Syrma-5-
「で――、そちらは?」
気にはなっていたんだが、生きてるのか死んでるかもよく分からなかったので、軍団兵に指示を出す傍らクレイトスの紹介を待っていた部分もある。
だが、結局なにも言ってくれないので、仕方なしにこちらから訊ねることにした。
クレイトスが、ああ、と、まるで今気付いたかのような態度で、馬の後ろに乗せている男を軽く一瞥し、口を開こうとしたところ、本人が割って入ってきた。
「て、テレスアリア援軍部隊の副官、トリッカのニキサス」
トリッカか。テレスアリアの都市の中でも比較的地位が高い町で、穀倉地帯であるテレスアリアの中でも有数の大麦の産地だと聞いている。
軍務は市民の責務とはいえ、こんな戦場に裕福な自由市民を投入してくるあたり、テレスアリアの指導部も大したことはないな。それがマケドニコーバシオの工作によるものなのか、それとも自然な勃興の過程で起きた不幸な事故なのかは不明だが。
とはいえ、大身の物を助けられたんだから、恩を売って国を買う上では好都合だ。
「貴官の生存を祝す。それで、指揮官は?」
馬に跨っていたのではなく、馬に担がれるようにして乗っていた男が、馬から下りようとしてまごついていたので、手を貸しながら訊いてみる。
馬から下りた男は、背筋をピンと伸ばし……かけて、馬の背で腹を激しく揺すられた影響なのか、腹を押さえるように背を曲げ、妙に大きな声で答えた。
「ふ、不明です!」
吐きたいのか用便なのかは定かじゃないが、どっちでも見ていて気分のいいものではないので藪を指差すと、ニキサスと名乗ったテレスアリア援軍部隊の副官は素直にそちらへと向かって行った。
ニキサスが視界から消えたので――。どうしても眉根が寄ってしまった。いや、混乱した戦場の中、副官の一人を引っ張ってこれただけでも僥倖なんだとは思うが……。
これで大丈夫なのか? と、クレイトスに目で訊ねてみる。
クレイトスは馬から降りて兜を脱ぎ、それでコツンと俺の額当てを兼ねた眼帯を軽く叩いてから言った。
「しょうがねエだろ、いなかったノは。勝手に部下を捨てて逃げたンじゃねえのか? それと――」
クレイトスが背後を振り返らずに指差せば、投槍で足を止め、逃散するアテーナイヱ軍とは別に、武器を持たず、両手を挙げてこちらにゆっくりと近付く一団があった。
「……アーベル様」
気弱だが、どこか馴れ馴れしいその声は、少しだけ俺を苛立たせた。
クレイトスは、お前が決めろとでも言いたいのか、背後を親指で指し示した後は、軍馬の状態を検め、馬鎧のほつれや軽い引っ掻き傷の手当を行い始め――。ネアルコスは左隊の指揮を中断し、俺の側へと駆け寄ってきている。
両極端な二人の
薪として準備していた木材の一部や、付近の低木の枝、石等の有り合わせの物を組み合わせた柵。そして然程深くは無いものの、荷馬車の通行は出来なくなる程度の溝や落とし穴が手早く準備され、キルクス達と俺達を隔てていく。
柵の手前のアテーナイヱ敗残兵の死体も、ある意味では心理的な障害物だ。
今回とは別のアテーナイヱ敗残兵がこちらに向かおうとした場合、仲間の死に様が自分自身もこうなるのではないかという恐れに変わる。
また、ラケルデモンに対しても、多少の効果はあるだろう。
常在戦場にラケルデモンにとって、死体なんて見慣れているし、春の陽気ではそれほど早く死体の腐敗も進まない。
だが、ここはあくまでアカイネメシスの支配領域でもある。
この死体を、付近のアカイネメシスの都市が難民の流入に伴う治安の悪化を懸念し、軍を出したと考えるのなら、摩擦を避けるために追撃を躊躇するはずだ。
出来るなら……あまりラケルデモンとは戦いたくない。
俺がラケルデモン人だからってわけじゃなく。味方に損害が出る可能性を考えれば、テレスアリアの救援が目的の戦いでラケルデモンと戦うのは割に合わないからだ。
キルクス達の中から、焦れた男がひとり柵に駆け寄り――俺の部下に突き飛ばされ、尻餅をついたところを別の部下に剣を抜かれて追い払われた。
それを見かねたのか、キルクスが声を上げた。
「こちらには、武具はおろか水も食料も医薬品さえありません。助けてください」
切実で悲痛な叫びでは会ったが、こいつの仕草はどこか大袈裟で鼻に衝く。
……まあ、昔からコイツにはそういう所はあったけどな。良い家柄で甘やかされて育ったお坊ちゃんなんだし。
「なら尚更だろ。こっちの仲間を飢えさせるわけにはいかん」
窮状を話せば、慈悲が降ってくるとでも? と、肩を竦めて露骨に呆れてみせる。
正式な数は不明だが、キルクス達の生存者はざっと見積もって四百程度。コイツ等が出した船が戦闘艦八隻に輸送艦二隻であることから、およそ半分――ミュティレアに残されている正式な名簿では五百名の部隊とあったが、漕ぎ手として買った奴隷は人ではなく家畜なので数に含まれず、また他国の無産階級の傭兵も市民権が無いために抜いた数字であり、万全な艦隊運用のために実数では千近くはいたはずだ――ということになる。
こちらは、俺の部隊が四百にクレイトスの騎兵が二百、その他
キルクスは奥歯を噛み締めた後、絞り出すような声で縋ってきたが――。
「……糧秣は、自分達でなんとかします。ですから、陣に間借りさせていただけでも」
俺は、そんなあからさまな嘘に騙されるほどのお人よしではない。
ハン、と、鼻で笑って答える。
「バカか? お前は。なんとかするっつっても、着の身着のまま逃げてきて金も無いんだろ? 周囲の村から略奪でもされて、アカイネメシスと揉め事を起こされるわけにはいかねえんだよ。特に今回はラオメドンが頑張って俺等の布陣の許可を取り付けたんだからな」
もっとも、こっちは撤退戦の準備は万全で、既に先発隊が野営地を整備している。物資を節約しつつ、こちらが確保している港からの追加輸送をすれば食い扶持だけならなんとかなる。
しかし、野営地内部で明確にテレスアリア兵とキルクス達を分離することは難しい。紛れ込まれれば見分けはつかない。
いや、紛れ込まれるだけならまだしも、敗戦で極端に士気の下がっている兵士なんだから、野営地内部で窃盗や喧嘩を引き起こし、こちらの継戦力を奪われる可能性が窮めて高い。
撤退戦の厄介な所は、そうした治安維持にも兵数が要る上、追撃隊と戦うための戦力も要る事だ。
俺は、ネアルコスに言った無視という方針を変えるつもりは、決して無い。
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