Kornephorosー19ー

 ……いや、これは――。

 違うな、と、気付いた時には既に力を抜いてしまっていた。

 どうかしてるな今夜の俺は。


 似ている、と感じたのは一瞬の事で、女の戦士という一点を除けば、エレオノーレとは似ても似つかない顔をしていた。……そう、初めてエレオノーレと出会った夜と同じように、俺に剣を向け、真っすぐに俺の瞳を覗き込んだ事だけが重なっていたのだ。

 エレオノーレは、こんな勝気な表情はしない。アイツは、戦場では特に独特の陰のある表情をしていた。透けるような白い肌をしていない。最近はましになって来ているようだったが、奴隷時代の労働のせいか、顔を近づけると日焼けの痕というか斑が分かる。

 金の髪と、新緑の瞳の……どちらかといえば陰気な女さ。

 少し癖のあるブラウンの髪に、水底のような深く青い瞳は、エレオノーレの特徴と全く違っている。

 エレオノーレとはまた違った、鍛えた身体を持つ――エレオノーレは、かなりの痩せ型だ。目の前の女は、引き締まっているがメリハリのある身体をしている――、凛々しい女性。

 体型的に、下女じゃない。

 王族の誰かだろう。こんな時間にこんな部屋に来たということは、異変を察したのか、それとも――。


「なにが可笑しい!」

 問い詰められ、はじめて自分の口角が下がっていたことに気付いた。

 自分の頬に触れてみる。

 ふん、と、今度は皮肉が鼻を鳴らした。

「女だからと侮るなよ!」

 ゆっくりと首を振る。

 改めて見れば、目の前の女は俺達よりも年下で、そう、まだ少女と言っても過言ではないような年だと感じた。

「侮ったわけじゃない。少し、昔を思い出しただけだ。失礼した」

 どうしてだろう。

 少し、素直に言葉が出てきた。


 少女の動揺が、そのまま切っ先に現れている。闘志が、消えていくのがはっきりと見えた。

 ふふん、と、いや、さっき指摘されたのは分かっているんだが、どうしても少し笑ってしまい「ああ、あと――。戦う気もない」と、誤魔化すように続けた。


 訝しげに俺を見ていた少女だったが、剣を鞘へと戻し、さっきよりも声量を落として訊ねかけてきた。

「どこの間者だ?」

「この国に資することを行っている」

「王太子派……」

 その声の響きだけでは、この少女がどこの派閥に組しているのかまでは判断出来なかった。

 ……いや、下手な懐柔や勧誘は逆効果だな。俺は、王宮内の王太子派が誰なのかを知らないし、後を引き継げない以上、独断専行されて困るのはこっちだ。きちんと計画を練った上で、俺達は動いている。

 多少の余裕は見ているが、王族は、中々に扱いが難しい。特に、女で、しかも、賊を相手に自ら剣を抜くヤツなんて、とてもとても。

「誰も死なない。アンタが俺を見逃し、この男を看病すれば、な」

 少し悪戯っぽく告げれば、少女は少し迷った顔をしていたが、短く吐き捨てるように命じてきた。

「……行け」

 少女の目の前を通り抜け、扉に耳を押し当てて廊下の人の気配を探ると――。

「いや、待て!」

 あん? と、急に前言を翻したのを訝しみ、肩越しに振り返る。

 思いっきり不機嫌そうな顔に迎え撃たれた。敵視じゃない。なんというか、もう少し、気心の知れた相手にするような、構ってほしそうな、そんな拗ねた表情だ。

「名は?」

 目が合って、間の抜けた沈黙が降りてきた。

 目を瞬かせた俺と、さっきよりも不満そうに――いや、拗ねるように口を尖らせ、見据えてくる少女。

 いや……まさか、この場面で名前を訊かれるとは――律儀に名乗る賊なんていないだろうし、答えたとしても、どうせ偽名なので意味は無いと分かりそうなものだが――思っていなかったので、ちょっと驚き、そして、なんだか可笑しくなった。

 こんな気分になったのは、久しぶりだった。

 あまり、こうした笑みを浮かべることはなかったから。

「俺は、意外と有名人らしくてね。名乗るわけにはいかない」

「敵ではないぞ?」

「しかし、味方でもないんだろ?」

 ふん、と、鼻を鳴らした少女は、頭のてっぺんからつま先までじっくりと俺を観察し――。

「漆黒の直毛の短髪、南部訛りの言葉遣い、そしてそのふてぶてしさ」

 俺からすれば……、いや、ヘレネスの常識と照らし合わせれば、南部訛りはクレーテー辺りのイントネーションであり、俺の言葉遣いとは全然別のもので、むしろふてぶてしいのは北部訛りを標準語と考えているコイツの方だと思うがな。

 推理を褒めるというよりも、その傲慢さに軽く肩を竦めて見せれば、ふふん、と、今度は少し得意そうに鼻で笑い「叔父殿にふたつ貸しだと伝えろ。……そう言えば分かるはずだ」と、楽しそうに告げた。


 王太子が叔父ってことは……誰だ? 悪いが、俺は王家の家系図なんて頭に入れてないんだよな。王太子の兄弟ぐらいは把握しているが、姪まで覚えてられんぞ。王族の親戚なんてとにかく数が多いんだし。

 まあ、俺よりも少し若いぐらいの歳なんだし、後でヘタイロイの誰かにでも聞けば名前は出てくるのかもしれないが……。 

 しかし、見逃したのがひとつ目の貸しだとは思うが、もうひとつがすぐに思いつかなかった。脱出の手助けでもしてくれるつもりなんだろうか?

 期待したつもりは無かったが、まあ、手伝ってくれるならそれも悪くないな、と、続きを待ってみたが、俺の視線の意味を間違って解釈したのか、少女ははにかんで答えた。

「貸しの意味は、今、気付かなくて良い。むしろ気付くな。そう……今は、な」

 敢えてなのか、少女は意味深に話を締めくくり、顔を背けた。

 少なくとも、帰りが楽になるということはなさそうだった。もっとも、素人の助力はかえって危機的状況に陥る可能性が高いし、そこまで残念ってわけでもないけど。

 ただ、こちらとしても、そろそろ夜が明けたというのに、危険を冒してこれ以上ここに留まる理由も無かったので、俺は素直に暁の空に向かって、窓から跳躍した。

 窓に手を掛け勢いを殺し、屋根に着地し、城壁へと飛び移り、柱を滑り落ち、王宮の城壁外へと一気に突っ切る。


 結局、暫くは王太子と会えないことは伝えられずじまいだったことには、王宮を抜けてから気付いた。

 俺も少なからず動揺していたらしいな。


 ……まあ、いいか。


 どの道、当分は一度でも負ければ終わりの危ない綱渡りなんだ。当分先の話、と、頭の片隅に仕舞いこみ、俺は偽の身分証の指輪を剣の柄で潰して投げ捨て、新都ペラを朝一番で門が開くと同時に発った。

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