Syrma-8-
プトレマイオスは、ややらしくない雑さ加減で俺達三人が座れる場所を用意した。
前線に出てはいないが――、いや、むしろだからこそ煩雑な仕事に悩まされてるんだろうな。帳簿作業や折衝は、相手を斬って終わりってわけじゃないんだから。
野営地内部では、テレスアリアの目もあるので見栄えを重視しているが、内実はやっぱりドタバタしているんだろう。
「進路上に、ラケルデモンの待ち伏せは無いようだ。王太子やお前達以外の
さっき片付けた地図よりも一回り大きな地図を俺達の目の前に広げ、当初から予定していた進路を指でなぞって見せたプトレマイオス。
見捨てていくと思われたくないのか、思いの外真摯な目で見詰められてしまったが――。
俺としても、それで良いんじゃないかと思う。と、言うか、当然の流れだ。
さっき見かけた戦費の計算じゃないが、戦場に滞在していれば物資の購入費だけじゃなく、輸送費や戦場割り増し価格による差損が出るんだし、逃がせる連中は先に逃がすに越したことはない。
そもそも撤退戦は、勝つための戦いではなく負けないための戦いなので、そこまで数を頼みにする必要もない。まして、指揮官級の人間ばかりが多くてもかえって混乱するだろう。
頷き――ふと、あることを思いついてプトレマイオスに訊き返した。
「どうする?」
「どうする、とは?」
ああ、いや、少しどころじゃなく端折り過ぎたか。
不思議そうな顔をしたプトレマイオスの疑問が、小言に変わる前に俺は言い直した。
「クレイトスはそちらの護衛につけるか?」
不服なのか、ガン、と、椅子の足をクレイトスに蹴られたが、別に変なことは言っていないので、横目で軽く睨んでから視線をプトレマイオスへと戻す。
ラケルデモンに限らず、糧秣の現地調達はどこの軍でも大なり小なり行っている。だから、戦場の周辺の村々としては、敗残兵を狩って奴隷としたり武具を奪って殺すことでその鬱憤を解消させるのは当然の事だ。
退路の位置的に戦禍を被った村は近くにないが、戦場に集められた兵力が大きいという情報はもう出回っているので、出稼ぎとして敗残兵を狩って臨時収入を狙う野盗は少なくないだろう。
アカイネメシスの人間が
無論、仲間が易々と都市に住めない農兵ごときに殺されるとは思っていないが、無用な争いは避けるに越したことはない。近隣の住民との諍いという小さな意味だけでなく、アカイネメシスと揉め事を起こすと面倒なことになるという大局的な意味でも。
なので、先発隊も軍としての体裁を整えられるだけの数は必要だと思う。そして、俺の歩兵では騎兵と馬車の速度についていくことが出来ない。
理詰めでの合理的な判断だ。
手柄の独占なんて考えていない。……と、思う。多分。
しかしプトレマイオスは、俺の懸念や葛藤を知ってか知らずか、あっさりと申し出を断ってきた。
「いや、進路上に目立った敵はいないので、兵を増やせばかえって速度が出ずに危険だ。むしろ、ラケルデモン追撃隊と戦闘になるようなら、お前の軍だけではきついだろう」
「まあ、それもそうなんだがな」
歯に物が挟まったような言い草になったと気付きはしたが、しょうがない。
正直、一戦することになるならば、クレイトスの騎兵がいても厳しい――勝てないとは思わないが、こちらの損害が少ないとも思えない――ことに変わりは無いから。
横からのクレイトスの視線に気付いてはいたが、俺は特に顔を向けずに、割に合うとは言いがたい戦場でいかに損害を抑えるかということに頭を回した。
「で? 話はそれだけじゃねぇンだろ?」
こつこつ、と、やや不機嫌そうにクレイトスがテーブルを叩くと、図星だったのかプトレマイオスは、今度はやや渋い顔になった。
「アーベル」
「ん?」
「もしもの際には、テレスアリア兵を七割程度まで減らしても構わない。こちらの兵に損害が出るくらいなら、負傷して充分に歩けない者を見捨てろ」
努めて感情を排した声だったが、だからこそその不自然さが際立っている。
瞬きしてみても、プトレマイオスはムッとした顔のままで、変化が無い。
「王太子の言か?」
そのまま了承してもよかったんだが、一応そう尋ねてみると、面を取って着けたようなプトレマイオスの表情が崩れ、どこか気まずそうに訊き返してきた。
「……なぜ分かる?」
本気で誤魔化せていると思っていたのだとしたら、ちょっと心配になりそうだ。
多分、性格的に、そうした憎まれ役や汚れ仕事はプトレマイオスには向かないんだろう。命令なら実施するんだろうが、不満が露骨に現れる。
……ああ、だから今回王太子が選んだ騎兵は、クレイトスの軍団なのか。
俺の軍団は設立当初からプトレマイオスの軍団との連携訓練をよくしていたし、単純な相性ではプトレマイオスと組んだ方がいいような気もしていたんだが、任務の性質が合わないんだ。
もし、テレスアリア敗残兵の誘導をプトレマイオスが行っていたとしたら、副官ではなく、指揮官を見つけるまで戦場に留まってしまっていたかもしれない。騎兵ではないので意味は無いかもしれないが、もし俺が誘導したとしたら、テレスアリア以外の兵士が混ざり始めたかなり早い段階で引き上げていたと思う。
救出誘導の切り上げが、王太子の理想と一番近いのがクレイトスだったのか。
「バレバレだろ、アンタの性格らしかねる命令だからな。つか、そんなに減らして良いのか?」
「ああ、気付いてると思うが、テレスアリア以外の敗残兵も多いし――」
折角なのでさっきは椅子を蹴ってきたお返しにクレイトスへとからかいの視線を向けてみるが、白々しい顔で無視された。
「そもそもテレスアリアからの援軍は軍艦四隻に兵八百だ。名簿はまだ作成途中だが、数字上は作戦に参加していたテレスアリア兵の八割方を回収出来たことになる」
「目標の五割さえ確保できていれば充分、ってカ?」
部隊は全員が前線に投入できる戦力ではない、軍の性質によって多少の変動はあるが、約半数は兵站の管理のための後方要員だ。五割の損害は、言い換えれば作戦行動が不可能となり、全滅と同義ではあるが……。
クレイトスに頷いて見せた後、軽く嘆息したプトレマイオスが続けた。
「テレスアリア兵が、撤退戦に参加すると思うのか? よしんぼ、共同戦線が張れた所で、下手に弱卒が混じる方が危険だ。戦力ではないのなら、置き去りとして囮にしても構わないだろう」
あんまり『構わない』って顔でもないが、今度は、俺やクレイトスの軍に損害が出る事を懸念してか、不満の色が薄い。
先ほどよりもプトレマイオス自身の本音に近い言葉だと思った。
「まあ、戦域への偵察ももう出しているだろうし、どのぐらいの兵力がこちらに差し向けられるかって所を見てだな」
情報がはっきりしないうちには変な約束は出来ないが、プトレマイオスの考えは理解したので、最低限の気遣いを口にし、今度こそ話は終わりか? と、訊こうとした時だった。
「ああ、後、これからすぐにテレスアリア兵の受け入れに伴う式典を行う」
「式典? こんなところでか?」
場所もそうだが、時間的にも良いとは言えないと思うんだが。
つい眉間に皺を寄せてしまったんだが、クレイトスとネアルコスがくすくすと笑い出した理由がすぐに理解出来なかった。
――いや、昔にも、こんなことがあった気がする。
ああ、そうだ、俺が王太子との模擬線で敗北した後、皆と初めて出会ったあの時――。
プトレマイオスが少し得意そうな顔で解説してきた。
「こんなところだからだ。これは、外交戦だ。保護したことで心理的にこちらに近付いている今だから、徹底的に力の差を示して恭順させるのだ」
誰にでも得手不得手はある。
規律に煩いプトレマイオスとしては、完全に統制された式典の運営こそ本領発揮といった所なのか、式典の計画概要をみっちりと頭に叩き込まされてしまった。
今や、仲間としてこちら側に立っているのは誇らしい事だが――。かつての自分の立ち位置を思い出せば、どこか恥ずかしさもあり、なんだか複雑な気分だった。
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