夜の終わりー1ー

 気が付くと、寝台の上だった。天井の装飾に見覚えは無い。左に……視線を動かし、自分の鼻が見えて――、ああ、そうか、と、顔に手を当てる。

 そして、一拍後、飛び起きた。

「どうした⁉」

 驚いたような声が死角から響き、反射的に身体ごと向き直る。

「……プトレマイオス?」

 顔を正面に向けたつもりが、なんだか、若干、違和感を感じ、少しだけ顔を傾けてプトレマイオスを視野の中心に捉える。

 慣れるまでは、しばらく掛かるな、これは。

 レオに、コツを聞いた方が良いかもしれない。

 今は、ほんの少し、首が疲れる。


 軽く顔に触れるが、一応、左目には布が巻かれているようだった。きちんとした眼帯ではなく、普通に怪我の手当てで布を巻いただけ。

 プトレマイオスは、俺の仕草を見て、なにか言いたそうな、でも、言葉にならないようで、少ししょげたようにも見える顔をしていた。

「大丈夫だ。なんなら、また組み手でもするか? どうせ俺が勝つぞ?」

 取り繕ったわけじゃなく、戦場に長くいる以上、いつかこういう日が来るとは覚悟していたので、あまり気落ちすることはなかった。それに、まだ右目が残っている。そこまで不自由や不安を感じてはいない。

「それだけの口が叩けるようなら、もう、大丈夫そうだな」

 ……と、嘆息したプトレマイオスは――。

「命令違反の弁明を、報告書にまとめてもらおうか?」

 にこやかに、俺に微笑みかけてきた。


 プトレマイオスは、割と、ちょくちょく怒る。少年従者の件でもそうだったし、溜め込んで爆発させるような性格ではない。

 だからこそ、笑顔で怒っている事が珍しく、流石に萎縮してしまった。

 まずは、誤魔化そうと……いや、喉の渇きを覚え、寝台の横にあった瓶の水を木のコップに移そうとして――。

「あ」

 瓶に手を伸ばした左手は掴めたが、木のコップがあると思った場所を右手がすり抜けた。

 短い沈黙が降りて……。

「病み上がりで無理はするな」

 プトレマイオスが俺の左手から瓶を引ったくり、コップに水を注いでおれに手渡してきた。

 少しの気まずさを感じながら、水を飲む。

 寝起きの口の中の不快感とか、軽い喉の渇きは癒えていく。


「どうだ? ……その、気分は?」

 怪我に関して訊かない辺りが、プトレマイオスらしさだと思った。

 王太子なら、はっきり左目について訊いただろうし、クレイトスならそこには一切触れない。リュシマコスは、元気出せ、とか、一言言って終わり。ネアルコスは拗ねて、ラオメドンは……やっぱりいつも通りの無言だろうな、細い目を一瞬目を見開いた後で。

「問題ない。俺は長く眠っていたのか? って、ここはどこだ?」

 目は治らないので、置いておくとしても、他の軽い切り傷や打ち身、それに腕や足を酷使した痛みも感じなかった。

 数日は俺を眠らせたままにして置ける以上、最低限の安全は確保できているんだろうが、どうもマケドニコーバシオだとは思えない。天井もそうだが、部屋の作りがマケドニコーバシオの建築と比べて、重く厚ぼったい感じがする。

「お前を回収してから、三日と少しといったところだな。ここは、アルゴリダのアクロポリスだ」

「なぜ? いや、そもそも、どうして皆がここにいるんだ?」

 寝台の端に座り、半身を起こした上体ではなく、きちんとサンダルを履き、足を地に着ける。

 確かに、数日振り、みたいだな。骨や腱が、少し変に凝ってる。

「待て、順を追って説明する」

 プトレマイオスは、右側の柱に背を預け、俺から見やすい位置で話し始めた。

「……いや、先にこれは伝えておくかな」

「ん?」

「あの老将と、……少年は無事だ。大凡の経緯はそこで聞いたし、そこに至る経緯は、先生とネアルコスからの伝令で分かっている」

 少年、ね。まあ、今はその言い方でもいいかな。例えそれが俺に気を使っただけの、本心とは違う言い回しでも。

 って、それなら俺が報告することなんてなにも残ってないんじゃねえか、と、プトレマイオスを目を細めて睨んでみるが、しれっとした顔を返されてしまった。

 残念ながら、命令違反の弁明と、その経緯をまとめた書類は、どうも必須らしい。めんどくさいことこの上ないが。

 って、そこ以外にも、随分とつっこみどころは多いんだけどな。

 確かに、先生やネアルコスなら報告をするだろうな、とは感じていたが、まさかその一報だけで、王太子や秘蔵の重装騎兵ヘタイロイをこんな場所に投入するとは思っていなかった。いや、そもそも、どうやってこれだけの軍を移動させたんだろうか?

 って、それをこれから聞くんだよな。ダメだな。起きたら起きたで、気が急いてしまう。


 軽く首を振り、腕を上げて伸びをした後、俺は話を聞く体制を整え、プトレマイオスの顔を見詰め返した。

 プトレマイオスは頷き――。

「ネアルコスと先生の伝令は、閉園直前のミエザの学園を経由し、王太子のいるエペイロスと私の領地に同時に伝わり、即座に後発の王の友ヘタイロイがエペイロスへと集結した」

「王太子からの命令は待たなかったのか?」

 訊ねると、プトレマイオスに不思議そうな顔を返された。

「お前は、待つのか?」

 なるほど、愚問だったか。続けてくれ、と、苦笑いを返す。

「冬の荒波で大船は出せなかったので、陸路でペロポネソス半島ともっとも近く、また、今回の戦争で中立を表明しているアイトエリアまで移動し、そこから小船で一気にパトラ湾の狭部を突っ切り、ラケルデモンに上陸し、アルゴリダへと突入した」

「歴史的快挙だな。ラケルデモンは、未だかつて外国の軍勢に攻め込まれなかった国だから」

「いや、お前の事前情報のおかげだ。訓練所や、要塞を避け、アルゴリダへと入ったのだからな。国境の警備は紙よりも薄かったし、ラケルデモン派遣軍の情報もあったが……」

「損害は?」

 俺が大分削っていたとはいえ、直接対決で無傷では終わらなかったんじゃないかと心配したが……。

「遠征自体での病死や事故死は五名、戦闘では死者は出なかったが重軽傷者が三十名を越えた。軽装歩兵対重装騎兵でこれだ。一対一では、やはりラケルデモンの人間には勝てないな」

「悪いな」

 俺の勝手で兵を損耗させて、と、続けようとしたんだが、プトレマイオスが露骨に驚いた顔をしたので止めた。そもそも、訓練中にだって兵は死ぬ。数字だけ見れば、奇跡的だ。

「戦闘自体は終結していて、今は――」

 と、プトレマイオスが言い掛けた時だった。

「おう! 起きたカ」

 と、黒のクレイトスが部屋に入ってきた。

「声がしたから、起きたんじゃねえかと思ったンだ」

 ずかずかと無遠慮に部屋に入ってきて、勝手に俺の左側に座り、背中をバシバシ叩く黒のクレイトス。

「病み上がりだって分かるんなら、叩くなよ。つか、こんなに皆来てていいのかよ? そもそも、クレイトスはマケドニコーバシオに残るはずだろ」

「ア? あぁ、まあ、それも含めてまずは飯だとよ。王太子も、リュシマコスも来てるし、続きはそっちだ。腹、減ってンだろ?」

 それは――、全く否定出来なかったが、今はプトレマイオスと話している最中でもあったので、それで良いのかを視線で訊ねてみる。

 プトレマイオスが特に気にした様子もなく――おそらく、皆でいっぺんに話した方が早いと思ったんだろうが――頷いたので、そういうことになった。

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