Algolー12ー
「ガァアあぁああッ!」
「グ、う、おぅ、ぁぁぁあ!」
重い痛みが頭を衝き抜けた後、眉間から顔の左斜め上全体に熱と気が狂いそうな程の激痛が響いている。身悶えたり、転がったりしなかったのは、単に上にクソみてえな重石が乗っていたせいだ。
……違う!
そうじゃない、まだ戦いは終わっていない、痛みは忘れろ。
口の中にまだ残っていた肉片を、ベッと勢いをつけて吐き出す。付け根の肉からごっそりと抉られた親指が……アギオス二世の顔から僅かに左に外れて飛んでいった。
「ッチ」
舌打ちをするも、それが余計に顔の痛みを増徴させたので、奥歯を砕くほど強く噛み締め、気力だけで押さえ込み――。
指を噛み千切られたことで上体を逸らして呻くアギオス二世を右足で蹴り飛ばし、俺自身も這って後方に引き、立ち上がりその辺に転がってた死体の剣を奪って、アギオス二世に向ける。
普段なら、簡単に飛び起きれるはずなのに……。疲労感と負傷で、足がすぐには動かなかった。もう、どうなったっていい、立ち上がらず、投げ出してしまえ、と、そんな誘惑が聞こえてくる。
が、意地だけで四つん這いになり、剣を杖代わりにして立ち上がり、構える。しかし、一呼吸の間を持たずに、身体がぐらついた。
顔を左手でなぞってみる。皮膚の奥を這い回るような鈍痛が顔全体にあるものの、失ったのは左目だけのようだった。潰された拍子で頬を伝っていたよく分からない液体や血や肉片を引っぺがし……こんなんじゃ、どうせもう目の空洞に戻したところで治りはしないと分かりきっていたので、手を払って捨てた。
「不味い肉だな、クソめ」
指を突っ込まれた際に、軽く口の中が切れていたのか、血の味がいつまでも舌に残っているので、挑発した後、唾も吐き出した。真っ赤なそれは、唾と言うよりは血の塊のようにしか見えなかった。
「ふっざけるなよ! ぶっ殺してやる」
立ち上がり、俺に向かって剣を構えつつも、周囲に護衛の兵士を再び呼び寄せたアギオス二世。
目の痛みは、激しい頭痛へと替わりつつある。思考がまとまらない中、ぼやけた視界でアギオス二世の傷を確認するが、ヤツが失ったのは左手の親指らしかった。
目と引き換えるには割りに合わな過ぎるな、クソが。
剣を握るには親指は重要だが、自在に振り回す際には小指や薬指が寄り重要になってくる。親指と左目のどちらが重要か、なんて比べるべくも無い問題だ。
アギオス二世を守るように、処刑部隊の兵士が円形に布陣しようとしている。が、随分と数を減らしているせいか、アギオス二世を完全に庇いきれていないのが現状だな。
レオは……もう、無理か。そりゃそうだ、歳が歳なのに、片手でよくガキを守ってる。レオと、ガキと、ボロボロの雑務兵が三人。そして、俺が、こちらの戦力の全てだ。
絶望的、といえばそうなんだろうが、そんな状況に慣れ過ぎていて、今更なにも感じはしなかった。
それに、レオも戦い続けている。
先に俺が折れるわけには行かない。
残された手段は、もう、それしかなかった。
レオに目配せをする。
レオは、かなり顔に疲労の色が濃かったが……意図は伝わったようで、目を軽く伏せ、同意を示してきた。
成功率が低い上に、レオとガキがこの場を逃げ延びたとしても、俺抜きでマケドニコーバシオへと向かった際に、どんな扱いを受けるのか保障はない。
ただ、それでも、この場所で全員が死ぬよりはましだろう。
死を決意するに当たり――なにかを思おうとしたが、なにも思い浮かばなかった。王太子も
心残りは無い。
ラケルデモン王を望むも……それを望まれているのは自身ではないと知った。自棄になっているわけじゃない。相応しい者が、その道を歩むことが最適の答えだ。
そして俺は……いや、やっぱりというべきかな、なにもなくなった際、手元に残っていたのは、やはり、戦いだけだった。
それが、俺自身のエンテレケイアだとするのなら、ここで全うすることも悪くない。
天の采配の全てを受け入れ相打ち覚悟でつっこもうとした瞬間だった――。
「アーベル様!」
――レオの悲痛な声が響き、振り返ってしまったのは。
いや、敵はアギオス二世の手当てや最布陣で動きが取れていないので大きな隙ではない。むしろ、痛みにかまけ、この距離まで聞こえなかった音の方が問題だった。
おそらく、布を噛ませることで嘶きを抑え、足音が響かないようにその速度もきちんと調整していたのだろう。
数は多くない、が、騎兵が縦列のままこちらに向かって突撃する姿が見えた。
漁村にも、兵を隠していたんだ。削りきれなかった理由の大方は、それで――最後の最後にと騎兵を取っておいた。しかし、アギオス二世の負傷で、慌てて飛び出してきた。そんなところだろう。
レオの声に、返事は、出来なかった。
なにも、言えるはずが無かった。
勝利は、最早存在しない。それでも、諦められるような潔さは、俺の中には無かったらしい。
「ふは」
なぜか、笑みが浮かんだ。理由は自分でも分からない。後は、力尽きるまで戦うだけ、と、抱えていた様々な複雑な思いから解放されたからかもしれない。
向かってくる騎兵に向かって身体の向きを変え、構え直そうとした。が、疲労のせいなのか、左目を失った痛みや視界のためか、身体を支えきれずに、剣を杖代わりにして立ち続けることで精一杯だった。
死が目の前に迫ってくる。
戦いに身をおく以上、死について考えることは多かった。が、それは、想像よりもずっと……。上手く言えないけど、普通の感覚だった。
その時が来たら、俺も恐怖に負けるんじゃないか、なんて不安に感じていたのがバカみたいに思える。
終わりは、全てに、等しく訪れる。
剣を上げられない以上、右拳を握り締め、せめて一人でも道連れにしようと……?
騎兵が俺を避けていく。いや、正確には騎列が俺の目前で分かれ、俺とアギオス二世を分断するように、戦場に割って入った。
「アーベル!」
「プトレマイオス⁉ なぜ?」
俺の名を呼んだのは、確かにプトレマイオスだったが、視線が合うとギョッとした顔をされた。
そうか、左目が……と、気付くが、特になにか言えるわけではない。見たままだ。ひと目で皆だと気づけなかったのも、慣れない視界と左目の怪我、そして、その怪我による激しい頭痛のためだ。
プトレマイオスは、軽く唇を噛んだ後、馬を下りながらいつも通りの表情で取り繕い「私だけではない」と、ぶすっとした顔で呟いた。
「ん?」
その視線を辿り――。あやうく噴き出しかけた。
「はっははぁ。また、無茶をするな、お前さんは」
あのよく目立つ巨大な暴れ馬に乗って現れたのは、完全武装した王太子だった。
王太子、と喉まで出掛かった言葉はなんとか飲み込んだ。この場でそれを口にすれば、こちらに関する情報を敵に与えてしまう。
敵の狙う相手が、俺やガキから王太子へと変わるかもしれない。
もっとも、二百を越す重装騎兵に、たかが数十名の処刑部隊で攻勢に出られるとは思えないがな。
俺の顔を見て、それからアギオス二世に視線を向け――目を引き絞った王太子。周囲に、戦いの空気が伝播し、重装騎兵隊が槍を構えた。
かつて、自分に迷っていた俺と邂逅した、あの夜の訓練場とは比べ物にならないぐらいの気迫と殺気を感じる。圧倒的な威圧感に、俺の背後でガキが吐いたのが分かった。
「己の身内が世話になったようだな、たっぷりと、返礼させてもらおうか」
落ち着いた声だった。
が、マケドニコーバシオの紋章である太陽をそのまま飲み込んだような、全てを焼き尽くすような圧倒的な戦いの熱を湛えている。
王太子が、右腕を上げた。
重装騎兵の頼もしい鬨の声が、響き渡っていた。
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