夜の始まりー9ー
この模擬戦によって、俺よりも能力が優れていることを王太子は証明した。アイツ等は、俺が勝っているからついてきた連中だ。忠なんてありはしない。あっても逆に困る。より強いリーダーが現れるなら、それに
会談での引継ぎよりも、余程意味も効果もある。
俺にふさわしい形で決着がついたことに、天に感謝しよう。
元々、船に乗せた連中と俺は違うと認識してしまっていたんだ。ここに置いて行けば、そんなに悪い事になりはしないだろうしな。
エレオノーレも……。
いや、うん、そうだな。決別は済んでいるし、いつもみたいにそれを気にせずにバカを言い出しても、実力で止める。否、俺が止める前に、船の誰かがエレオノーレの意思を無理してでも止めている。もうそういう段階になってしまっている。
どこまでもいつまでも同じ道に居れないと、最初から俺は分かっている――分かっていたんだ。心残りは無い。
エレオノーレが、俺を喪失したところで、その穴を埋めるだけのモノを既に準備してやってもいる。
もう、俺は、必要ないのだろう。
誰にとっても。
「合図を」
「うん?」
同じ作戦の二戦目ということで、俺の横にいたプトレマイオスは、なんだか分かっていない顔で俺を見返してきた。
「降伏の合図を」
「まだ戦闘中だ。諦めるな」
「いや、もう決着はついている」
プトレマイオスも、戦列ではなく乱戦となっている戦場の意味を理解しているのか、それ以上俺を止めようとせず、歩兵の前進を指示していた笛手――混戦になってからは、足を進めないので待機していた――に、合図をおくった。
歩調を整えるのとは違う、独特の旋律が戦場に響き――喧騒が止んだ。
兵士は、すぐさま五戦目の準備に入ろうとしていたが、騎兵の一団が俺の方へと向かってくるのを見て……おそらく、本来の部隊編成なんだと思うが、十六人十六列のファランクスを作り、町に向かって整列を始めた。
「なんだ? もう止めるのか?」
「意味が無い。そちらもそう思っていたはずだ。これは、運を見るための戦いではない」
ハハハ、と、王太子は豪快に笑った。
王太子が馬を下りると、その側近達も馬を下りて俺の目の前に並んだ。背中の剣を外し、王太子の前に投げる。
「なんだ?」
「敗北の証だろう」
敗者が武器を差し出すのは、普通の事だ。降伏なら、尚更。
ハハハ、と、王太子は再び笑い「これは模擬戦だ……。っと! 重いな、おい!」右手を地面の俺の剣に伸ばしたが、触れて重量に驚いたのか、姿勢を直して剣を持ち上げた。
持ってみるか? と、近くにいた側近のひとりに剣を渡し――。
「なんだこれ? ほんとに剣か?」
「青銅とは色が違うだろ。鉄製なんだ。もっと、腰を、こう……」
王太子の近習の二~三人が、物珍しそうに剣を検めた後、最後に剣を持った――少し肌の浅黒い男が、俺に返してきた。
「良い得物だが、持ち手を選ぶな」
「ラケルデモンで打たせた一品物なんだ。既製品じゃない」
ああ、なるほどな、と、ソイツは言いながら、王太子の横に戻っていった。
剣を背中に差し直す。
「そちらの望みは?」
「そう急くな、若いの。別に己はお前さんを貶めたいわけじゃないんだ。むしろ、己と親父殿が何年も掛けて編み出した戦術に、こんな短時間で合わせられるとは思わなかった。見事だ。若き頭目」
「それはそれは……」
模擬戦を行うに当たり、同質の兵隊を与えられた。これが……例えば、ヘレネスで一般的なファランクスだったら、間合いの不利と速度の差で惨敗していただろう。戦術レベルでの対応は、この兵種を考案した戦略レベルでの才には及ばない。
「この自治区は好きにしてくれ。マケドニアコーバシオのお抱え商人となると不都合もあるだろうから、表向きは無所属で構わない。亡命政府の体でもいいぞ。他国との敵対には慣れてるからな。物流に関して、相当数を任せる。税率に関しても、優遇する。海運、そして海軍の一翼を担ってくれ」
実力を示した上で、こちらも起てて懐柔しようって魂胆か。
優遇を恵んでやった程度の事実を、俺が理解出来ないと思われているのか? ……いや、俺以外の船の連中のため、か。模擬戦で粘ったから、条件が良かったと喧伝させるために。
俺の支配を維持させるために……。
まあ、でも、そう考えて行動するのも仕方の無いことかもしれない。俺達の内部の亀裂に関しては、プトレマイオスも把握していなかったし、王太子には伝わっていないんだろう。
多分、この敗北が決定的だとは、分かっていない。
「この程度の弱将の指揮では不安だろう。頭目にはそちらの子飼いを派遣すればいい」
「なんだ? 拗ねてるのか? 若いなぁ、お前さんは。しかし、悪くないというか、想像以上の指揮だったが……。それに、部外者が簡単にまとめられたら苦労はせんだろう。武装商船隊は自立心が強く、扱いが難しい」
物言いにカチンとした部分がなくはなかったが、ここで喧嘩を吹っ掛けるわけにもいかず――既に模擬線で敗北しているので、それは恥の上塗りだ――、俺は努めて冷静を装って答えた。
「俺だって外から来た人間だ。アンタなら大丈夫だろう。周囲にそれなりの人間も居るようだしな。適任者を選ぶことは難しく無い筈だ」
チラッと俺達をこの町まで案内し、この模擬線では俺の副将なんて貧乏籤を買って出たプトレマイオスを見る。
プトレマイオスは、照れもあるんだとは思うが、どこかムスッとした様な顔で前だけを見ていた。
王太子が、可笑しそうに少しだけ笑った。
「ふむ。で? お前さんはどうする?」
「…………」
答えられなかった。
いや、どうするかは決めているが、そこまでは話せない。
「ひとりで、ラケルデモンと事を構える気か?」
王太子の雰囲気が変わった。目がギラギラしてる。
予想に反して、俺達のかなりの部分を調べ上げているようだな。エレオノーレが引き入れた連中に、少なくない数の間者が紛れ込んでいるな、これは。
あの酒飲みの女――ティアか? 露骨に怪しいんだが、逆に、怪し過ぎの上に挙動不審過ぎて、あちこちに紛れ込むことが出来るという謎の才能がある。
少しだけ、頭が混乱する。どこまでが、この王太子が企んだことなのか。疑い出せば、アテーナイヱとアヱギーナの戦争以降の行動が、全て誘導されていたような……そんな気さえしてしまう。
考えたのは自分のはずなのに。
……いや、もう悩むな。船の連中を捨てると決めたのは自分だ。それに、指揮でも負けたんだ。それなら、俺はひとりの軍隊になれば良い。最初と同じように。
「……その方が都合のいい場合もある。独りでなくては出来ないこともある」
人を使うことの限界を理解した。
それに、秘密裏に暗殺・騒乱を起こすには、半端な人員は逆に足手まといだ。糧秣の必要量が増えるし、情報漏れの危険も増す。
「ふむ」
王太子は腕を組み、しばらく俺を眺めていた。
いい加減、気恥ずかしさと居心地の悪さで声を上げようとした所――、まるでそれを待っていたかのようなタイミングで、王太子に先に口を開かれてしまった。
「お前さん。己の学園で学んではみないか?」
「……は?」
色々と分からない……というか、全く脈絡無く振られた話題に反応出来ずに、俺はぽかんと口を開けてしまった。
王太子は、軽く肩を竦めて続けた。
「独学では限界もあるだろう。己の家庭教師の先生が開いた学園があるんだ。科学や哲学だけじゃない、戦術や戦略も学べるぞ?」
ガクエン、という制度がいまいち理解できないが、ラケルデモンの少年隊のような、集団教育施設……だったと思う。ああ、いや、この場合は、単に教育機関――いや、違うか、もしかして士官学校とかいう所か? ラケルデモンにはその手の施設が無いので、いまひとつ実態が分からないが。
ふと、プトレマイオスに軍人となることを勧められたのを思い出すが――、いまひとつしっくり来ない。話が唐突過ぎるという意味でもそうだが、これまでの事を考えるに、なにか裏があるような……。
「アンタの目的はなんだ?」
率直に訊いてみたが、返って来たのはどこか人をくったような答えだった。
「お前さんだ」
ハン、と、鼻で笑って肩を竦める。
俺個人の価値は、もう見ただろうに。
これまでの内容が、目に留まるほどのモノだったとはとても思えない。
「ラケルデモンに喧嘩を吹っ掛ける口実がいるのか?」
それは、利口な手段だとは思えなかった。この国のアテーナイヱとの共闘は、交易の際の感触からいって、いいように利用されるだけのように感じた。うまみがあるとも思えない。
更に言うなら、国境を接していない――海を国境と考えれば別だが――ラケルデモンに、この国が単独で侵攻して支配することが可能だとも思えなかった。
新型の装備、新型の陣形、その利ははっきりとわかる。が、それだけで落とせるほど、ラケルデモンが甘い国だとは思えなかった。よしんぼ、勝てたとしても損害が甚大だ。補給線を海上輸送だけに頼るとするなら、戦費も莫大だろう。
いずれにしても現実的じゃない。
「水をやれば伸びる芽を、みすみす枯らしたくは無い。それに――」
王太子もラケルデモン侵攻が無謀なのは分かっているのか、少し呆れたように言って、チラッと俺の背後を見た。
「ひとりで決断するな。後ろの連中とも話し合ってやれ」
そんな義理はない、と、言おうとしたが、一瞬の隙に間合いを詰めた王太子に顔をつかまれ、無理矢理後ろを振り向かされてしまう。
町に残してきた連中が、城門の外に出ていた。主だった人間もそうだし、エレオノーレも。向けられているのは、困ったような不安そうな目だった。中には、露骨に顔を逸らしている者もいる。
新しい支配者である王太子に、俺を支持していると思われたくない、というのが顔に思いっ切り書いてあって、少し笑えた。
「こちらの出せる条件は、文章にして夜半にはそちらにもっていく」
パッと俺の頭から手を離し、離れ様にそう告げる王太子。
「……なあ」
「なんだ?」
振り返ると同時に剣を抜くと、周囲の兵士が一斉に臨戦態勢に入るのがわかった。模擬戦直後だというのに、活きの良い連中だ。
王太子は手でそれを制して、剣も抜かないままに俺に向かって一歩踏み出した。
「殺し合いじゃない。一本、勝負をしないか?」
王太子は真顔で真っ直ぐに俺を見たが、ふ、と笑うと両の掌を俺に見せるようにしてかざし――。
「辞めておく」
と、あっさりと退いてしまった。
「アンタ自身も相当強いと見たが?」
「己は強いから突っ込むのではない。弱いから突っ込むのだ。人は、それを強いと誤解しているだけだ」
刃を前にして、それを全く意識せずに話す王太子に、指揮でも試合でも……なにもかも負けた気がした。
「……分かった」
剣を鞘に収める。
こん、と――ああ、そうか、横にはコイツがいたんだっけ――、頭をプトレマイオスに叩かれた。
「やんちゃは、時と場合をわきまえろ」
お前は何様だ、と言いたかったが、まあ、現実問題として王太子が収めた事態を蒸し返すのは気が引けたので、俺は素直に、悪かった、とだけ告げ、町へと足を向けた。
船の連中と話し合う必要があるとは思えなかったが、これだけの大軍団の中をばれずに逃げおおせられるとも思えなかったから。
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