Syrma-7-

「追ってくるでしょうか?」

 キルクス達から充分に離れたところでネアルコスに訊ねられた。

 さして重要でもない質問を投げ掛けたのは、多分、俺を気にしてくれているんだろうな、とは思う。

「さあな。だが、来たところで陣には迎えんさ」

 昔ならああいう発言は力で捻じ伏せていた。いや、今もキルクスの言葉ごときで動揺するわけではないが、なんとなく苦味のようなものが尾を引いていた。

 すっきりするためにも、俺らしく殺っておけばよかったかな、なんて考えていたら、背伸びしたネアルコスに頭というか側頭部を撫でられた。

「好きだから悩んじゃうんですよね。女性の扱いに。大丈夫ですよ、分かりますから」

 ったく『分かりますから』じゃねえよ、とは思ったが、自分でもなぜだか分からない笑みが――多分に苦笑いなんだが――浮かび、苛立ちが消えていた。

「うる、せえ、よっと」

 言葉を区切るのと合わせ、しゃがみ、ネアルコスの膝裏を左肩で掬い上げ、立ち上がる。左肩で肩車されたネアルコスが、目を白黒させているうちに「自慢の目で、遠くの敵でも警戒してろ」と、短く言った後は、黙々と歩き続けた。

 さっきまでよりも軽い足取りで。

 前を歩く部下の反応やネアルコスの態度から、キルクスの糾弾の間、皆がどんな顔をしていたのかが、なんとなく分かった気がした。

 有り難いとは思う。

 しかし、それに甘え続ければ、キルクスと同じになってしまう。そろそろ、決着を付けなくては、な。



 野営地に入ると――野営地と言っても即日引き払ってしまう陣なので敵の侵攻を妨害するための柵以外は、天幕や見張り台があるだけの簡素なものだが――、王太子と共に先行していた王の友ヘタイロイが、テレスアリア兵の名簿作成や負傷者の手当て、食料品の分配などを既に行っていた。

 正直、俺やネアルコス、クレイトスなんかの前線に出ていた王の友ヘタイロイが今から出来ることはなさそうだ。下手に手を出せば、説明のために作業が中断され、余計に遅れる。


 拠点の構築、物資の備蓄と輸送、治療に食事、武具の再分配、そして、人員の管理。兵站の基本だが、非日常である戦場において、予定通りの運用は本来はかなり難しい。

 しかし、その難しいことが、目の前で行われている。しかも、前回俺が参加した北伐とは違い、他国の敗残兵を吸収した上で完璧に、だ。

 素直に、頼りになる仲間だと思う。

 だが、他人に任せることに不慣れな俺としては、こういう時に、つまらないというか……少し寂しいような、上手く表現出来ない感情を持て余してしまう。

 本音を言えるなら、手透きな者をすぐに見つけて雑談を始めるネアルコスが少し羨ましい。

 しかし、俺には雑談でなにを話せば良いのかが良く分からない。意味の無い――会話のための会話をしていたら、段々苛々してきてしまうのだ。

 飯作りでも手伝おうと、馬をねぎらい馬具の手入れを始めるクレイトスを横目に、炊煙の方向へと足を向けた途端……どこかから呼びかけられた。

「アーベル!」

「ん?」

 声でプトレマイオスだとすぐに気付いたので、周囲を軽く見回し……ああ、陣の入り口近くの天幕で手招きするプトレマイオスを見つけ、踵を返すと――。

 天幕の近くで雑談していたネアルコスだけでなく、クレイトスまで馬の世話を部下に任せてついてきた。

「どうしたんだよ?」

 確かに、キルクスとの会話中も馬の世話をしていたし、そんなにすることもなかったんだろうが、わざわざ俺についてきたクレイトスに訊ねてみる。

「アイツ、暇なら、一緒に現状を聞いとこうと思っテな」

 まあ俺を呼んだ用事の内容は不明だし、三人で来ても特にプトレマイオスは表情を変えなかったのでそこに問題はないと思うのだが……。

「暇とはなんだ。暇とは。いつも言っているが、言い方ひとつで印象は大きく変わるのだ。兵を指揮するならそれなりの態度というものを心掛けろと常々言っておるだろう!」

 問題は言い草これだよな、と、小言を始めたプトレマイオスと、反省の様子を全く見せずふてぶてしい態度のままのクレイトスに、軽く嘆息する。

 そんな俺の頬を、小さな指がつついてきた。

「ね?」

「いや、なにがだ?」

 横から急に『ね?』なんて同意を求められても困る。

 しかしネアルコスは、相変わらずの人好きのする笑顔で続けた。

「怒られ方がそっくりじゃないですか。アーベル兄さんと。なんとなく、このお小言が聞こえないと寂しいんですよね」

 ああ、なんの話かと思えば、クレイトスのところの小隊長に、俺とクレイトスが似てるとか言われた話の続きか。って、あの時ネアルコスは近くに居なかっただろ。ってことは、さっき談笑してたのはそんな話かよ……。

 ただ、『ね?』なんて同意を求めてくるあたり、ネアルコスもそんな風に俺を見ていたのか。

 ……ん? なら、もしかして、他の王の友ヘタイロイもそんな風に思ってるってことか? どうでもいいといえばどうでもいいんだけど、似てるといわれてそんなに面白くは感じない

 つか、俺の場合は、ミエザの学園でプトレマイオスに小言を言われていたのは、基本的にはマケドニコーバシオとの文化風習の違いであって、クレイトスのそれとは別だと思う。クレイトスと違って、俺は好き好んで怒られようとしているわけではないんだし。

 こっちは、あくまで、不幸な事故の一環であったり、ちょっと強情を張った結果として怒られていたのであって、趣味としてではない。

「なに言ってあがる。……つか、そもそもプトレマイオスの方がクレイトスよりも年下なんだが、叱責の際にはそういうのは気にしないのか?」

 プトレマイオスの小言に対する感覚に図星の部分が無いわけじゃなかったが、それを隠し、隠していることをネアルコスに悟られないようにするためにプトレマイオスへと顔を向けた。

 見た目としても、目が大きく美男との声の高いプトレマイオスは実年齢よりも少し幼い印象もあるので、やや軽く見せている部分はあるものの歳相応の武人然としたクレイトスを叱っている絵は、なんだか滑稽だ。

 腰に手を当てたプトレマイオスは、嘆息し、俺とクレイトスを交互に見比べた後――。

「クレイトスは年長者としての礼節を弁えろ。アーベルは、若輩者としての謙虚さを持て」

 そう話をまとめた後は、先頭に立って天幕の中へと入っていった。

 プトレマイオスに続いてクレイトスが天幕へと入り、その後に俺とネアルコスが続く。


 天幕の中は、かなりごちゃごちゃしていた。

 テレスアリア兵を入れない場所だからなのか、天幕の支柱にしている木材も節があったり、所々傷んでいる。偵察隊の情報をまとめている最中なのか、其々書き込みが違う地図が何枚もテーブルの上にあり、物資の残量と今後の必要量の見込み、集積地に関して書かれた木片。それに、アカイネメシスの港での船の状況に関する連絡も。

 あと……なんだこれ? 今現在の戦費の使用額なんて、撤退を終えてからで良いだろうに。事務方の王の友ヘタイロイが、また煩いこと言ってきてるのか?

 俺も金が好きだから積極的に節約する方だが、命が掛かっている場面で、一本いくらとか考えながら投槍攻撃をしたくは無いぞ?

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