夜の始まりー11ー

 してやったり、といった顔の面々が、テーブルに集まってくる。

 ……いや、このテーブルの周囲に集まり過ぎだろ。むさ苦しい。

「どこまで話したっけな」

 王太子が言えば、少し背の低い――少年従者ではないな、装備を見るに、自立しているという扱いのようだ。多分、年は俺と同じかやや若いぐらいだと思うが。

「陸戦は優勢まで、ですよ」

 少し丁寧に王太子に向かって言い、次いで顔を俺に向けて口調を崩して続けた。

 髪型は軍人らしい短髪だが細く、ふわっとしていて、女のような男のような、どこか中性的な見た目だった。

「ただ、ラケルデモンは、三度の海戦で全て敗北している。それで、アテーナイヱのアクロポリスへの海上補給網が一部残り、完全な兵糧攻めに至れてはいない」

「三度目の海戦では、荒れた湾にアテーナイヱ海軍を誘い出し、策源地から引き離した上での敗北だ。戦略の失敗を戦術で挽回された稀有な例になるな」

 異民族の血が混じっているのか、肌の浅黒い大男が、上から混ざってきた。

「ラケルデモンは、弱いのか?」

 ラケルデモンは、海が苦手で海軍力に乏しいことは自覚している、が、有利な状況下でまで負けたという事実は重い。それに……いや、攻城戦がそういうものだとは分かってはいるが、長期戦になっている現状に思わずそう訊ねてしまうと――。

「いや、個々の兵士の技量ではほぼ人間の至る頂点にあるだろう。だが……」

 隻眼の、三十代いや四十代に入っているかもしれない、他よりも一回り以上年嵩が上に見える男が表情を全く変えずに答え――。

「見てくれ。ラケルデモンの穀物輸入量の推移だ」

 左利きの、王太子と同じぐらいの歳の男が、テーブル上を若干乱暴に片して、紙を広げた。

 記録されている最初が……十年前。しかも、これは、マケドニコーバシオ単独ではなく、テレスアリアとの合算値か。

 この国が農産物の輸出国だとは知っているが、よくこんな物がよく手に入ったな。

 ええと、輸入量の変化は……。

「これは!」

「ラケルデモンは、メタセニアを滅ぼして以降、今回の戦争まで国土の拡大を行ってはいないな?」

 無言で頷く。

 国境線の小競り合いがヴィオティアと続いてはいるが、その程度だ。一進一退。拡大も縮小もしていない。

「そして、奴隷のための食物も輸入はしないだろう?」

「ああ……。ラケルデモンは、滅びかけてる、のか」

 資料に落としていた目を上げ、周囲を見渡す。目を逸らす者はいなかった。ある者は変わらずに微笑を浮かべ、ある者は考える仕草をし……、プトレマイオスはずっと真面目な顔をしていて、中には俺に試すような目を返す者もいた。

 俺が周囲を観察し終えたのを見計らって、王太子がゆっくりと重く頷き――。

「ここ数年で、急激に輸入量が減っている。しかし、鉄貨の質は落ちていない。もっとも、鉄になにを混ぜるんだって話もあるが――」

「あの国は、足りなければ奪うはずだ」

 うむ、と、再び王太子は頷いた。

「つまるところ、純粋なラケルデモンの人口は、メセタニアに勝った時と今とを比較すると、三分の二程度にまで減少しているということになる。純粋に、兵士不足だ。手を広げるには、そもそもの頭数が足りなかったんだ。原因に心当たりは」

「ありすぎる、が、子供の選別を厳しくし過ぎているのが第一に挙げられるな」

「十八になり、市民権を得るのは何割だ?」

「地域差はあるだろう。が、俺のいたところでは……、そうだな、少年隊に三つで入るが、十八前後で出る時には半分程度に減ってるはずだ。もっとも、保留という制度もあるにはあるので、一割程度の昇格待機や職工市民権の無い半自由人への降格はあるかもしれないが」

 どこかで茶化すような口笛が聞こえた。が、非難できなかった。正直、普通に考えれば、無謀過ぎることぐらい分かって当然の国策なんだから。

「多く見積もっても生存率六割……か。よくそんな国策を続けるな」

「多分、後に引けなくなってるんだろう」

 船の集団を指揮してみて分かった。民の統制は容易じゃない。

 おそらくラケルデモンはメタセニアを攻めた後、膨大な奴隷の管理を、個々の技量を上げる事で成した。膨大な奴隷を少ない市民で管理するためだった国民皆兵制度は、いつしか、目的よりも手段が重視されていった。

 おそらく、困難な選別を生き抜いたことによる選民意識も大きく影響しているのだろう。市民権を得るための基準を緩和するという話は、聞いたことも無い。

「あの国に、引導を渡すのか?」

 アテーナイヱに、おそらく国軍のほとんどを出している今なら、確かに勝てない相手じゃないと思った。ただ……。

「それが今だと思うか?」

「……思わない」

 静かな声で訊き返され、俺は少し迷ったが、自分の判断を優先して返事をした。

「損害が大きくなりすぎるんだろ?」

 無言で頷かれる。

 ラケルデモンの連中なら、槍の間合いの差を悟れば、得物を捨てて身を挺して相手の槍を折り、接近戦へと持ち込むはずだ。無論、お互いに犠牲は少なくないだろう。

 また、いくら新型の装備と陣形といっても、その真価は平原での戦いにあるという点はこれまでのファランクスと変わらない。山岳や河川、森林、そういった場所で、少数での遭遇戦となった場合、長いが取り回しが楽ではないあの装備では凌げないだろう。

 ラケルデモンは、篭城を想定していない――唯一の城壁を持たない都市国家ではあるが、旧メタセニア領等、平坦ではない地形も多い。乏しい物資で耐え忍ぶのも得意だ。

「戦略・戦術では己の勝ちだろう。だが、兵の質では向こうが勝つ。お互いに、消耗戦の果てに得た勝利では駄目なんだよ」

 深く椅子に座りながら、王太子がつまらなそうに呟く。

 奪った後の支配の問題もあるんだろう。ラケルデモンのメタセニア管理体制は、失敗例かもしれないが、中途半端に元々の知識層を残しておけば反乱を起こされる。傀儡政権を樹立するにしても……。

 そうか、それが理由で俺を――。

 そして、そうまでして諸都市国家の連合を目指のなら、目的は自ずと絞られてくる。

「……外国を侵略するには、か?」

「不公平だろう? アカイネメシスに度々軍を送られてるんだ。そろそろこっちから分捕りに行ってもいいはずだ」

「アンタ等の国は、アカイネメシスと同盟関係にあったはずだが?」

「同盟なんてものは、いつか破るために結ぶのだろう? あの時の己の爺様や親父殿では戦えなかった、それだけではないか。負けないために同盟を結んだ。お前さんも、それを非難する気か?」

「いや、勝てないことが分かっている勝負は受けない。それは正道だ」

 うむ、と、王太子はもっともらしく頷き――。

「なら、訊こう。今のお前は、なんだ?」

 心臓に氷の刃を差し込まれたような、そんな寒気が身体の中を走った。酒場の音が消えた。ただ、俺を見ている。見定めている。

 俺自身の鼓動が大きく聞こえる。

 息が、少し苦し……気圧され、詰めていた息を吐く。


 今の俺が再起を望むのは、勝てない勝負、ということか。いや、現実的にそうだ。ラケルデモンから、エレオノーレを連れて逃げ延びられたのは、戦争準備中という状況もあったからで……。確かに、戦時中の今、国に残っている戦力は少なく、居残っているのは年齢や健康状態に問題のある鎮後兵なのかもしれないが……。

 戻ってどうするのか、なにが出来るのか、なになら出来るのか。

 それなりに生きたから、――集団の運営にも失敗して――これ以上なにかを上手くやれもしないから、気分よく死ぬためだけに国に戻ろうとしているんじゃないのか……。

 俺は――。

 爺さんの国策、親父の判断、国家の歩んできた道。それが、死の目録だと、気付ける。行き止まりの袋小路へと国が向かっていると。

 そういう場所に、今、居る。

 そして、国を大きく変えたいのなら、そんな模範的ラケルデモン人としての自分をも変えていかなければならないのだと――。


 ダン、と、強くテーブルを叩き。目の前の王太子をしっかりと見据える。

「肉をありったけだ! 香辛料をたっぷり効かせてもってこい! 魚もだ。食えるものありったけ出しあがれ!」

 俺は叫んだ。

「ウアッハハハハ! こっちは酒だ。酒! 瓶で持って来~い! 蔵ごと飲み干してやるぞ!」

 王太子の声に応えるように、給仕が――給仕達がただの店員なのか、ミエザの学園の生徒なのか分からないが、ともかく、この人達が聞かれて問題ないと判断しているなら大丈夫だろう――酒と、食い物の大皿を持って、テーブルの間をこまねずみのように駆け回っている。

 周囲に集まっていた人垣も、若干は分散し――とはいえ、王太子がいるせいか、このテーブルの周囲に人が一番多いのは変わらないが――、真面目な話は終わったとばかりに宴席にありがちな大声や調子の外れた歌なんてのも聞こえてきていた。


 ハーブとオリーブオイルを練りこんだ拳大のチーズを手掴みで、三口で食い尽くす。タコの足の塩焼き、オリーブオイルの掛かった骨付きの羊腿肉の蒸し焼き、煮て干した肉をどっさりと根菜で煮込んだスープ、……?

「なんだこれ? 生じゃないのか?」

 給仕を呼んで焼き直させようとした所、プトレマイオスが、不思議そうな顔で訊き返して来た。

「そりゃ生だろ。焼いてどうする」

「いや……」

 俺が変なのか? 羊の肉なんて生じゃ食えないだろ。周囲をサッと見るが、右に居た男が、無言で匙ですくって、普通に食いあがった。

「なにも、変なところはない」

「ラケルデモンには無い料理なのか?」

 無い、とも言い切れないが……。いや、進軍中で炊煙を隠すならともかく、店でまで生の肉を食うってのもな。

「煮てから干した糧食用の小麦と、玉葱、ハーブと子羊の生肉を細かく挽いたものを練って、酢で味を調えている。オリーブオイルだけでは飽きるからな。気力が漲るぞ」

 王太子に唆されるままひと匙食ってみるが……。

「どうだ?」

 テーブルの連中の視線が集まるが、どう、とも答え難かった。

「不味くはないんだが……」

「ハッハ、口に合わんか。まあ、もう少し歳を取らないとこの良さは分からんさ」

 さっき……ええと、ラケルデモンについて説明してくれた……そういえば、名前は知らないな。この中で一番年嵩の三十代ぐらいに見える男が、そう言って――。

 見たことも無い、塩浸けの熟成されてないチーズ? のような何かを摘まんで食い、瓶ごと酒をあおった。

「どうした? もう終わりか?」

「冗談!」


 …………。

 仲間、か。

 成程な。

 確かに、誰が悪かったって話じゃないのか。

 船の連中と俺とでは、最初からなにもかもが違いすぎていた。

 対等になれるような状況でも、状態でもなかった。そもそも向こうも、俺も、それを望んでも――いや、考えてすらいなかった。

 同じ場所に並び立つことって、とても難しく、そうした人間と会えることは僥倖なんだな……。


 料理が運ばれてこなくなり、酒を飲む手もゆっくりになり始めたのを見計らい、俺は立ち上がった。

 慣れないことを言おうと――しようとしているせいか、どうしてもぎこちない動きになる。

「俺に……決断する機会をくれ、ありがとう……ございました」

 自発的に、誰かに頭を下げたことは、記憶している限り、これが初めてだった。

 緊張と照れで、少し、なにか、むず痒い。

 誰もなにも言ってくれないので、我慢しきれずに顔を上げると、笑顔で迎えられた。

 気恥ずかしさに負け、つい、余計なことが口を衝いた。

「その……。戦場に、二度目は無い。演習で済ませてくれたことに、感謝している」

 しかし、それでも誰もなにも言わないので、意図が伝わっていないのかと思い、俺は――口を閉じたほうが恥ずかしい気がして――話し続けた。

「こうして、今に至るまで、皆を敵だと思っていた。だから、なにをしでかしていてもおかしくなかった。これまでは、そうしていたから。でも、演習で鬱憤を晴らさせてくれて、自分自身に気付く機会を……俺に強くなる機会をくれて、ありがとう……ございます」

 ふは、と、誰かが我慢できずに息を噴く音がした。そして、それが合図だったかのようにワッと声が沸き――。

「なんだ、聞いていたのよりも意外と素直だな」

 ずっと無言で俺の右に居た男が、どこかおどけたように言った。

「認めた相手にだけだろ、だからこんな大掛かりな遠征になったんだしな」

「剣抜いた時には、ひやひやしたんだぞ、おい!」

 プトレマイオスに肩を叩かれ、うん? と、視線で訊ねれば、王太子が、策士の笑みで話し始めた。

「面白い男だが――、一筋縄でいかない相手らしいと聞いていたからな、お前さんは。ラケルデモンの人間は、良くも悪くも頑なだ。それが時に国家機構の硬直化を生む。あの国の出自にあって、なお、世界に目を向けられる人間を、己は探していたんだ。なに、気ぃにすんなって! こんなこと言いつつ、コイツ等も国の南部の旅行を楽しんでたんだから」

 おう、とか、まあ、冬だしな、なんて声がどこからか上がった。

「ようこそ。同胞、ミエザの学園へ」

 差し出された手を取る。


 成程、確かに三歳年上だ。

 王太子の掌は、俺よりも大きかった。

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