夜の始まりー10ー

 円堂での会議は、始まった途端に終わっていたといっても過言ではなかった。俺の顔色を窺って、なにも言わない幹部連中。どうせなら、はっきりと引退を勧告でもすればまだ面白みがあるんだが、な。

 引き止められないことが分かっているので、理由も告げずに円堂を後にする。案の定、声は、掛けられなかった。

 まあ、そんなものだろう。

 外に出た瞬間、ようやく王太子の案に対する議論が始まったのか、にわかに人の声が沸き上がって来た。

 目の前の柱廊を蹴り上げたところで、全く気は晴れない。



 当てがあったわけじゃないが、今後何があるかも分からないんだし、食える時に食っとくか、と、飯屋の並ぶ一角へと足を向ければ――。

「お! 来たな」

 いきなり王太子に捕まった。護衛は、プトレマイオスと、模擬戦の後で王太子の前に投げた俺の剣を返してきた男の二人だけだった。国の後継者とは思えないほどの気安さだな。

「待ち合わせた覚えは無いぞ」

 嘆息する。

 後ろの連中と話せ、なんて言っておいて、結局は話にならないって分かっていたんだろう。……いや、それを試したのか?

「なに、こういう時は、自棄酒が一番の薬だろ。ほれ、奢ってやるから山ほど飲んでしまえ」

 王太子に掴まれて入らされたのは、どうも飯屋というよりは、飲み屋と言った雰囲気の店で、まあ、そうした店にありがちなことではあるが厳つい男がひしめき合っていた。

 服装を見るに、この国の連中ばかりで、船のヤツはいないようだった。体格も良いようだし、建築労働者の酒場ってところか。

 つか、身分が高いんだから、もっと良い店へ行けばいいのに。

「酒は不要だ」

 入ってすぐに着いたテーブルで――どうも、模擬戦の最後の一件で警戒されたのか、俺の両横をプトレマイオスともうひとりの護衛とで固められてしまった――、ワインの瓶を持って来させた王太子に、陶器のコップを返しながら俺は言った。

「ラケルデモンでは、市民になるまで飲酒しないというアレか?」

 プトレマイオスが、こちらを特に気にせずに先に酒で唇を湿らせてから訊いて来た。王太子は、自分の酒を飲み干してから、俺の分のコップの酒を一口飲み――俺の左の肌の黒い護衛にも、飲めと勧めている。

「それもあるが、酒で頭を鈍らせる趣味は俺にはない」

「まあ、無理強いはせんさ。なにか要るか?」

「適当に、有り物で構わない」

 王太子は、適当に人を呼んで料理を注文し、再び俺に向き直った。

「どうだった、会議は?」

 肩を竦めてみせる。

「負けたことによる傷心よりも、部下の掌握に気を回さなければこの先、やっていけないぞ?」

 プトレマイオスにすぐさま説教されたが、そういう問題ではないと思った。

 元が一枚岩の集団じゃなかった。寄せ集めの集団を、利益を餌に引っ張り、恐怖で枠にはめていた。一度崩れれば、あとは脆い。

「……俺は、なにに失敗したんだ?」

 口にするのは、かなりを勇気を要したってのに、王太子の返事は素っ気無かった。

「なにも」

 ほら、食え、とでも言いたいのか、スブラキ――一口大の肉の串焼き――を俺に握らせてきた。今度は突っ返すほどの物でもなかったので、俺は受け取って一口齧った。肉は、羊の肉だった。

「失敗していないなら、負けなかっただろう」

 食って掛かると、王太子は少しだけ考える素振りを見せ「折角だ、お前の事を話せ」と、言った。

 どこから? と、視線で訊ねれば、真顔を返されてしまう。

 最初から、か。

 一度口を閉ざし……、長く息を吐いて俺は――。

「今から半年以上前の事だ。俺がラケルデモンを抜けたのは……」

 エレオノーレとの事を全て話すつもりは無い、一部ぼかしつつも、エレオノーレと国を出たこと、アテーナイヱで抑留されていたドクシアディス達を配下にして、戦争に参加、村を奪取、キルクスとの決別と再合流、そして、この国に居を構えてからの事。


 酒場は――聞き耳を立てられているのか、しんと静まっていた。

 まあ、聞かれて困る話ではないか。そもそも酒場の話なんて、たいていが盛られた武勇伝だ。信じるやつは少ない。


 王太子は、俺が話を終えても長いこと黙っていたが――。

「お前さんは、なにも失敗していない」

 と、きっぱりと言い切った。

 さっきと同じ言葉に、眉間に皺を寄せる。

 王太子は、軽く肩を竦め……。

「仕方が無いだろ。他に遣りようが無いぞ、その集団では。まあ、多分、急ぎ過ぎたのが唯一の難点かもしれないが……。いや、しかし、急いで勝利と利益を得られなければ、沈んでいるだろうしな。もう少し時間が経ち、人も増えれば、お前さんが心を開く腹心がいなかったせいだともいえるが、現状、弱みを見せれば下の連中の主張の違いが顔を出す」

 悪い点を指摘された方が、楽だったかもしれない。これでは、どういう道筋を辿っても、ここでの敗北が決まっていたように思えてしまう。

「一緒に国を出たという……あー、エレオノーレ? と、言うのは、どうなんだ? 正式に副官に任命し、二人でもう少し上手く役割分担をすれば、人身掌握もしやすいように思うが」

 無言で首を横に振る。

「アイツは、そういうことが出来るヤツじゃない」

 王太子……いやプトレマイオスの方が、より不思議そうな顔をして、訊き返して来た。

「なら、なぜ一緒に国を出る相手をソイツにしたんだ?」

「逆なんだ、アイツが国を出たがっていたから、そのまま俺も――」

「お前の妻なのか?」

 王太子に聞かれ「違う」と、俺は即答した。

「この国では、別に妻を一人に絞ることも無いぞ。気になるなら、とりあえず結婚しておいたらどうだ?」

 ははは、と、どうも論点の違う話に少し笑ってしまった。

「本当に、そういうのじゃないんだ。俺も、閉塞感を感じていて、たまたま切っ掛けがアイツだったってだけで、特別な意味なんて無かったさ」

 王太子と俺の左右の二人は、完全に納得したってわけじゃ無さそうだが、それ以上は話を広げずに……。

「戦争の行方が知りたいか?」

 またマケドニコーバシオ軍に勧誘されるのだろうな、と、思っていたので、その話を切り出されるのは意外だった。

 知っているのか、と、見詰め返せば、どこか楽しそうに王太子は話し始めた。

「陸は言うことはない。主要都市は全てラケルデモンの包囲下にある。陸戦の結果も、ラケルデモンの全勝だ。だが――」

「お、おい!」

 流石に、酒場で話すような内容ではないので、話を止めようとする。

「大丈夫だ」

「軍事情報の取り扱いは繊細だ。人口を介する内に、内容が思い掛けなく変化することも――」

「だから、大丈夫だっつってんだろ、新入り!」

 怒声は、吹き抜けになっている二階席から響いてきた。見上げれば――、いや、顔を少し左右にずらせば、いつの間にか酒場の全員が俺を見ていた。

 雰囲気が変わっている。もう、労働者の集団になんて見えはしなかった。視線に、表情に、力強さと凄みがある。一流の戦士の気配だ。

「己の友だ。一緒にミエザの学園で学んでいる」

 ただ友人を紹介しただけ、そんな気安さと気軽さで王太子が告げる。

 あんまりのことに、ふはっ、と、少し噴出してしまい……、そのままストンと俺は椅子に腰を落としてしまった。

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