夜の始まりー8ー

 戦闘は、あっという間に終わった。

 王太子の軍は、左翼の重装歩兵を八人十六列とし、前方に方陣ひとつ分の重装歩兵を突出するように配置し、最右翼が軽装歩兵という布陣で――。

 こちらの右翼が敵に接する前に左翼の戦列を崩され、左翼を突破した敵軍が、そのまま側面攻撃に移行したため、右翼もあっけなく瓦解した。

 マケドニコーバシオの兵は、盾を腕につけないが、利き手の関係もあるので他国と同様に左翼の方が有利と踏み、攻撃力重視で、左翼を重視し右翼に軽装歩兵を配してみたんだが、敵はより攻撃に特化させてきた。

 奇しくも、左翼に軽装歩兵を布陣するという、部分は同じだったが……。

 相手の方が一枚上手、か。


 勝敗が一瞬で決したからか、兵の疲れは見られない。

 すぐさま再び陣形を整えようと動いている。

 俺への非難の声も、聞こえなかった。


「どうする?」

 分かってはいるんだろうが、プトレマイオスに一応訊ねられたので俺は即答した。

「続けさせてくれ」

「私も作戦立案を手伝おうか?」

「それは、目的が違うだろう」

 プトレマイオスは、マケドニコーバシオ方式の軍を知り、戦術を理解している。どんな国においても、内紛が全く無い、というはずは無い。なら、戦闘経験から応手に関する知見があるはずだ。

 それに、もし、これが最新の戦術で、実戦で使用したことが無かったとしても、充分な検討を重ねていないはずは無い。

 だから、プトレマイオスの意見を聞けば、勝つ可能性は高くなるだろうが、それは、俺の戦い方を見せたことにはならない。

「なんの予備知識も無く、勝てるはずが無いだろう」

 少し呆れた調子で、プトレマイオスが嘆息する。強情め、と、口に出さないまでも顔に書いてある。

 ふふん、と、不遜に俺は笑って言い返した。

「それを見せてみろ、と言ってるんだろう? そちらの王太子は」

 少し気まずそうに口を噤んだプトレマイオスに、そのまま俺は喋り続けた。

「それに――」

 敵軍を見る。

 流石に表情が見える距離というわけではないが、戦列を整える騎兵の姿は確認出来る。そのうちのひとり――おそらく王太子だ――が、こちらに顔を向けるのが分かった。

「そちらの王太子に、それが出来る男だと信じられたんだ。応えないわけにもいくまい」


 敵の戦列は、横幅は狭い。左翼を厚くしているせいだ。しかも、斜めに陣形を作っていたので、右翼と左翼での接敵時間に大きな差が出た。

 だから、先程、こちらの軽装歩兵は、ほとんど働けないままに崩されている。

 ……現状、横に広げて包み込むのも現実的じゃないか。なら――。

「軽装歩兵は散兵線を形成して前面に、攻撃後は、右翼で再編。重装歩兵がぶつかった後は、側面攻撃に」

 敵の最左翼は重装歩兵が突出する形になっている。浅く広げた軽装歩兵で前進速度を落とし、左右の戦闘開始時間の差を減らすことで、敵左翼の軽装歩兵から崩していく作戦だ。


 王太子は、先程とまったく同じ布陣のようだ。

 戦闘準備が整い、二戦目。


 笛が鳴り響き、戦列が前進していく……。

 まず、こちらの軽装歩兵が攻撃を開始したが、思ったほど敵左翼の行軍速度は落ちなかった。損害も、軽装歩兵の攻撃力では、たいして削る効果も無いようだった。

 結局、今回もこちらの左翼が敵の右翼とぶつかり、一気に崩され――、敗北した。

 軽装歩兵は、右翼での最集結後、粘ったほうだと思う。前回よりも敵に損害を与えてはいるが、それでも、こちらが全滅、敵が損耗二割という圧倒的大差だが。


「もう一度、可能か?」

 プトレマイオスは、無言で軍を整える作業へと移った。兵の体力を見るに、あと、三回と言ったところか。それまでに、なにか対策を考えなくてはならない。


 前進速度、最左翼が縦に長い布陣、斜めに展開される敵の前列……。

「こちらの右翼を二重にする。前が重装歩兵、後ろが軽装歩兵だ。……ちがう、重装歩兵を前に押し出すんじゃない。軽装歩兵を、重装歩兵の一列に並んだ横隊の後ろに隠すんだ」

 俺の最初の指示を受けて、敵軍と同じように方陣ひとつを前に突出させようとしたプトレマイオスは、訝しげな表情で訊き返した。

「軽装歩兵を後方に?」

「右翼の重装歩兵が敵と接触後、後方の軽装歩兵は、敵の縦に長い最左翼横に、薄く広く散兵線として展開、側面攻撃に移る。隊列の維持は意識せず、とにかく全速で側面をとれ」

 少し戸惑ったような顔をプトレマイオスがしたので、可能か? と、首を傾げてみせる。

「その通りの指示は出す。が、初めてのことなので、どこまで上手く動けるかは保証しかねるぞ」

「構わない。このまま、ヘレネスの常識で戦ったところで勝てはしない。軍を指揮するなら、演習においてあらゆる可能性を掴む必要がある。それを証明したい」

 ふふ、と、プトレマイオスはどこか楽しそうに笑った。

「よろしい。タイミングが重要だからな。軽装歩兵は、私が直々に指揮する。私の実力もキミに示しておかねばならないだろうしな」



 部隊が展開し――。三戦目が始まった。

 これまでの二戦と同じように、こちらの弱い右翼に敵左翼がまずぶつかる展開から――。接触直後に、方陣として展開していた軽装歩兵が、二列ごと、高速で広い縦隊へと陣形移行し――かなりの手際だ。俺は、隊列を維持しての高速移動は難しいと思っていたんだが、プトレマイオスはわけも無くその機動を実行させている。列の乱れも少ない。

 敵の左翼を圧迫し始めた。

 ファランクスの防衛上の弱点は、正面以外の全てだ。だが、それ以上の弱点は、重装歩兵の小回りの利かなさにある。側面、そして、後方から攻められると脆い。

 しかし、軽装歩兵と重装歩兵との装備の差も無視は出来ない要素で……。


 薄氷の上の勝利、としか言えなかった。こちらの左翼が持ち堪えている間に右翼が敵の軽装歩兵を蹴散らし、半包囲に持ち込むことが出来、敵を壊滅させることに成功した。

 しかし、こちらの損耗は四割。

 これまでの王太子の勝ちっぷりとは比較も出来ない。


 ふぅ、と、短く息をつけば、前線で指揮を取っていたプトレマイオスが俺の方へと戻ってきて――。

「もう一戦可能か?」

 と、訊いてきた。

「こちらの王太子も、中々の負けず嫌いなものでね」

「ああ」

 断る理由も無い。俺は快諾し、……少し迷ったものの、他に案があるわけでもなかったので、先程と同じ陣形に布陣した。

 王太子は、左翼が前に張り出しているのはこれまでと同じだが、戦列の左右に、ふたつに分けた軽装歩兵の部隊を――いや、重装歩兵の横ではなく、明らかに戦列から離した形で――布陣させている。

「いいか?」

「ああ」

 開戦の笛が鳴る。

 重装歩兵がぶつかるまでは先程と同じ流れだったが、こちらの軽装歩兵の展開を、敵が離れて配置していた軽装歩兵が邪魔して右翼が押され気味の形で膠着し、左翼は――いや、左翼の重装歩兵は、離れた位置を通過する軽装歩兵に対抗できず、敵の右翼に在った軽装歩兵は、こちらの軍の後方を取った。

 が、敵と接触していない中央と右翼は、後方の軽装歩兵になんとか踏み止まり、その間に、敵の左翼がこちらの右翼と接触し――。

 戦場は、乱戦に陥った。

 若干こちらが押されてはいるが……


 いや、そうだな。

 この状況となった以上、俺の負け、か。

 演習で、活き活きと戦う兵士の姿を見て、俺は肩の力を抜いた。よくぞここまで育て上げたものだ。

 俺の存在理由でもあった戦いでさえ負けては、俺には、もう、本当になにも無い。

 が、別に嫌な気分じゃなかった。なんだか、少し、清々しい。


 ここの王太子は、本当に強いな……。俺よりも、遥かに。

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