Syrma-4-

 クレイトスが視界に入ってきた。王の友ヘタイロイの騎兵は、赤紫の馬装であり、装備も通常の騎兵とは違っているので見分けはつけやすいんだが……。

 馬の動きが少しおかしい。

 まさか負傷したのか!? と、目に入った瞬間は驚いたが、良く目を凝らせば馬にもうひとり……? ぐったりとした状態で馬に乗せられているので、生きているのか不明だが、誰かを連れているらしい。

 多分、テレスアリア軍の将軍か何かだと思うが……。

 ただ、そのために速度が出ず、しかも、あの性格なので護衛の騎兵も変にクレイトスを補助できずに進んでいるので、後方に余計なのが大勢引っ付いてきていた。

 まるで餌に群がる蟻だな。

 警護すべきテレスアリア兵を、無防備で後方から追いかけさせるわけはないので、あれは殺して良い兵士。というか、本当に着の身着のままで逃げている兵士なので、殺さないと拙い。このまま突っ込まれれば俺達の陣形が維持できないし、仮に大人しく俺達の指揮下に入るといわれても、兵站線が極度に圧迫される。そもそも、マケドニコーバシオ本国がラケルデモンを支持している以上、助け過ぎても拙い。

「随分、連れてきたな」

 言っても無駄だとは分かっていたが、ついそんな愚痴が出てしまい、騎兵の若い隊長がやや困った顔をした。

 しかし、すう、と、大きく息を吸い込んだ瞬間、その隊長は今度はしっかりと耳を塞いだ。なので、一瞬吸い込んだ息が漏れそうになってしまった。

「この軍道は、我々の管理下にある! 立ち去れ!」

 尋常じゃないと評される事の多い俺の声は、この距離でもクレイトスに充分に聞こえているはずだ。そして、その後方の敗残兵にも。

 しかし、隊列を守って進むクレイトス達も、その後ろから追いすがろうとしている敗残兵も大きくは乱れなかった。

 俺に続いて軍団兵達も、口々に『帰れ』『去れ』と声を上げるが、効果は薄い。というかほぼ無い。むしろ、ラケルデモン軍ではないと思ったせいか、より必死になっているような感さえある。

 ったく、ラケルデモンじゃなくても味方とは限らねえだろうによ。


「どうするんですか?」

 若い騎兵隊長は、然程困った様子もなく訊ねてきた。

 最初の戦況報告から察するに、実勢経験が乏しそうな割には腹が据わっている。って、それもそうなんだがな。重装騎兵ヘタイロイとしての訓練は過酷だ。ここで動揺する程度の兵士なら、わざわざ鍛えた意味が無い。

「アホか、警告はあくまで言い訳作りの一環だろ。無抵抗の相手を、なにも言わずに攻撃するわけには行かないからな」

 俺は剣を地面に刺し、投擲用の短い槍を手にし、軍団兵に命じた。

「投槍攻撃用意!」

 その号令ひとつで、兵の雰囲気が変わった。

 俺の軍団兵なんだ。端から、警告だけで終わるなんて思っているものはひとりもいない。

 兵士は意外なほどに指揮官と似た色を帯びる。訓練の傾向からそうなっていくのかもしれないが、移動後に間もない兵士さえもすぐに部隊の空気に飲まれる。

 確かに俺は、レオや異母弟と会って価値観が変わった部分はあるが――戦場に立てば、やはり俺はなにも変わっていなかった。

 いや、むしろ、以前よりも気分が高揚していた。

 ここにあるのは生きるか死ぬかという、分かりやすい現実だけ。レオのことや異母弟の事、エレオノーレの事、アデアの事、今後の事……そうした上手く解決の出来ない煩わしい悩みが、消えていく。


 一度軽く瞼を閉じ、息を整えてから迫るを睨みつけた。

 散発的に攻撃したのでは、かえって混乱が広がる。こちらに進めば死ぬと一撃で分からせてやる必要があった。

「引き寄せろ! 軍道目掛けて敵が詰まった瞬間を狙う。俺の合図で一斉攻撃だ。右隊と左隊の投擲を十字に交差させ殲滅しろ!」

 クレイトスが近付いてくる。敵も。

 だが、まだ遠い。

 通常の戦場のような、放物線を描く投擲では届くものの、落下地点がばらけて騎兵を誤射する危険がある。少なくともこちらの前衛の兵士が、真っ直ぐに敵目掛けて槍を飛ばして仕留められる距離まで引き寄せる必要がある。

 まだだ。

 ……まだ。

 クレイトスの表情がはっきりと分かった。こちらの技量を信用しているのか、いつも通りのどこか小憎ったらしい顔をしてあがる。

 ふん、と、鼻で笑う。

 敵は完全に必中の間合いに入った。

「放て!」

 助走をつけず、肩の力と腰の回転と手首の捻りで槍に強烈な回転を掛け、一直線に敵の眉間目掛けて投げつける。

 俺の投げた槍で、額の中央を射抜かれた敵が、なにが起こったのか理解していない表情のまま白目になり、惰性で数歩走った後、どさりと地面に倒れ付した。

 俺の掛け声と同時に、直接照準で放たれた前衛の槍が、クレイトスやその周囲の騎兵を巧みに避け、敵の集団を穿った。一拍後、通常通りの間接照準で投げられた槍が、後方の敵を地面に縫い止める。


 アテーナイヱは、今回の戦闘で艦隊決戦を志していた。そのため、兵士の大部分は船の漕ぎ手であり、狭い船内での動きを考えてか鎧を着ているものは稀だった。

 ただの投槍の一投が、完全に戦場を支配していた。

 断末魔の悲鳴の叫びが聞こえた後は、嘘のように戦場から音が消えてゆき、馬の足音だけが強く響いていた。


 アテーナイヱ敗残兵の足は止まった。だが、まだ事態を上手く理解していないのか、足を止めただけでこちらを窺っている。

 近くの敵は串刺しになって地面に伏せ、少し遠い敵はまるで案山子かなにかのように、身体を貫いた槍が支柱となって立ったままで死んでいる。

 斬れないのはつまらないが、中々に良い光景だ。

 未練たらしくこちらを見つめてくるアテーナイヱ敗残兵に向かい、俺はにんまりと笑って号令をかけた。

「第二次投槍攻撃用意!」

 戦場に、再び騒音が戻ってきた。

 悲鳴に怒号、その他わけの分からない叫び声が聞こえる。当てが無くてクレイトスを追ってきただけの恐慌状態の兵士は、今度こそ本当にどこに向かえば良いのかが分からなくなった様子で、もと来た道へ戻ったり、丘を登りだしたりと、てんでバラバラに逃げている。


 終わった、な。

 つまらない戦いだったが、少なくとも俺の兵士に損害が出なかったことは良かった。クレイトスの軍団の方がどうなのかは、後できちんと確かめる必要があるが、今後の作戦行動に支障が出るような損害は無いはずだし。

 最後尾のクレイトスと……馬に乗ってるというよりは、半分以上クレイトスに荷物として扱われている見慣れない男が、俺の目の前で馬を止めた。

「危ねぇナ!」

 怒鳴ってはいるものの、クレイトスの口が悪いのは元からだ。それに、声にはどこか隠せない喜色があり、綺麗に決まった作戦の高揚があるのが分かる。

「俺の兵士は、質が良いんだ」

 と、クレイトスに合わせたふてぶてしい態度で返事をしてから、一応、確認することにした。

「お前が最後か?」

「ああ」

 クレイトスの返事を聞いてすぐに、軍道に障害物を設置するように軍団兵に命じた。

 ラケルデモンの追撃がどのような方針で行われるかは不明だが、軍道を整備された状態のまま残せば、敵の進軍速度が増す。歩兵の移動だけではない。馬車による兵站により、活動範囲が広くなってしまう。

 戦場のならいとして、道路や水源といった公共設備は破壊される。

 マケドニコーバシオがここを獲るのはまだ先だ、なので追撃を遅らせるために、徹底的にヤるつもりだった。

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