Marfakー1ー

「こうして差し向かいで話すのは、初めてですね」

 揺れる船をものともせず――もしかすると、船旅はこれが初めてではないのかもしれない――王の友ヘタイロイとして傭兵部隊を率いるネアルコスが、にこやかに甲板で話し掛けてきた。


 予定よりも二日早く……とはいえ、俺の足で考えれば、かなりのんびりとした参陣……いや帰陣か? まあ、どっちでもいいが、ともかく、俺の到着後に最終的な確認作業を行い、計画書通りの日程で船は出た。

 ほとんどが輸送用のガレーとはいえ、戦闘用の三段櫂船を十隻含む合計四十隻の大艦隊だ。まあ、俺やネアルコス、ラオメドンの陸軍はともかくとして、船乗りはあくまで商人や雇われ水夫なので、水軍としての見た目程中身が伴ってはいないがな。

 俺ののんびりとした到着を、不審に思った人間は居ない。

 そのそもが、世間話をするような親しい人間は少ないからだ。そこまで詮索するような間柄じゃない。まあ、プトレマイオス辺りが居れば別なんだろうが、アイツはまだ北伐で戦っているだろうしな。

 ちなみに、俺の部下も新都ペラでの一件は知らない。別に、教えてやる必要を感じないからだ。秘密を知る人間は少ない方が良い。それに、そもそも、戦技や戦術については指導するが、戦略までを兵に伝える必要を俺は感じていない。


「そういえば、そうだな」

 水平線へ向けていた視線を外し、俺はネアルコスの方へと向き直り――俺よりも背丈の低いネアルコスの顔を見るために、少しだけ視線を下げた。

 まあ、ネアルコスの子供っぽい丸顔には、いつも通りの微笑が浮かんでいるだけだったが。


 冬が差し迫った時期で、船の往来は少ない。だからこそ、近付く船はなんらかの強い意図を持っている。

 船影を見たらすぐに知らせるよう見張りに指示を出してから、俺は帆柱の側の糧秣を詰めた箱をテーブル代わりに、ネアルコスと向き合って座った。 


 ちなみに、ごく最近まで教育係のプトレマイオスと一緒に行動することが多かったので、必然的に他のヘタイロイと二人で話す機会は限られていた。

 まあ、今にして思えば、プトレマイオスは俺の監視役でもあったのかもしれない。ただ、プトレマイオスの技量では、一対一で俺を抑えられないので、実質的な意味は無かったが。あくまで、第三者向けの詭弁として、野放しではないと見せ付けていただけだろう。

 プトレマイオスと一緒にいて、不自由を感じたことは無い。

 文句の山程は言われたが、少年従者の一件も、最終的にはこちらの好きにさせてくれていたんだしな。


 そういえば――。

 返事した後だったので、今更かもしれないが、ネアルコスは俺に対しても敬語を使うんだな。

 ネアルコスと俺は、歳は同じなんだし、むしろミエザの学園の序列で言えばネアルコスの方が上になる。なので、丁寧な口調の意図が見えなかった。まあ戦時に席順なんて関係ないし、現時点での遠征軍の司令官は俺なので、そういう意味では敬語で話すというのも正しくはあるんだろうけど。なにか裏がある――もしくは、なにか不満に思っていてその当て付けなのかと眉を顰めると……。

 俺の表情から察したのか、こちらから訊ねる前にネアルコスの方から話し始めた。

「ボクは、王の友ヘタイロイ皆の弟分ですから」

 ネアルコスからは、分かるようでまったく理解の外の返事が、さも当然という顔で返ってきた。

 ……ああ、まあ、ネアルコスはどのヘタイロイに対しても敬語で喋ってるのは知っているし。確かに、ミエザの学園で俺と話した数少ない機会にも、敬語で話していた気がする。が、それは隣のプトレマイオスを意識しての言葉遣いだと思っていたんだけどな。

 んんむ。

 どちらかといえば、俺のように、年や序列が上の仲間に対しても普段通りの口調で話す王の友ヘタイロイの方が多数派だ。身分差なんかはあるが、基本的には横一列に王の友ヘタイロイだしな。

 なので、なんか、こうして改まって丁寧に喋られると、少し調子が狂うって言うか、なんて言うか……。

 その、少し、扱いに困る。


 つか、一緒に行動する機会は少なかったものの、どちらかといえば、ネアルコスからは嫌われているんだと思ってたんだがな。ミエザの学園に来てすぐの頃は、目が合うと睨まれることもあったし。まあ、それだけっちゃそれだけなんだが、逆に殴り合いの喧嘩にならなかったので、真意を量る機会がなかった。ので、その第一印象が今でも続いている。

 ……もしかしなくても、余所者に対する反応ってだけで、嫌われてると思っていたのは邪推だったんだろうか?


「他意があっての敬語じゃないんだよな?」

 ネアルコスに合わせて敬語にするというのもなんだか今更過ぎて、俺は普段通りの口調で最終確認をしてみた。

 同じ戦場で戦う以上、協力関係は重要になってくる。不満があるなら、早めに抽出しておきたい。

 ……まあ、和解――つっても、衝突していないのに和解ってのも変だが――できるのか、不安は大きいっつか、性格的に無理かもしれないけどな。


 しかし、そんな俺の危惧は他所に、にっこりと親しげに微笑みかけてきたネアルコス。

「勿論ですよ。アーベル兄さん」

「ハハン、よせや。鳥肌が立つ」

 さっき言っていた『ヘタイロイ皆の弟』を演じているのか、同い年なのに兄さんなんてつけられ、思わず噴出してしまった。

「まあ、冗談はともかくとしまして、他意はありませんよ。戦いにおけるご手腕、疑いようも無いですし」

 結局、敬語は変わらないんだな、とは思ったが、別段指摘する必要も感じなかったので、そういうものだと思うことにした。害が無いなら、好きにさせておけば良い。そんな感覚だ。口調が丁寧だからといって、なにか手心を加えるつもりは無いんだし、そもそも、王の友ヘタイロイには変わり者が多い。現に、今回同行しているもうひとりの王の友ヘタイロイのラオメドンなんかは、非常に無口で、ネアルコス以上に心情が全く読めていないんだしな。


「もっとも、アーベル兄さんをミエザの学園に勧誘する際には、心中穏やかでなかったもの本当ですが」

 そういう意味では、他意があった、というのが正しいですかね? と、どこか悪戯っぽくちょっとだけ舌を出しておどけて見せたネアルコス。

 俺が同年代の割にがっしりした体格――特に、ラケルデモンを出てから栄養事情がかなり好転したので、筋肉質というだけでなく背丈も急激に伸びた――なのに対し、逆にネアルコスは、武人に見えないような……若干、幼過ぎるような印象も見受けられる、小柄で軽量というか、こじんまりとした少年だった。

 周囲の評価は、どうしても外見の印象が強くなる。少年従者の志願書で、嫌というほど思い知らされたしな。

 そういう意味では、確かにネアルコスは見た目で損をしているし、正当な評価を受け難いのなら、見た目でいかにも武人然としている俺に対して、危機感を感じていたのかもしれないな。

「まあ、功名争いも適度なら薬だろ」

 自惚れるのもどうかと思い、俺は勤めて無関心に告げたんだが……。

「いえ、そういうことではなく」

「んん?」

 あっさりと否定したネアルコスに訊ね返せば、またまたしたり顔で、理解不能な返事をされてしまった。

「同い年ということで、地位ではなく、立ち居地がぶつかったら嫌だなって思っていたんですよ」

「立ち居地?」

 俺も困っているが、逆に、ネアルコスとしてもここまで俺と話が通じないとは思っていなかったのか、苦笑いを浮べて頬を掻いている。

「ええと……そうですね。ああ、でも、そっか。アーベル兄さんはそういうのちょっと苦手ですよね」

 勝手に苦手と断言されるとなんだか面白くは無い。売られた喧嘩なら、誰からだって買うぞ、俺は?

「なにがだ?」

「色恋の話ですよ」

 一言で返され、俺は即座に閉口した。

 それなら、別に、負けで良いし、苦手で良い。

「そして、少年従者のお話でもあります」

 楽しそうなネアルコスの追撃に、肩を竦めて、降参だ、と、アピールする。

「耳が痛いな」

「ええ、ですので、ボクは安心できたんです」

 色恋に疎い俺ではあるが、ネアルコスの声には偽装の色が無く、多分、安心したというのは本心からの言葉だと思った。


 別に、同性愛は珍しいことじゃない。まあ、同性愛だけ、という人間は少し珍しいけどな。こと軍隊内という特殊な環境であれば、異性が居ない以上、同性への関心が高くなるのはむしろ当然とも言える。軍では同性愛、家庭では異性愛というのは、割と一般的なヘレネスの戦士のスタイルだった。

 多分、誰か、懇意にしているヤツでもいたんだろう。

 そうした方面では、いつもからかわれてばかりだったので、折角なので、ネアルコスに反撃してやろうと思い――。

「プトレマイオスでも狙っていたのか?」

「ええ、そうですね。目鼻立ちがはっきりしていて美男じゃないですか?」

 からかう口調で訊ねれば、臆面も無く言い放ったネアルコスに、逆にこちらが赤面してしまい、ささやかな抵抗は無に帰した。

 まあ、確かにプトレマイオスは美男ではあったしな。

 町の巡察なんかで一緒していた時も、市民から花だのなんだのと受け渡され、言い寄られていた。今更だが、プトレマイオスは、そういうのをいなすのも上手かったよな、と、思う。

 まあ、その横で長剣だけと寄り添っていた俺には、無用な技能かもしれないがな。

「……そうきたか」

 いつも通りの舌打ちさえする気力もなく、頬杖ついて海へと視線を逃がせば、やっぱりどこか幼い笑い声が追いかけてきた。

「はは、まあ、ボクは生来の貴族の家格でもないですしね。都合の良さだけでここまで来たんですよ」

 表面上、軽やかに話す割に、芯の刃の鋭さも感じる口調だと思った。


 結局、やはり、俺とは違う場所で、違うルールで戦っているということなのだと思った。聞くところによれば、ネアルコスも俺と同じく生粋のマケドニコーバシオの人間というわけではないらしいし、それが王の友ヘタイロイに取り立てられるには……陸軍最強国のラケルデモン人というラベルが貼り付けられていた俺よりも、苦労したんだと思う。


 色々と俺とは違った考え方のヤツだとは思ったが、自分の分を知り、それでも尚、高みを目指すという部分は、好感が持てると素直に感じた。

「……まあ、個々人の傾向の違いはあるだろうが、無能ならあっさりと捨てられるだろ。それが見抜けないヤツはいない。変に卑屈になるなよ」

 露骨に驚いているネアルコスに、うん? と、首を傾げて見せると、少しだけ照れたような声を返された。

「意外なことも言うんですね」

 なにが基準だかよく分からない男だな。

 俺は、別に、見たままの事実を述べているだけなんだが。

「そうか? 戦いを前に、余計なことに気を散らしたくないだけだが」

 ただ、今度は苦笑いで頬を掻いたネアルコスに「まあ、それを付け加えちゃうのがアーベル兄さんですよね。もう少し上手くやればいいのに」なんて返されてしまったが。

「ほっとけ」

「ほっとけない人もいるみたいですけどね」

 指でネアルコスが俺の背後を指差し――、ああ、エレオノーレか。戦争に降りる階段の前で、ちらちらこっちを見ている。近付いてこないのは、王の友ヘタイロイと一緒にいるせいだろう。ミエザの学園で、その程度の礼節は身につけたようだしな。


 今回は、俺が直接説得して船に乗せたわけじゃない。利用するとは決めたが、結局、エレオノーレを閉鎖が決まったミエザの学園から連れ出すことは、ドクシアディスとキルクスにやらせた。が、まあ、俺が同行させろと命じたところまでは伝わっているんだろう。

 鬱憤が爆ぜたあの夜以降、エレオノーレとはきちんと会話していない。

 忙しかったってのもあるし、エレオノーレの方も、俺が安定したのを察してか、無理に押しかけてくることも無かったせいだ。

 まあ、遅かれ早かれ……全てを説明するわけには行かないが、適当に言い聞かせておく必要はあるか。

 島を落とした後は、働いてもらうつもりなんだしな。俺達の真意を上手く隠しつつ、綺麗ごとの建前で納得させ、ほどほどで神殿を接収してその奥に押し込め、傀儡とし、実権をこちらが握る。


 意識したわけじゃなかったんだが、自然と溜息にも似た重い息を吐いてしまい、ネアルコスに余計な助言をされてしまった。

「取り合えず、口説き落としちゃうのもありですよ。思い悩んでいたら、勝機を逃すのは戦場と一緒です。つっこんで、その後まで上手くいくかどうかなんて、実際、ヤってみないと分からないですしね」

「一気に下世話な話になったな、ありがとう」

 ふざけ半分、冗談半分と受け流す俺だったが、ネアルコスが一呼吸後に目を細め、声を落として続けた。

「……利用すると決めるのなら、徹しきることですよ。別に、政治で利用するからって、女として利用しない理由にはならないでしょう? お飾りで乗せておくなら、尚の事、首輪は必要ですからね」

 真冬の湖のように冷え切った目で俺の目を覗きこんだネアルコスだったが、次の瞬間には、またいつも通りの人好きのする少年の顔に戻して、無邪気なふりをしてエレオノーレに向かって微笑んで大きく手を振った。

 まったく、曲者揃いで面白いな、王の友ヘタイロイは。

 立ち上がり、ネアルコスに背を向け、軽く右手を上げただけでさっきの助言に俺は応えた。


 確かに、ドクシアディスやキルクス、他にも、それなりの実力があり、年齢的に問題ない男がエレオノーレの周囲に居るんだしな。今は……まあ、目が一方向にしか向いていないのかもしれないが、いつまでもずっとそうとは限らない、か。

「…………?」

 エレオノーレとネアルコスの丁度中間の距離で足を止めると、エレオノーレが少しだけ不安そうに首を傾げた。

「今回の意図を聞きたいんだろ? 別室で話す」

「……うん」

 出合った頃と比べて、背は余り変わらないが、多少見てくれはましになりつつある。

 エレオノーレも、もうじき十八だ。ヘレネスで女性が最初に結婚するのが十六前後なのを考えれば、そろそろ結婚していないと不審に思われる、か。都市、いや、武装商船隊の代表という立場を鑑みれば尚の事。

 そして、今回、アイツを傀儡として据える以上、結婚が必要なことだとも認識している。

 しかし、アイツの結婚を俺が世話するというのは、なんだか、非常に面白くない想像でもあった。


 妻に貰う?

 この俺が?


 ……ふん。

 出来の悪い想像を鼻を鳴らして追い出せば、エレオノーレに訝しむ視線を向けられたが、答えられるはずなんてない。俺は不機嫌そうな顔を作って腕を組み、斜め上を見ながら、船倉へと先に立って降り始めた。

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