Algolー11ー

 殺した敵の数は、途中で数えるのを止めた。

 周囲に散らばる死体から流れ出た血が地面に浸み込み、冬の凍った地面を血泥へと変えている。一個一個を数える意味なんてもう無い。足を取られ易い独特のぬめりのあるその場所を避けようと動いてはいるが、それよりも早く新しい死体が積み重なってゆく。

 合間合間に確認する限り、敵も減ってはるようだが、戦闘音を聞きつけて合流してくる小部隊もあるのか、まだ壊乱の兆しは見えない。とはいえ、その増援込みでも既に七割近い損耗は出しているはずなんだがな。


 腕の立つ人間も居ないわけじゃないが、基本的には二~三度剣を振れば殺せる敵だ。が、逆に言えば、二~三歳のガキほどの重さがあるといわれるこの長剣を、一人当たりそれだけ振る必要がある。

 乾燥した空気に喉が鈍く傷み、剣を振る掛け声がかすれる。腕は、痛むような、感覚が鈍くなっているような、そんな状態。切り傷はあるが、動脈に届くような怪我ではない。軽い酸欠で、額の少し内側が鈍く痛んだ。

 そんなに、俺達が憎いのか、ガキを危険視しているのか……いや、ラケルデモンに生きて帰った後の自分達の処罰を恐れているのか。

 俺はまだいい、レオとガキのいる本隊の方が状況が悪い。俺をすり抜けている兵士は少ないはずなんだが、味方の雑務兵はバタバタ殺されてる。こっちの損耗も七割近いな。俺の位置からでさえ、ガキの旋毛がうっすら見える。


 敵の攻勢に押される形で、徐々に海岸線、ひいてはアルゴリダの地図に無い小さな漁村に向かって後退しているが、村に踏み込んでも敵を撒けはしないだろう。

 なにか、状況を傾ける切っ掛けが――。


 敵の攻撃に慣れてしまった時だった。敵の力量を充分に把握し、戦術を考えながら片手間に戦闘をこなしている、そんな集中力が散漫になっていた瞬間。

 左足を掴まれたと気付いた時には、身体が傾いでいた。

 右足を強く踏ん張って倒れることは防いだが、戦いの中で足が止まるのは致命的た。

 クソ、油断だ!

 正面から斬りかかって来た敵は二人。身体を捻ってかわし、突き、最後に足を掴んでいた死に損ないの首を蹴り上げる。喉への突きが浅かったために死に損ねていたのか、蹴ると同時に血が吹き上げ……顔に掛かった。


 ……目は無事だ。唇を舐めると、血の味がした。顔を伝う不快感はしょうがない、か。髪も僅かに濡れてるし、寒風で更に体力が削られる、な。クソ。

 事態を打開する手段もまだ見えてないってのに。


 しかし、敵の陣営からは、俺が負傷したように見えたのか、これまでのように整然とした小隊での前進ではなく、乱れた足並みで兵がわっと前に出た。

 だが、あくまでも慎重な長期戦を行いたいのか、行き足を止めるようにアギオス二世が、前線に――。

「オぉおぉぉぉ!」

 敵将の顔が見えた瞬間、吼えて駆け出した。この間合いなら、届く。そしてこれはさっきの不意打ちとは違う。

 剣を受け、決闘となれば周囲の兵もむやみに手出しは出来ない。名誉の問題というよりは、思いっきり接近して組み打てば、同士討ちを恐れて敵は手が出せなくなる。

 兵にとっては、仮にも王家の人間という認識だからな。まかり間違っても傷をつけるわけにはいかないだろう。

 もっともそれは、正統の俺ではなく、このわけのわからん赤髪のクソ野郎に対する兵の感覚ってのが腹立たしいが、な!


 上手く表現できない耳障りな大きな衝突音の後、俺の声ともどこか共鳴するようなオォォォンという振動が、剣から伝わって来た。

 並の兜なら、真っ二つに出来たんだがな。

 アギオス二世の剣が、肉厚の大剣だったことそして――イラつくことだが、それを支えるだけの腕力と脚力があるんだろう。お互いの剣がお互いの剣を芯で捉えあい、拮抗している。


 左腕を離すことで、アギオス二世が掬い上げるように持ち上げている剣を軽く浮かせ、右足を踏み込みながら、剣を振り下ろされないように肩で支えつつ滑らせ、懐に潜り込む。

 左手をきつく握り、腹を殴りつけた。

 鍛えられた腹筋だ。大してダメージを受けていない。

 逆に、俺に殴られた反動で後退し、再び斬り合いにもちこもうとするアギオス二世。間合いが広がれば、敵の雑兵が割って入る。足を合わせて前に出るが、鼻先を大剣の切っ先が掠めた。

 俺の長剣には身近すぎる間合いだ、攻防に影響がでる。長剣を逆手に持ち、柄尻をアギオス二世の眉間に叩きつけようとしたが、腕を取られ、もつれ合い――。

 取っ組み合ったまま戦場に転がっていた。

 お互いに剣がない。いや、この密着した距離で、武器は不要だ。

 組み敷き、圧し掛かった上で。ヘーゼルの瞳で俺を睨むアギオス二世の顔面に頭突きを見舞う。

「他人の名ぁ、騙って! それでも、所詮、お使いみたいな任務しか貰えず! しかもこんな犠牲を出して、ハッ、良いご身分だなクソ野郎!」

 三発目の頭突きが鼻を潰したので、一瞬俺の襟首を掴む腕の力が弱まったが、すぐさま脇腹に衝撃を受けた。膝を入れられたらしい。

 足の押さえつけが緩んだ隙に、今度は逆に上を取られてしまった。

「オレは! キサマ等とは違う! かならずこの国を奪うんだ! 所詮王家の血筋にも認められねぇ落伍者風情が、偉そうに語ってんじゃねえ!」

 コイツ、俺が誰だか気付いているのか⁉

 アギオス二世は、激情に任せて拳を振るっているようで、重い拳打を顔に数発貰ったが、両手を押さえ込まれていないので、防御せずに打ち返した。

「テメエが作る国なんて、たかが知れてんだろ! そもそも、後継問題が片付けば、借り物の名前で粋がるテメエも用無しなんだよ! 気付けバーカ!」

 俺が殴り上げた拳の一発が顎に入り、アギオス二世からの圧力が緩んだ。上を取り返し、肘を首筋に食い込ませ、地面へと押し付ける。窒息まではさせられないかもしれないが、脳震盪を継続させられるぐらいには呼吸を奪えるはずだ。

「そもそも、テメエが即位することなんて絶対にねえんだよ。あの国を支配しているのは、最早正統性でも、実力でもなく、単なる過去の因習だ! 硬直化したその機構に先があるものか!」

 無理な攻撃は禁物だ、と、頭では分かっているが、敵を前にしているとどうしても抑えが利かなかった。

 窒息も生ぬるい、首をへし折ってやる。

 アギオス二世の表情が、はっきりと苦悶に歪んだ。俺は……多分、笑っているんだと思う。自然と緩む頬と釣り上がる口角に、そんな感覚がある。

 あと少し……、もうちょっとで!

「……ッチ」

 金的を狙った膝が微妙にずれたのか、尻を強かに蹴り上げられ、前につんのめった。その俺の前転するような動きを利用し、再び上を取られる。

「誰に何を吹き込まれたんだかしらねぇが、ラケルデモンが沈むか、バカが! 最強の個人が、最強の国家を率いる、それで、ヘレネスはようやくひとつにまとまるんだ! 貴様もラケルデモン人なら、オレに従え!」

は既にある! 古い時代は必ず終わる! ヘレネスがひとつにまとまる時、そのバラバラの国体を纏め上げるのは力の論理ではない! その時に必要なのは、世界を見る目だ! 個々を理解し、尊重しつつも、共通の目的を指し示せる強い意思だ! 今、目覚めなくては、国体が滅ぶと知れ!」

 組み合い、転がり、何度も攻守が入れ替わる。

 目が回る。体調は最悪もいいところだったが、不思議な高揚感を感じてもいた。これまでかつて、ここまで拮抗した相手と戦えたことは無い。

 昔の、感覚が蘇る。

 所詮、俺も、ラケルデモンの古い人間だ。戦いが、楽しかった。

「オレの、国が、沈むわけが無いだろうが!」

「過信だ、屑が! テメエの目ン玉ひん剥いて今のラケルデモンを見詰めてみろよ! それさえ分かんねえなら、とっととくたばれ!」


 最後にアギオス二世が上になったのは、偶然だったが、それが致命的な一撃へと繋がった。どこでいつの間に取り出したのか、振り上げた短剣の刃が陽光に煌めき、次の瞬間、顔を地面に押し付けられた。

 ――殺られる!

 首を振りつつ口を大きく開け、顔を押さえていた手を外そうともがくが、止めを刺しにきている敵を簡単には振り払えなかった。喉を……!

 気付いた後は一瞬だった、ミュティレアを出る際にネアルコスから預かった短剣を胸から取り出し、鞘を抜き払わぬままで振り下ろす刃を受けた。予想外の抵抗だったのか、アギオス二世の重心が傾き、不意にヤツの親指が口の中に潜り込んで来た。

 反射的に噛み千切ったが、同時にグチャっという、嫌な音が頭に響いた。

 耳で聞いた音じゃない。

 骨を伝わって……頭の内部に響き、左の視界が急に欠けた。

 左の頬をナニかが伝う感触。

 そして――。


 ……一拍遅れ、鈍く重い痛みが左目に走った。

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