夜の始まりー6ー

「町の外に出ていたの?」

 城門をあえて避け、作りかけの城壁から出入していたんだが、どうもこの女は変な時にだけ鼻が利く。

 エレオノーレの顔を一瞥し、俺はその横を通り過ぎようとした。

「俺の勝手だ」

 外套の裾を、エレオノーレが掴んだ。

 素直に通す女じゃない。

 まあ、分かっていることだがな。

 一呼吸分の間を空け、俺はエレオノーレと向き合った。

「ひとりか?」

「うん」

 目付けにと、女衆をつけといたはずなんだが、な。どうも、もうこの都市を自分達の物とアイツ等は思ってしまったようだ。

 エレオノーレがなにをしても、許容するってことなんだろうし、叱責するのも今更か。


 エレオノーレはこの程度の暗がりを歩けないってわけじゃないはずなんだが、手にはしっかりとオイルランプが握られていた。オイルランプから視線を上げれば、手首ギリギリまで、覆っている高そうな茜色の外套が目に入ってくる。

 いずれも、どういう意味においても、ラケルデモンにいた頃では考えられなかったような待遇だな。

 灯心で赤い炎が揺らめいて、エレオノーレの顔を照らしている。炎のゆらめきによるのか、時折きらりといつもよりも低い位置で縛っている髪が――ああ、いつか、俺がエレオノーレに買ってやった銀糸の髪飾りのせいか――煌めいている。


 エレオノーレは、うん、と、頷いた後もしばらく俯いたままでいたが、意を決したように顔を上げ、縋るように――左手で掴んでいる俺の外套の裾を引き寄せると同時に、自身も一歩踏み出し、どこか張り詰めたような声で話し始めた。

「皆、探していたんだよ? ドクシアディスさん達と、キルクスさん達で、中々意見がまとまらないからって。ちょっと言い合いになったりもしてたし」

「そうか」

 まあ、そうだろうな。

 元々は、敵同士で、それを時にけしかけ、時に宥め、最終的には俺の武威で黙らせていたんだ。圧力だけが消えた状態で、各種の業務を放任すればそうなるだろう。

 怨みは、簡単に消えるものではない。

 エレオノーレのためとの名目で協力しても、いずれ、その祭り上げたエレオノーレを手中に置こうと内紛が始まる。

 まあ、こんなすぐにぶつかりだすのは、ちょっと予想外ではあったが。

「皆を助けてよ。いつもみたいに」

 触れたら壊れそうな、そんな危うさのある声だ。

 泣きそうだな、とも思ったが、涙以上の感情が声にこもっている。


 トン、と、その――コップから溢れそうな水を押し出すように、エレオノーレの肩を押して一歩間合いを遠ざけた。

「北東エーゲ諸島での一件を、俺は忘れたわけじゃない」

 エレオノーレの左手が解ける。

 が、それは一瞬の事で、次の瞬間、強く腕を掴まれた。

「勝手なことをしたのは、悪かったと思ってる! 謝る! ごめんなさい。でも、それは、もうなんとかなった話じゃない。今は――」

 この女にとっては、もう終わった話なのか。

 たまたま上手くいった、だから俺がもう怒っていないと思った、か。そんな単純な話だと思っているのか……。

 叱責してやっても、学習しない人間には無駄ということか。

 エレオノーレの腕を振り払う。

「アーベル?」

「北東エーゲ諸島での一件だけが理由じゃない。これまでのお前の、そしてお前の仲間の行いを省みてみろ」

 サッと町を見て、円堂ではなく、炊煙や匂いから飯屋の方を見つけ出し、そちらへと足を向けた。

「皆の所に行かないの?」

 エレオノーレの声だけが追いかけてきたが、俺は今度こそ掴まれない距離を開け、振り返らずに言い放った。

「なぜ俺が行く必要がある? 行きたきゃお前が行け」

「私には、なにも出来ないんだ」

 苦々しく言ったエレオノーレに、そうか、とさえも、今回は答えなかった。

 結局、なにも出来ないままでコイツは、お姫様だ。

 世界ってのは分からないものだ。


 立ち止まったままのエレオノーレと歩き続ける俺。あっという間に、家一軒分の間が空き――。

「皆の事、見捨てないでよ! ……お願い、だよ」

 エレオノーレが叫んだ。

 嘆息し……、もう、コイツに関わりたくなんて無いのに、それでも振り返ってしまう。

「同じ事を何度も言わせるな」

 エレオノーレは泣いていない。

 強い眼差しで、でも、最初の頃のような刺すように見据える視線ではなく――。

 信じている、と、エレオノーレの声が聞こえた気がした。

 特徴的なグリーンの瞳は、揺ぎ無く俺を捉えている。

 だから、俺は偽らざる本心を告げた。

「ここは、帰る場所だ」

 エレオノーレは、あの船で言い合ったことを思い出したのか、瞳の奥がそのたった一言で揺らいだ。

 一度口を閉ざし、短く息を吸う。

「俺の居場所じゃない」

「アルは、この国の軍人になるから、だからもう、これ以上皆には手を貸せないって、そういうこと⁉ 私、聞いてたんだよ! アルが――」

 エレオノーレの方に、右の掌を突き出す。

「俺は、アギオス宗家のアーベルだ。勝手に俺を語るな。あて推量で、俺を判断するな。俺の歩むべき道を、お前が決めるな」

 家族名をはっきりと口にする。決別の証として。

 名前しか名乗ってこなかったのは、出自を、生国を隠す意味もあった。だけど、それ以上にエレオノーレの一族――メタセニア人の敵であることを、忘れさせるためでもあった。アルと呼ばれることを許していたのは、きっと、そんな甘っちょろい理由からだった。

 一呼吸の間を置く。

 エレオノーレは、もうなにも言い返しては来なかった。

「お前の手に入れた新しい家族の下へ帰れよ。お前がいるだけで、多少は場もまとまりやすくなるだろ。

 それで素直に円堂へと向かう女じゃないとは分かっていたが、一応、言うべきことを言って俺は遅い夕飯を食いに店の方へと足を急がせた。

 エレオノーレの足音は聞こえない。

 その場に、ただ立ち尽くしていたようだった。

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