ですが、貴方を呼ぶ際には、便宜上わたくし達もアーベル様とお呼びしても?」

「問題ない」

 椅子に踏ん反り返って答える俺。

 キルクスは苦笑いを浮かべ、それでもこの縁を利用する気をなくしてはいないのか「ともかく、今日はお世話になりました、どうぞごゆっくりと」と、そそくさと話をまとめてあとは食事と雑談にしか応じなかった。

 ただ、まあ、その後に出てきた料理も贅を尽くしたものであり、こちらの勧誘を諦めた気配はなかったが。

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