夜の始まりー7ー
翌日、日も昇りきらないような時刻ではあったが、騒がしさで目が覚めてしまった。
夕飯の後で適当にもぐりこんだ作りかけの空家を抜け、周囲の喧騒に耳を澄ますと、どうも、もう王太子が戻ってきたとか、そういう話らしい。
少し先にあるアゴラの入り口付近の、入り口が狭く奥が広い台形状の建物――本来は将軍の詰め所のはずだが、この町の場合はマケドニコーバシオの武官の宿舎兼執務室になるんだろう――から、兵士がバタバタと走り出て、城門の方へと向かっていった。
いや、王太子が、強行軍で戻ってきたなら、俺ものんびりしているわけには行かないか。
服を……。
どうしたものかな。
いや、普段着としては、ラケルデモンの頃の習慣で腰巻を着け、ウールの上着をエクソミス――一枚布を右肩を出しで身につける一般的な着方――で、まとうが、その上に腹当てを着け、革のベルトで固定している。外套で右肩を隠し、足は軍用サンダルに脛当。剣は腰に下げられる長さではないので、背負いで固定している。
左腕の籠手型の丸盾は、まだ持ち続けてはいるが、結局好きにはなれなかったので、あまり着用していない。
北部の諸都市国家では、滅多にない格好だな。……いや、南部でも一般的ではないが。
他の幹部連中のように、亜麻布を丈を長く――膝が隠れる程度まで伸ばして、エクソミスで身につけるか。いや、しかし、剣が無いのは不安だな。
どうしたものか、と、悩みはしたが……。
まあ、そもそも媚びるのも好きではないしな。
服装で喧嘩を吹っ掛けてくる程度なら、その場で決闘のひとつでもしてやれば良いか。もう、ここの連中を守る義理も無い。それなら、俺は、俺の心のままに振舞うだけだ。
悩んだ挙句にいつも通りの格好で、通りに飛び出すと、丁度大通りに出たところで馬を急がせるプトレマイオスと鉢合わせた。
「この国の伝令は優秀だな」
馬の速度を落としたプトレマイオスに、半分は皮肉で言ってみる。
「いや、王太子の帰り途中で鉢合わせたらしい」
ちなみに、プトレマイオスは特に俺の格好に文句をつけてはこなかった。貴族らしいので、王太子の御前に帯剣して罷り出でるな、とか、言われるかとも思ったんだが。
「乗るか?」
馬上のプトレマイオスから手を差し伸べられたが、俺は首を横に振って答えた。
「悪いが、俺は騎乗出来ん」
少し意外そうな顔をしたプトレマイオスではあったが、特に、追求してきたり、こちらを無理強いするようなこともせず、ただ「そうか」とだけ告げ、俺の走る速度に合わせて馬の足を落とした。
「まだ、町には入っていないのか?」
荷馬車の行き来なんかのための広い道には、プトレマイオスの部隊が展開し、俺が連れて来た連中も路地や仮の家で大人しく成り行きを見守っているが、重要人物が町に入った時に起こるどよめきは無いままだ。
城門で出迎えを待っているのか?
「いや、それが……」
「うん?」
歯切れの悪いプトレマイオスに、首を傾げて見せると、どこか弱りきった様子でプトレマイオスは現状を説明し始めた。
王太子とその部隊は、陽が昇るまえに町の入り口に着いたらしい。しかし、町へと入らずに平原に留まっているそうだ。
なんのために?
自治都市と言った以上、軍を入れたくないという理由しか思い当たらないが、それなら、最初から少数の部隊で戻れば良いだけの話だ。プトレマイオスも、そこを上手く説明できないらしい。
町の入り口付近に集まっていたエレオノーレの仲間の主だった連中、そして、プトレマイオスの部下も留守番させ、俺とプトレマイオス二人だけで作りかけの城門を抜けるが……。
目の前の平原の様子は、更に予想外だった。
部隊が、展開しているな。
兵装は、町で見た通りの長槍と首掛け盾で武装しているが、槍の穂先は、刃を外した上で布を包んでいるらしく、金属光沢ではなく、まるで洗濯物を干しているかのような白が天を衝いている。
八人八列の重装歩兵のファランクスが六つ、同じ隊形の軽装歩兵のファランクスが二つ。ちょうど、半分ずつに別れ、お互いに向かい合うように対峙していた。一般的なファランクスの一部隊が十六人十六列であることを考えれば、演習のために、定員を半分で別けて対峙させたということなんだろう。
俺達を脅して言うことをきかせようってわけでも無さそうだが……。
これは、どうも、解釈に悩むな。
「マケドニコーバシオでは、客人のもてなしに、模擬戦を見せるのが慣わしなのか?」
足を止め、息を整えつつ腰に手をやって俺はプトレマイオスに訊ねてみた。
目が合うと――本当にコイツは知らなかったようだな――動揺を隠せないプトレマイオスが、馬の脇腹を蹴り。
「す、すまない、少し待ってくれ。私が呼びに行く」
そんな言葉を残し、騎兵が十数騎固まっている場所へと馬を駆っていった。
相談に時間が掛かるかとも思ったのだが、プトレマイオスが集団に混ざって一言二言言葉を交わす程度の時間で、全騎こちらへと馬の首を向け――。
俺に確認するだけの時間を与えようというのか、わざとゆっくりとした速度で近付いてきた。
つか、俺一人に対して、全員で来るのかよ。まあ、良いけどな。手間が省けて。
装備は、基本的には革製品だな。鎧、籠手は普通の物で、騎兵の槍も歩兵ような異常な長さの長槍ではなく、他のヘレネス諸国で使われている程度の長さだ。まあ、馬上であの長槍は扱えないだろうし、それも当然かもしれないが。……もしかして、装備に鉄や青銅をあまり使っていないのも、重量との兼ね合いなのか? 判断するには、ちょっと知識が足りない。
さすがに兜は青銅製のようだったが、どちらかといえば質素で、顎や後頭部を守れない、半球型の兜だった。其々が好きな飾りを着けているのが特徴といえば特徴か。
おそらく、外套の色から察するに中央が王太子なんだろう。
前衛として、左右に槍を持たない盾持ちの近習二騎を従えている。
…………?
白目が分かる距離まで近付かれたのでわかったが、王太子の瞳は左右で色が違う。
右目が空のような青色をしていて、左目は大地と同じ濃いブラウンだ。
ふうん。
不思議な存在感だと思った。いや、瞳の色だけに起因するものじゃなく。
才気は会えば分かる、と少し前にプトレマイオスが言っていたのを思い出した。
つまり、そういうものなんだろう。
対照的に――あれは、誰の言葉だったかな? キルクスか? 俺の命令の意図を大半は上手く解釈できない、理解できない、だから自分達が緩衝となっているとか言ってたのは。
はは、やってられんな。
ほんとうに。
「若いな」
王太子は、下馬しないままで俺の目の前で止まった。威厳を感じさせるというよりは、親しみやすさの中に嫌味にならない程度の気品と勇猛さがある。
立ち居振る舞いは、一般的な南部の国の代表とはかなり異なっているな。
「俺はもう十五だ」
「充分若いだろう。己よりも三つも若い。ここでは、お前が最年長だな」
ハッハハ、と、豪快に笑いながら、俺の横についたプトレマイオスに目配せした。
うん? と、プトレマイオスを見れば、やや不機嫌そうに呟かれた。
「二十八だ」
目が大きいせいか、もっと若く見えるな。髭も――剃っているからかもしれないが、全く無いし。
ああ、あと、髪や肌のつやなんかは貴族としての食生活なんかの影響もあるのか。
ふうん、と、再び視線を王太子に向けると、挨拶も無しにいきなり――。
「どうだ? 模擬戦で指揮をしてみないか?」
「は?」
「だからよ、お前さんが南方に展開している――、そうここから近いほうの軍だ。それを、指揮する」
してみないか、というよりは、もう既にそう決めているって口振りだ。
ざっと見てみるが、良い兵士ではある。行儀という部分だけでなく、長槍の構え方や、陣形の動きから、充分に訓練されていることが分かる。
余所者の命令だから聞かないとか、そういう尖ったことは言い出さないように見えるが。
「相手は?」
「もちろん、己だ」
思わず、眉間に皺を寄せてしまった。
コイツの意図が分からない。
俺を打ち負かせば、確かに新しい指導者を送り込み易くはなるだろうが、逆に俺に敗北した場合、後々まで響く失点になる。
勝てる、と、高を括っているのか?
慣れない軍の指揮は充分に出来ないだろうと予測しているとか、俺に割り当てられた部隊に、わざと負けるように指示を出しているとか。
しかし、舐めてたり、イカサマしてるって顔でもないんだよな。
……いや、まあ、腕試しは、こちらとしても望む所でもあったんだ。
「分かった、受けよう」
王太子は、ニッと笑って。
「手加減はしない。全力を尽くせ」
と、言って、北に展開している軍の方へと馬を向けた。他の騎兵も、王太子を追っていくが、なぜかプトレマイオスは俺の横にいるままだ。
疑問に思い、意図を尋ねようとしたところ――。
「勝手が分からんだろ? 指示は、そいつ経由で出せよ!」
背中を向けたまま、王太子が背中を向けたままで叫び、一瞬だけ肩越しに振り返って付け加えた。
「大丈夫だ。己の命ではなく、志願だからな。信用してやれ」
馬上のプトレマイオスを見上げるが、もしかしなくても照れているのか、ぶっきらぼうに、行くぞ、とだけ言ってきた。
其々のファランクスの指揮官を集め、陣形に関する指示を出す。まずは小手調べなので、基本的な陣形――重装歩兵のファランクスを横に広く並べ、最右翼に軽装歩兵を配置した。
軽装歩兵は、散兵線を形成するほうが俺は好きなんだが、既に方陣を作っていたし、この人数と距離では、投槍作戦の効果は薄い。
プトレマイオスはなにも言わないが、王太子には、他のヘレネスと違ったこの装備にしなければ出来ない作戦があるのだと思う。そして、それに絶対の自信を持っている。
なら、まずはそれを理解することから始めなくてはいけない。
一戦目は捨てる……とまでは言わないが、下手に奇をてらってごちゃっとした乱戦に持ち込みたくは無かった。乱戦で証明できることなんて、――個々の兵の強さを除けば――運だけなのだから。
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