Marfakー2ー

 夜になってから、ネアルコスとラオメドンと三人だけで打ち合わせをすることになった。船上じゃない。露営ではあるものの、今夜だけは船を係留させ全員を揚陸させている。

 兵も馬も、ゆっくりと休めるのは今日が最後だからだ。通常の船上では火が使えないので、こんな秋の終わりの寒い日であっても、温かい物を作ることは出来ない。

 だから今日は、夕刻には上陸し、夕飯に滋養のつくものをたっぷりと出した。

 根菜をじっくりと煮込んだスープに、魚介類の焼き物、肉、干し果物。

 明日からはなんの目印の無い海の上を、太陽や月、星、それに岩礁なんかを頼りに――何事もなければ三日、海の状態が荒れるようなら四日程進むことになる。いや、海や風の状態よりも、敵に出会うか否かが大きな問題だがな。レームノス島なんかの諸島部を経由するなら、もう少しはましになるんだが、アテーナイヱ艦隊と交戦の危険性もあるし、ミュティレアに着くまで軍が動いているという情報は出来るだけ隠しておきたい。


 エレオノーレを中心に車座に集まった武装商船隊の連中から、充分に離れた場所に陣幕を張り、周囲は其々の子飼いの兵士で固めている。

 ここでの会話は、外には漏れることはない。


「どうでした?」

 小麦の無醗酵のパンを齧った後、ネアルコスがキラキラとした目で訊いてきた。

 一瞬、どの件か分からなかったが……目の色から察するに、エレオノーレと午後に二人きりで事情を説明した結果のことだと察することが出来てしまい、なんだか、出鼻が挫かれてしまった。

 こいつは、そんなのばっかりか。

「……ミエザの学園で、中途半端に教養を身につけさせた効果だろう。ミュティレアの上層部の腐敗を取り除く正義、島を得ることで土地の分配による諸族の分離支配、そして、マケドニコーバシオの後ろ盾による戦火の回避……という方便をあっさりと信じた」

 鈍感なふりをして返事する俺に、肩を竦めて見せたネアルコス。

 ラオメドンは……いや、コイツ会った時からずっと喋らないんだが大丈夫なんだろうか? ……まあ、あの王太子が使えない人間を送り出すはずが無いとは信じているが。

「説明を聞きたいというのは口実で、エレオノーレさんは、もっと違うことを期待して二人っきりになったのにな~」

 猫が鳴くみたいに語尾を伸ばしたネアルコスが、ねー? と、ラオメドンに同意を求めてしなだれかかったが、尚もラオメドンは無言だった。食事の手は止めているし、顔もこちらを向いているので、聞いてないってわけじゃないと思うんだが。

「ほんとかよ。嘘つくなよ」

「いえいえ、全く気付かないアーベル兄さんの方が変ですって、あんなに露骨なのに」

「……露骨、なのか?」

 俺としては、それとなく気付かせる程度の距離感で、確信には至れない感情表現だと――好きとか嫌いとかじゃなく、大元は執着という感情だから、はっきりと態度に出していないんだと――思っていたんだがな。

 ネアルコスの言い草から察するに、どうも周囲はそうは思っていない……のか? 本当に?

 俺の疑わしげな視線を受け、呆れた様子で首を横に振っているネアルコス。

「そういう所は、病気ですよ。ミエザの学園で、先生に治療してもらうべきでしたね」

 ほっとけ、と、もう一度だけ俺は言って、顔を引き締めた。

「食い終えたなら、仕事の話をするぞ。ワインは、今日ぐらいは好きに飲めば良いが、酒の後で会議をするつもりは俺にはない。まず、占領後の施政方針だが――」

 適当に空いた皿をどけて、テーブル代わりの木箱の上に地図を広げる。

 本来、地図は流出厳禁で、旅人用の簡易的な地図は、あえて縮尺を雑にしたものを売っていたりするんだが、これは、アイツ等が商取引を重ねることで得た信頼、そして、解放した奴隷なんかから得た情報で加筆された精度が高いものだ。

「アテーナイヱ人とアヱギーナ人を完全に分断する。元の階級が低かったアヱギーナや解放奴隷は周辺の村に、知識層のアテーナイヱ人はミュテレアの一部……というか港湾付近を与える」

 ミュティレアの市民に関しては、財産や生活を保障するつもりだった。殺すのは、権力者――都市の議会の幹部や、将軍、商工ギルドの主だった連中だけだ。

 権力者は戦闘で。公共施設や神殿の長は、キルクスに集めさせた不正の証拠によって処刑という形を取り、排除し、俺達が指導部に成り代わる。

 戦闘で目減りした人口を補う意味でも、あの二つの人種を差配し、地域に対する監視の目を巡らすのは悪くないだろう。

「分離する意味まではありますかねぇ。それに、与えた場所の地力にもよりますが、アヱギーナの連中も反発すると思いますよ? ボク達三人の兵の合計は、二千を越しますし、警備の増強で治安を維持し、表面上だけでも協力させては? その方が税収も安定すると思いますけど?」

 地図の居住区、そして、麦畑の広がりを指し示してネアルコスが異を唱えてきた。

 まあ、座学や演習でなら、問題の無い回答だと思う。実際、船で旅をしていた頃の俺も、そう考えていたしな。

 しかし、ここでも前と同じ轍を踏むわけには行かなかった。


 俺は、自分自身の気持ちをも落ち着けるようにゆっくりと首を横に振る。

「融和なんて幻想だ。平時には責任を避けることで迷走し、有事には反目しあい失敗を擦り付け合う。誰かが上手くやるだろう、失敗して無能者と思われたくない、とな」

「それでは?」

 俺を試すような目を向けたネアルコス。

「そこで、北部の都市メテュムが出てくる。レスボス島で、現在唯一反ミュテレア派の都市だ。どうせ、小賢しいアテーナイヱ人はミュテレアを落とした時点で戦意はないだろう。従軍させたとして、命を賭けて戦うとも思えない」

 地図上に指を滑らせ、東海岸のミュティレアから、北部の大都市メテュムの城壁を指でなぞる。

「周辺に差配することで不満が出れば、アテーナイヱとの関係の深いメテュムを生贄にする。先の戦争の恨みの燻るアヱギーナ人を焚きつけ、我々がその侵攻を補助し、恩を売るという形だ。いずれにしても、島の全てを押さえる必要もあるしな。それに、エレオノーレをこちらが押さえている限り、あの二つの民族は競い合わせた方が利益になる。失敗しなければ良い、という感覚ではなく、相手よりも成功しなければ、エレオノーレの歓心を買えないという強迫観念が芽生えるからな」

 メテュムは、確かに堅牢な都市ではある。が、陥落出来ないとは思わなかった。冬で海が封じられている間に、包囲し、大盾で時間を掛けて城壁へと接近し、崩す。

 時間はかかるが、一番損耗が少ない有効な手立てだ。

「戦費はどうするんです? 長期戦は経済的に――」

「いや、それは問題ない。むしろ、攻める場合の方が経済事情は好転するだろう」

 ネアルコスの発言を遮って指摘するが、ネアルコスも経済観念が薄いのか、よく分かっていない顔をされてしまった。

「はい?」

「別に、俺はミュティレアの特産品である、エレクトラム貨だけを当てにしているわけじゃないんだ」

 エレクトラム貨は、かなり古くからある貨幣で、金と銀を絶妙の配合で混ぜること出来る琥珀金という合金で作られた美しい硬貨だ。アテーナイヱは、既にレスボス島ではなく、より南のアクロポリスに近い位置のラウリオン銀山に造幣の拠点を移してはいるが、ヘレネスの外へと向けた貨幣の鋳造において、まだまだ重要な拠点ではある。

 無論、そこに蓄財されているエレクトラム貨は、馬鹿にできる量ではないが、奪い取るだけで、これから来るヘタイロイとその軍隊全てを維持できはしないだろう。

「大規模な攻城戦を行えば、戦地へ向けた物流により、金の流れが活発化する。更に、野戦築城の土木工事に動員する市民連中も、食事もすれば、女も買いたいだろう。酒保証人に上手く課税し、関所で通行税を別途徴収すれば、収支は、むしろ好転する。ここへ一時退避するヘタイロイが増えても、充分に維持が出来るだけの金が出来る」

「あっさりと降伏してきた場合は?」

「メテュムをアヱギーナ人に与え、住居を含め広く課税するし、別途、入居のための協力費を俺達に支払わせる。メテュムの元々の住人は、新たに農地と鉱山の開拓に回し――。後は、上手く焚きつけて、アテーナイヱ人との献金合戦に持ち込ませるさ。財務管理は俺達が行う、献金の一部をエレオノーレに与えて、それぞれの民族の象徴を模った装飾品でも作らせれば満足するだろ」

 戦地で浪費するだけが将軍の仕事ではない。

 略奪も当てにはするが、もっと大局的な戦略を立てなくては勝てる戦も勝てない。それを、ミエザの学園で学び、研鑽してきた。


 は――、と、多分、心の底から感心したように長く息を吐いたネアルコスは「勝つためには手段を選びませんね」と、肩を竦めて、賞賛とも当て擦りとも思えるようなことを呟いた。

「当然だろう?」

 口角を下げて笑い、力の政治理念を口にした。

「それに、この作戦では、俺達も、俺達の手元にあるエレオノーレにも損はない。自力では国を持てないアイツ等も同様だ。優れた指導部の支配は、商業上の強みにもなる」

「欲しいものを欲しいといえるようになったんですか?」

 多分、俺達の手元にある、という部分だけを拾い上げたネアルコスが、占領統治の話をしているときよりも悪そうな笑顔で訊いてきた。

 ……ふん。

「いや、譲りたくない部分をはっきりとさせただけさ」

 俺は、少しだけ心の構えを解いて二人に笑いかけてみた。

 ネアルコスは、そうですか、と、いつものニヤニヤ笑いで。ラオメドンは、相変わらず無言のままで頷いていた。


 その後、軽く甘いものなんかを摘まみながら雑談し――。

 明朝、出港前に軍の連携訓練を武装商船隊の連中に見せ付けることを確認し、俺達は早めに寝床についた。

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