Syrma-6-
「では、僕等にどうしろと言うのですか!? 他国の兵士は助けても、仲間は見殺しにすると!?」
俺が助けるつもりが無いとはっきりと分かったからか、キルクスは逆上して声を荒げた。
コイツも商売を行う人間なら、そんな態度を取ったところで利益はひとつも無いと分かりそうなものだが――いや、分からないのか?
キルクスの場合、アテーナイヱ・アヱギーナ戦争では俺達が助力したし、その後、ラケルデモンとアテーナイヱの戦争が始まった際は、さっさとアクロポリスから脱出し、俺の元へと逃げ込んできたんだから。
自分には権力がある。だから、もし困難にぶち当たってもきっと誰かが助けてくれる。なんて勘違い――思い上がってしまってるのかもな。
「失敗を挽回しろ。それに他国の兵士だから助けるのだろう? これはマケドニコーバシオの友好国であるテレスアリアに対する当然の行為であり、正式な手順に則ったものだ。独断で軍を出したお前達とは根本的に違う」
「僕等は仲間じゃないんですか!」
声を張り上げるキルクスに対し、俺は普段通りの声で淡々と応じる。
これは、もう、交渉ではない。味方の退却準備が出来るまでの暇つぶしみたいなものだ。
軍馬の世話をするクレイトスは、最初の頃は聞き耳を立てている様子だったのにもうはっきり飽き始めていたし。俺を心配して側に来たネアルコスも、口を挟む必要性を感じずに手持ち無沙汰にしている。
キルクスが取り引きのひとつもせずに、ただ助けてくれというなんて二人とも思っていなかったんだろうな。
「なら、尚更だろ。仲間とは、依存されるだけの関係ではない。船も兵士も失い、あげく、助けてくださいとはなんだ? 恥を知れ。船を奪い、自力で島へと帰還しろ。それが出来なければ死ね。失態を挽回できないのなら、生きる価値などない」
「僕がッ! 僕がエレオノーレさんに求婚していることを知ったからなんでしょう!? だから、ここで死んでしまえば良いと思っているんですね!?」
少しだけ、驚いた。
俺が気付いていると気付いていたんだな、と、思って。
だが、それだけだ……と、思う。
動揺したつもりは無いんだが、自然と眉間に皺が寄ってしまった。
「全く別の問題だろう?」
多分、そんな変化が悪かったのだと思う。調子付いたキルクスが語気を更に荒げた。
「別じゃありません! これまでもアーベル様はエレオノーレさんが関わると冷静でなくなることが多々有りました。皆さんも、それを知っていますよね?」
キルクスは自身の背後の元武装商船隊の頃から付き従っていた面々を見渡し、次いで、俺達マケドニコーバシオ軍へと視線を巡らせた。
……背後の部下や仲間がどんな顔をしているのかが気になったが、今は振り返るわけには行かない。弱みを見せれば、そこに付け入られるだけだ。
「ですが、アーベル様は周囲が結婚を勧めても拒み続け、中途半端な状態にエレオノーレ様を置き――そうです、アルゴリダ行きの件も独断で進め、エレオノーレ様を悲しませた上に、島の統治に少なからぬ混乱を招いたじゃありませんか! 同じことでしょう? なぜ、今、僕等を助けられないんですか! おかしいでしょう!?」
上手く言えないが……。複雑な気分だと思う。
キルクスの言ってる内容は、キルクスの視線による物事の解釈ではあるんだが、それはもしかしたら他の――そう、
エレオノーレの件を、こんな風に言われたことはこれまで無かった。
俺に対しては持ち出すべきではない話題、なんて皆思っているのかもな。
それに甘え続けてしまった。他の分野での成果で、それを釣り合わせていると俺自身は考えていたが……。
キルクスの言は、強引なこじつけの部分はあるものの、痛い部分を衝いている所もある。
受け取り方は、個々によって違ってくる。
俺の理屈も、あくまで俺の視点による理屈だ。
ここでなにを言っても言い訳にしか聞こえない気がして……、俺は反論せずに短く溜息を吐いた。
感情的になったところで、なんの得にもなりはしない。
事実は事実だ。
で、あれば、結果で挽回するしかないのは俺も同じだ。
「殺しますか?」
俺の様子を心配したのか、ネアルコスにそう訊ねられてしまったが、俺は苦笑いで首を横に振った。
ここで殺してしまえば、図星を衝かれたから殺して口を封じた、なんて思われそうだし、そうなったらなにかに負けた気がする。
「ほっとけ、その価値さえない。興味も失せた。おい、さっさと逃げないと、ラケルデモンに捕まるぞ? 無理にこちらへ向かってくるなら、俺も配下の兵を抑えられないので皆殺しになるな、どうするんだ?」
ん? と、軽く首を傾げて、キルクスに訊ねてみる。
俺が食って掛かって来たらなにか応手を考えていたのか、キルクスは露骨に嫌な顔で口を噤んだ。
しかしそれでも柵の前からは離れず、睨み合いが暫く続いたが……。
不意に、日に焼けた大柄な男――ドクシアディスが、おずおずと前へ出てきた。
「あの……大将」
ああ、そういえばこいつもいたっけな。愚鈍だから、場合によってはキルクスよりも厄介だ。
キルクスは、光明を見つけたようにあからさまに表情を明るくし、ドクシアディスの斜め後ろへと回ってその背を押している様子だった。
もしかしなくても、キルクスが強く荒く出た後、ドクシアディスが弱気で寄り添ってくるという懐柔の基本を実行しているのかもな。
柵を設置していた兵が俺に向かって一礼したので、右腕を上げて応じる。そろそろ退却が始められる。
これ以上、こんな事に時間は掛けられない。
「……なんだ?」
手短に話を終えようとドクシアディスにはぞんざいに応えれば、ドクシアディスは困ったようにモゴモゴと口を動かした後、途切れ途切れで――生きて帰れないと思っているからか、鼻をすすりながらか細い声で言った。
「オレの、その……後釜は、ファニスに……」
これだけの敗北の後、アテーナイヱ人組織もアヱギーナ人組織も存続していると思っているのはどこか滑稽でもあったが、遺言を伝えて欲しいという殊勝な態度は、キルクスと比べればそう悪くなかった。
しかし、ファニス?
……ああ、うっすらと覚えている。船での生活が始まった際に、最初の頃に事務を手伝わせた若い男だ。さして才能があるわけではなかったので印象が薄いが、今回の派兵の結果として、大きく数を減らしたコイツ等のまとめ役とするならその程度でも充分か。
ではキルクスの後釜は――、いや、キルクスには妹がいたよな。あのクソ生意気なだけのチビが。アテーナイヱ高官の実の娘の。
……ふむ。
これは、使いようによっては案外面白い形でまとめられるかもしれないな。
「分かった。そう取り計らろう。ではな」
柵も堀も完成し、行軍のための荷物もまとめ終わっていたので、そう答えた後はクレイトスの騎兵を先頭に、俺達は悠々と撤退を開始した。
キルクス達は柵の前で呆然と立ち尽くしているようだった。
足音は聞こえてきていない。
背中からの視線は長い間感じていたが、振り返る必要性は感じなかった。
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